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朝食から数十分が経った頃。俺達は宿を出て、町中の散策を始めた。昨日は夜中だったので、人々の喧噪も些か抑え気味ではあったのだが、日中は更に活気に満ちた光景が街中に広がっていた。広場という広場には必ずといっていいほど露店が軒を連ね、大道芸人や詩人といった芸術家達が得意の技術を披露している。これまでに訪れたどの街も遠く及ばないほどの都の空気が、そこにはあった。
しかし、中でも印象的なのは、街の間を縫うように通っている河川だろう。水の都と呼ばれているラムールは、その名に違わないほど水に満ちた都市だ。東に行っても、西に向かっても、北へ歩いても、南へ下っても、俺達は地上と地上を繋げる大小様々な橋と、広大な美しい川を目にすることになった。途中で読んだ立て札の説明によると、この河川はラムール川と呼ばれ、王国でも一、二位を争うほどに美しい川なのだという。その影響もあってか、幾度となく目にする広大なラムール川に対し、俺は『飽きる』という感情を持つことが全く無かった。幻想的で雄大な河川の風景は、いつ見ても新鮮な心の高ぶりをもたらし、俺やエイリに感嘆の息をつかせることになるのだった。
また、都を彩る数々の建造物も芸術的で美しく、俺達の目を一瞬たりとも退屈させなかった。通りも清掃が行き届いていて、ゴミが殆ど落ちておらず、俺達の散策を快適なものとさせていた。
「とても綺麗な街並みですね」
「そうだな……流石、水の都といったところだな」
(エイリ、本当に楽しそうだ)
せわしなく周囲に目を走らせている黒髪の少女の姿に、俺は心中で呟いた。こんなに楽しげな彼女の表情は初めて見るかもしれない。
(よし、今日は心行くまでエイリを楽しませてやろう。金にだって余裕があるし、もし貯金が底を尽きてもその時はその時だ。いつも通り、依頼を受けるなり薬を売るなりして稼げばいい)
美術館で著名な画家の描いた様々な絵画を鑑賞し、吟遊詩人の紡ぐ荘厳な物語に耳を傾け、音楽家の奏でる美しい音色に聴き入る。エイリは静かに、それらの芸術を楽しんでいる様子だった。
様々な場所を巡っているうち、俺達はとある広場にたどり着いた。そこは街のどこでも見かけるようなある程度の広さのある空間だったが、その中央にはきらびやかなセットが設置されていて、群衆がその周りに集まっている。広場の入り口には簡素な受付が出来ていて、どうやら自由に人が入れるというわけではないらしい。
「どうして、こんなに人が集まってるんでしょうか」
「あそこで踊り子のショーがあるみたいだな」
辺りの壁に張り付けてある宣伝ポスターを見て、俺は言った。
「せっかくだし、見ていくか」
「いいんですか? 料金が高いみたいですけど」
「構わないさ。今日は一日、ゆっくり観光するって言っただろう?」
受付で料金を払い、広場の中に足を踏み入れる。既に観客は数多くいたので、俺達は広場の隅っこでショーを見物することになった。
上演開始のアナウンスが流れ、場がしんと静まり返った頃。セットの裏から一人の踊り子が舞台の上に姿を現す。黄色の衣装を着た、利発そうな少女だった。何処からか聞こえてきた穏やかな音楽に合わせるようにして、彼女は踊りを舞い始める。
やがて、音楽が終わりを迎えるのと同時に、その踊り子はセットの陰へと姿を消していき、また別の踊り子が舞台に進み出た。今度の少女は緑色の高級そうな服を身に纏っている。聞こえてくる音楽も先ほどとは別である事から察するに、どうやらこの一座は踊り子一人ずつに、それぞれ趣の異なる踊りを披露させる手法を取っているらしい。
出てくる踊り子達は誰もが美しく、踊りも実に素晴らしかった。彼女達のきらびやかな舞に、観客達は見入り続ける。
やがて、セットの後ろに引っ込んだ踊り子の代わりに、一人の少女が舞台に上がった。
(あの娘、他の子とは段違いに綺麗だな……)
しとやかな水色のロングヘアーが印象的な、華奢で線の細い、清楚な雰囲気の少女だ。色白の肌に纏うは深い青色の衣装で、これまでの踊り子達とは一線を画する彼女の類稀なる美貌に、観客達は僅かにざわめく。
やがて、落ち着いた雰囲気の音色が広場に響きわたったかと思うと、少女は優雅な踊りを披露する。その洗練された動きは、彼女自身の優れた容貌も相まって、俺の心を強く惹いた。恐らく、この場にいる全ての者達も同様の思いを抱いただろう。
「すごく綺麗でしたね……」
「そうだな……」
少女が踊りを終えて舞台の裏に引っ込んだ後、呟かれたエイリの言葉に、俺も自然と同意を返していた。先ほどの群を抜いた美しさの少女で、舞台は終了となったらしく、観客達が続々と広場から引き返していく。最後に登場したという事は、恐らくあの娘こそがこの一座のトップ的存在だったのだろう。
「私にはあんな衣装、きっと似合わないです」
憧憬と自嘲の入り交じった呟きを洩らしたエイリに対し、
「そんな事はないさ。エイリは、その」
一瞬、照れくささに言葉に詰まったものの、俺はハッキリと言い切った。
「オシャレをすれば、今よりもっと可愛くなれると思うぞ」
「無理ですよ……」
そんなことはないさ、と励まそうとした矢先、
「あ、メランじゃないか!」
後ろから、聞き覚えのある女の声がした。振り向くと、入り口へ向かう観客達の渦の中から、二人の女性がこちらに向かって歩み寄ってくる。方や、露出度の高い軽装の鎧に身を包み大剣を背負った褐色肌の女。方や、青いローブを羽織り大杖を両手で握りしめる魔術士の女。
「あんた達は……ファミエラにミレイヤか!」
「メランさん、お久しぶりです」
「奇遇だね、こんなところで会うなんて」
「そうだな、そっちも旅の途中か」
「そうさ。ちょっと野暮用でね。ところで……」
と、ファミエラはよく状況を飲み込めていない様子のエイリをチラリと見やりながら、
「そちらの可愛いお嬢ちゃんは、どなただい?」
と、俺に問いかけてくる。
「エイリって子だ。一緒に旅をしている」
「へぇ、そうなのかい。よろしく、エイリ」
気さくな調子で、彼女は黒髪の少女に話しかけた。
「アタシはファミエラ。こっちはミレイヤ」
「初めまして、エイリさん」
ミレイヤもまた、挨拶の言葉を発しながらニッコリと微笑む。一方、
「は、初めまして……」
初対面の人間から話しかけられるのに慣れていないらしく、エイリは伏し目がちに挨拶を返した。