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「メランさん、毎日すみません。大したお礼も出来ないのに……」
朝。家に赴いて調合した薬を手渡す俺に対し、ルミリアは申し訳なさそうに言った。
「気にしないで下さい、俺が好きでやっている事ですから」
彼女の気持ちを落ち着かせられるよう、俺は微笑んで言った。開け放たれた窓の外からは、燦々とした陽光と涼しげな朝の風が室内を吹き抜けている。
「あの……」
薬の口直しに水を飲んだ後、ルミリアはおずおずと口を開いた。
「メランさんは薬を売りながら、世界を旅して回っているんですよね」
「ええ、そうですね」
彼女の質問に、俺は軽く頷く。
「宜しければ、そのお話を聞かせて頂けませんか?」
空となったコップをテーブルの上に戻しながら、彼女は訊ねてきた。
「……旅人を始めて日が浅いので、あまり多くは話せませんが、それで良ければ」
彼女の求めに応じ、俺は自らの人生について話して聞かせた。流石に、転生する前の事については伏せるしかなかったので、主に今までの旅路についての話だった。
「どうです。大した話じゃなかったでしょう?」
「いいえ、とても面白かったです。ありがとうございます」
彼女は丁寧に頭を下げた。
「私、幼少の頃からずっとこの部屋でしか過ごせなくて……外の世界を全然知らないんです。だから、メランさんのお話はとても新鮮で」
メランさんはお優しい方ですね。そう言って、ルミリアは女神のような微笑みを口元に浮かべた。
「そんな事は無いですよ、人として当然の事をしたまでですから」
「いいえ、分かります。ただの勘って言われればそれまでですけど……私の勘って、良く当たるんですよ?」
彼女はいたずらっぽく笑って、
「雨が降りそうだと思ったら、本当に土砂降りになっちゃったり。あの人とあの人は好き合っているだろうなと思ってたら、本当に結婚したり」
「それは凄いですね……予言者になれそうだ」
こんな楽しげに話す娘だったのかと、会話を繰り広げつつも俺は意外に思った。
「ふふ、ありがとうございます。だからきっと、メランさんはお優しい方なんですよ」
翌日。再び彼女の元を訪れた俺は、身体の具合について訊ねた。
「どうですか」
「だいぶ、体が楽になってきました」
「そうですか、それは良かった」
ホッと安堵の息をつく。どうやら、彼女は順調に快方へ向かっているらしい。本音を言えば、自分の調合が完璧だったのか不安に思っていたのだが、その心配は杞憂に終わったようだ。
空となった水差しを満タンにして戻ってくると、妹はどうしているかしら、とルミリアが独り言のように呟くのを聞く。
「妹さん、確か出稼ぎに行ってるんですよね」
「はい……私がこんな体なので、迷惑を掛けてばかりなんです」
「どこで何をしているかは分かるんですか?」
「いいえ……」
彼女は悲しそうな面持ちで小さく頭を振って、
「時々、仕送りの手紙は村に来るんですけど、どんな仕事をしているかまでは……もう数年は帰ってきていませんし」
「心配なんですね」
「はい……私の病気が治ったら、やっとあの子にもキツい思いをさせなくて済むんです」
「きっと治りますよ。後もう少しの辛抱です」
暗い表情で言う彼女に対し、俺は励ますように言った。
更に数日後。
「……だいぶ病状は良くなりました。ひとまず、完治といって良いでしょうね」
「本当ですか?」
俺の言葉を聞き、ルミリアの顔はぱあっと明るくなった。
「はい、絶対に安心とはいえないので、暫くは俺の残していく薬を服用してもらう事になりますが」
「残していく薬……そうですか」
輝いた表情に、一瞬にして陰が差す。
「メランさんは、また外の世界へ旅立ってしまうんですね」
暫く、彼女は何か思い詰めている様子だったが、やがて、
「もし、メランさんが宜しければ……この村に留まって頂けませんか?」
「俺が……この村に?」
思いもがけない問いかけに、俺は両目を瞬かせる。はい、と彼女は小さく頷いて、
「ハスメルにはお医者様も、薬を売ってくれる人もいませんから。メランさんが居てくれたら、村の皆さんもとても助かると思うんです。私も……嬉しいですし」
どうでしょう。上目遣いで自分を見つめる彼女の瞳には、もしかすると懇願以外にも熱っぽい感情が秘められていたのかもしれない。
「……少し、考えさせて下さい」
そう答えるのが、この時の俺の精一杯だった。
正直、俺は悩んだ。
ハスメルに残れば、質素ながらも堅実な暮らしが出来るのは確実だった。実際、滞在中に薬を求めてやってきた村人は数知れない。これからの人生の安寧を考えれば、ルミリアの提案に乗って村に滞在し続けるのも悪い選択肢では無かった。
しかし。俺の中に存在する『外の世界』への好奇心を、やはり否定は出来なかった。
「……そうですか。やはり、行ってしまわれるのですね」
村を出発する旨を伝えると、ルミリアは悲しげに表情を陰らせた。
「すみません」
「いえ、無茶なお願いをしてしまったのは私の方ですから。気にしないで下さい」
「……実は、渡しておきたいものがあるんです」
そう言って、俺は懐から一枚の紙を取り出し、彼女の方へ差し出した。
「薬のレシピを記したメモです。貴女の病気の治療薬の他にも、風邪や毒などに効く簡単な薬の調合法も載せてあります。ルミリアさんの生活の足しになればと」
「メランさん……」
「俺に出来るのはこれくらいです」
「いえ……嬉しいです」
彼女は受け取った紙をじっと見つめて、
「このメモ、ずっと大切にしますね」
と、穏やかに微笑んだ。
「メランさん、本当に良かったんですかっ?」
ハスメルを出発し、延々と続く街道の上を歩いている最中、エシーがおもむろに質問を投げかけてきた。
「何がだ?」
「ほら、あのルミリアさんって方の事ですよ。メランさんに気があったみたいですし」
「エシーの気のせいさ」
しらばっくれながら、俺は空を見上げた。どこまでも続くかに思われる、広大な青空。その果てはどこに通じているのだろう。ふと、そんな事を考えた。
「そうですかね……うーん、エイリも同じこと思わなかった?」
「わ、私ですか?」
急に話題を振られた彼女は慌てたように瞬きをする。
「えっと、私は……よく分からないです。でも」
「でも?」
言葉の先を、エシーが促す。
「でも……その」
暫く、エイリは言葉に迷っている様子だったが、やがてポツリと言葉を洩らした。
「ルミリアさんは、御主人様に出会えて良かったって……きっとそう思っている筈です」
「エイリ……」
振り返ると、彼女の肩越しに遠くの村が映し出される。
この広大な空は世界だけでなく、きっとハスメルにも続いているのだ。そして、ハスメルだけでなく、ルミリアにも。
ふと、そんな事を俺は思ったのだった。