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歩哨壕の憂鬱

作者: ゐさむ

明け方から降っていた雨は、日付が変わると同時に小降りになり、それまでの豪雨が嘘だったかのように、辺り一面が静寂に包まれた。雲の切れ間からは、嫌みのように綺麗な満月が丘全体を照らしている。そういえば一昨日の命令伝達で教官がそんなような事を言っていた。

「訓練間終始を通じて雨が予想されるが、月は三日後に満月にな る。夜間においても、我敵共に視界が良好になるため、警戒を厳 にされたい。」


「敵って誰だよ……」

教官の言葉を思い出してわたしがそうつぶやくと、隣にいた吉岡陸士長が驚いた顔でこっちを向いた。

「なんだ、起きてたのか」

吉岡も眠いのか、目をこすっていたらしく、顔に塗っていたドーランがほとんどとれていた。口のまわりだけが黒っぽく、絵本に出てくる泥棒のようになっている。

「立ったまま寝れるほど器用じゃないよ」

わたしがそう言うと吉岡は自分の小銃の脚を立てて、そのまま自分の前に置いた。この時間なら教官も見に来ないと思ったのか、小銃を置くと、大きく伸びをした。

不意に山の麓の街灯りが目に入る。訓練中に見える街の景色ほど虚しくなるものはない。特に今回のよに雨が降っている時はなおさらだ。大学に行った同級生は楽しくやっているだろうか。そんな事ばかりを考えてしまう。着ていた雨衣が初めの30分で雨をはじくのを諦めて以来、ずっと下着まで濡れたままだった。蒸発したなま暖かい匂いで、余計に憂鬱になる。風邪にでもかかればのんびり寝られるものを。馬鹿は風邪にかからないのが辛い。





雨と汗の混ざった匂い。

顔に付いた土と、口の中の鉄の味。

まるで獣の匂いだ。

雨に追い立てられて、森の中を逃げる獣。

一体何から逃げているのだろう?

どこに向かって逃げているのだろう?

いつからこんなに逃げるクセがついたのだろうか?



「本当に行くの? 何で自衛隊なの?」


懐かしい声を聞いた気がした。はっきりと。

今でもよく覚えている。

4年もたつのに未だに答えれない。





「お前も置いたらどうだ?」

どうやら少し寝ていたらしい。吉岡は小銃を置いたまま歩哨壕の縁にすわっている。

わたしは小銃を首から提げたまま、小銃の脚だけを地面に立てた。胸の深さまで穴を掘っておいたお陰で、これだけでも肩の痛みがだいぶマシになった。少し呆れたように吉岡が言う。

「相変わらずお前は真面目なのか、横着なのか分からんな」

「真面目だよ」

わたしは幾分か真剣味を持たせて即答した。吉岡はまるでわたしがそう答えると分かっていたかのように鼻で笑った。そしてわたしは肩を竦めて、軽いため息をする。吉岡と話すときは大体この流れになる。最初のバディからの長い付き合いだ。

「帰ったらドーラン塗り直しとけよ」

「台詞だけは真面目だが、お前もそのスカーフの下は塗ってない んだろ?」

言われてわたしは迷彩柄のスカーフを鼻まで上げた。濡れているせいで少し息苦しくなった。

「やっぱりお前は横着者だよ」

吉岡が嬉しそうに言いながら腕の時計をみる。

傷だらけのG‐shock。

「何時だった?」

「0023」

今度は少し退屈そうに言う。感情表現の上手い奴だ。

「例の娘とは結局何処まで行ったんだ?」

暇潰しに吉岡が話題をふってきた。例の娘と言うのは、わたしが文通をしていた地元の同級生の事だ。まだわたしと吉岡が生徒課程の頃に、隊舎に手紙が届いているのを見つかって以来、部屋が変わってからも時折話を聞きに来ていた。どうやらこのご時世に文通をしているのがえらく気に入ったらしい。だがもう3ヶ月以上手紙はきていない。

初めは向こうも大学生になって忙しいのだろうと思っていたが、最近はすっかり、考えないようにしていた。上手く忘れようと訓練にいそしんだ。休日になると外を走ったり、1人で街のプールに泳ぎに行ったりした。まるで逃げるように。

何となく雰囲気から感じたのか、吉岡が間の悪そうな顔をした。

「別に、もう何とも思っちゃいねえよ。それは向こうも同じだろ うしな」

それを聞くと吉岡は

「すまん」

と一言呟き、本当に心底そう思ったのか、小銃の脚をたたみ、負い紐に首を通し、穴に入って小銃を構え直した。これ以上踏み込んで話を聞く気は無いらしい。わたしとしても話す気は無かったので有り難かった。

あれはもう終わったことだ。そして今は訓練中だ。

そう自分に言い聞かせ、警戒、監視を再開した。地面をなぞるように。左から右へ。

端までいくと、先程よりも今度は少し高い位置を右から左へ。

端までいき、折り返して、左から右へ…… 繰り返し。

しばらくすると街の灯りはもう気にならくなっていた。






月に照らされて色んな物がはっきりと見える。

幽霊のでる林。

直線ばかりの戦車道。

裾野に不意に現れる小さな森。

振り返れば、富士の山頂に続く登山道までもが、点在する山小 屋の灯りに照らされて、はっきりとその道筋を見せている。


休みがとれたら登りに来よう。

その時はきっと、

今見えてる街の灯りも少しは綺麗に見えるだろう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] その場の匂いや空気を感じる小説でした。 なんかね、雨の音も聴こえてくる。 [一言] ヨカですバイ。
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