42話 人格の形成が何歳には完了するかというのは興味ぶ回
「レイラ! 手加減! 手加減!」
リッチが魔王との話し合いを終えて愛しの研究室に帰れば、真っ白く整頓されているはずの空間はどったんばったん大騒ぎの最中だった。
ついついそのまま回れ右しそうになったけれど、リッチ研究室のドアは感圧式自動ドアであり、ドアが開いた気配に研究員一同気付いて、「助けてください!」というので、リッチは仕方なくそのまま中に入った。
内部はひどいありさまだ。
こんなこともあろうかと壁際に並べておいてある棚には防護をかけているのだが、実験に使用中の器具などはさすがにいちいち防護しておらず、あたりには割れ物やら生物やらが飛び散っている。
整然と並べられていた机も乱雑に倒れており、あたりには十三〜十七歳ぐらいの研究員たちが逃げ惑っており、その中央には二人の少女がいた。
そのうち一人はクリムゾンと呼ばれている少女だ。
赤毛の獣人族というだけでクリムゾンとか呼ばれ始めた彼女は、もはやそちらが本名のようになっており、最近では『あの、私クリムゾンって名前じゃないんですけど』という抵抗さえしなくなっている。
彼女はたしか今年十三歳だか十四歳だかで、ようするに元女王ランツァと同い年で、一方的にランツァをライバル視しているとかいうパーソナルデータがあったはずだ。
クリムゾン自身の研究者としての腕前というのか、実績のようなもの(実績というのはきちんとした研究発表と論文の果てにあるもので、まだ論文の一編も仕立てていないので『実績』と単純には呼べない)においては、ランツァに一歩か二歩及ばない、という感じだ。
が、ランツァへの対抗心からくるがむしゃらなやり方はたまに変わった成果を挙げることもあり、リッチとしてはこの二人の少女が切磋琢磨し死霊術を盛り立てていってくれたらいいなと思っている。
で。
その死霊術の将来を担う二本柱の一本であるところのクリムゾンがなにを騒いでいるかといえば、育児だった。
クリムゾンをぎゅっと抱きしめるようにして落ち着いているのがクリムゾンの子であり、名前はレイラという。
金髪に金色の瞳の、今ではクリムゾンより年下に見えるレイラは、かつて『巨人殺し』とか『巨人将軍』とか呼ばれていた人物だった。
ところが不幸な事故(記憶を奪われる)から幼児化し、『レイレイ』とかいう謎の人格を経て『やっぱないな』ということでまた記憶を奪われ、また幼児化し……
二年半を経てようやく三歳児なみの人格が形成されたところであった。
このレイラというのは身の丈の十倍ぐらいの剣を軽々振り回すぐらいの腕力の持ち主だ。
記憶は奪われ人格は三歳児なみだが、肉体はいじっていないので、その当時の力が今もある。
しかもレイラの戦闘能力はもともと経験とか技術によらない腕力頼みのものなので、戦いにおいても往年と変わらない活躍が可能だ。
ということで、今はこの『油断すると無邪気に殺してくる三歳児』をリッチ研究所で世話しているわけなのだが……
「リッチはこの光景を見るたびいつも思うんだけど、なぜリッチの研究室でレイラを世話しているのだろう……こいつ巨人将軍なんだから、巨人のあずかりになるのが正しいのでは?」
「先生が記憶を奪ったからでしょ!?」
信じられない、というようにクリムゾンが目を見開いた。
そんなふうにクリムゾンが大声を出すもので、落ち着き始めていたレイラがまたうずうずし始め、クリムゾンを抱きしめる力を強め始めた。
「レイラ! 手加減!」
クリムゾンが叫ぶとレイラは力をゆるめ始めるのだが、ただ握るだけで人間をボール状にしてしまえる握力の持ち主は、そこにいるだけでかなりの危険物だった。
リッチはその様子を見てあごをなで、
「妙にクリムゾンに懐いているのが不思議なんだけれど、もしかして、リッチに隠れて餌付けしてる?」
「し…………てますけど! でもそれは、先生がご飯をあげないから!」
「いや、リッチはちゃんとご飯をあげてます。ただ、こいつは、ご飯をもらってるのに『ご飯まだ?』っていう顔をするのが得意なだけです」
「えええええ!?」
ペットはよくそうやってご飯をねだるものなのだと聞いたことがある。
実際、リッチは三食いちいちあげているし、その費用はリッチの資産を圧迫し続けている。
「……まあ、いいんだけどね。それより……そろそろ、レイラを元に戻そうか」
「できるんですか!?」
クリムゾンはいちいち反応が大きいので、つられて興奮したレイラがまたいらんものに興味を抱いて視線をさまよわせており、手がふらふら動くので非常に危ない。
リッチは「落ち着きなさい」と述べてから、
「命というものの中で『記憶』というのは、リッチの中でまだ取り扱ったことのないテーマであり、斬新なものだった。リッチはこれについて二年半である程度の実験をして、『自在』とまではまだまだ言えないけれど、ある程度操作する方法を確立したのです」
「いつのまに」
「まあ、この研究は主に有志を募って外でやってたからね」
自ら学問の発展のために手を挙げてくれた人たちのパーソナリティについては、プライバシー保護の観点から伏せておく。
だが巨人だのドラゴンだのの族長(将軍)が『こいつはとんでもない跳ねっ返りなので、どうかわからせてやってください』と言いつつ次々に記憶の入物(※人物とは呼ばないこととする)を持ってきてくれたのは、クレジットに記しておくべきだろう。
なにかの刑罰のような位置付けにされている気もしたが、いじれる記憶が増えるのはいいことなので、そのあたりについて細かいすり合わせはしていないし……
常識を重んじるクリムゾンに知られないようにも留意した。
「……というわけで、レイラの記憶について、ある程度戻せます。本当はあと十年ぐらいは検証したかったところなんだけれど、パトロンの意向もあってね……レイラが思ったよりパトロンにとって重要な存在らしいことが判明したので、バレる前に戻そうというところです」
「ええ……」
「心配はいらないよ。経過観察用の他の記憶はすでに他に確保しているから」
「えええええ……」
「やはり比較実験は、細かく条件をそろえた上で、一点か二点かずらして行わないと意味がないんだよね。その意味でレイラの記憶っていうのは、他との比較がしにくいし……というわけで、記憶を戻します」
「ちなみに『記憶』の保存容器みたいなものって、できてるんですか? ……魂だの人格だの記憶だのって、保存が難しいものなんじゃ?」
「それは昔の死霊術師に倣ったよ。リッチの頭に入れてある」
「…………大丈夫なんですか、人格」
「ん? リッチの人格に影響が出ているように観測されるかな?」
「いえ……まあ、そういう意味でもあり、そういう意味でもなし……」
「……ああ、なるほど」
「先生の『なるほど』はなにもわかってないやつだと思います」
「死霊術師は己を蘇生できないが、己の記憶についてはいじれるのが不思議なんだね? なぜなら、命の構成要素の中には記憶もあるのだから、その疑問はもっともだ」
「やっぱりわかってないようです」
「記憶というものの検証をしていて気付いたことなのだけれど、どうにも、記憶だけは肉体の方にただの情報として入れておくことが可能なようなんだよ。だから『自分の命』に作用させるのを不得意とする死霊術でもこれの保存は比較的容易なんだけれど……なんだい、どういう学術的疑問があるのかな?」
「あるのは道義的疑問で……」
「つまり哲学とか人類学かな? さすがにリッチもそちらはわからないな……」
「……いえ、大丈夫です。はい」
クリムゾンはときおりこうやって変な笑みを浮かべる。
リッチとしては互いに遠慮斟酌なく質問し合える状態が好ましいと思っているので、こうして内に秘めさせてしまうような状況はあまりよくないという考えなのだが……
十代中盤の若者の心理というのは、難しい。
これは専門家ではないリッチの手にはあまる。
「……まあ、記憶についてはのちほど論文にまとめようと思っているよ。本来はね、あと十年は観察してからまとめたかったのだけれど、レイラの記憶についての検証を一つの契機として、いったんここまでをまとめてしまおうと思っているんだ。のちほどみんなにも読んでもらおう」
リッチたちがそうやっているあいだに、ヒラゴーストたちがふわっと訪れて荒れ果てた研究室を掃除していった。
レイラが暴れたことによりぐちゃぐちゃだった部屋は整然とした美しさを取り戻す。
リッチは霊体の帯でレイラの全身を縛り上げると、そのまま並べられたテーブルの上に乗せて拘束した。
そして指先で自分の頭部をコンコンと叩き、
「ではこれからレイラの記憶を戻します。見た目においては観察すべきエフェクトは特にないけれど、死霊術を志すみんなであれば、なにかつかめるものもあるかもしれません。よく観察しておくように」
生徒たちの視線をレイラに集めてから、リッチは自分の頭部でフォルダ分けしたあまたの記憶の中から『レイラの記憶』を抜き出し、それを霊体にくるんで、帯に乗せてレイラに注ぎ込んでいく。
見た目上はたしかに光ったり闇がほとばしったりということはないのだが、記憶が注がれていくレイラが苦しげにうめき、ガタガタ暴れ始める。
その力はリッチでなければとても抑えておけないものだろう。
生徒たちは一様に『うわぁ』という顔をしながらレイラの苦しむ様子を集団で観察し……
レイラの動きが、ピタリと止まった。
「Ku━━━━Aa━━━━Aaaa━━━━」
なんかセリフの空気が違う。
だが、それは寝起きのあくびのようであり、よく眠った者が覚醒のさいに行う『のび』のようでもあった。
十秒、二十秒と観察していると、レイラの瞳に意思の輝きが戻ったことがわかる。
リッチは霊体の帯による拘束をゆるめ、レイラの動きを阻害しないようにした。
すると彼女は上体を起こし、まばたきを繰り返し、研究室の面々を順番に見て……
「雑魚が七人……」
研究室にいるクリムゾンとリッチ以外をまとめてそうカウントし、
「……あれ? リッチ? なんであたし、ここにいるんだっけ」
「昼寝だよ」
「なるほどね。お腹が空いたわ。ご飯をちょうだい。さもなくばそのへんのやつを殴って奪うから」
「ご飯ならさっき食べたよ」
「おかしいわね。さっきまであたしは眠っていた……だというのにご飯を食べた? それは理屈が合わないわ」
「……こいつ!? 賢くなっている!?」
リッチは眼窩を見開いておどろく。
レイラが論理的思考をしたのだ。あの暴力と食欲の化身が!
もしかするとリッチの記憶がちょっと混ざってしまい、わずかに思考能力が人間に近付いた可能性もある。
やはり、まだまだ経過観察が必要だったのだ。
だが社会で生きる限り、いつだって実験を最優先にできるとは限らない……研究というものが社会の援助を必要とする以上、悲しいかな、逃れられない宿命なのだった。
レイラはリッチがおどろいて固まってしまい使い物にならないことを知ってか、首をぐりんと回してクリムゾンの方を見て、
「じゃあ、あんたがご飯をよこしなさい。いいでしょ、ママ」
ママって言った。