どうか、幸せに
聖女、婚約破棄、追放、クソ妹ざまぁをコンプリートしつつ、愛があった場合。
「お姉様、ごめんなさぁい。でも私が本物の聖女で、お姉様は偽者だったんですぅ。王太子様も私のほうが良いってぇ。だからぁ、わかりますよねぇ?」
淑女らしくない間延びした甘え声で王太子テナーにしなだれかかり、姉に対して見下した態度を隠さない少女こそ、この度聖女に認定されたソプラノ・メロディ公爵令嬢だ。薄いオレンジ色の髪が光彩によってはピンクに見えるのが彼女の自慢である。緑色の瞳に、男好きするぱっちりとした目鼻立ち。豊満な胸を押し付けるようにテナーの腕にしがみついていた。
姉のアルト・メロディはさっと蒼ざめ、信じられないとばかりにテナーを見つめる。暁の髪色に空色の瞳、おっとりとした清純派美人の顔立ちは裏切りの痛みに凍り付いていた。
「嘘……。嘘ですわよね? テナー様」
縋るように言ったアルトに、テナーは忌々しげに舌打ちした。
「嘘でも冗談でもない。よくも今まで聖女だと騙してくれたな。聖女を騙った罪は重いぞ! よってアルト・メロディを国外追放とする!」
一瞬の静寂の後、婚約式会場は割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「そんな、騙してなどおりません! わたくしが聖女です!」
「お姉様ぁ、往生際が悪いですよぉ?」
にやにやと笑うソプラノに、アルトは鋭い目を向けた。
「お黙りなさい! ソプラノ、あなたに聖女の役目が果たせるわけないでしょう!? わかっているのですか、もうすぐこの国はスタンピードに襲われるのですよ!?」
味方を募ろうと、アルトは精一杯声を荒げた。
スタンピード。
魔物の住む魔の森に三方を囲まれたこのスコアラー王国にとって、最悪の『自然災害』である。魔物の大群が大挙して押し寄せ、スコアラー王国を襲うのだ。
隣接する残り一方にある大国フォルティシモ皇国の盾として、スコアラー王国は誕生した。
スコアラーが盾ならフォルティシモは剣である。聖女が魔物の大暴走から国を守る結界を張り、内側からスコアラーの精鋭が魔物を倒す。そうして戦っている間にフォルティシモが救援に来るのだ。これが長く続くこの大陸の歴史であった。
なぜ聖女がスコアラー王国にのみ生まれるのか、魔の森やスタンピードが関係しているといわれているが定かではない。とにかく聖女はスタンピードの度に結界を張り、その血を残すべく未婚の王子と結婚する。今代の聖女アルトは王太子テナーと恋に落ち、順調に愛を育んでいた。そのはずだった。
なのによりによって婚約式の今日、別の女を伴いアルトを追放すると言う。しかもその女はアルトの妹なのだ。真白いドレスと聖女のローブがあまりにもむなしかった。
「もちろんわかってるわよぉ。でもお姉様? 王太子様に選ばれたのは私なんですよぉ。それにぃ、貴族たちも私のほうが良いって!」
きゃっとはしゃいだソプラノがテナーの腕に抱きついた。彼女もまた白いドレスにローブ姿だがアルトと比べて品がなさすぎる。テナーの顔がわずかに歪んだ。
「そんな……どうして? わたくしは皆様と信頼関係を結び、共に戦ってきたではありませんか!」
婚約式に列席していた貴族、騎士団、魔術師たちがアルトの訴えに顔をしかめた。
「わたくしは、わたくしは皆様を信じています! わたくしと皆様なら、どんなスタンピードだってきっと……!」
「あのさ、いい加減にしてくれないかな」
うんざりとした口調で言ったのは、いつも彼女を守ってくれた第一騎士団の息子だった。王太子の側近でもある彼は、アルトに忠誠を捧げてくれていた。
「わたくしは、わたくしはって、結局自分のことばっかり。俺たちの気持ちを考えた事あるのかよ」
彼に続いて第三魔術師団長が言った。彼はアルトの幼馴染である。
「正直、アルトといるの苦痛だった。気づいたんだ、ソプラノのほうが気が楽だって」
アルトが聖女として国を守るなら、俺は魔物をたくさん倒してアルトを守る、と誓ってくれた男が、ソプラノに向かって笑っている。
「そうですわ。アルト様は堅苦しくて。ソプラノ様のほうが気楽ですわ」
「ソプラノ様が聖女だとわかって、私たちがどれほど喜んだか」
「婚約を破棄されたのですから、大人しく追放されてはいかがですか」
アルトと仲の良かった友人たちも、アルトよりソプラノのほうが良いと口々に言う。アルトと目を合わせようともしなかった。
「そんな……」
誰ひとり味方してくれない状況に、はじめから仕組まれていたのだとアルトは泣き崩れた。
「わかってくれとは言わん。アルト、諦めなさい」
「わたくしたちはアルトではなく、ソプラノを選んだのですよ」
両親が残酷に告げた。アルトは何度も首を横に振った。その度に涙が飛び散った。
「未練がましい女は嫌われますよぉ、お姉様」
勝ち誇ってソプラノが笑った。その時、一人の少女が飛び出してきた。
「アルト様!」
アルト付きのメイド、ピアニカだった。
「アルト様、あたしがお側におります。ずっとずっと、どこまでもご一緒いたします。どうかピアニカをお連れください」
泣きながら懇願するピアニカに、アルトはハッと顔を上げた。
「ピアニカ……良いの?」
ピアニカはアルトの幼馴染の第三魔術師団長と恋仲なのだ。そうだ、自分だけが辛い別れをするのではない。
「かまいません。力はなくとも、アルト様の御心をお守りするのは私の役目ですから!」
ピアニカは恋人を見た。彼は悲痛な表情を必死に殺してうなずいた。
アルトは力なく立ち上がると、会場の出口を目指した。ほろほろととめどなく流れる涙を隣で支えながら、ピアニカがハンカチで拭う。やがて、その涙は伝播していった。
「アルト様、どうかご無事で……」
通りすがりに友人が言った。潤んだ瞳がアルトの姿を焼き付けるように見つめている。
「お元気で」
「国のことはご心配なく」
小声の伝言はやがて会場中に広がった。予想と違う愁嘆場に、ソプラノだけが戸惑っている。
そしてアルトがドアを潜る寸前、テナーが堪らずに走り出した。
「アルト!!」
「テナー様……」
力の限りアルトを抱きしめたテナーは、彼女の頬にキスをした。
「アルト、君を愛している。どうか元気で。…………」
「えっ?」
耳元で囁かれた言葉を聞き返す間もなく、テナーに肩を押されたアルトの目の前でドアが閉まった。
「アルト様、急ぎましょう。陛下と王妃様がフォルティシモの使者とお待ちです」
ピアニカに手を引かれて着いた儀式の間には、憂い顔の王と王妃、そしてフォルティシモ皇国の紋が入ったマントをまとった青年が待っていた。
「コンサート殿下、あなたが……?」
出迎えがフォルティシモ皇国の皇太子と知ったアルトは慌てて礼を執った。そんな彼女にコンサートが痛ましげに目を細める。
「今回の決断はあなたにも辛かったでしょう。フォルティシモは聖女を歓迎する」
「皇太子殿下、どうか頼みます」
国王がコンサートに頭を下げた。
「任されよ。フォルティシモの名にかけて、貴国に敬意を払い、最大限の助力を惜しまぬことを約束する」
「感謝します」
王妃はアルトを抱きしめ、頭に被っていたティアラを彼女に渡した。
「こんなことになって本当にごめんなさい。どうか元気でね。あなたは私の最愛の娘よ」
「おかあさま……」
「魔癒医に診てもらったでしょう? 三ヵ月ですって」
ズゥン……と地鳴りがして、王宮が揺れた。
アルトは泣き濡れた頬を拭い、凛とした表情で下腹部に手を乗せた。テナーはあの時「良い子を産んでくれ」と言ったのだ。彼との命が宿っているのなら、生きねばならない。
決意に満ちたアルトに、国王と王妃が笑ってうなずいた。
「アルト様、お早く……」
儀式の間中央に描かれた転移の魔法陣が光り輝いている。ピアニカとコンサートがすでに上に立っていた。
「聖女」
「はい。……行ってきます」
アルトが陣に立つと、ピアニカが王と王妃に向かって頭を下げた。
コンサートが魔法陣を起動させる。三人の姿が光に包まれ、やがて消えていった。
◇
婚約式の会場では、王太子テナーが列席者に向けて檄を飛ばしていた。
「諸君、ついに時が来た! すでに非戦闘員たる女子供、傷病者はフォルティシモに避難が完了している。彼らには聖女アルトがついている、何も心配はいらぬ!」
全員がうなずいた。彼らは一様に決意を込めた瞳をしている。
「アルトの胎には私の子がいる。我が子が必ずやスコアラー王国を再興してくれるであろう! 諸君、英雄たるスコアラーの騎士たちよ、今こそ立ち上がり、歴史の一片となれ!!」
私の子、という言葉に会場は湧きたった。その中で一人、ソプラノだけが事態を呑みこめずにいる。
「アルトに子供って、どういうことテナー様!?」
「ああ、ソプラノ。君の力も頼りにしている」
テナーはやさしく微笑んだ。その笑みにほっとしつつ、ソプラノは説明を求めた。
「アルトとの間に子供なんて生まれたら、私の子供はどうなるの!? しかもフォルティシモですって!? どうしてアルトがフォルティシモに行くのよ!」
フォルティシモ帝国とスコアラー王国では国力が比べ物にならなかった。なぜ、アルトがそんな大国に迎えられたのか、国外追放の意味を魔の森に飛ばすと考えていたソプラノには納得できなかった。
また地鳴りがして、王宮が揺れた。
「ソプラノ、今の揺れはスタンピードだ。今回のスタンピードは三つの魔の森で同時に起こる、史上類を見ない規模のものになると調査で判明している」
「……えっ?」
知っているだろう、とテナーは言うが、ソプラノは初耳だった。スタンピードの話は聞いていたが、そんな超級の災害だなんて聞いていない。
「アルトの結界で国を守れても、魔物は結界を反れてフォルティシモに雪崩れ込んでしまう。スコアラー王国は大陸の盾。各国との協力体制を組んでも大規模災害を免れないとわかった時、まず民を逃がすことを決めた」
非戦闘員を逃がし、王国内にスタンピードを招き入れて結界内に閉じ込める。そうすれば大陸に被害が行くことはないだろう。
当初はアルトが聖女として国に残り、結界を張る予定だった。
しかしアルトは国民に愛されていた。貴族にも、騎士団にも、魔術師にも、聖女として認められ敬われていたのだ。国に残ることは死を意味する。テナーをはじめとするスコアラー王国は、アルトを死なせることを、拒否したのだ。
「アルトは聖女の中でも大聖女クラスの力を持っていた。避難民の希望として、またスコアラー王国の象徴として、アルトには避難してもらいたかった。だがアルトは自分も戦うと言って聞かなくてね……」
当然である。国民がアルトを愛したように、アルトも国民を愛しているのだ。聖女の自分が逃げるわけにはいかない、と食い下がった。
「そんな時にソプラノ、君が自分も聖女だと私に迫ってきた。……アルトは君をも守ろうとしていたのに、それを自分で踏みにじったんだ」
「……私を、騙したの?」
「騙すなど。スタンピードが来ることは君も知っていたし、避難民がフォルティシモに向かっているのは君も見ていただろう」
冷たく言い放つテナーにソプラノは愕然となった。
そういえば、王都はやけに空き家が増えていた気がする。家財を積んだ荷馬車が目の前を通り過ぎても、ソプラノは気にも留めなかった。アルトからテナーを奪うことに夢中で、他に何も考えていなかった。
ソプラノはアルトが嫌いだった。姉妹として生まれてきたのにアルトは聖女に認定され、多くの貴族に――顔も育ちも財力もある令息に囲まれてちやほやされている。ソプラノが物を奪ってもやさしく許し、慈悲深き聖女とますます慕われていた。
アルトがソプラノを許せば許すほど、愛すれば愛するほど、ソプラノはアルトを憎んでいった。アルトのなにもかもを奪ってやらなければ、ソプラノに安心は訪れない。それほどに憎んだ。
「君は聖女の力はアルトに及ばないが、救援が着くまでもてばいい。アルトから様々なものを奪ってきた妹と婚約など、たとえ真似事でもおぞましいが、こうでもしなければアルトは避難してくれなかっただろうからね」
感謝しているよ。投げやりなテナーの言葉に、ソプラノは目の前が真っ暗になった。
自分はただのアルトの身代わり。アルトを逃がすための道化。
アルトからドレスや宝石だけではなく、愛まで奪おうとしたソプラノを、アルト以外は許していなかったのだ。ソプラノのほうが気が楽とは、つまりそういう意味だった。残酷すぎる事実にソプラノはへたり込み、涙を流した。慰める者も支える者も誰もいない。
「ソプラノ、貴族とは国を、民を守る者。聖女の役目をしっかり果たすがよい」
「そうよソプラノ。あなたが望んだことでしょう? お姉ちゃんの代わりに聖女になるって、あなたが言ったんじゃない」
両親がそう言った。呆れも慰めもない、ただの事実としてそう言った。
一度スタンピードが起きれば全軍を上げて戦うのが貴族である。そのために特権を与えられ、贅沢を許されていた。聖女もまた例外なく、命をかけて戦う彼らを守るのだ。
「そんな……。こんな、はずじゃあ……」
アルトを追放して自分の身が愛される。ソプラノはそんな未来が永遠に訪れないことを知り、自分が利用されていたことをようやく理解した。
絶望に泣き崩れる聖女。戦いに備えて剣を取る王太子と貴族たち。地響きとなって近づく魔物の群れ。スタンピードがすぐそこに音を立てて迫っていた。
アルトのモデルは某戦乙女の夫の母親。あれも中々にひどいと思う。
スタンピード後、荒れ果てた祖国に息子と戻ったアルトは王国再興に尽力します。息子の名前はコーラス。
テナーもソプラノも演技だったと思ってるので素直に感謝して毎日祈りをかかさない。そういうところがソプラノは大嫌いだった。