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「済まないな、いつも留守番ばかりさせてしまって」
「いいえ、気になさらないで下さい。私はただ、御主人様の帰りを待つだけなんですから」
詫びの言葉を告げると、エイリは口元に穏やかな笑みを湛えて小さく首を振った。
「御主人様から仕事を言いつけられているわけでもありませんし、ずっと身を休ませていられるのはとても有り難いんです」
「そうは言うが……」
やはり、一人で部屋に残されるのは寂しいものがあるだろう。言葉に詰まっていると、
「本当にお気になさらないで下さい。私は大丈夫ですから。それに、このままだと御主人様が遅刻してしまいます」
「……分かった、それじゃ行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
宿を出て、待ち合わせの広場でファミエラ達と合流し、その足で冒険者案内所へと赴く。
そこでまたもや、俺は思いも寄らぬ再会を果たした。
「あー、メランさんじゃないですか!」
自分の姿を目に留めるなり、受付に腰掛けていた少女が驚きの声を上げて立ち上がる。彼女の動作につられて、特徴的な金色のツインテールが左右に揺れた。周りの冒険者達や他の受付嬢が何事かと視線を集中させるが、彼女は周りの注目などお構いなしに、穴の空くほどに自分を凝視している。
「君は……」
「エセリナです! 覚えてませんか? マリフの案内所の」
「ああ、よく覚えているよ」
異世界に来た当日の事を、俺は回想する。あの日、右も左も分からなかった自分に冒険者や薬売りとしての基礎知識を教えてくれたのは、他ならぬ彼女だった。
「けど、どうして君がここに?」
「ちょうど、マリフの案内所からラムールに異動になったんですよ」
そういえば、転勤が頻繁に起きると彼女が食事の席で話していたことを思い出す。
「ところで、メランさん……こちらの方々は?」
「ああ、彼女達は……」
自分の後ろにいる二人の紹介をすると、
「……どうしたんだ?」
あからさまにエセリナの表情が沈んでいったので、俺は不思議に思って訊ねた。
「いえ、何だか、メランさんが遠い存在になってしまったような気がして」
「ん、どういう事だ? 話が見えないんだが」
「気にしないで下さい……ところで、今日は何の御用ですか?」
「ああ、実はこの街の西に出現した塔型のダンジョンについてなんだが……」
俺が案内所を訪れた用件を話すと、エセリナは普段の受付嬢としての表情を取り戻し、丁寧にダンジョンの情報について俺達に説明してくれた。
「メランさん」
用事を済ませ、礼を言ってから歩きだそうとした俺に対し、エリシアが重々しい口調で名を呼んでくる。
「ん、なんだ」
「私、諦めませんから」
「へ?」
「私、諦めませんからね。メランさんの事」
断固とした決意を語調に滲ませて、彼女は宣言した。
「……俺の、何を諦めないっていうんだ?」
「……と、とにかく諦めませんからね!」
「う……何だかよく分からんが、分かった」
彼女の迫力に押され、俺は何故だか了承の返事をしてしまう。
「鈍いねぇ、アンタも」
案内所を出るなり、ファミエラが呆れたような口調で話しかけてきた。
「鈍いというのはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味さ」
「そうですよ、メランさん」
ミレイヤもまた、彼女に同調するようにうんうんと頷いて、
「幾らなんでも鈍感すぎます」
「いや、だからどうして鈍感なのか教えてくれないか」
「さて、ダンジョンに行こうかね。ミレイヤ」
「はい、ファミエラさん」
全く訳が分からずにいる俺を置き去りにして、女性陣はすたすたと道を歩いていく。
「一体、何なんだ……?」
その場に立ち尽くしていた俺は、途方に暮れて呟いたのだった。
ラムールの西に出現したという塔は、都からさほど離れていない位置にあった。
「噂に聞いていたが、冒険者の数が多いな」
古びた扉を軋むような音と共に開いた後、俺は思わず呟いた。塔の玄関ホールと呼ぶべき場所に、沢山の冒険者達が屯していたからである。彼らは各パーティ毎にスペースを占有している様子だったが、その大半が負傷した仲間の治療を行っている最中のようだった。
「随分と高難度のダンジョンのようだからね。それだけ同業者の注目も集めてるってわけさ」
「なるほど……」
玄関ホールを抜け、通路へと足を踏み入れる。壁や床は所々が大量の血で汚されているものの、冒険者達とすれ違いこそすれ、魔物の姿は全くといっていいほど見かけない。光の届かない通路の壁際に設置されている松明の明かりだけが、微風に僅かに揺らめいている。
「一階部分は殆ど探索されきっている様子ですね……」
「となると、問題は二階からってわけか」
「そうさ、気を引き締めて掛からないといけないよ」
二階や三階に上がっても、同じような探索が続いた。四階に入って、やや見かける冒険者の数が少なくなってきたように感じられたものの、やはりモンスターとエンカウントしない。当然、宝箱もゼロだ。
俺達が初めて魔物と出くわしたのは、五階に上がって幾つかの通路を渡り歩いた頃だった。遭遇したのは生きている鎧と形容するべき奇妙な生き物だった。重装の鎧に紫色をした怪しい気体のようなものが纏わりつき、ガチャガチャとうるさい音を立てている。
「『リビングアーマー』か……こりゃまた、初戦からレベルの高い相手だねぇ」
背中の大剣を抜きながら、ファミエラが口を開く。ミレイヤもまた、両手に握りしめる大杖を身の正面に構えながら、
「危険です。メランさんは私達の後ろに……」
「いや、俺も共に戦おう」
腰の鞘から新たな武器であるナイフを抜きつつ、俺は二人に告げた。
「大丈夫なのかい?」
ファミエラがこちらをチラリと見やりながら問いかけてくる。俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめて、
「ああ。あんた達と別れてから、俺も少しは戦闘を経験してきた。戦力にはならなくても、『案山子』くらいにはなれるかもしれない」
「……分かった。覚悟があるなら、アタシも止めはしないよ」
「メランさん、くれぐれも無茶はしないで下さいね」
こちらの様子を伺っていたらしい魔物が、遂に動き出した。操っている鎧をゆらゆらと揺らしながら、俺達の方に近づいてくる。
迫りくる敵へ視線を移したファミエラが、楽しげに呟いた。
「メラン……アンタの成長ぶり、見せてもらうよ」
戦闘が始まった。ゆったりとした動きを見せていた『リビングアーマー』は急に俊敏な動きを始め、俺達との距離を瞬く間に詰めてくる。瞬間、ファミエラは即座に地面を蹴って駆け出し、大剣を力強く振り下ろして突撃してきた鎧を叩きつけた。力が勝ったのは彼女の方だったらしく、魔物は勢いよく吹っ飛んで壁に派手な音を立てて打ちつけられる。しかし、すぐに体勢を立て直して宙に浮かんだ。どうやら、あまりダメージは受けていない様子だ。
「見ての通り、アイツに物理攻撃は殆ど効かないんだ。アタシ達の役割はミレイヤの詠唱時間を稼ぐ事。分かったかい?」
「了解した」
ファミエラを強敵と認識したのだろう。敵は攻撃の対象を彼女から俺へと移し、再度突撃を仕掛けてくる。鎧の迫りくる音とミレイヤの詠唱を耳にしながら、俺は身を翻してその突進を避けた。続けて、電撃を纏った白銀の刃で鎧の腹を攻撃する。
(お?)
攻撃の命中した瞬間、俺は目を見張った。ファミエラの食らわせた斬撃とは異なり、俺の攻撃を受けたリビングアーマーは一瞬、ピクリと身体を震わせたのだ。
(ひょっとして、雷の魔力の影響か……?)
だが、すぐに敵は体勢を立て直して三度目の突撃を敢行してくる。魔物は目の前にいる俺を素通りして、後方で詠唱中のミレイヤへ一直線に向かっていく。どうやら、唯一無防備である彼女にターゲットを変更したようだ。
だが、敵の突撃が標的に到達することは無かった。狙いを事前に察知していたらしいファミエラが両者の間に割り込んだのだ。
石造りの通路に鎧と刃が激突する甲高い金属音が反響する。そして、ミレイヤの詠唱もようやく完了したらしい。彼女の足下の魔法陣がひときわ強く発光したかと思うと、
「ファイアボール!」
魔物に向かって突きつけた大杖の先端から、激しく燃え盛る火球が放たれる。火球はリビングアーマーに直撃し、鎧を操っていた紫色の気体は炎を浴びて雲散霧消した。
途端、支えを失った重装鎧は空中から落下し、空虚な音を響かせながら床を打つ。先ほどまでの禍禍しい気を感じないことから察するに、どうやら片はついたようだ。
「驚いた。最初に会った時と比べると、雲泥の差だよ」
大剣を背負っている鞘に納めながら、ファミエラが言った。
「そうですね。メランさん、だいぶ強くなってます」
「二人と比べればまだまだだけどな」
俺は苦笑しつつ、
「ただ、全く戦闘経験ゼロだったあの頃からしたら、自分でも少しはマシになっただろうって思うよ」
「ところでメランさん、その武器はどうしたんですか?」
ミレイヤは俺の握っている刃物をまじまじと見つめながら、
「それ、サンダーナイフですよね。普通に買おうとすると、ちょっと値が張ると思いますけど」
「ああ、色々とあってな、鍛冶屋で元々持っていたナイフを加工してもらったんだ」
「それはなかなか使い勝手の良い武器だろうと思うよ。攻撃に属性が乗るってだけで、魔物には有効だからね」
「属性が乗る……」
先ほどのリビングアーマーに僅かでもダメージを与えられたのは、やはりこの武器のお陰だったらしい。