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翌日の昼間、俺達は街で様々なアイテムを準備した後、ウェルストンを出発した。目指すは西の方角に位置するダンジョンだ。暫くは整備された街道を進んでいく時間が続く。しかし、幾ら街道であっても魔物が出現しないとは限らない。実際、俺達はモンスターと遭遇した。相手はゴブリン、俺がこの世界に来て初めて出会った魔物だ。数は八体、もし一人でエンカウントしたなら、迷わず逃走を選択していたことだろう。ともすると、逃げきれずに人生が終わっていたかもしれない。
だが、ファミエラとミレイヤのコンビの前には、ゴブリンの集団も赤子同然だった。振り下ろされる強烈な斬撃に、放たれる強力な魔術。彼女達は魔物の群を瞬く間に全滅させてしまったのだ。
「アンタ達はスゴいな」
心からの賛辞を口にすると、
「いえいえ、そんなことないですよ。ゴブリンの一匹くらいなら、冒険を始めた初心者でも何とか倒せるくらいのレベルですし」
(そのゴブリンを、俺は倒せなかったのか……)
今更ながら、自らの非力さを痛感した。
「ハハハ、そんなに気にするこたないよ」
こちらの内心を見透かしてか、ファミエラが笑いながら言う。
「本職が薬売りの旅人なら、魔物との戦いが苦手でも仕方がないってもんさ。旅慣れてくれば、嫌でもアイツらの対処方法は身に刻まれてくるよ」
「……もしかしてワタシ、とてつもなく失礼なコト言っちゃいました?」
「ん、いや。気にしなくていい」
上目遣いで気まずそうに体をモジモジとさせているミレイヤに、俺は慌てて言った。
(今は彼女達に守ってもらえるからいいが……ファミエラの言う通り、自分で対処法を考えないとな)
マリフを出てから魔物に数度エンカウントしたが、俺はその度に敵から逃走した。だが、いつまでも逃げ足スキルに頼っていてはいられない。いずれ、魔物と戦う為の術をキチンと身につけなければと思った。
街道から逸れ、草原の中を突っ切ってダンジョンを目指す。やがて、鬱蒼と茂る林の奥に、空高くまで伸びている一本の柱が出現した。
「ここが目的地か」
塔の真下、入り口の扉の前に立って空の彼方に窺える塔の先端を見上げながら、俺は呟いた。
「そうだね、ここから先は気を引き締めて進まなきゃいけないよ」
「メランさんはなるべく下がっていてくださいね。戦闘はワタシ達が行いますから」
塔の内部は一般的建造物のような構造をしていた。一つ大きく異なる点としては、上階への階段と階下への階段が隣り合わせに設置されていないという点である。その為、階を上る度に歩き回って、次の階段を探さねばならない。
当然、塔の中には魔物が闊歩していたが、意外なことに冒険者の姿も度々見受けられた。だが、どのパーティも他のパーティと交流を持とうとしない。不思議に思って訊ねると、ミレイヤ曰く、同じダンジョンを攻略している冒険者達は互いにライバル同士な為、滅多なことがない限り助け合わないのだという。情報などの提供も物々交換で行うのだそうだ。
(それにしても……ダンジョンか)
ダンジョンに関する説明は前にエセリナから聞いていた。しかし、このように明らかな人工物が時と共に消滅してしまうというのは、あまりに不可解だ。
(……ま、あまり気にし過ぎてもいけないか)
少なくとも今は、大事なダンジョン攻略の最中である。余計な詮索に気を回すより、前を行く二人の邪魔にならないよう神経を集中させておくのが賢明だろう。俺は頭を小さく振って、脳裏によぎった疑念を心の片隅へと追い出した。
ダンジョンの内部には、街道や草原とは比較にならないほどの強さを誇る魔物達が蔓延っていた。だが、ファミエラとミレイヤの二人は塔に巣くう怪物達を次々と倒していく。強烈な打撃を叩き込み敵の注意を引きつける大剣使いと、精密かつ高威力な魔術で彼女を援護する魔術士。端から見ても、良いコンビに思えた。
一方、俺はというと、魔物と遭遇した際は必ず二人の後方へと下がり、彼女達の戦闘の邪魔にならないよう努めた。魔物の排除が終わってからが俺の仕事時で、バッグに詰め込んでいる数種類の回復薬から適当なものをチョイスして彼女達の治療を行った。マリフの冒険者達と同じく、ファミエラやミレイナもまた、薬の効果が高いと俺の手腕を褒めてくれた。
「アンタ、まだ新米なんだろ? このまま順調にスキルアップしていけば、きっと凄く良い薬売りになれるね」
俺が薬を傷を負った彼女の肌に塗っている最中、紅髪の剣士はそう言って目を細めた。
しかし、ちょうど塔の十階に到達した直後。俺達はハプニングに見舞われた。
「マズいね……挟み撃ちかい」
通路の両端を塞いでいる敵を交互に見やりながら、ファミエラは呟いた。
「レベルの低いゴブリンナイトとゴブリンアーチャーの群であることが救いですね……」
ミレイヤもまた、何時になく緊張感を表情に浮かべて杖を握りしめる。彼女の言う通り、俺達を囲んでいるのはゴブリンの集団だった。ただし、草原や街道で出会った個体とは、明らかに雰囲気が違う。ミレイヤは『レベルの低い』と口にしたが、筋骨隆々とした体格は通常のゴブリンより手強そうな印象を俺に与えた。それに加え、ゴブリンナイトと思しき個体は頑丈そうな鉄の鎧と剣を、ゴブリンアーチャーの方は軽装ながらも遠隔攻撃用の弓を装備している。あくまで、彼女達基準でレベルが低いのだろう。
「メランさんは敵の攻撃に巻き込まれないよう、注意して下さい」
「ボヤボヤしてると、アイツらに目を付けられるからね。くれぐれも気を散らすんじゃないよ」
「ああ、分かった」
「じゃあ……行くよ、ミレイヤ!」
「はい、ファミエラさん!」
叫びを上げた次の瞬間、紅髪の剣士は手近のゴブリンナイトに斬りかかる。相手はファミエラの攻撃に反応して剣による防御を試みるものの、彼女の両手で振り下ろした大剣は易々と相手の武器を粉砕し、斬撃は魔物の脳天を叩き割った。頭から血しぶきを上げて、ゴブリンナイトは地に崩れ落ちる。
だが、攻撃の隙が生じた彼女を狙って、数匹のゴブリンアーチャーが矢をつがえる。
「させません!」
間髪入れず、ミレイヤが魔術を放った。彼女の足下に展開されていた紅の魔法陣がひときわ強く輝いたかと思うと、掲げられた杖の先から幾つもの炎球が発射され、まさに矢を射ろうとしていたゴブリン達に襲いかかる。魔術の直撃を受けた魔物達は瞬く間に炎上し、身を焦がす炎を振り払おうとするかのように踊る。
二人は巧みな連携で、魔物の数を着実に減らしていった。
(囲まれた時はどうなるかと思ったが……この調子でいけば、危うげなく全滅させられそうだな)
だが、俺が心中で安堵の呟きを洩らした直後。張られている炎球の弾幕を掻い潜り、一匹のゴブリンアーチャーが術士に接近する。
「ミレイヤ! 危ないよ!」
事態に気がついた様子のファミエラが叫んだ。集中砲火を受けつつ数匹のゴブリンナイトと渡り合っていた彼女はすぐに身を翻し、仲間の救援に向かおうとする。だが、この距離では間違いなく間に合わない。ミレイヤの淡い紫色をした両目が、恐怖に大きく見開かれる。
やるしか、なかった。
「……くっ!」
自然と、俺は駆け出していた。と同時、懐から護身用のナイフを取り出し、右手に握りしめる。
ゴブリンアーチャーとミレイヤの間に割って入った俺は、勢いに任せて敵を斬りつけた。
「はぁっ!」
恐らく、大したダメージは与えられなかった、とは思う。けれど、俺の決死の攻撃を受けたゴブリンは僅かにたじろいだ。
その僅かな動作が、彼女に猶予を与えた。
「メラン、上出来だよっ!」
刹那、俺達の方へと戻ってきたファミエラが、ミレイヤを襲おうとしていたゴブリンに止めの一撃を加える。腹を大剣で貫かれた相手は血を流しながら、力無く床に倒れ込んだ。
その後、ファミエラとミレイヤの活躍で、ゴブリンの集団は全滅した。
「メランさん、さっきはありがとうございます」
そう言って、ミレイヤは丁寧なお辞儀をした。
「大したことはしていないさ。とにかく、君が無事で本当に良かったよ」
「大したコトさ。ああいう時にオンナを躊躇わず助けられるようなオトコが、この世の中にどれだけいるかって話だよ」
ファミエラは微笑を浮かべて俺を見つめ、
「やっぱりアタシが見込んだオトコだね。アンタ、見所あるよ」
「買い被りさ、俺はしがない薬売りだよ」
その時だ。ピロリーン、というような甲高い電子音が聞こえてきて、俺は思わず周囲を見渡した。
「どうしたのさ、急に周りを気にし始めて」
「今、何か変な音がしなかったか?」
「何も聞こえませんけど」
「ひょっとして、レベルが上がったんじゃないかい?」
「レベルが?」
「そうさ。ステータス画面を見てみなよ」
ファミエラに促され、俺は久しく拝んでいないステータス画面を呼び出した。
名前:メラン・ノーセラック
称号:駆け出し薬売り
レベル:6(+1)
HP:76(最大87)
MP:12(最大12)
攻撃:10
防御:8
魔力:6
抵抗:16
技術:27
速度:22(+1)
頭部装備:旅用の安い帽子
右手装備:ナイフ
左手装備:無し
胴体装備:旅用の安い服
脚部装備:旅用の丈夫な靴
装飾品1:無し
装飾品2:無し
装備スキル(最大装備数4):薬調合LV3・値切りLV1・逃げ足LV1
所持スキル:薬調合LV3・値切りLV1・逃げ足LV1
所持金:310ゴールド
所持アイテム(最大所持数5):薬調合キット・薬売りのバッグ・古びたレシピ本・非常食
彼女の言う通り、確かにレベルが上がっていた。その他、いつの間にか速度も上昇している。ずっと敵から逃げ続けていたのが理由だろうか。
「レベルが上がると、何か良いことがあるのか?」
疑問に思って訊ねる。
「少なからず影響はあるよ。レベルが上昇すれば各パラメータにささやかなボーナスが入るし、パラメータの経験値獲得率も上がるから。ま、レベルが上がると全体的な能力アップに繋がると捉えてればいいよ」
「なるほど……そういや、二人のレベルはどれくらいなんだ」
「それは教えられないよ」
ファミエラは苦笑を浮かべて小さく首を振った。
「他人に自分のレベルを教えるってのは、自らの力量をバラすのと同じだからね。危険な行為だよ」
「そうなのか……」
よくよく考えてみると、自分のステータスを人に喋るのは確かにリスキーだ。
「そうだよ、だからメランも気をつけな」
「ああ、分かった」