50話 学問というものは無数の失敗の上にある回
ロザリーの魂を保管する計画において、ランツァからリッチへ三つの質問があった。
まず、一つ目にして大前提。
ロザリーは『蘇生の呼びかけに応じるのか?』
「そもそも、あいつに呼び掛けようと思っていない。
魔族を蘇生しようとした時、呼びかけのフェイズが入らないのを覚えているかな?
魔族、すなわち夜神の眷属と━━
人類、すなわち昼神の眷属。
この二者には、実のところ、大きな違いがない。
……いやまあ、生物学や神学では違うのだけれど、死霊術的に……
つまり、命として見た場合、同じ構成要素を持つ、同じ構造のものなんだよ」
だからリッチは人類相手に絶対に必要だと思われていた『蘇生意思確認』のフェイズがそもそも不要なのではないか、と仮定した。
そのうえで、すでにいくらかの『意思確認なしでの蘇生』に成功していると述べた。
「リッチたちが人類の蘇生に意思確認を挟むのは、術者側の意識の問題である可能性が非常に高い。
ようするに、昼神教の圏内で、望むと望まざるとにかかわらず日常的に昼神教の教えに触れ、生活のそこかしこに昼神教の教えが根付く環境で過ごしてきたリッチたちは……
無断蘇生は失礼なのではないか? と思ってしまっていたようなんだ。
だから、いちおう、おうかがいを立てていたわけだね。
つまり『人類に対してなぜ蘇生意思確認フェイズが発生するのか?』という問いかけに対する答えはこうなる。
『後付けされたマナーだから』。
そしてこれは、人と人との関係というものを度外視すれば、不要なフェイズだったことが判明した」
ただ、何事にも例外はあり、ロザリーが例の『よくわからない力』で蘇生を拒否してくる可能性までは否定しきれない。
なので本来は熱心な昼神教徒をつかまえて何度か殺害と蘇生を繰り返してから本番に挑みたかったのだが、急に来たので殺すしかなかった。
ロザリーをはじめとして『戦場で生き残るタイプの強者』は、悪運と適応能力に優れている。
もともと攻撃手段の引き出しが多くない死霊術は、あまり戦闘を繰り返しすぎるとすべてに適応される可能性があるので、今回は安全マージンを考慮した上で殺害に踏み切るしかなかった、という具合だ。
なるべく生かしたまま泳がせたかったのだが、いざという時に命を回収できなくなっては意味がないし。
質問その二。
『死霊術に対する造詣が深い方が、肉体の主導権を握れる』とは、どういうことか?
「それは単純に、人が『人格』と呼ぶものについて、死霊術ほど解き明かしている学問が存在しないからだね。
そもそも、本来の肉体の持ち主と、そこに間借りしている者とで、間借りしている者の方が強いというのはなかなかどうして、違う感じがするだろう?
では、なぜ『違う感じ』がするかといえば、それは、肉体と魂がセットであるという考えが無意識にあるからだ。
接合がよりなめらかな方が構造的により強い、という、肉体と魂との関係を極めて物質的な印象に基づいて捉えた結果だね。
実際、『魂の形状』と『肉体の形状』……と仮称するけれど……これがぴたりとくっつきやすいのは、『本来の肉体』に『本来の魂』が入っている場合だろう。
けれど、我らは魂や霊体を見つめる目を鍛え、それを操作する術を身につけているね。
ならば……これもまだ感覚的な仮説の段階なのだけれど……本来の魂以上に、本来の肉体にぴったりくる形状に、自分の魂を操作できるのではないか? と考えたわけだ。
現状、これを否定する結果は出ていない。
まあしかし、リッチの口ぶりのあやふやさからもわかると思うけれど、まだ印象に基づいて、いくつかのデータを集めているだけの段階で……
感覚を明確に数値化・言語化する段階にいたっていない。
だからここは、本当に賭けになってしまう」
……だからこそ。
ランツァがロザリーの魂を肉体に宿したあとにどのような結果が出ようとも、それは死霊術にとって重要なデータになるだろうと思われた。
質問その三。
なぜ、自分の肉体なのか?
「近場にいる死霊術師が君しかいなかったから。
あと、まあ、そもそも『近くにいない』ので、この状況では選考対象外だけれど……
リッチの肉体に入れて万が一奪われると、あまりにもまずい。
物理無効の体を持つ『教義により蘇生が禁じられているので、おそらく物理的手段で死のうとするが、死ねない狂信者』が生まれてしまう。
そいつに暴れまわられれば、おそらく、大陸が滅ぶ。
だからロザリーの保管場所は、死霊術をある程度修めた、リッチ以外の誰かにする予定だった。
つまり、君かクリムゾンだね」
それを聞いてランツァは安心した。
ここで『君なら信頼できるから』などと言われてしまったなら、それは大変に恐ろしいことだ。
リッチからの信頼は、まあ、あるとは思うのだけれど。
それを理由にされるということは、リッチの中でそれ以外に語れることがない……
すなわち、根拠がない奇跡にすがるしかない状況、ということになってしまう。
つまり、まだ完全に理論化できていないだけで、リッチの中には、ランツァがロザリーの魂を宿しても肉体を奪われないと思うにいたる根拠があるのだ。
「まあ、可能ならば君という資源を失う可能性は避けたかったけれどね」
それがあくまでも『肉体を奪われ魂を消される可能性を完全には排除しきれない』という程度の話でしかないことをランツァはわかっている。
なにせ死霊術は『成功率』ではなく『失敗率』でものを語る学問だ。
扱うものが命というリソースである以上は当然のことであり、死霊術において『確実』というのは『失敗率ゼロ』のことのみを指す。
なので失敗率が一割でもあるならば、リッチは『失う可能性がある』と表現するだろう。
ランツァ自身も感情的な理由でもなく、貸し借りといった人間関係の中に発生する特殊な力場が理由でもなく、ただ学問のためなら命を賭けるのにためらいはなかった。
学問の前で、自分は他の誰かと平等でいられるのだ。
自分の価値が低いと安心する、というか━━
自分が納得できない理由で、自分の価値が不当に高く扱われると、不満、というか。
血統が理由ではなく、王冠が理由でもない。
ただ自分が積み上げた学問により惜しまれていることが、ランツァには嬉しい。
必要な『疑問の解消』は終わった。
前提が確認できたなら、あとは検証を始めるだけだ。
「リッチ、じゃあ、殺して」
「うん」
やると決めたらリッチはためらわない。
そこに感情的な戸惑いは存在しない。
なにせ、学問の前では誰もが平等であり、学問は失敗をするのが当然なのだ。
その失敗を集積し後世に伝える手段のある限り、学徒は死んでも学問は死なない。
むしろ、無数の『名もわからない学徒』の一人として学問に取り込まれることは、喜びでさえある。
「失敗しても、クリムゾンが結果を活かしてくれるかしら」
死の一瞬前にランツァはつぶやいた。
リッチはうなずき、
「後進が育っているというのは、本当に心強いね。リッチが死んでも学問は死なないもの」
こんな環境なら人のままでもいられたかなぁ、なんて。
リッチがそんなことをつぶやいたように聞こえたのは、幻だったのか、現実だったのか━━




