『低所恐怖症』のおハナシ。
皆さんはこんな経験はないだろうか。
・高い建物を見上げると、崩れたり倒れてきそうな不安感を感じる。
・雲一つない晴天のを見上げると、吸い込まれてしまいそうな錯覚を感じる。
・体育館のなど、天井の高く開放的な場所が怖い。
こういった症状、これが『低所恐怖症』なのである。
『低所恐怖症』という言葉を聞いて、「低い場所が怖いだなんて、そんなことがありえるのか?」と思うかもしれない。
低所恐怖症を文面通りに読み取るならば、それは高所恐怖症の対義語であり、「低い場所が怖い病気」となるだろう。
だが、低所恐怖症というのは、「低い場所が怖い病気」ではなく、「低い場所から見上げる高所が怖い病気」なのである。
なので、高所恐怖症とは余り似てなく、どちらかと言えば閉所恐怖症の逆に近い病気だろうと私は考える。
私自身が幼い頃に低所恐怖症であり、実は今でも多少その症状が残っているのだが、その実例を幾つか紹介したい。
まず、幼い頃の私は、体育館の真ん中付近に近づくことが出来なかった。体育館の天井に張り巡らされた鉄骨や金具が落ちてきそうと思ってしまうからだ。
壁際や入口付近に居れば平気なのだが、周りに何も無い中央付近に近づくのが怖くて仕方がなかった。
次に、高層ビルやなんとかタワーを真下から見上げるのが怖かった。
よくあるのが、高い場所に登れない『高所恐怖症』。あれと逆で、寧ろ登ってしまったほうが気が楽なのだ。
私は昔から高所恐怖症の症状は無く、特に高いところを苦手としなかったのが幸いであった。そもそも高所恐怖症と低所恐怖症が併発するのかは未知だが……。
高い建物の傍に立ってそれを見上げると、圧迫感というか、足が竦むような恐怖感に襲われる。
幼い頃の私は、「崩れてきそう」とか「倒れてきそう」とか思っていたような記憶がある。
こんなように、低所恐怖症という恐怖症には、恐らく一般の人々には理解し難い症状がある。
そう、理解されないのだ。
この病気が一番怖いのは、その認知度の低さ、そして高所恐怖症という病気の対であると誤認されそうな名前故に、『本当に怖いのに理解して貰えない』というところにある。
これも実体験なのだが、幼い私にとって症状で一番怖かったのは『雲の無い晴天』であった。実はこれ、二十歳を過ぎた現在でも、意識してしまうとちょっと足が竦むときがある。
私は小学生の頃から野球をやっていた。野球というスポーツは当然ながら屋外でやるスポーツなので、勿論広いグラウンドに出なければならなかった。
フライを捕る時なんかはどうしても空を見上げなければならないのだが、それはなんとか我慢した。
だが、どうしてもダメなことがあった。それは外野の守備だ。
実はこの症状、近くに人が居たり、物があったりするだけでだいぶ楽なのだ。周りに何も無いだだっ広い空間が非常にキツい。
内野を守っている時は、他の守備位置を守るチームメイト、相手チームのランナー、審判の大人、ベンチ、バックネットなど、色々と視界に映るモノがあるのでそこまでの恐怖感は無い。
だが、外野を守っていて高いフライが上がった時が本当にしんどかったのだ。
周りには誰もいない。吸い込まれそうな雲一つない真っ青な晴天。加えて外野は逸らしたらホームランになるというプレッシャー。
普段は気にしないようにプレーに集中しているが、ふと気にしてしまったが最期、もう足が竦んで動けなくなってしまい、酷い時には嘔吐感すら感じる。
だが、そんな症状は誰にも理解してもらえない。
大人に話しても、得られるのは精々「弱音を吐くな」というありがたいお言葉程度のものだ。
幸い、私の母親は幼い頃から私が広く天井が高い場所が苦手あったり、開けた場所で見上げる空を嫌うのを知っていたため、私のこの病気を理解してくれていた。
だから、歳を追うごとに次第に克服していき、今では殆ど影響がないくらいまでには改善した。
ここまで話して、結局何が伝えたいの? ということだが、私が伝えたいのは簡単に一つ。
「恐怖症をバカにしないでくれ」ということだけだ。
私の場合はこの『低所恐怖症』だったが、世の中には沢山の、それこそ私も理解出来ないような奇抜な恐怖症があるかもしれない。
でも、その自分は信じられなくても、本人は本当にキツいのだ。それだけはわかってもらいたい。
そして、それらは寝れば治るとか、薬を飲めば治るとか、そういうのじゃないのだ。
この話を読んでくれた皆さまの身近にもし、低所恐怖症の方や経験者の方が居たら、是非、その話に耳を傾けてあげて欲しいと思う。
理解してくれる人が居るか居ないかは、精神病においてとても重要なんです。
以上。誰かの人生を変えられるかもしれない2000文字の心の訴えでした。
この2000文字で、同じ悩みを抱える世界の誰かが笑顔になれますように。