置き勉ノート
かつて、学校に通う生徒たちは、
重い教科書やノートを鞄に何冊も詰めて登下校していた。
少しでも楽をしようと、生徒たちが教科書やノートを学校に置いていく、
いわゆる置き勉という行為が横行していた。
しかし、時代は変わって。
今では自宅で使う予定が無い教科書や道具に限っては、
置き勉をすることが公的に認められるようになった。
これは、そんな置き勉が認められている、ある学校の話。
その学校では置き勉をすることが認められていた。
しかし、そのクラスの生徒たちに限っては、
置き勉をせず、教科書やノートを持ち帰る生徒が多い。
それには、ある理由があった。
朝、学校の教室。
登校してきた生徒が、鞄の中身を出すよりも先に、
置き勉していたノートを机の中から取り出した。
ノートを開いて中を見て、顔を顰めた。
「・・・まただ。
昨日、ノートを机の中に置き勉して帰ったんだけど、
ノートに落書きされてる。」
「俺のノートもだよ。
このノートは今日の授業で使うのに。
誰だ、こんないたずらしてるのは。」
周囲の生徒たちも口々に似たようなことを言っている。
このクラスでは、
教室に置き勉していたノートに書き込みをされる、
という事が度々起こっていた。
書き込みの内容は、
授業の内容を補足するものであったり、
間違いを訂正するもの、予習復習を促すもの、
あるいは全くの世間話のような内容のものまであった。
それらは主に、置き勉を許可されていない、
家に持ち帰るべきノートに書き込みされていたのもあって、
生徒たちは大事にすることも出来ずにいた。
学校ともなれば怪談の一つや二つもあって、
これも幽霊の仕業なのではないかと囁く生徒までいる始末。
ノートに落書きされるのが嫌なら、全て持ち帰るしかない。
それが、このクラスでは置き勉しない生徒が多い理由だった。
朝の授業が始まるのを待っている生徒たちが、気味悪そうに話を続けている。
「置き勉したノートの落書き、
いたずらにしてもちょっとしつこいよな。
俺たちが入学するもっと前からある事らしいぜ。」
「やっぱり幽霊の仕業じゃないのか。
この学校は幽霊が出るらしいから。」
生徒たちが話を一旦止めて、教室の後ろの方を見た。
そこには、生徒の誰にも割り当てられていない、
使う者のいない椅子と机があるのだった。
教室の後ろにひっそりと佇む空席。
それを一瞥してから、生徒たちがヒソヒソと話を再開する。
「あの席、誰も使ってないのに何で片付けないんだろうな。」
「先生たちが言うには、
昔、この教室で授業中に倒れて死んだ生徒がいたんだってさ。
その生徒のために、今でもああやって席を用意してるんだと。」
「俺が聞いた話だと、
家が貧乏で学校に通えなくなった生徒が、
亡くなった後でも勉強を続けたくて化けて出るって。」
「いずれにしても、生徒の幽霊が出て、
俺たちが置き勉してるノートに落書きしてるってのか?
まさかそんなわけがないだろう。
誰かのいたずらに決まってる。」
「そうだ。
俺たちで犯人を捕まえないか。
放課後の学校に隠れて、誰がやってるのか調べるんだ。」
「それはいいな。
学校の怪談の正体を暴いてやろうぜ。」
そんな話をしていると、教室の扉が引かれて、
担任の先生が教室に姿を現した。
「みんな、席につけー。
朝のホームルームを始めるぞ。」
先生の一声で、生徒たちが蜘蛛の子を散らすように席に戻っていく。
そんなことがあって、そのクラスの生徒たち数人は、
置き勉ノートに書き込みをしているのが誰なのか、はたまた幽霊か、
放課後の学校に居残って調べることにした。
その日の授業が終わって、夕方の頃を過ぎて、
学校の内も外も夕闇に包まれ始める時間。
部活動の時間も終わって、学校の中はめっきり人気が少なくなった。
そんな薄闇の教室の中、蠢く人影があった。
教室の後方、
掃除道具などが仕舞ってある大きなロッカーの中から人の声が聞こえる。
「・・・なあ、まだこの中で待ってなきゃ駄目か?
息苦しくてしようがないよ。」
その声に応えるように、
教室の脇に置かれていた大きなダンボール箱の中や、
校庭を望む窓のカーテンの束や教卓の下などからも、
ヒソヒソと人の声が聞こえてきた。
「俺も。
ずっとしゃがんだままだから、腰が痛くなってきたよ。」
「座ってられるだけ良いじゃないか。
僕なんてずっと立ちっぱなしだぞ。」
その声は、もちろん生徒たちのもの。
置き勉ノートに落書きしているのは幽霊か否か。
その正体を確かめるべく、
授業が終わって放課後になってからずっと、
こうして教室に身を潜めて待っていたのだった。
しかし、もう夜になろうというのに何者も現れる様子はない。
元々、置き勉ノートに落書きをされるのは毎日というわけでもない。
今日はもう何も現れないかも知れない。
痺れを切らした生徒たちが、もう諦めようかと思った頃。
教室の窓の先、すっかり暗くなった学校の廊下を、
薄ぼんやりとした光が近付いてくるのが見えてきた。
生徒たちが、にわかに慌てふためく。
「あれ、人魂じゃないのか?」
「それとも、狐火かも。」
「どっちにしろ、隠れたままじゃよく見えないな。」
「こっちに近付いてくる。
みんな静かにして、動くんじゃないぞ。」
生徒たちがお喋りを止め、隠れている場所で息を潜める。
薄ぼんやりとした光は廊下を進み、
やがて生徒たちが身を潜めている教室の前までやって来た。
しかし身を潜めている生徒たちからは、その様子はよく見えない。
扉が静かに引かれて、何かが教室の中に入ってくる気配がした。
教室に入ってきた何者かは、
手近な生徒の机の中を漁って、中から何かを取り出したようだ。
そのまま席に座って、何やら机に向かい始めたらしい。
その時、待ちきれなくなった生徒たちが、
隠れている場所から一斉に飛び出してきた。
「見つけたぞ、犯人!」
「人魂幽霊め、成仏しろ!」
「うおっ!?
何だ何だ?幽霊か!?」
一番最後の声は、隠れていた生徒たちのものではない。
薄ぼんやりとした明かりを片手に、机に向かっていた何者かが、
急に生徒たちが現れたのに驚いて悲鳴を上げたのだった。
置き勉ノートに書き込みをしていたのは幽霊か、
それを確かめようとしていた生徒たちは逆に幽霊呼ばわりされてしまった。
生徒たちを幽霊呼ばわりした相手とは、担任の先生その人だった。
置き勉をしているとノートに落書きをされてしまう。
生徒たちが聞いた話に拠れば、
それはかつてこの学校に通っていた生徒の幽霊なのかも知れない。
犯人の正体を突き止めようと、教室で待ち伏せをしていた生徒たち。
夜の教室に現れたのは、見知った姿。
担任の先生なのだった。
身を隠していた生徒たちが、担任の先生に向かって口を開いた。
「先生!
置き勉ノートに落書きしてたのって、先生だったんですか。」
生徒たちに問いただされて、担任の先生は口を尖らせる。
「落書きだなんて失礼な。
私はノートの添削をしていたんだよ。」
「そういうことじゃなくて!
どうしてこんな夜まで学校に残って、
置き勉ノートに書き込みなんてしてたんですか。」
生徒たちに批判がましく言われてもなお、
担任の先生は悪びれず、腕組みをして話し始めた。
「事情を聞きたいのは私の方だよ。
学校に置いていっても良いのは、
その日の予習復習に使わない物だけって約束だろう。
宿題が出ている教科の教科書やノートは、家に持ち帰らないと駄目だ。」
置き勉ノートに書き込みする犯人を見つけたはずが、
逆に自分たちの罪を暴いてしまった。
生徒たちが反論できずにいると、担任の先生が溜息を付いた。
「・・・そうは言っても、お前たちのことだ。
無理に言っても聞かないだろう。
だから、こうして私が学校に居残ってノートの添削をしていたんだよ。
それを落書きだなんて、人聞きが悪い。」
担任の先生のお説教に、今度は生徒たちが口を尖らせて言い返す。
「人聞きが悪いのは先生の方ですよ。
俺は、今日の授業の教科書とノートはちゃんと持って帰るつもりです。
その置き勉ノートは、別の奴のノートですよ。
話がごっちゃになってる。」
「俺たち、てっきり幽霊の仕業かと思ってたんです。
この学校には、貧乏で退学した生徒の霊が現れるって聞いてたから。
・・・あれ?授業中に亡くなった生徒の幽霊だったかな。」
二人の幽霊の話を聞いて、担任の先生はキョトンとした顔になった。
「お前たちこそ、話がごっちゃになってるぞ。
昔、この学校で授業中に倒れて亡くなった生徒がいたのは事実だけど、
貧乏で退学した生徒は亡くなってないぞ。
それは別の人の話だよ。
二人とも同じクラスだったんだ。
おっと、そんな話はいいから早く下校しなさい。
もう夜も遅いから、親御さんが心配しているぞ。」
「はーい。」
元より帰ろうとしていたところだったので、素直に従う生徒たち。
なんだか担任の先生に誤魔化された気もするが、
学校に居残って良い時間はもう過ぎている。
ここは大人しく従ったほうが良いだろう。
そうして、教室に居残っていた生徒たちは、
担任の先生に急かされて、
夜の闇の中を下校していったのだった。
生徒たちが教室を出ていった後。
一人、教室に残っていた担任の先生は、腰に手を当てたままでほっと一息。
それから、教室の後ろの方を振り返って口を開いた。
「なんとか誤魔化せたかな。
あの子たちに本当のことを言っても、驚かせるだけだろうからな。」
担任の先生が話しかけた先にあるのは、誰も使う者のいない空席だった。
空席のはずの机の中に手を入れると、
中からは、使い古したノートが姿を現した。
担任の先生は、空席のはずの席に腰を下ろし、
使い古しのノートを開いて広げた。
そのノートの中には、びっしりと書き込みがされていた。
内容は、授業の板書を書き取ったものだったり自習したものだったり、
ノートの主が熱心に勉強している様子が分かるものだった。
担任の先生はペンを取り出して、
ノートに内容を補足したり修正したりと添削をしていく。
そうしてノートを添削しながら、顔を綻ばせている。
「相変わらず君は字が下手だなぁ。
勉強はよく出来るというのに。」
そうしてノートの添削をして一段落。
ペンを置いて、しんみりと口を開いた。
「それにしても、世の中って分からないものだよな。
家が貧しくて学校を途中で退学した私が、
こうして先生となって、また学校に戻ってくることになるなんて。
一方、勉強が好きだった君は授業中に倒れて、
それ以来ずっとこの教室で勉強を続けることになるんだから。
昔はよく、こうして一緒に机に向かっていたっけ。
今は立場が変わってしまったけれど、
こうしてまた君と一緒に勉強ができるのは嬉しいよ。
もっとも、今の私は曲がりなりにも先生だから、
君だけを特別扱いできないけどね。
だから、置き勉をしている他の生徒全員のノートも添削しているんだ。
結構大変なことなんだぞ。
でも、その苦労に見合う成果があると期待しようか。」
夜。
暗くなった教室、空席のはずの席で、
先生がノートの添削をしている。
すると、窓も開いていないのに風がやさしく吹き付けた。
風は添削したノートをたなびかせ、
めくられた次のページに文字が刻まれていく。
置き勉ノートを通じて、
かつてのクラスメイト二人はまた一緒に机に向かうのだった。
終わり。
かつてクラスメイトだった二人が、家の事情と健康問題で離れ離れになり、
一人は先生、もう一人は人ならざる者となって再びクラスメイトになった、
という話でした。
置き勉というと、かつては悪いイメージのものでしたが、
近年になって許可されるようになってきたということで、
離れ離れになった二人を繋ぐ鍵に、置き勉ノートを選びました。
お読み頂きありがとうございました。