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短編

浅葱色の炎

作者: ハクトウワシのモモちゃん

 


 元治元年、五月。

 京の夏は暑かった。

 とある寺の境内で、一心不乱に木刀を振るう男の姿があった。

 日課の稽古であったが、この炎天下の中続ける馬鹿はいなかった。同志たちは早めに切り上げてしまい、残っているのはこの男だけだった。着物を片肌脱ぎして、逞しい肉体をさらけ出し、黙々とこなしている。照りつける陽の下、姿勢も崩すことなく稽古に励む姿は異様に映ることだろう。気合か意地か、そもそもの大馬鹿なのか。

 それでも、男の瞳は揺るぎのない光を持っていた。

 だから――。

永倉(ながくら)組長ー、永倉さぁーん」

 こんな間の抜けた声が聞こえても、男は身心を乱さず木刀を振るい続けた。

「……ちょっと、組長。無視はないでしょうー」

 声の主は苦笑いを浮かべてぼやいた。

「呼んでますの聞こえてはりますでしょう? えらい暑い中、ご苦労様ですぅ」

 訛りの強い口調。京に移り住んで一年と少し……よく聞く言葉だ。慣れることはないが聞き取るくらい簡単だった。

 だけど、男――永倉新八(しんぱち)は無視を決め込んだ。一拍置いて素振りを再開した。

「うーん、永倉さん……?」

 視界の端で結わえられた黒髪が揺れた。

 名は十文字(じゅうもんじ)(かおる)。永倉が指揮を執る二番隊の平隊士だ。

 細っこい男だ。うちの沖田よりも小さい。が、綺麗な見目の持ち主であった。いつもにこにことしていて掴みどころがないが、人当たりが良く他隊士とも上手くやっているようだった。

 そんな彼が、永倉は非常に気に食わなかった。

 永倉は眉間にしわを刻み、木刀を振った。ぶん、と風を切る木刀はそれだけで人を殺せそうな勢いだった。

「うわっ。永倉さん……わたしを殺す気ですかぁ?」

 ビクッと身体を震わせて頭を抱える十文字。

 永倉は小さく息をき、己が部下に冷たい視線を送った。


 ここは京の壬生、新選組屯所。京都守護職、会津藩庇護下の治安組織である。

 十文字薫が新選組に入ってきたのは三月ほど前。士農問わずの入隊が可能だが、よくもまぁこんな女みたいな優男が入隊できたものだ。永倉は思い、そして二番隊の配属が決まったときは思わず上司を問いただした。

 すると新選組局長の近藤勇は苦笑いを浮かべ、その右腕である副長の土方歳三は渋面をつくり、ふたりして口を閉ざしてしまった。

 長い付き合いだ。永倉はすぐにピンときてため息をいた。

「面倒事かよ……」

 その呟きにも、ふたりは顔色を変えなかった。

 永倉もそれ以上、何も言わなかった。

 素性は聞いてない。家名があることと京生まれからして、高貴の系譜ではないかと睨んでいる。零落した貴族の出身か。剣もロクに振れない男など、この激動の時代にいるのだろうか。やはり上方はよくわからない。


「――――」

 脳裏に残る記憶を紐解きながら、永倉は木刀を振る。考え事をしていてもその芯はぶれることない。一寸の狂いもなく木刀を一点に振り落としていた。

「……毎日、何回振りますん?」

 気だるげな声は後ろから聞こえた。いつの間にか十文字は縁側の石段に腰を下ろしていた。手をぱたぱたと振って暑さをしのいでいる。

「十文字」

 到頭、永倉は素振りを止めてしまった。

 渋面をつくりながら、十文字を振り返る。

「お前も少しは稽古しろよ。いつ何時、斬り合いになるかわからねぇのに……そのときお前は何にもしないままばっさり斬られるつもりか?」

 自分が他人に説教とは呆れる。無性に虚しさが襲ってくる。苛立ちが募るがしかし、十文字はけろりとして言い返してくる。

「斬り合いなんて、わたしが入隊してから数えるほどですやん。初めにお見せしたとおり、わたしは剣はからきしなんです」

「だから、それをマシにするために鍛えるんだ。うちの連中だって初めから馬鹿みたいに強いってわけじゃねぇんだ。腰の二本は飾りじゃねぇだろ? 使えねぇ奴は俺の二番隊にも、新選組にも要らねぇ」

「……」

 十文字は目を丸くして固まった。

 厳しいことを言ったつもりはない。今の時代、今の京は非常に物騒である。京の平穏を守るために幕府は治安組織を作り上げたのだ。新選組もその一部。皆それぞれに大望があり、新選組屯所の門を叩いてきたのだ。

 しかしどうだろう。

 目の前の小男は、何の信条も無く、何の願望も無い。

「何を言うてはりますの」

 と、十文字は不意に笑った。にっこり――それは怖いくらいに綺麗な微笑であった。

 永倉はぞくりと背中が粟立った。

「わたしが役立たずやと永倉さんは仰りたいんですか?」

「そ、そりゃあ、剣もロクにできねぇ奴なんざ……」

「それが。何を仰ってますか、と申してるんです」

「は、はぁ……?」

 ゆるりと立ち上がった十文字は冷たい笑顔を貼りつけたまま永倉へ歩み寄り、とんと永倉の厚い胸板を人差し指で突く。挑発的に永倉を見上げた。

「わたしが、剣が無くても大丈夫なんは、永倉さんがよう知ってますでしょうに」

 意味あり気な台詞に永倉は口を閉ざした。

 その言葉の真の意味を知っているのは永倉だけだ。

 あれは夢のような出来事だった。忘れようとも忘れられない。「十文字薫」という存在があれは現実だと突きつけてくるのだ。

 永倉はますます顔をしかめて、十文字から目を逸らしてしまった。

 また、くすりと十文字は笑う。

「永倉さんは、賢い人やと思ってます」

「あ……?」

 永倉の脇をすり抜け、舞うように振り返る。にかっと白い歯を見せる笑顔には、先ほどのような微笑みはなかった。

「この二本は飾りで十分です。わたしが刀を握ることは、一生ないでしょうから」

 あっけらんと言い放つ。

 誰かに聞かれていたらただでは済まないだろう、永倉は小さく肩をすくめてからふと思い出す。

「そういや、何か用があって来たんじゃねぇのか?」

「え? あっ、そうでしたそうでした。すっかり話し込んじゃいましたねぇ~、永倉さんのおかげで」

「お前は何様のつもりだ? いいからさっさと用件を言え。詰まらない用なら素振り千回だ」

「うわ、鬼ですか永倉さん。そんなんやってたら日ぃ暮れてしまいます」

「うるさい。いいから言え」

 切り捨てると十文字は心底嫌そうな顔をしながら、

「……土方副長がお呼びです。なんか監察方がえらい捕り物したみたいで」

「捕り物だぁ?」

 思わぬ情報に永倉は目を剥く。

「はい。せやから幹部集めてはります。詳しいことは皆さんに聞きはったほうが」

「捕り物、ねぇ」

 永倉は木刀を肩に置いて考える。

 今の京は物騒である。が、警邏をすれば物取り、無銭飲食、乱闘騒ぎなど何気ない日常から来る事件ばかりだった。幹部連中を集めるまでしての捕り物とは、果たしてどんなヤツが捕まったのだろうか。

「……面白そうだな」

 永倉はニヤリと笑った。

「よし、八木邸に戻るか。土方さんにどやされるのだけは勘弁してほしいからな」

「あっ、ちゃんと体清めてから戻りましょうね」

「あん?」

 片付けを始めると十文字は真面目な顔をして言う。

「やって臭いやないですか、それでなくても暑い日なんですから。屯所も綺麗にすべきやとわたしは思います。今度一緒に掃除しましょ、永倉さん」

「……」

 にっこりと眩しいばかりの笑顔を向けられ、永倉は辟易した。

 やはりこいつは好かない。


 結局遅刻した。

 上役には怒鳴られた上、同僚には稽古のし過ぎで脳みそまで筋肉になったと馬鹿にされた。ぜんぶ十文字のせいだ。

 苛々として腰を下ろせば、監察方の山崎烝が目を輝かせて唾を飛ばした。

「内々に目をつけておったんですが、首尾よういきましたで――!」

 だが、その報告に永倉は心が躍った。



 * * *



 空が橙色に染まっていく。

 寺の鐘が聞こえ、ヒグラシが綺麗な声で鳴いている。気心地よい夕暮れは江戸も京も変わらない。

 永倉は縁側でぼんやりとした様子で寝転がっている。剣ダコの多い分厚い掌を眺め、開いたり閉じたりを繰り返して、最後にぐっと力強く握った。

「……仕方ねぇな。これも仕事だってことだ」

「何が仕方ないんですか?」

「あっ……?」

 いきなり背後から声が聞こえて、首をもたげた。視線の先には十文字薫が笑顔でこっちを見下ろしていた。

 いらないところでコイツは現れる。永倉は眉間にしわを寄せて睨み上げると、十文字は小首を傾げて尋ねてきた。

「顔色優れませんね。何かありましたか?」

「……何にもねぇよ。お前が気にすることじゃねぇ」

「そう言われると気になるのがヒトの性というものですよ~?」

 あしらうものの、十文字はなおも食い下がる。少しは遠慮をすればいいものを。この図太い性根は疎ましく思うと同時に、正直羨ましかった。

 永倉が身体を起こすと、十文字はにこやかに続ける。

「監察方の報せは、朗報やなかったんですか?」

「あ? まぁ、悪くなかったが……どうしてそんなことを訊く?」

「答え合わせですよ。――古高俊太郎、でしたっけ? 長州派の名のある攘夷志士やそうやないですか。大手柄ですけどえらい捕り物しましたねぇ、新選組は。これは忙しなりますわぁ」

「……は?」

「あれ? ちゃいましたっけ? そうやったはずなんですけど……」

「お、おい待てッ! どこでそれを!?」

 まだ隊士たちへは口外していない。それはもちろん捕り物騒動があったと、屯所では噂は流れるだろう。が、重要人物の氏名を漏らすほど幹部陣は馬鹿ではない。

 思わず血相を変えて詰め寄ればさすがの十文字も笑顔を掻き消す。

「お、落ち着いてください、わたしはですね……」

「落ち着けるか、馬鹿野郎!」

「い、いや組長、わたしもいろいろありますさかい」

 十文字は勘弁と言わんばかりに懐から小さな紙片を取り出した。何事だ、と永倉も十文字の襟元を掴む手を緩める。人のような形をしたそれは十文字の指先から鳥のように飛び立ち、あっという間に永倉の背中へと引っ付いた。びっくりして飛び上がる。

「て、てめぇッ――」

「そない驚かなくても、前にもご覧なりはりましたでしょう」

「笑うな馬鹿! 一度しか見てねぇし、つかこんなもんで盗み聞きかよ!?」

「盗み聞きとは人の悪い。これかてわたしの武器ですよ」

 十文字は人差し指をくるくる回して、紙片を操った。永倉をもてあそぶように浮遊していた紙片はやがて主の元へと帰っていく。

 二度目の光景に永倉は驚愕を隠せない。そしてますます、コイツと関わっていけば頭がどうにかしてしまいそうで末恐ろしい。

「……お前が一番、調べ物に向いてそうだな」

「何を言いますか。わたしは、時勢をいのかす気など毛頭ありませんよ」

 乾いた呟きに十文字は紙片を仕舞いながら返して、こちらを見上げる。

「長州侍を討ち取るのが永倉さんたちのお役目でしょう? わたしにはわたしのお役目がありますさかい、ね?」

 くすり、ともはやなまめかしいと言って憚れない微笑。稀にコイツの性別がわからなくなってしまうのも致し方あるまい。

「……もういい。どうせ明日にはみんなわかるしな」

 永倉はがしがしと後頭部を搔いてため息を漏らした。

 言うと十文字は機嫌よくにこにこと表情を緩ます。そして十文字は、けろりとして話題を変えた。

「そういや、先ほどの呟きはなんやったんです?」

「……あ? ……聞いてたのかお前」

「聞こえたんですよ」

 返され永倉は黙った。

 そんなに自分は大きな独り言を漏らしていただろうか。大声で弱音を吐くなどなんと情けないことだろう。今すぐにでも稽古に励み己を戒めたかった。

 ……などと。

 逃避をするも十文字の見上げてくる視線は変わらなかった。好奇心に輝く両目は、そこらへんの童と同じだった。自分は玩具ではないのだが。

 正直、面倒だった。

 力づくで振りほどくこともできた。

 だが、喉に魚の小骨が刺さったようなこの胸騒ぎは消えないだろう。

 どうせコイツには親しい間柄の人間もいない。壁にでも話していると思えば気が楽だろうと思った。

「一方的な乱暴は嫌いなんだよ、俺は」

 永倉は腰を下ろした。すると十文字はわずかに眉を上げた。まさか話し出すとは思ってなかったようだった。

「関わりたくねぇのが正直なところだ。だが相手が覚悟決めてんなら仕方ねぇ、あれも仕事だってことだ。まあ、正々堂々ぶつかって仕合うほうが俺の性に合ってるさ……って、何笑ってんだ。馬鹿にしてんのか?」

「いや、ちゃいますよ」

 気がつくと十文字が肩を揺らしていた。

「やっぱり永倉さんは賢いお人やと思ったんです」

「お前やっぱ馬鹿にしてるだろ。表出ろ、根性叩き直してやる」

「痛い! ちょ、やめてほんまっ……痛い痛い痛いっ」

 脇に置いてあった大刀の柄頭で十文字のこめかみをぐりぐり押しつけてやった。涙目になりながらも彼は口を閉じない。

「そ、そやからですね……。そうやって愚痴を吐けるのはええことですよ。病は気からと言いますし、心気が乱れしまっては精力もおきませんよってに」

 永倉は手を止める。

 まさか慰められているのか。いや、こんな能天気な優男に同情されたくない。ぱちぱちと目を瞬けば、十文字はへらりと愛想笑いを浮かべた。

「どうでもいいだろ、そんなこと」

「まぁそうですね~。面の皮が厚い永倉さんには関係あらへんことでした」

「……お前やっぱ馬鹿だろ? 死にたいのか?」

「ほんま冗談に聞こえへんから堪忍してください」

「もういい……」

 さすがに疲れてきた。大きくため息をき、再び庭へと足を投げ出す。空を仰げばいつの間にか陽も落ちてきていて紫色が増えていた。暗くなってからの鍛錬はあまりしたくはないのだが、夕餉までまだ時間はあった。

 左手の大刀に目を落とすと、十文字が声を上げた。

「永倉さんは、剣がお好きですか?」

「あ? なんだよ急に」

「やって、剣振りたいって顔なさってるから……」

「……そりゃあ、な」

 十文字から目を離し、大刀をぐっと握った。

「俺は剣術バカだからな。剣がしたくて家も飛び出しちまったし……。取柄は剣だけだから、今は近藤さんたちを支えられたらそれでいい。まぁ、欲を言えば名も残してもみたい」

「残したいんですか?」

「そりゃそうだろ。男なら名を上げてぇって思うだろ」

 言うが、十文字は目線を左上に上げて考えるような仕草をしていた。そういえばこいつはこんな男だったと再確認する。永倉はやれやれと首を振り、訊ねる。

「十文字は夢じゃなくても、好きなこととかねぇのかよ」

「わたしですか? うーん……わたしも取柄はこれしかありませんしねぇ……」

 くるくると人差し指を回せば十文字の着物から紙片一枚が浮いて出てきた。永倉はぎょっとして後ずさると、十文字は明るく笑った。

「あはは。別に毒無いですよ、これは」

 すると紙片が鳥の形へひとりでに変わる。ふっと十文字が息を吹きかければ、紙の小鳥は本物の鳥のように宙を飛んだ。永倉は呆れ返って物も言えない。

「ま、これは別になんとも。わたしの得意分野は、言葉を操ることやから」

「言葉を操る?」

 思わず訊き返したが、すぐになって思い返す。己は何やら危ない橋を渡っているのではないか……?

 十文字は意にも返さず、意地悪い微笑を浮かべて続けた。

「ええ。言葉は呪いです。人を縛り、従わせてしまう。そののち毒のようにじわじわと身体を蝕み、ついには……」

 こくりと喉が鳴った。

 そこで十文字は言葉を切り、けろりと何事もなかったかのようにあっさりと告げた。

「まぁ、そんなものはこの世にありませんけどねー」

ぇのかよ!!」

 期待してしまった。

 永倉が腹いせに床を叩けば、十文字は紙の鳥を指先へと止まらせてみせた。

「そんな便利なもんがありましたら、今こうして永倉さんとお話してませんしね。あの時どうにかしてましたよ」

「確かにな……」

 口封じ、など簡単だろう。永倉は大刀を小脇に抱え考え込む。しかし異様であるのは変わらない。なんだかんだ言って慣れてしまった己も恐ろしい。永倉は眉間にしわを刻みながら十文字を観察していた。

 と、廊下の向こうから大きな声が聞こえた。永倉を探しているみたいだ。ふたりして同じ方向を振り返り、永倉がぼやいた。

「原田だな今のバカ声。……ったく、うるせぇっつーの」

 立ち上がり、腰に大刀を戻してから永倉は律儀に十文字へ声を掛けた。

「また明日な。あと、口は慎めよ」

「それはもちろん。おやすみなさいませ」

 十文字の座礼を見届け、永倉はその場を後にした。

 永倉の背中が見えなくなったところで、十文字は指先に止まる紙の鳥へ囁いた。

「戻りや」

 鳥の形だったそれは瞬く間に正方形の紙片になった。ひらひらと舞う紙片を十文字は宙で掠め取った。そして永倉が消えた廊下を見つめ、薄く微笑んだ。

「おもろい人や」



 * * *



 元治元年六月五日。

 提灯の明かりが家屋の向こうから煌々と見え、祭囃子が聞こえる。道行く人々からは祭りの熱気が伝わってくるようだった。

 その道端には浅葱色のだんだら羽織を着た永倉が腕を組んで立っていた。永倉は道行く町人を眺めながら隣へ問いかけた。

「なに祭だっけ?」

「祇園祭ですよ組長。こちらへ来てもう一年でしょう? 祭事の名前くらい覚えはったほうがええんちゃいます?」

「祭りが多すぎるんだよ、俺のせいじゃねぇ」

「なんちゅう言い訳ですかほんま」

 隣には同じ色の羽織を着た十文字がいる。彼は肩をすくめて永倉を見上げた。

 十文字に呆れられてしまった。心の底からの遺憾の意を示したい。永倉が彼を睨みつけていると、他の隊士に呼び止められた。

「永倉組長、一番隊から言伝です」

「見つけたか!?」

 返せば隊士は緊張した面持ちで頷いた。

 ――いよいよだ。

 永倉は刀の鍔元を握り締めた。

 これは、またとない好機であろうことは違いなかった。

 成し遂げれば、新選組の威名は必ず上がる。

 己の剣を信じ、悪党を斬る。

 討ち入りを果たす赤穂浪士たちもこんな気分だったのだろうか。

 心が躍る。

 永倉は口の端を歪めた。


「――御用改めである!!」

 そこは三条小橋の小さな旅籠屋であった。

「我ら、会津中将殿御預かり新選組! 詮議のため、宿内を改める!!」

 局長の近藤が高らかと宣言し、白刃を翳した。

「手向かう者は、斬れぇぇい!!」



 ***



 永倉は一番に飛び出した。階段を駆け下りてきた浪士の一太刀を、あっさりと躱し一階の廊下を走り抜ける。背筋を射殺すような殺気が凄まじい勢いで永倉を追いかけてきた。

「さすが近藤さんだ。正々堂々名乗りを上げてから斬り込むたぁ……わかってんなぁ!」

 永倉はハッと嗤った。

 手前にあった襖を蹴り飛ばし、部屋へと侵入。人気の無いことを確認し、永倉は踵を返して刀を構えた。

 ばたばたと浪士が三人入ってくる。血走った目をする彼らを前に、永倉は悠然とした態度で浪士たちへ言葉を投げかけた。

「うちの局長はこう言った」

「なんじゃいきなり!?」

 怒鳴り散らすも永倉に効果はない。ただ、正眼に剣を構えているだけだった。それでも浪士たちが彼へ斬り込めないのは一切の隙が無いからだ。

「手向かう者は斬れ、と。ならば逆は? ……俺の言ってること、わかんだろ?」

「我らを愚弄するか!?」

「百姓上がりが頭に乗るなや!!」

 こめかみに青筋を立て、ついに浪士は斬り込んできた。永倉は易々とその剣を受け止め、ぐっと表情を引き締めた。

「そうかよ。だったらその意気に応えさせてもらう!」

 銀光が閃く。

 畳が真っ赤に染まる。

 二人目が刺突の構えで迫る。

 が、突き出された凶刃は永倉の頬を掠め抜け、いつの間に永倉の刀が浪士の脇腹に食い込んでいた。

 永倉の眼は既に、残る一人に向けられていた。

 浪士の顔が驚愕と恐怖に歪んだ。

 ものの数瞬、永倉は浪士たちの制圧を果たした。

 血溜まりに沈む死体を見て、永倉は吐息を零すように呟いた。

「あんたらの覚悟……。あぁ、忘れないさ」

 近くで鋼と鋼がぶつかり合う音が聞こえる。まだ戦は終わっていない。永倉は頬に飛んだ返り血を拭い、部屋を後にした。


 宿内は凄惨を極めた。

 怒号が飛び交い、血の匂いが充満している。

 それからも永倉は、襲いかかってくる浪士を蚊を払うようにあしらっていった。立ちはだかる者を斬り伏せ、殴打し、蹴り飛ばし、返り討ちにする。浅葱色の羽織はどんどんと赤く染めっていき、永倉の疲労も濃くなってきた。

 これほどの大立ち回りは今までに無かっただろう。荒い息をき、壁へ片手をつく。

 しかし、まだ剣戟の音が耳を打つ。仲間が戦っている中、自分だけが休んでいる暇は無い。永倉は刀の握り具合を確認し、再び神経を研ぎ澄ませる。

「……」

 と、ある一室から妙な雰囲気を感じ取った。血の匂いと死臭が濃くなるが物音はしない。既に仲間が斬り込んだ後か。永倉は壊れた襖からそっと覗き込み、ハッと息を飲んだ。

 血溜まりの中に何かがいる。

 月明かりが邪魔をして背格好しかわからなかった。長身で細身、伸ばされた髪は結ばれていない。そして永倉が注視したのは右側に血刀をぶら下げていたことだった。

 新選組の隊士ではない。浪士の一人か。それにしても恰好が無茶苦茶だ。

 ならば、何者だ?

 不意に心臓が早鐘を打つ。

 首筋に刃を突き立てられたような悪寒を感じ、ソレから目を離せなくなった。永倉はこくりと息を呑む。

 浮浪者のような出で立ち、亡霊のように立ち竦む姿……。

 ――あれは本当に、人か?

 そのとき、ソレはこちらを振り返り、

「ヒッ、ヒヒ……ァアア、ハハハハ!!」

 突然の狂笑に永倉は驚き、刀を構えるのが遅れた。ソレは目にも止まらない速さで座敷の敷居を跨ぎ、永倉へ刀を振りかざした。ごう、と風を切って降ってくる凶刃を永倉は反射的に防御した。

 鼓膜を叩く金属音。金槌で打たれたような衝撃が両腕に伝わる。尋常ならざる膂力で、一撃受けただけで腕が千切れそうになった。

「くそ……ったれがああぁ!」

 力比べで弱音を吐く永倉ではない。

 気合の雄叫びとともに刀を弾く。下段から斬り上げて、返す刀で斬り落とした。斬撃は確実に奴の身体を斬り払った。

「なっ……」

 だが、おびただしい量の血を撒きながらも奴は二本の足で立っていたのだ。

 血の気が引く。

 あり得ない。おかしい。どうして。

 たくさんの疑問が頭の中を駆け巡り、そして答えは最初に出したものへと戻ってしまった。

 やはり、こいつは……。

「ア、アア……ハハハハハハ!!」

 硬直する永倉に、ソレは狂ったように高笑いしながら再度刀を振り上げた。

「――之、悪鬼羅刹なり。我、之を拒む。急急如律令!」

 声が響いた。

 突風が巻き起こり、ソレは宿の中庭まで吹き飛ばされた。

 永倉は風の所為で床へ尻をついた。そして生きていることに目を剥き、声を掛けられるまで何が起こったのかを理解できなかった。

「ご無事ですか、永倉さん」

 こんな芸当ができる奴を永倉は一人しか知らない。

 ゆっくりと頤を上げるとそこには、いつものように笑顔を浮かべた十文字薫が立っていた。

「怪我、ないですか?」

「十文字……」

「ええ、わたしはあなたが連れる新選組の二番隊隊士、十文字薫どす」

「ああ、またか……」

 永倉はすべてを察し、諦観して壁へ後頭部をぶつけた。だが、十文字は永倉を労わる気もなく、顔を中庭へと向けた。

「まだ終わってへん。アレはしぶといですよ」

「やっぱり、あれって……」

「前にも言いましたやろう?」 

 立ち上がる永倉に十文字は目もくれず言葉を紡ぐ。いつもより声音が固いのは気のせいだろうか。

「今の京は危うい、血生臭いとこには彼岸のモノ共が群がる、と」

 知っている。聞いた。忘れるものか。

 永倉は重たいため息をき、目を上げた。

「今度はなんだ、この大事な時によ……!」

「怒らんといてください、人が来たら邪魔くさいでしょう」

 十文字はにべもなく答え、中庭へ歩を進めた。永倉も刀を下げてついていく。疲労が色濃いが、十文字のおかげで気力が戻ってきた。十文字は真っ直ぐと前を向いて話し出した。

「アレは、生者の肉を食い、血を啜り、魂を欲する悪鬼です。今宵はここが食事場やったんでしょうね。ぎょうさん食べて、えらく膨らんでます」

「……俺たちのせいか?」

「それはちゃいます。アレは食事をするためにここへやってきたんです。人の死を嗅ぎ回るのが上手な悪鬼やさかい。新選組がここへ踏み入ったのはただの偶然、なんの関係もあらへん」

「じゃあ、お前は気づいてたのか?」

「ええ。早いとこ見つけたかったんですけどこの乱戦でしたし……。見つけたんが永倉さんで、食われる前でほんまほっとしてます」

「俺も、助かったよ」

「お礼なんて、気色悪い。どないしはりましたん?」

「お前な! ……ったく、余裕なもんだ」

「あはは。そういう永倉さんやって、二度目やのに落ち着いていますね」

「斬り合ってんなら普通の人間と変わらねぇ。……そりゃあ、ビビるが」

「その心意気です、永倉さん。もののけ程度に心気を乱されていては、天下に名など残せませんよ」

 十文字は軽口を叩き、中庭へ下りた。

 悪鬼は立ち上がるところだった。

 地に広がる血河。

 男のような形をした人ならざる異形が佇んでいる。袖や裾がほつれた着物。長くほつれた前髪から覗く、血のように赤い眼は狂気に彩られていた。

 永倉は息を飲み、ぐっと刀の柄を握り締めた。

「どうすりゃあいい?」

 訊けば十文字は驚いたように振り返った。意味がわからず彼を見下ろしたが、すぐに視線を前へ戻されてしまった。

「アレを滅する術を作るのに、ちょっとだけ時を要します。その間、お任せできませんか?」

「上等だ。斬り合いなら負けらんねぇ。さっきの仕返しもしねぇとな」

「援護しますから後ろは気ぃせんといてください」

「ああ、頼んだ。俺も死なねぇ経度やるさ」

 永倉は刀を構え直し、十文字は指先に紙片を挟む。ふたりはそっと目配せをし、にっと唇を緩めた。

「参りましょう」

「応よ!」

 永倉は縁側から飛び出した。着地につんのめながら勢いのまま庭を駆け抜ける。彼の者は永倉へ反応。歯を食いしばるような仕草をし、咆えた。

「――――――!!」

 絶叫は声にもならない。人ならざる気迫だ。叩きつけられる圧力にも永倉は動じなかった。怖れることはない。相手がどんな輩だろうと永倉新八のやることは変わらない。砂塵を巻き上げ、一息ひといきに間合いへと踏み込んだ。

「オラッ!」

 力強い袈裟掛けを見舞うも、異形のモノは素早く身を翻し、容易く斬撃を受け止めた。異形のモノは濁った赤い眼を爛々と輝かせた。

「寄越セ……、肉ヲ……魂ィッ!!」

「そう簡単に、やるかよ!」

 弾ける火花。

 両者は続け様にニの太刀、三の太刀と斬り結んだ。

 体捌きによる遠心力を加え、永倉は剣戟を加速させていく。にもかかわらず異形のモノは同程度の速度で太刀筋を合わせてきた。さすがは人ならざる者。化け物と相応しい人間離れの動きだった。そして永倉を最も驚かせたのは、この異形が剣の術理も得てしていることだった。ならば剣の極める者としても負けてはいられまい。永倉は強情に笑った。

 激しい打ち合いが数え切れぬ火花を生んだ。

「……くそっ」

 が、永倉は毒づいた。

 数えきれない打ち合いに、限界だった。

 度重なる斬り合い。宿内でも何人と剣を交えたかわからない。加えて、異形のモノとの戦闘。相手は人ならざる者だがこちらは人。永倉の身体は悲鳴を上げていたのだった。

「ぐっ」

 何合目かの迫り合い。

 白刃が血潮を撒き上げた。

 永倉の左手が斬り裂かれたのだった。

「永倉さん!!」

「大事、無ぇッ!」

 たかが掠り傷。十文字の悲鳴に永倉は怒鳴り返したが、体勢を崩してしまう。異形のモノは容赦なく刀を振りかざした。

「やべっ……」

「――……“呪鎖ジュサ”――」

 永倉が舌打ちをしたとき、耳に届くのは十文字の低い声。彼は膝をつき地面に手をついていた。そして呟きともに地面からその名のとおり、長い鎖が数本生えてきた。十文字は異形モノへと腕を伸ばし、命じた。

「――“縛りつけろ”――」

 鎖は音を立てて異形のモノへと襲いかかる。間一髪、永倉の頭を割る凶刃よりも早く、鎖は異形のモノの頭部や胸部にぶっ刺さった。異形のモノは絶叫を上げ、動きを止めた。

 これにはさすがの永倉もぎょっとした。

「……なんでもありだな」

「永倉さん……っ」

「大丈夫だっつってんだろ!!」

 異形を拘束する鎖にヒビが入った。

 倒れ込みそうになる身を起こす。手も足もまだ動く。まだ立ち止まるわけにはいかない。永倉は力強く右足を踏み込み、気合の絶叫とともに刀を振りかぶった。

 下段からの斬り上げは鎖を弾き、異形の得物ごと手を持っていく。豪快な剣は止まらない。すぐさま刀を引き戻し、勢いのままに刀を振り落とした。

 赤黒い液体が噴水のように飛び散った。

 会心の一撃だった。

 永倉にはもう刀を振り上げる力も無い。震える手で柄を握り締めるのに手一杯だった。永倉にはもう刀を振り上げる力も無かった。

「グ……キキ、キヒ、ヒヒヒァハハハ――!!」

 畜生が、あり得ねぇ……

 霞む視界の中、永倉は毒づいた。

 そのとき、永倉と異形のモノの足元がほのかな輝きを見せた。急な光源を受けて永倉は目が眩み、不格好に地面に転がった。

 五芒星が浮かび上がった。

「もうええやろ、彼岸の者よ」

 五芒星の上に立つ異形のモノは苦しそうに悶えるだけで動こうとしない。

 ゆったりとした足取りで十文字は庭を歩く。彼の表情は冷たい。小さな口から怨嗟を紡ぎ出した。

「おまえは浮世にいたらあかん存在や。塵残さず消えよ。疾く、去ね」

 漆黒の瞳に感情の色はなく、硝子玉のようだった。

 十文字はピッと右腕を払い、吐き捨てた。

「滅びや。あやかし」

「ア、アア……ッ! ギ、ギャアアアアア――!!」

 青白い炎が五芒星から起こる。炎はとぐろを巻き、異形のモノを包み込んだ。全身を焦がす異形のモノ。汚い絶叫は永倉の鼓膜を打ち続ける。永倉は地べたに座り込み、茫然としてそれを見つめる。片や十文字の横顔は涼しげで、燃え盛る炎を見つめていた。

 やがて異形のモノの絶叫も聞こえなくなる。

 風に吹かれた火の粉が頬を打ったとき、永倉はようやく正気を取り戻した。

「……終わった、のか」

「ええ」

 情けない声で呟くと、十文字が振り返った。そこにはいつものような晴れやかな笑顔があった。

「お疲れさんどす。永倉さん」

 それに答える元気はなかった。

 炎は音を立てることなく静かに燃え続ける。

 小さく、それでも強く強く燃えている。最後の最後まで命を輝かせる、花のように。

 炎は、永倉たちの着る羽織の色と似ていた。

 やがて、青い火の粉は夜空へと消えていった。

 残ったのは地面が焦げた跡のみ。十文字の言葉どおり、塵一つ残すことはなかった。

「……終わったか」

 もう一度噛み締めるように呟き、永倉は地面に仰向けに転がった。

 身体中が痛い。今気絶できたらどれだけ楽だったか。しかし頭がそうさせてくれなかった。異形のモノとの戦闘のおかげで頭が冴えきってしまったのだった。

 十文字は隣へ駆け寄り、心配そうに眉尻を下げた。

「左手、診せてください。手当てしますさかい」

「いい。こんなの掠り傷だ」

「でも、」

「少しは、ゆっくりさせろ」

「……はい」

 きつい口調で言うと十文字は大人しく引き下がった。横で正座はしているが。そんな彼に永倉は肩をすくめるが、何も言わなかった。

 気がつけば、宿はしんと静まり返っていた。

「……表がうるさいな。土方さんたちが来たのか?」

「あちらも終わったようですね」

「ああ……」

 他の隊士たちは無事だろうか。激しい戦であった。こちらの損害も大きいかもしれない。

 右手の感触を確かめる。まだ刀を握っていた。誇らしかった。自分は最後まで、剣客の誇りを置き忘れていなかったのだ。

 しかし。

「……あぁ、ボロボロじゃねぇか畜生」

 愛刀は刃が毀れ刀身も歪んでいた。修復できるだろうか。永倉は重たいため息をいた。

 どちらにしろ加勢は無理そうだった。もう、指一本も動かす気力は無い。後詰めも来ているならもういいだろう。永倉は諦めて刀を打ち捨てた。地面を叩く金属音を背に十文字が声を上げる。

「ありがとうございました」

「あ? なんだいきなり」

「わたしなどに構っていただいたことです。わたしのお役目を手伝うことなかったら、永倉さんは副長がたに手を貸せたのに……やはりわたしの早計でした」

 十文字は綺麗な顔を曇らせ、こちらから視線を逸らして続けた。

「迷惑かけたと思ったんです。ご助勢はほんまに感謝しています。やけど、アレを退治するのはわたしのお役目ですし、今回は永倉さんのお声に甘えてしまいました。申し訳ございません」

 それから十文字は深々と頭を下げ――

「情けねぇこと言ってんじゃねーよ馬鹿野郎!」

 十文字が頭を下げる前に、永倉は彼の額を右手で掴んだ。中途半端な体勢で十文字は目をぱちぱちと瞬いて停止する。

 永倉は呆れていた。

「斬り合いで怪我するなんて当たり前だ。気にすることじゃねぇ」

「……」

「お前は化け物から京の人を守る。俺は不逞ふてぇ輩から京の人を守る。お前の役目が、俺の役目に繋がんなら尚更関係無ぇよ。なんも変わらねぇ、せんぶ同じだ。だから細けぇこと気にすんな、馬鹿野郎」

 十文字はぽかんと口を開けて永倉を見つめる。ややあって、彼はいつものようににこやかに微笑んだ。

「同じて……さっきまで怯えてた人がよう言いますわ」

「誰が怯えて――っ痛ッ!?」

 腹に力を入れたら傷ついた左手に激痛が走った。慌てる十文字を手だけで制するが、彼は真新しい晒を取り出して永倉の左手を取った。

 永倉は淡く笑みを浮かべ、大人しく従った。

 夜風は火照った体を冷ましてくれる。

 静かだった。さきほどまでの化け物退治が夢のようだ。

 本当に夢であればいいのだが。

 永倉にとっては二度目の邂逅であり、剣を交えたのは初めてだった。

 つと、十文字へ目をやった。一生懸命に手当てする姿は普通の男児ようだった。

 彼の素性を洗いざらい言及する気は更々無い。この浮世に人ではない何かがいようが、化け物退治をしようが、どうだっていい。

 共に京の人々を守ることに変わりはないのだから。

 やがて左手が解放される。

「はい、永倉さん。後でちゃんと医者に診せてくださいよ」

 不格好な巻き方だったが気にしない。永倉は強く想いを馳せる。

「まだまだこれからだ、死んでたまるか」

 この一件で、新選組は京中に名が知れ渡るだろう。悪名でも美名でも構わない。評価は上がる。新選組は大きくなる。それが一番大事だ。永倉はこれから先の未来を思い浮かべ、興奮を抑えきれなかった。

「……言葉はシュですよ、永倉さん」

「あ?」

 そんな彼に、十文字は表情を硬くして口をついた。

「思い込むのはあかん。口にしたらあかんのもあります。言葉は、永倉さんが思っている以上に恐ろしいものですよ」

「何言ってやがる。それはこの前……」

「し、」

 十文字は上品に人差し指を己の唇に当て、美しく微笑んでみせた。

 その笑顔が怖いぐらいに整っていて、永倉は口を噤んだ。と同時に唇が縫われたかのような錯覚を覚えた。

「さ、引き上げましょか? 永倉さん」

「……応。お疲れさん」

 十文字は立ち上がる。

 当然のように、言葉は口から出てきた。気のせいかと思い、永倉は腰を上げて追いかけて行った。

 青い火の粉が夜空へと散っていった。



 了


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― 新着の感想 ―
[一言] 新撰組の話、ということで、土方歳三とか沖田総司の話と思いきや、永倉新八さん!クールでストイックな言動が最後までかっこよかったです。私は新撰組詳しくないのですが、十文字薫というのは実在なのでし…
2017/12/10 23:16 退会済み
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