5
未だ顔を覗かせ続けている夕日の下、俺達は先ほどの川岸に並んで腰掛けた。ファミエラ達と約束した時間はまだまだ先で、時間の猶予はある。
「あの子達、一体何なんだ?」
「私の同僚です」
「同僚……」
「はい、明るくて良い人達なんですよ」
エメリーヌの口調に含まれるようなものは微塵も感じなかった。
だからこそ、この発言は嘘だ、と直感した。
「隠されたんだろう?」
「……まさか、そんな事はないですよ」
「本当に、この場所を歩いたのか?」
「……こちらの方で見かけたと」
「さっきの子達に教えられたんだな」
こちらの問いに、少女はコクンと頷く。俺は彼女の膝元に乗せられた衣装の残骸をチラリと見やりながら、
「その衣装、随分と高価なようだが」
「この前、買ったばかりなんです。その……」
一瞬だけ、エメリーヌの顔に陰が差した。しかし、彼女はすぐに元の穏やかな表情を取り戻して、
「贅沢ですけど、もっと金を稼ぐには綺麗な服を着なきゃと言われたので、それもあって」
なるほど。いわば、ささやかな自分への御褒美でもあったのかもしれない。それに、この衣装なら普通の服を着るよりもずっと、観衆の目を惹くことが出来ただろう。こうなってしまっては、もうそれも叶わないが。
「リーダーか誰かに、止めさせてもらう事は出来ないのか?」
「一座の中で、事を荒立てるわけにもいきませんから」
暗に事実を認めるような発言だったが、深くは追求しないでおく事にした。
「……君の踊り、凄く素敵だったよ」
代わりに、心からの賛辞を贈る。ありがとうございます、と彼女は顔を僅かに輝かせた。
「うん。あそこにいた踊り子達の中で、一番綺麗だった。正直、目を惹かれたよ」
だからこそこういう目に遭ってしまうんだろうが、という言葉の続きは胃の外に飲み込んだ。
「君は若くて美しいし、何も踊り子という職業に固執することもない。辛いなら、別の仕事を探してもいいんじゃないか?」
「辛くはないんです、人前で踊ることは好きですから……それに」
「それに?」
「私、お金を稼がなきゃいけなくて」
自分自身に言い聞かせるような語調で、エメリーヌは言った。
「踊り子は給料がとても良いんです。だから、この仕事を辞めるわけにはいかないんです」
「何か事情があるのか?」
最初、エメリーヌは話すかどうか迷っている様子だったが、やがて、
「……姉がいるんです」
と、呟くような声で言った。
「姉は私の故郷の村にいます。幼い頃に重い病に掛かって、寝たきりの生活をしてて……だから、私がしっかり働いて、お金を稼がなきゃならないんです。姉の病気を治す為にも」
「……そうだったのか」
彼女に、というよりは自分へ向けた独り言だった。かつて訪れた村で出会った病弱の女性の姿が、脳裏を掠めていく。確か、彼女にも出稼ぎに出ている妹がいるという話だった。
まさか、そんな偶然があるとも思えないが……。
「すみません、あまり面白くない話ばかりしてしまって」
こちらの沈黙を別の意味で受け取ったらしいエメリーヌが、慌てたように口を開いた。
「でも、話を聞いて頂けたら、少しスッキリしました」
「衣装、どうするんだ」
「取りあえず、頑張って直してみます。縫い合わせたら、また使えるかもしれませんし」
「直らなかったら?」
「その時は、前に使っていた衣装がまだ残っているので、そちらを着て踊ろうと思います」
そう言って、彼女は再びにこやかな笑顔を浮かべる。その魅力的な表情を見て、健気な娘だな、と俺は思った。
「そうか……」
「はい、色々と御迷惑を掛けてすいませんでした」
最後に一礼して、少女は去っていった。夕方の穏やかな風に揺れる水色の髪が見えなくなった後も、俺は暫く川岸に留まって様々なものに思いを馳せていた。
「御主人様、どうされたんですか?」
宿に帰りつくなり、エイリから心配そうに声を掛けられた。
「どうって、何が」
「いえ、浮かない顔つきをしていらっしゃるので」
「ん、いや。エイリは気にしないでくれ」
そんなに顔に出ていたかな、と思いつつ、俺は部屋の片隅に設置されている鏡の方を見やり、次に壁掛けの時計へと視線を移した。時計の長針と短針は、待ち合わせの時刻まで後数十分しかない事実を俺達に告げている。
「さて、そろそろ出るか」
宿を出て、二人と待ち合わせている噴水広場へと向かう。ファミエラとミレイヤは既に広場の隅で待っており、俺達の到着に気がつくと、手を振りながら近づいてきた。
彼女達と合流した後、俺達は酒場に入った。料理を注文し、酒を酌み交わしながら談笑する。エイリもだいぶ彼女達に慣れてきた様子で、会話の輪の中に加わっていた。
その最中、真後ろのテーブルで食事を取っている男達の会話が俺の耳に入ってくる。
「おい、そういえばあの話はどうなったんだ」
「あの話って」
「ほら、ここから西の方角にある塔のことだよ。『メリアメーデの羽衣』が安置されているっていう噂の」
『メリアメーデの羽衣』という単語を聞き、俺は思わず耳をそばだててしまう。
「ああ、それか。まだ、見つかってないらしいぜ」
「そうか。俺も挑戦してみるかね」
「止めといた方がいいぜ。冒険者がぞろぞろと挑戦しに行っているが、熟練のパーティでもなかなか最上階を突破出来ていないそうだ」
「ぞろぞろと? 貴重とはいえ、羽衣一つをそんな多くの冒険者が狙っているのか?」
俺の疑問を、そっくりそのまま片方の男が代弁した。
「さあな、自分の女に着せるか、交換材料にでもするんじゃないか。単に腕試しで挑戦してる奴もいるだろうし」
「しかし、熟練の冒険者でも攻略に苦労するなんて、最上階にはどんなバケモンが居座ってるんだろうな」
「聞いた話じゃ、とてつもない化け物じゃなくて強力な魔物の『群れ』らしいな。冒険者との連戦で徐々に数は減ってきているらしいが、それでも突破は困難なんだとよ」
ま、この情報も随分と古いから、今はどうなっているか分からないけどな。そう言って、男の一人は笑った。
「とにかく、俺達みたいなごく普通の冒険者パーティじゃ、羽衣を手に入れる前に撤退するのがオチだ。収穫が無ければ徒労に終わるってもんだし、俺達は身の丈にあったダンジョンに挑戦していこうぜ」
「ああ、そうだな」
(メリアメーデの羽衣……踊り子の衣装か)
その時、俺の頭に一つの考えが思い浮かんだ。だが、それを実現する為には俺の実力が遙かに足らない。
「メラン……アンタ、どうしたんだい?」
ハッと我に返ると、女性三人が自分に目を向けていた。
「メランさん、心此処に在らず、って感じでしたけど、何か考え事でもしてたんですか?」
ミレイヤが訊ねてくると、ファミエラも彼女に同意するように小さく首を縦に振って、
「さっきからずっと上の空って感じだったよ」
「ああ、済まない。ちょっとな……」
「御主人様」
言葉を濁した俺に対し、エイリが心配そうな面持ちで口を開いた。
「ひょっとして具合でも悪いんじゃないんですか?」
「いや、体調は大丈夫だ」
「もしかして、悩みがあるんじゃないかい?」
「悩みというほどのものじゃないが……ちょっとな」
「アタシ達に話してみないのかい? 少しは力になれるかもしれないよ」
(ファミエラに、ミレイヤか……)
その時、名案が思いついた。冒険者の戦士と魔術士。二人の実力は先のダンジョン探索で既に確認済みだ。彼女達の助けがあれば、先ほど浮かんだ考えも実現出来るかもしれない。
「なら、あんた達にちょっと相談があるんだが」
そう前置きして、俺は川岸での出来事について語った。
「ふむふむ、それでさっきから様子がおかしかったのかい」
「さっきからメランさん、そのエメリーヌさんって人の事を考えてたんですね」
「ああ、そしてこれからが本題なんだが」
ちょうど、雑談に興じていた後ろの男達が席を立ち、店を後にした。これで、声を潜めたりする必要も無くなる。先の考えについて、俺は気兼ねなく三人に説明した。
「……なるほど、そういう理由で私達の力を借りたいんですか」
「ああ。数多くの冒険者が突破出来ない西の塔の攻略を、俺単独で出来るとは思えない。だが」
「アタシ達と一緒なら、最上階まで上り詰める事が出来るかもしれない……そう考えた訳だね」
「そういう事だ」
ファミエラの言に、俺は小さく頷いた。
「無茶を言っているのはこちらの方だから、ダンジョンの中で見つけた羽衣以外の戦利品は全部そっちに譲る。これでどうだろうか?」
「ふむ……条件は悪くないね」
褐色の女戦士は腕組みをして、
「どっちみち、メリアメーデの羽衣を手に入れても、アタシ達には全く使い道が無いんだし。ミレイヤはどう思う?」
「私はファミエラさんが良いっていうなら構いませんよ」
「……よし、それじゃ話は決まりだね」
ファミエラは俺の提案した西塔の探索を承諾した。
「じゃあ、日時はどうする?」
「今日はもう遅いから、明日に決行ってところだね。けど、アタシ達はまだ、例のダンジョンの詳しい位置を調べてないんだよ。一度、冒険者案内所に行って情報を聞いてくる必要があるね」
「そうか……分かった。明日は朝に待ち合わせした後、まずは案内所に向かおう」