86話 このリッチはよくご存知のリッチとはいっさい関係ありません。たぶん。きっと。回
現代からはもう『歴史』と呼ばれるほどの昔、人類と魔族は戦っていた。
現代も戦っているじゃないか━━だなんて言えないことは、すでにわかっているだろう。
もうずいぶん前から人族は『手加減され、戦争ごっこの中で保護されている』状態にしかすぎない。
魔族が本気の大攻勢をかければ人族はとうに滅んでいたし、今ではもう、全軍の五分の一程度に攻め込ませれば七日とかからず全滅するだろう。
だが、人が強い時代もあった。
現代で魔王と呼ばれている種族の始祖が生まれたのは、その時代……まだ、人族が魔族の敵対者であったころのことであった。
「素晴らしい」
生命の始まりにかけられたのは、興奮をつとめて態度に出さないように振る舞っている、静かな震え声だった。
少なくともそこには充分以上に祝福の響きがあったし、寸分たりとも忌避の響きはなかった。
彼は『新しい種』の誕生を心の底から祝ったのだ。
ただし。
彼は魔族の繁栄にも人族の存亡にもさしたる興味はなかった。
『研究し、その成果が出て、成果がさらなる研究のための足がかりとなること』。
彼の喜びはそれのみに捧げられていた。
「なるほど━━ヤガミはこうして、生命を生み出したのか。……ああ、今は『夜神』の方がいいんだったかな。すごい全能感だなあ。あいつが調子に乗った気持ちもわかる……」
生まれたばかりの『魔王の始祖』は、もちろん、その人物の言っていることがさっぱりわからなかった。
ただ、言葉それ自体はわかったし……
とにかくその人物がすごく興奮していることを察するだけの『人というものに対する知識』が自分の中にはあって……
目の前の白衣をまとった『動く人骨』が、自分の創造主であることも、生まれつき知っていた。
実際に立って歩きしゃべる創造主を目の前にした時に抱く気持ちは、現存する言葉では表現できない。
強いて言うなら『畏怖』が近いのかもしれないが、畏れと同等以上の親しみもあった。
「フラスコの中の君、僕のことがわかるかな? 僕が君の開発者だよ」
そう言われて魔王の始祖は、自分が透明な容器の中にいることを初めて認識した。
創造主が自分をのぞきこむようにすると、容器の内側に自分の姿が映る。
そうして見えた……正しくは視覚で捉えたわけではないのだが……自分は、黒い、不定形の、今にも崩れ去りそうななにかだった。
「うんうん、かわいらしいね。おおっと、そうだ、そうだ。実はね、君が生まれた時にはきっと種族名をつけてやろうと決めていたんだよ。ヤガミはそういうのに無頓着だったけれど、僕は自分の生み出したものに愛着があるからねえ。君の製作過程にかんしてはホムンクルスと大差はないのだけれど、なんといっても願いが違う。知っているかな? ホムンクルスというのはね、実のところ『魂』に該当するものをどうしても搭載できず━━」
まくしたてるようなしゃべりかた。
それにはまだ、困惑する機能さえない。
黒い不定形のモノの情緒はまだ育っていなかったし、それの思考能力はひどくにぶかったから、話の半分も理解できなかった……という以前に、まず、聞き取れなかった。
創造主への親しみがあるので、その言葉を余さず聞き取ろうという努力は自然と行っていたが、能力の方に限度があったのだ。
創造主は、骨のみの指でコンコンとフラスコを叩き、
「━━ドッペルゲンガー」
にこり、と……
表皮も表情筋もないガイコツが、笑ったような印象を受けた。
「君にはぜひ、僕の理解者になってもらいたい。人から忌まれ、魔からは人扱いされるこの僕の……僕以外に味方のいない僕が幻視し、現実に生み出した自己像こそが、君だ」
◆
つまりは創造主こそが、魔王が最初に出会ったリッチであった。
リッチは長い長い時間を生きていた。
その生は古代文明のころから続いているらしい━━本人が『らしい』と言っていた。
「人を『記憶』の受け皿として定義した場合、この容量は人が一生で得る記憶を入れるのには充分以上の余裕がある。しかしだね、僕の人生は人の百倍や千倍ではきかないもので、さすがに受け皿も限界なんだ。古い方の記憶から取り除いていかないと、新しい記憶がこぼれてしまうんだよ」
つまり、彼は情報として自分が長く生きたことを知っているのだが、実際に生きた記憶は取り除いているようだった。
ただし、彼が『ヤガミ』と称する者のことはなにかにつけてエピソードが語られ、その記憶だけは自分の肉体から切り離さないのだと決めている様子だった。
創造主とヤガミの関係は『友人』のようだった。
しかし創造主の語るヤガミは、いつでも創造主に対してうざったそうに対応していた。
創造主はその記憶を楽しげに語る━━というか、創造主はいつでも楽しそうで、声には常に笑いが帯びられていた。
「知っているかい? 人と魔とは戦争をしているんだ。いや、むしろ、人が絶滅にここまでしぶとく抗い続けている、というのが現状かな。やだよねえ。旧式がいつまでも新型に居場所をゆずらないんだから。人の役割は魔族のベースになった時点で終わりで、あとは魔族という新人類に席をゆずるべきだっていうのに」
彼は種族的には人に類するものであるのだが、その言動のいっさいが人に味方していなかった。
積極的な敵対はしないにせよ、『さっさと滅びればいいのに』ぐらいのことは思っていたように見受けられる。
「しかし、人というのは面白いものだよ。僕は彼らが頑迷に生き延びるのには辟易しているけれど、彼らがよくやる『覚醒』という現象については、もっともっと多くのサンプルが欲しいと思っているところなんだ」
人族は追い詰められるとありえないほどの力を発揮するらしい。
創造主が確定できた『追い詰められる』の定義は、『当事者感』と『打開への意思』だそうだ。
「つまり、『自分の財産を守れるのは自分だけだ』という気付きこそが人を覚醒させるんだけれど……なんていうか、人はなあ。部隊が全滅して後ろにあった村に火が放たれて、最後の一人になったって『神様、どうにかしてください』なんて言う連中だから……」
彼は自分を人だと認識していたが、人のことを客観的に語る癖があった。
「この『覚醒』が魔族に起きてくれればねえ。人なんかいつ絶滅してもかまわないのだけれど。魔族に余裕があるからか、それともしょせんは地上で作られた性能がいいだけの模造品の限界なのか、魔族連中が覚醒したところは見たことがない。あるいはヤガミの失敗だね。だから、僕が生み出した君には期待しているんだよ」
生み出されたモノとして、ドッペルゲンガーは彼の期待に応えようと思った。
けれどドッペルゲンガーはまだまだ手のひらにひとすくいの、黒い不定形の粘体でしかなく、覚醒はおろか、並の魔族・人族ほどの力さえない。
「どうか、君のこれからに、健やかな幸福がありますように。君こそがきっと、魔族も人族も『過去』にする、この世界で真に生きるべき最新の人類に違いないのだから」
◆
ドッペルゲンガーは不完全だった。
創造主はドッペルゲンガーを連れてあちこちを歩き回り、いろいろなものを見せた。
戦争も見た。街も見た。人族の方も、魔族の方もだ。
創造主はそうやって文明圏に潜入する時には決まって体を移し替えた。
骨のみの体ではどこに行っても排除されそうになるため、人らしい、あるいは魔らしい肉体がないと街も出歩けやしない━━とこぼしていた。
創造主の声は常に笑うかのようだった。
そして、創造主が憑依した肉体もまた、常に楽しそうな顔をしていた。
……戦時中なのだった。
もちろん、人々から笑顔が消えていたわけではない。
けれど創造主の笑顔は、目立った。
そこには人らしさがなかったのだ。
よく研磨された宝石が小石の中に混じっても目立つように、創造主の笑顔は目立ち、不審がられ、最後には追い立てられるように街を出るということを繰り返した。
ともあれそういった見聞のかいあって、ドッペルゲンガーはようやく、一段階存在を上に進めることができた。
模倣。
不定形のモノは、人真似をすることで、より確固たる自我と、創造主の手の上にいなくとも動き回れる自由を手に入れたのだ。
しかもそれは自在になんにでもなれるというほどの力ではない。
強く模倣先をイメージする必要があり、ドッペルゲンガーの能力では、せいぜい一つの肉体を明確にイメージするのが限界だった。
……『誰か』がいないと、存在を確たるものにできない『最新の人類』。
思えばこの時点で創造主は気付いていたのかもしれない。
ドッペルゲンガーは、魔族はもちろんのこと、人族よりも脆弱な存在で……
すべてを『過去』にしてしまえば、それはドッペルゲンガー自体の死にもつながるゆえに、決して『新しい人類』として大陸に繁栄できない、ということを。
土日祝日お休みなので次回更新は11月22日(月曜日)です




