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「御主人様、ありがとうございました。今日はとっても楽しかったです」
宿の部屋に帰りつくなり、エイリは頭を下げて礼を告げてきた。
「ああ、俺も楽しかったよ。エイリと一緒に、色々と珍しい物を見て回れて」
俺は自分の使っているベッドの縁に腰掛けながら、
「どうする? 夕食の時間まではまだ時間があるが」
夕食は宿の外でファミエラ達と取ることになっている。現在の時刻は夕方で、待ち合わせの時刻まではまだ時間が残されていた。
「そうですね……実はちょっと、疲れちゃって」
「そうか、無理もないさ。エイリは部屋で休んでいるといい」
「はい……御主人様は?」
「俺はちょっと、この辺りを散歩してくるよ」
彼女はこの都を気に入っている様子だ。となると、出来れば一日でも長く滞在期間を増やしてあげたい。となると、色々と把握しておかなければならない事があった。
エイリを宿に残し、俺は再び街中を歩く。冒険者案内所の場所、薬の材料を売っている場所、露店を出すにふさわしい場所……念入りに歩き回っているうち、いつの間にかラムール川の川岸、草の生い茂っている場所の側までやってきていた。
(ちょっと、夕涼みでもしてから帰るか……)
そのように考えを巡らせ川岸に座って川の流れを眺める。沈みゆく太陽の光を反射する澄んだ水面はキラキラと光っていて、まるで川全体が幾つもの星を運んでいるかのようだった。その風景に思わず見とれてしまっていると、
「あの、すみません」
不意に、後ろから声を掛けられる。俺は反射的に振り向いた。そして、同時に驚愕する。
(おや、この娘は……)
麗しい水色の髪。絹のように美しい素肌。ほっそりとした体つき。まるで天女のような整った顔立ち。
衣装こそ見窄らしくなっているものの、最後に観客の前に姿を現した、あの踊り子に間違いなかった。
(だが、どうしてこの娘がこんな所に?)
あの一座でトップクラスの容姿を誇る彼女だ。恐らく、熱心なファンも沢山ついているだろう。誰かに見つかればえらい事になる筈だ。頭の中で疑問が膨れ上がっていると、
「この辺りに、服が落ちていませんでしたか?」
少女はおずおずとした口調で訊ねてくる。
「服か? いや、見当たらなかったが」
あの、舞台の上で着こなしていた深い青の衣装の事だろうか。
「そうですか……」
残念そうに、彼女は目を伏せる。
「探しているのか?」
「はい、ちょっと歩いている最中になくしてしまったみたいで」
(服を歩いている最中になくす?)
両手に服抱えていたのだとしても、落としてしまえば流石に気がつくだろう。妙だと思った。
「お邪魔して申し訳ありませんでした。それでは失礼します」
「……君はこれからどうするんだ?」
去っていこうとする彼女の背を、俺は呼び止める。振り返った彼女の翡翠色の瞳が、戸惑ったように揺らめいた。
「服を探すのか」
「えっと……はい、根気よく探せば見つかると思うので」
「分かった。なら、手伝おう」
「え? でも……御迷惑になります」
「ちょうど暇なんだ、気にしないでくれ」
断ろうとする彼女を制し、俺は衣服の特徴について訊ねた。やはり、話を聞く限りでは舞台の上で着ていた青い衣装らしい。
「俺はこちら側を探してみる。君は向こうの方を探してみてくれ」
「わ、分かりました」
暫く、俺達は二手に分かれて川岸を捜索した。
「こっちには落ちていなかった。そっちはどうだ?」
「いえ、ありませんでした」
「そうか……此処に落としたかもしれないという事は、この辺を通ったという事だろう。どのように歩いたのか教えてくれないか?」
「……それは」
彼女が言葉を濁した、その時、
「エメリーヌ!」
橋の上から、声が聞こえてくる。エメリーヌと呼ばれた少女は、ハッと表情を変えて顔を上げる。彼女の視線の先を目で追うと、そこには三人の少女がいたそのうち、一人には見覚えがあった。緑色の高級そうな衣装を纏っていた踊り子だ。
「アンタの衣装、向こうの公園に落ちてたー!」
「大事な商売道具なんだから、もっと大事にすればぁ!?」
「教えてやったんだから、感謝しなさいよー!」
耳に響く嫌味な声色でそう告げた後、彼女達は高笑いを洩らしながら橋の向こうへと消えていった。
「……向こうの公園にあるみたいだな」
「……ええ、そうですね」
重苦しい沈黙を払拭しようとした俺に対し、少女――エメリーヌは柔らかな微笑みを向けてくる。だが、その笑顔には若干陰りがあるように思えた。
公園に向かった俺達が発見したのは、隅の木陰に放置された。見るも無惨な姿と化した衣装だった。
(これは酷い……)
あれほど美しかった色合いはまるで泥を塗りたくられたかのように汚れ、布地は残酷なまでに切り刻まれている。ステージで輝いていた華やかな有様は、もはや見る影もない。
俺は絶句して、眼前の衣装だったモノを見つめた。
(服をなくした……つまり、そういう事だったのか)
エメリーヌが留守にしている間、少女達三人が彼女の衣装を盗んだ。そして、帰ってきて慌て出したエメリーヌに対し、『川岸の草むらに落ちていた』と嘘の情報を流し、時間を見計らってボロボロに刻んだ衣装を公園に運んだ。こう考えると全ての辻褄が合う。嫌がらせ以外の何物でもなかった。
「ありがとうございます。お陰で、無事に見つかりました」
呆然としていた俺の思考を現実へと引き戻したのは、少女のやけに明るい声だった。視線を向けると、少女の顔には作ったような笑顔が浮かべられている。ほっそりとした腕には衣装の残骸を抱えていた。
「無事にって」
「見つかったからいいんですよ」
言葉に詰まる俺に対し、少女は更に微笑みを強くした。精一杯、明るく振る舞おうとしている表情だった。
「……それで、明日の踊りはどうするんだ」
「大丈夫です。明日は休みですから……え?」
驚いたように、少女は目を瞬かせる。
「今日、見てたんだ。君の踊りを」
美しい翡翠色の瞳を真っ直ぐに見つめながら言うと、少女は恥ずかしげな面持ちになって、
「そうだったんですか……」
「なぁ、時間があるなら」
無意識のうちに、口から言葉がこぼれていた。
「良ければ、さっきの川岸で少し話さないか?」