マスクゾンビ
「あー……」
その日、とある施設で一匹のゾンビが誕生した。とある研究者が秘密裏に開発していた、ゾンビ薬。それを、同僚に投与した。
別に、同僚に恨みがあったわけではない。誰でもよかった。そもそもこの薬が本当に効くかの実験も兼ねていた。
結果として、同僚はゾンビになった。研究者の見立てでは、ゾンビ映画よろしくゾンビに噛まれた者は同じくゾンビになり、その数を増やしていくはずだ。なので、薬の予備はもうない。
「ははは、さあ行けえ!」
研究者は、始まりのゾンビを外に放り出した。このまま放っておけば、この町、国、いずれは世界中がパニックになることだろう。
さて、騒ぎが大きくなる前にさっさと逃げてしまおう。研究者は荷物を纏め、研究所を飛び出した。研究者は浮かれていた。研究が成功したこと、そして世界がパニックになることを思い描き、浮かれていた。
だから、忘れていた。
ゾンビは、マスクを付けていた。研究者は、ゾンビとなった同僚を見るや満足し、その後の処置を怠った。
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昨今、世界中はウイルスの流行により、感染対策でほとんどの人はマスクを付けている。
同僚も、その一人だった。
「あー、うー」
「なんだありゃ」
外に放たれたゾンビは、血肉を求めてさ迷い歩く。そして、当然人々の目にも触れる。
人間に反応したゾンビは、得物を目当てに襲い掛かる。いきなり襲われた人は、その非日常な出来事に反応出来ない。
通行人はゾンビに押し倒され、首筋をゾンビに噛まれる……かと思われた。
だが……
「うぅ、うぁー」
「な、なんだこいつ! 離せ!」
ゾンビはマスクを付けていた。ゆえに、目の前の得物に噛みつくことが出来なかった。
マスク越しに、通行人に噛みつこうとはしている。そして実際に噛みつけはするのだが……
直接噛みついていないからだろう。通行人にゾンビ化の現象は現れなかった。しかもこのマスク、結構お高い布製のマスクだった。
獲物を襲う本能しか持たないゾンビは、マスクを外すことは出来なかった。
「ほら、なにしてんの」
「そこ離れて」
やがて駆けつけた警察に、ゾンビは取り押さえられた。マスクは外されなかった。
その後、結局の悪いこの男がとある研究所に勤めていたことがわかり、男がおかしくなった同時期に研究所から逃げ出した研究者の存在が明らかになった。
研究者は逮捕された。空港に向かおうとしていたが、持ち逃げた荷物が多すぎてタクシーが捕まらず、徒歩だったためすぐに発見された。
ちなみにワクチン薬はなかったので、研究者は馬車馬のごとくワクチン開発に働かされた。
マスクゾンビによるゾンビパニックは起こらなかった。