N◯Rで人生壊された人間不信の英雄、TS美少女になる。 〜彼が壊れた後でようやく〝彼は悪くない〟と周囲が知るがもう遅い〜
◆◆◆7/21
20XX年、地球にとある能力を宿した化け物が発見された。
特殊な能力を宿した化け物は無差別に人類へと殺意を向けた。
当然、人類は反抗した。まず包丁を手に取り刺した、盾を使ってみた、銃に毒に爆弾と、持てる破壊は大体やった。
ーーその上で怪物には一切通用しなかった。
怪物は包丁をすり抜け、盾を溶かし、銃に毒に爆弾はのれんに腕押しとしか思えないほどに霞を切った。
ーー数ヶ月後、人類から一人の英雄が生まれた。何も効かなかった怪物を〝異界の力〟を用いて鏖殺し、人々を助けては、光となろうと奮起した。
彼の〝対怪物能力〟を何とかエネルギー抽出という形で確保した人類は、ギリギリの攻防を演じるに至ったのだ。
ーー彼の心がぐちゃぐちゃに壊れる、その日までは。
「薬は効いているみたいだね。
あとどれほど薬の効果が続くか分からないが、それまで少し話でもしないか」
「はい、構いません」
怪異対策局本部の上層階、一人の男と、一人の〝美少女〟がいた。
部屋は客人用のソファーが机を挟み。執務用の机と椅子が置かれているばかりである。
その全てがそれなりに根のはるものではあるがあくまで『機能性』という一点のみを選考基準している部屋は、その部屋の主の性格をそのまま表しているようでもあった。
「アラカくん……君は〝狂気〟とはなんだと思う。
精神が異常になり常軌を逸していること……それを指して狂気と呼ぶのだが……」
乾いた声で告げる。その声に哀れみや同情を誘うものは一切含まれず、ただただ巌のような印象ばかりだ。
「人の狂気は、いったいいつ生まれるのだろうね。君の意見が聞きたい」
男……怪異対策局本部の長を務める菊池正道はそう尋ねる。
「……いつ、ですか」
その問いに鈴のような声が返された。日本人とは思えない銀色の髪がサラリと肩から零れ落ちる。見るだけで彼女が〝壊れている〟と分かってしまうほどに……ガラス玉の瞳は澄んでいた。
「いつでも、だと思います」
ぴょこ、と微かに自己主張する獣耳。それはこれがまともな人間であることすら奪われたという証明だった。
菊池アラカ……という〝元〟青年はある事件を境にその姿を大きく変えた。
「幸福に溢れた凡夫が、ある日偶然何かの要因によって狂気を宿すことなど誰にでもあり得ることです」
ーー犬耳の美少女だ。その影響かは不明だが、その日以降、アラカは〝異界の力〟を生み出しことがほぼ出来なくなっていた。
「その要因とは、何かな」
「……何でも、です」
ほう、と声に微塵もぶれを感じさせずに返される相槌に、アラカは続けた。
「ゲーテの描いた失恋話は失恋というありふれた要因で、自殺をしました。
ノストラダムスの大予言は大規模テロをもたらした、とすらまことしやかに囁かれます」
日常から非日常、なんでも良いのだと結論づけながら……アラカは続ける。
目の前の男が求めている答えはその先だろう、と知っているゆえだ。
「ですが……そこに法則を見出すのなら」
鈴のような声で、愛らしい容姿で、身体中に包帯を巻いている痛々しい少女は平然と告げた。
「弱さが狂気の温床なのだと、愚考します」
狂気に落ちている人間は総じて『弱者』だと。
「そうか……ノストラダムス現象、か」
話を聞いて、正道は椅子を回転させ背を向けた。
夜景が見える、残業の明かりがポツポツと見える。正道は瞳を閉じて、全ての明かりが真っ赤に染まる世界を幻視した。
「アラカくん……これから世界は狂気に溢れるだろう。
神秘の失われた現代のノストラダムス現象が起こるよ」
正道は立ち上がり、アラカへ頭を下げた。
「今まで、すまなかった…………君一人に、負担をかけてしまった」
今日、政府からある許可が降りていた。それは菊池アラカの前線脱退の許可である。
アラカは能力が発現してから五年以上、人類守護に駆り出され続けた。その任がようやく解かれるのだ……彼がいなければ終わってしまうこの世界でそれが意味する中で、だ。
「そうですか」
冷めた声で返答がくる、とてもじゃないが15歳の子供の声とは思えなかった。
声の雰囲気だけでもう察し〝させられる〟、これは壊れている、と。
根っこのところから欠落している、終わっている。壊れている……救いようがない。
「これから世界は、滅ぶだろう。
世界が滅ぶまで、どれほどの時間が残っているかは分からないが……どうか、安らかに過ごしてくれ」
「やす、らか……」
ピキ、とアラカの頭に痛みが走り。
『ねえ、安らかな日々が過ごせるの。私。
だから笑って…?』
脳裏で不快な、アラカの大切な人の『最もみたくない光景』で埋め尽くされた。
そして鼻血が溢れ、それをみてハッ、と正道は気付く。
「……ぁ」
涙がホロリ、と溢れ、頬を伝う。それをみて正道は何処か冷静にアラカへ語りかける。
……そして心の奥底で憐れむように、そしてその対応に慣れた自分に、何処か冷めた感情を覚えながら。
「ああ、この単語もトラウマのフラッシュバックになるのか……少し待っていなさい、すぐ主治医を呼ぶ。それとこの単語は二度と言わない、ソファーで休みない」
鼻血と涙がぐちゃぐちゃになりながら、瞳から色が抜け落ちているアラカ。
廃人……と言っても差し支えないほどに精神的な欠陥を受けているアラカを男性はゆっくりとソファーへ誘導する。
「汚しても構わないから、さあ、ゆっくり」
「…………」
主治医がすぐに現れ、アラカの腕に注射を刺すとアラカはすぐに安定してそのまま意識を微睡に落とした。
「とりあえずアラカくんを客間に運んで……ああ、それとこれを使いなさい。夢見が幾らか良くなるだろう」
数少ないお香集めという趣味。その中でも若い子の好みそうな香りのものを主治医の女性に渡す。
「(このお香……確か相当高かったような……)」
思いつつも主治医の女性はお香を受け取り、アラカを抱き上げて……。
「……軽い」
と、小さく呟いた。
「……そう言えば前任者は、精神が病んで引き継ぎも対してしてないのだったな」
彼女には以前の医者が付いていた。しかしその全てがアラカの異質すぎる壊れ方に感情移入をして、心が病んで逃げ出した。
「食欲も酷く抜け落ちている。消化の良いものなら2日に1度のペースで何とか食べられる程度には回復している。それと」
アラカの手足に正道は触れると。
「寝かせる時は右腕と左足を〝外しておいてくれ〟」
義足と義手を外した。アラカの身体にはもう四肢が二本しか残っていない。
その事実に主治医が驚愕し、思わず「……ひどすぎる」と漏らした。
それに対して冷めた声で正道は返す。
「気にするな、無理にでも戦闘させろとの政府からの命令を遂行させたらこうなっただけだ」
そう告げると主治医はドン引きして、一瞥してからアラカを別室へ運んだ。
一人になった部屋で、正道は机に置かれた資料を開く。
「報告書を読んだが……これは、本当に酷いな……もう戦え……なんて、言えるわけがない」
菊池アラカの精神崩壊は何故起きたか、それを調べさせた資料だ。
内容の胸糞悪さに思わず唾を吐きかけたくなる衝動に駆られる。
「こんなことができる奴を同じ人間だとは思えないし、思いたくもない」
ばんっ、と乱雑にゴミ箱へと捨てる。
「大切な人たちが、家で
それはそれは幸せそうに犯されいて?
アラカくんはまるで空気みたいに扱われてる中でコンビニで買ったカップ麺を涙こぼしながら無言で啜ってた、と。涙の跡が拭かれずにあった辺り、本当に色々と酷いな」
内容を可能な限り、分かりやすく要約して吐き捨てる。これでも相当オブラートな表現なのだ。内容では個々の会話やアラカの写真などが資料としてあり、その壮絶さは吐き気さえ催す。
想像するだけで胸糞悪くなるような環境だ。そんな中で、過ごせばなるほど、心など簡単に壊れるだろう。
「イジメに、精神が壊れるほどの虐待環境、そしてそんな奴らを守るために日々戦わされていた……か。この環境で、どれぐらいの時間を過ごしてたのか」
想像するだけで気分が悪くなる、窓を開けて空気を入れ替えようとする。
「(……アラカくんが療養するとして、どんな環境に置くべきか……
少なくともこの資料に関わりのある人間とは距離を置かせるとして……
あとは世話役も必要か……
あと、男女の関係辺りでトラウマが蘇る可能性もあるので配属するのは全員同じ性別にしよう)」
そこではて、と考える。
「世話役は男だけにするか、女だけにするか……ふむ」
とりあえず正道はイメージをしてみた、その上でどちらが良いか判断しようという考えだ。
「(女性だと……今のアラカくんは女性なので幾らか世話もしやすいだろう。
ふむ、それと男だけの場合は……)」
ピキ……グラスにヒビが入る。
「(アラカくんの世話役するならば、最低でも私以上に強いやつでなければ認めん……)」
その表情は正しく修羅だった。
菊池アラカ……その名からも分かるようにアラカは正道の養子となっていた。
それは表では『名目上の保護者を直属の上司が務めている』というだけのものだった。
「(……この感情は)」
『名目上の親』……ゆえにその感情は本人にとっても予想し得ないものであった。
その感情を前に正道は観察と解析を行い……。
「(なるほど、アレは後継者にするのと同じような教育を施していたな。
それによって使われた私の時間と労力が無為に消失する末路が心底不快なのか)」
菊池正道。正しさのみを求めた男は根っこの部分がズレた、けれどもそこまで外れてもいない落とし所を見つけて己に言い聞かせた。
「(努力の時間が泡に消えるのは確かに不快だ。ならばアレには幸せになってもらわねば時間をかけた甲斐がない)」
この男はそう言う馬鹿だ。そのため親友からも「お前馬鹿だろ」と呆れながらに溜息を吐かれるのだ。
「(やはりやめだ。アラカくんにこの後、何処へ行きたいか決めさせよう)」
己の最後の地は『過去とは関わりながない場所』にさせようと正道は思っていた。
出来れば物語に出てくるような、風の心地よい暖かい場所で療養させる予定だった。
しかし正道の気が変わった。いいや、気が変わったというより『アラカ自身を見るようになった』と表現すべきだろう。
己の闇に牙を剥くか、それとも苦しいことから逃げ出して、優しい場所で最後を迎えるか。どちらでも正道は支援をするだろう……それを『己の労力と時間の価値をゼロにしないため』という的外れな心根のままに。
「(あ、でも世話役は全員女性にさせる)」
◆◆◆
七月二十日 政府はある記者会見を行うことになった。
「ええ……本日、怪異発生に対する政府の今後についての説明があります」
テレビのワイドショーでは会見が行われる一時間前に、リアルタイムで放送されておりこれまでの流れを分かりやすく説明していた。
「ええ、と。今まで知性を宿していた怪異……怪人の発生は今から五年前になります。
当時、政府が魔力エネルギーの開発に成功する前は一人の少年が戦っていました」
ペロンっと、ワイドショーによくある板のシールを剥がして少年の写真を見せた。
「はい、この佐藤アラカくん(10歳)が戦っていたのですが……一年前に、こちらですね」
ポップなSEと共にシールが剥がれ、その下に書いてある文字が画面に映る。
『冤罪による誹謗中傷』
「今では全てが嘘だったと発覚したのですが、強姦に恐喝、脅迫にイジメに強盗食い逃げ、と沢山のトラブルを起こした……と意図的に噂が流されていたそうです。
当時は誹謗中傷が酷かったそうです。
その結果、一年後、アラカくんは精神病院で療養……そして表舞台から姿を消しました」
そして次に指を刺したのは棒グラフ。
短い棒と、とても長い棒が並んでいるグラフだ。
それはアラカが消える前と消えた後の被害の数を表していた。
「その後、彼が消えてから怪異の被害が爆増……アラカくんが消える前との比べると約100倍ですからね……多すぎるでしょう」
粗方の説明が済み。専門家の人やらコメントをする
「元々彼、容姿が良いですからね。誹謗中傷の中に彼の容姿を指摘する文面も多々あります」
要は嫉妬だろう。と言外に告げる専門家の意見にアナウンサーはうんうんと頷いた。
「ではそろそろ会見の時間です、画面を切り替えます」
画面がパッと切り替わり、政治家の記者会見のような光景が映し出される。
そして画面の端から数名の人間が現れる。
魔力などの研究の第一人者として知られる男と、数名の関係者に……
「あの子は誰だ?」
「銀髪けもみみ……? やべえ、二次元でも見たことないぐらい可愛いんだが」
「というか菊池アラカくんいなくね…?」
銀髪の美少女。その登場に騒つく記者陣。その特異点たる少女……アラカに視線が当然のように注がれる。
そして形式的な挨拶などを終えてから研究者が一言目にこんなことを発した。
「……信じられないかもしれませんが、ここにいるのが菊池アラカくんです」
記者は息を呑み、シャッターを押すことすら忘れて魅入ってしまった。
銀色の髪、壊れたガラス玉のような瞳……まるで物語から出てきたような非現実的な美しさがあった。
何処か近づき難く、けれども誰も目を離せない精巧さ……。
氷のような印象を受けるそれは、ただただ愛らしく、そして神聖な空気を纏っていた。
「アラカは現在、右腕と左足が義体となっており、戦闘らしい戦闘は不可能である。と政府は判断しました。
対怪異能力……魔力の生成も出来なくなっています。
いえ、能力自体は残っていますが精神的な欠損により扱うことが困難になっているようです」
カメラにアラカがズームで映し出される。身体中に包帯を巻いており、その隙間からは痛々しいあざが覗かせる。
それだけじゃない、切り傷や何かで炙ったのか黒く焦げてる部分もあり……ただただ満身創痍という感想が浮かぶ姿だ。
「…………」
記者は何も出来なかった、シャッターを切る音さえ出したくなかった。それで目の前の少女が怖がるかもしれない、とそう思ったら何も出来なかったのだ。
「……ここで皆様に発表しなければならないことがあります」
と、そこで会見の応対をしていた男が声色を少し変えて話を始めた。
記者の注意が男へ向かう。
「今まで魔力生成方法を政府は開発した、と発表しておりましたが……」
ガタン、と立ち上がり研究員は告げた。
「そのような事実はありません」
ざわ、一気に不安と焦燥に包まれるマスコミを尻目にーー男は銃を取り出した。
「ここにいるアラカが、今まで全てを担っていました。世界中に供給する分の魔力を、一人で、全てです。
そして彼が魔力生成が出来ない今……残りある魔力だけで生きていくしかありません。
それか、望みは薄いですが彼の心が修復されるぐらいしか手立てはないのです」
ニコリ、と笑顔を浮かべた。
優しい笑顔からは想像できないほど重い宣告に沈黙が広がる記者会見。
…………………
「そんなんじゃ足りるわけないだろうがあああああああ!!!!」
アラカの肩が撃ち抜かれた。
「ぁ……」
その痛みに気付いた時にはもう遅い、アラカは押し倒され、馬乗りにされ、その顔を何度も何度も殴られる。
「お前が!!」
ゴッ!!
「お前が壊れなければ!!」
ゴッ、ゴッ……! 顔面を殴るだけでは飽き足らず、頭を掴んで地面に叩き付けられる。
「ああああああああ!!!!」
「おい誰か止めろ!!」「警察!警察よべ!」
そして一通り満足したのか最後に大爆笑しながら銃口を自分の頭に突きつけて。
「全世界を混沌に陥れるような発言ですがね! ……もう仕方ない、そうでもしないと、どうしようもないんだ!! あははははははは!!」
パァンッ!! アラカの頬に血の肉片がこべり付く。
悲鳴が上がる。
カメラが最後に写したのは倒れ込むアラカの血塗れに腫れた顔で、ひぐ、ひぐと幼児のように泣き続けている姿だった。
「…………」
スタジオには未だかつてないほどに重い沈黙が広がっていた。誰も口が開かない,といった様子で先程のアラカの様子を思い出した。
「誹謗中傷……あんな、壊れそうな子に、してたのか……? おれ、は)」
このスタジオには幾らか心当たりがある人間もいたのだろう。
大した努力もせず、ただ成功者が気に食わないから一つの失敗で死ねだと消えろだと失せろだのと言葉を並べた。
「…………」
胸がぐちゃぐちゃにされるような感覚を、スタッフの一人は覚えた。
シャツの胸部分を力任せに握りしめて、苦しそうに呻くスタッフがいた。
「…………」
司会の女性もあまりの衝撃的な展開に、何も言えなかった。
SNSではその日、アラカの話題ばかりが溢れていた。
————アラカの心が癒されない限り、人類は終わる。
◆◆◆
「消毒しますので、動かないで、じっとしてくださいね」
「…………」
廃人のように、いいや、正しく廃人となった少女……菊地アラカは肩の傷を治療されてから頬の殴られた傷を治療された。
「…………」
こんな経験は初めてじゃない。
アラカは覚えている。こんな痛みよりも強烈な痛みを。
父は何処にでもいるようなゴミだった。
幼少期、母はヒステリックを起こし、よく幼いアラカへ八つ当たりをした。
小学生の頃には、アラカは幼馴染の女の子に散々利用された挙句にイジメっ子とイチャイチャし始めた。
同じく小学生の頃に、恋した女の子が引っ越した。2回。
そして中学時代、デートした女の子が病気で死んだ。
アラカは何も知らずに、そんな事情を一切知らずに蚊帳の外で置き去りにされていた。
すっかり女性不信になっていたアラカは、高校生の頃、恋人ができた。
ーーーーそしてそれを寝取られた。
女性不信を拗らせ、拗らせ続け……もう泣きそうだった。
「…………」
結果、彼女は〝いつ破裂してもおかしくない水風船〟のように不安定な心地のまま、生きる羽目になった。
今の彼女を救う術は何処にあるだろう。
寝取られの件で男性に対しても強烈な恐怖を抱くようになった彼女。
そんな廃人寸前の彼女に対して、政府は何も求めなかった。
もう、求めるなど酷なことは出来なかった。
重度の人間不信。もう自殺してない方がおかしいほどの状態だ。
何をしても、四面楚歌にしか映らない現状ではもう手の施しようがなかったのだ。
◆◆◆
都内の高校の校長室でひたすら汗を流している、それは目の前の人物への緊張とは別のものがたぶんに含まれていた。
「ええ、はい、了解しました……では、その、菊池アラカくんの編入を」
「復学ですよ、校長」
正道(35)はニコリと笑顔を浮かべる。その笑みには強烈な威圧が混ざっており、校長はひっ、と息を呑んだ。
その隣で女子生徒の制服を身に纏い静かに座ってる美少女……菊池アラカがいた。
ちゅー、とカップに入った飲み物をストローで吸っている。その光景は小動物を思わせ、見ただけで癒される光景であった。
「……………」
「ああ、これですか」
視線の先に気づいたのか正道は校長から一切目を離さずに、無表情で告げた。
「飲ませてる間は静かにしてるので飲ませてるんです、気にしないでください。
中身は水です」
「いえ、その、咎めようとかは全然……はい」
「〝トイレの水〟とかじゃありませんのでご安心を」
その瞬間、校長は気付いた。指が震える、声が出ない、息が詰まる。数多の感覚に襲われてようやく気付いたのだ。
「(イジメの件、間違いなくバレている)」
校長は彼(女)がイジメを受けていることを知っていた,そしてその内容もだ。
そしてそれを言い当てられ、心臓が壊れそうなまでに動悸が早まる。
「この子が安心して過ごせるように、校長先生には是非ともお願いしたいものです」
肩をポン、と叩きそう告げた顔はどこまでも怒気に満ちていた。
◆◆◆
「■■■■■! ■■■■■■!」
「……?」
学校からの帰り道、見慣れた商店街を歩くと変な存在が出てきた。
真っ黒で、人の形をしてる気持ち悪いナニカ……なんだろう、これ。
「あなたはどなたでしょう、うちの子に何か御用件ですか」
黒いモジャモジャから僕を守るように、一歩前に出る上司。
国としては僕の魔力生成能力復活を求めているはずなので、余計なトラブルによる欠損を恐れての行動だろう。
「■■■■■!! ■■■■■■■■、■■■■」
黒い塊が、何か不快なノイズを言い出す。
気持ち悪い、吐き気が出てきて口を思わず手で覆う。
「あなたに親権はもうないでしょう」
しん、けん……ダメだ、気持ち悪くなってきた。
なんだろう、考えたくない、気持ち悪い、吐きそうだ。
「アラカくん、背に隠れなさい」
「? ……」
耳に届かない。何も聞こえない。
そのためとりあえず上司の指示通り、背に隠れる。
「■■! ■■■■■■■!」
「っ……」
こちらに詰め寄る黒い物質。
なんだろう。気味が悪い、頭に痛みが走る。
『この悪い子めっ! ■さんはな、■ちゃんのことえっちだと思ってたんだぞ?
え? ああ、■■さん! いやあ、あはは、■■さんには頭が上がりませんよ。あ? なんだよ……アラカか、失せろよばっちいな。なーなー■ちゃん、すごいぞ。見てくか』
あれ、これ、なに、いたい、なにこれ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛みが溢れ出す、きえてきえろ失せろ死ねよ消えろ、なにこれいたいいたいいたいいたい
パン……乾いた音が、耳に届く。
…………息が乱れる。涙が頬を伝う、泣きながら、記憶を散らすように頭をグチャグチャにする。
「ふーっ…ふーッ……!」
「わかりますか■■さん。今私が軌道を修正しなければ貴方、死んでましたよ。
あと商店街では撃たないように」
上司の言葉で目の前が正常に見える。
僕の手元に硝煙を出している拳銃が握られており、腕は上司によって掴まれていた。
加えて上司の腕から血が溢れていた。
「ぁ、ぁ……」
「問題は何一つない。銃弾は受け止めてる」
「いやそうはならんやろ」
「なんであの人、平気で銃弾受け止めてんだよ」
「目立ったイカれかたしてないけど、あの人も割と異常者枠だからなあ」
軍から渡されていた銃を無意識に使っていたらしい。黒い塊のすぐ隣を掠って消えたので被害はおそらくなし。
「申し訳ございません。
やはりこの子は貴方の元には行かせられません。
この子がいつ、お前らを殺してしまうか分かったものではありませんから」
銃を取りあげられる。僕の銃……。ダメだ、不安が増えてきた。
人を殺す手段が、自衛の手段がない、コワイコワイコワイコワイコワイこわ、嫌だ。返して、壊れる、いやだ、無力は嫌だ、苦しい、やめて。
泣きそうな顔で訴えたら、銃を返された。よかった、胸裏ポケットに入れる。火傷した。まあいいや。
……? なんか銃軽くなった……? ちょうど弾丸ほど……気のせいかな。
「それにいつ。この子が襲われるか分かったものじゃありませんから」
「■……」
黒い塊が何か歯軋りをしている。
「全部調べはついていますよ、ははは」
愉快そうに手を開く上司、しかし目が全然笑っていなかった。
「■■■■■■■」
「は?」
雰囲気がガラリと変わった。殺意が商店街中に充満する。
そこら辺で遊んでた子供が、野菜を可愛いね、あげるよとか言ってくれたおじさんが、駄菓子屋のおばちゃんが一気にそれを感じ取った。
泡を拭いたり、真っ青になって視線が下に入ってたり、意味もわからず怯えていたり、反応は様々だ。
「お前さ……」
動揺に怯えて。レンガ道に黄色い汁を垂らしてる黒い塊に近付いて胸ぐらを強引に掴んだ。
「まともな人間は娘にそんな感情抱かねえよ!!
お前頭おかしいんじゃねえのか!?!?」
怒鳴り散らす、本当にキレてる上司。
胸ぐらを離し、黒い塊の顔面を蹴り飛ばした。
「気持ち悪い、今すぐ消えろ。この薄汚い恥晒しが」
上司は黒い塊に近付いて、黒い塊を全力でぶん殴った。
倒れた黒い塊の頭らしき場所を掴んで地面に叩きつける。
「私は去勢済みだ。二度とその汚ねえ口開くな」
強烈な威圧。それを放ち、黒い塊は意識を失った。
「ダメだ、本当に気持ち悪い。アラカくん、行きましょう」
「?」(コクリ)
手を引かれてついて行く。商店街の人に迷惑かけたので後日、謝りにいかなければならない気がする。
「後で菓子折りを持って私の方で謝罪しておく。殺意を撒き散らしたのは私だしな」
考えてることが見抜かれたのかそうフォローされる。そしてこちらをチラリを見て、何かに気づいたのか膝を付いて僕と向き合った。
「涙が出ている、拭き取るから静かに。
あと鼻血が出ている」
ポタポタと血が服についている。ティッシュを軽く当てられる。
本当だ、いつのまに。
「遅かったので迎えにきましたが正解だったようですね」
その時、不思議な女性に声をかけられた。
何故か現代日本では見慣れない白と黒を基調にしたフリルのドレス……メイド服を着た女性だ。
「む……君は手配していた子、で相違ないかね」
「はい、アラカお嬢様の世話係として配属されました。
羽山アリヤ、18歳です」
ニコリ、と笑顔を浮かべて亜麻色の髪をしたメイドの女性はそう告げた。
◆◆◆
突然だがアラカには会話機能がとても限定的なものになっていた。
以下の二つ、そのどちらかを達成しなければ会話は不可能である。
〝一定以上の信頼を稼いだ相手しかいない環境でなければ、声を発することすら難しい〟
〝魔力の込められた特殊な薬を投与する〟
ゆえに彼女の世話をする点においてはまず【会話ができない】という段階から始まるのだ。
「アラカくんは何故か私が育てたというのに根っこは優しい子だ。
心は酷く壊れているが理性はその限りではない。
一ヶ月ほど接すれば何か変化があるだろう」
彼女、アリヤが屋敷に配属された日に言われた言葉だ。
他にも大きめの辞書みたいなものを支給されており、そちらにも目を通していた。
街の一角に聳える屋敷。そこは何処かの貴族のお屋敷を想像させる綺麗な場所だった。
そしてこれから仕えるであろうお嬢様への挨拶にアリヤは向かい……天使を見た。
「(わ……きれい……)」
部屋にある家具はシックなベットに、透明性のある丸テーブルと椅子だけだ。
そのシンプルな部屋で、アラカは椅子に座って窓から外を眺めていた。
木々が生い茂り、夏風が入り込む中に。彼女はいた。
「……ぁ」
一瞬、見惚れてから
「本日よりお嬢様のお世話をさせていただきます、アリヤです。
よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。アリヤはその綺麗な主人に対して、とても強く惹かれたことを今でも覚えている。
「…………」
「っ……」
そして頭を上げたアリヤは、アラカと瞳を合わせーー絶句した。
「(なんて……)」
そこにいるだけで、見つめられるだけでわかる。
ーーこれは壊れた人間だ。
人として大事な箇所が抜け落ちているとしか思えないほどに、壊れたものを瞳の奥に見た。
「…………」(こくり)
アラカは会釈をする。それは了解した、という意味であり、それだけでアリヤは救われた気がした。
「(うん、大丈夫…大丈夫。
心が壊れてる、と聞いていたけど……しっかりと、声は聞こえてるみたい)」
そしてその後、アリヤは部屋の掃除を始めた。
「(権謀術数の本……? 珍しい本を読んでるんだなあ……)」
◆◆◆一週間後。
その日、アラカはアリヤに筆談で頼みショッピングモールに来ていた。
「……お嬢様、厳しかったらいつでも言ってくださいね」
「……」(こくり)
例え厳しくともアラカはここに来たかった…
外が怖いという認識を壊す必要があったのだろう。
「お嬢様、付き添いは必要ですか」
「……」
アラカはスマホのメモアプリを開いて見せる。
『必要ないよ。ここから先は僕一人で構わない』
「了解しました、何か必要なことがありましたら連絡を」
そう言って下がるアリヤ。過干渉をせず、本当に僅かな干渉しかしない。
それはアラカからしたらかなりマシな印象であった。
人間不信を拗らせきってるアラカからしたら、側にいるだけで不安な気持ちになる。
ショッピングモールに入ると、空気は一気にガラリと変わったのを二人は気付いた。
「それでさ……ぁ……」
「あ? なんだ……」
アラカを見て、気まづそうに俯く通行人。
アラカの身体は幼く、庇護欲を掻き立てる存在であるほどに傷付けたという事実が胸を抉るのだ。
「……なあ」
「……ああ…。わか、ってる……」
「ここ来たら、しっかり、謝ろう……昔から彼は優し……」
と、途中まで言いかけてから……はっと、気付いた様子で、俯いた。
「……優しい青年、だったんだよ……」
それが今では、あんな風に何も喋れなくなっている。
ーー誰が、そんなことをしたのか。全員がしっかりと自覚できていた。
「……みえない」
アラカはポツリと、そんなことを呟いた。
不快。アラカの脳にじわりと痛みが広がる。
そして目を開くとやはり案の定、アラカの目には真っ黒な人のような形の存在が写っていた。
「…………」
ーー何も見えない。
アラカにはどのお店も、どの人も、店員も、一部の商品でさえ瞳には真っ黒な何かにしか見えなかった。
「……………」
ただその代わり、殺意が湧かない。
きっとこれはアラカの脳が自己防衛をするために起こした現象だろう。視界に入れれば不快感を覚えるけれど、そこまでひどく無い。
「(見えるのは……数人。
荷物からして、観光客)」
アラカの視界にまだマトモに映る人間を見るも、それは町の外からの人間だけだった。
「(ショッピングモール……。
昔、何かあったか、n)」
ーーーーお前、人を強姦した癖に何平気で彷徨いてんの? はははははは、死ねよ
ーーーーうちで入った改造スタンガンの実験させてくれよ、な? おい!!
ーーーーお前聞いたよ、なんでもお前の元部屋、やり部屋になってんだって? 今夜俺らも使う予定なんだ〜ww
アラカは息が出来なくなり、嗚咽を漏らしながら涙を溢れさせた。
「…ぁ…・ぅ、ぁ……はx、…」
膝を着き、首を絞める。
苦しくて、苦しくて、吐きそうになるアラカの様子に周囲も注目するも近付いたりは決してしない。いいや。しても大丈夫なのか分からないのだ。
「なあ、助けろよ……」
「そ、うだ、な……」
そんな声が聞こえて、一人の男性が近くの店から借りた毛布を持って近付くが。
「ひっ……!」
心底、心の底から怯えた表情をされた。
涙が溢れて、瞳孔が恐怖一色に染まり、それが彼らに降り注ぐ。
ーー自分達の罪が、棘となって胸をぐちゃぐちゃに壊す感覚に襲われる。
じわ……
「なあ、あれ……なんで、血が、滲みでて」
「わから、ん……」
周囲がまた困惑する。アラカの身体から、正確には身に纏う服が真っ赤な血の色で染まっているのだ。
良く見ればアラカは首に包帯を巻いており、そこから血が滲んでいた。
「あ……ご、ごめん……なさい」
そしてアラカの絞り出すような声で、綴られるのは謝罪だった。
消え入りそうな声で、泣きそうな声で。必死に声を殺しながら腕で頭を守るようにして。
「ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ーーーーアラカにとって周りが敵にしか見えていないと、誰が見ても明らかだった。
周囲の人間は誰もが思った、謝るのは自分の方なのにどうして、と。
「……ぁ、ち、が」
そこで初めて、男は動いた。毛布を床に置いてから
「ご、ごめん……ここに、毛布、置いとくから」
そんな罪悪感で潰れそうな声で、そう告げて去った。
誰も幸せにならねえなこの構図。
よくあるやつです。短編だけ出して反応よければ続き出そうとかいう腹積りです。
最低ですね、よく言われます
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