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翌日。村の門の前で引率役である二人の青年と合流し、俺達はハスメル東の森へと向かった。
「うーん、よく晴れた良い日ですねぇ」
明るい陽光の差し込む森の中で背伸びをしているのは、他ならぬエシーだ。昨夜の話し合いの末、彼女も今回の探索に同行することになったのだ。荷物持ちくらいにはなる、とは彼女の言い分である。ちなみに、エイリは前と同様に小屋で留守番をしてもらっている。
「そうだな、しかし長閑な時間が流れるのも今のうちだぞ」
村から派遣された引率役の一人、バルトという筋肉質の若者が口を開いた。
「森の深部になると、林の密度が上がってぐっと暗くなるからな。そうなってくると、魔物が出るようになる。なぁ、ボッグ?」
話題を振られたもう一人の案内役、これまた体格の良い大男――ボッグはコクリと無言で頷いた。バルトはよく話す社交性のあるタイプだが、ボッグは無口な人間のようだった。二人に共通しているのはその恵まれた体格と、腕に握りしめられた大斧くらいか。
「はわわ……どれくらいの強さなんでしょうか」
「そうだなぁ……レベルに換算して、ざっと三、四くらいの敵はいると思うぜ」
「レベル三、四……」
エシーはひきつった笑みと共に硬直する。無理も無かった。今の俺達にとって、レベル三や四の魔物はまさに雲の上の存在といって過言ではない。何しろ、レベル一のモンスターにもてこずっていたくらいなのだから。
(これがRPGの世界なら、レベル上げをパッと済ませられるんだがな……)
この世界の能力上昇にシビアな面がある事は、既に嫌というほど思い知らされていた。
「ま、そう心配するこたあねえよ。これでも、俺達は村の中じゃ一、二位を争ってるんだ。そんじょそこらの魔物くらい、適当にあしらってやるさ」
バルトの言葉に同意するかのように、ボッグはゆっくりと頷いた。
木漏れ日が届いてくる頃までは、森は穏やかな雰囲気に包まれていた。色とりどりの可憐な花弁があちこちに咲き誇り、頭上からは小鳥の楽しげなさえずりが聞こえ、草の陰からはリスなどの小動物が顔を出しては引っ込んでいき、植物達は森を吹き抜ける清涼な風を受け、枝葉を楽しげに揺らす。豊かな自然溢れる光景の中に、魔物の影は微塵も感じられなかった。
だが、木々の密度が高まってくるにつれ、森の奥地へと進む俺達を頭上から照らしていた日光は徐々にその輝きを弱めていく。先ほどまで森を賑やかにしていた野生動物達はいつの間にか姿を見せなくなり、代わりに凶暴な野生動物や魔物が出現し始めた。
前言通り、バルトとボッグは屈強な戦士だった。彼らは襲いかかってくる獣や魔物の数々をあっさりと倒していった。彼らの助けが無ければ、俺とエシーは森の奥地まで達することが出来なかっただろう。
「よし、ここらで少し休むか」
出発から数時間が経った頃、バルトが提案してきた。既に足腰が悲鳴を上げていた俺も、同じく疲労の溜まっている様子のエシーも、彼の提案を受け入れた。朽ちて横たわる大木に腰掛け、俺達は休憩を取ることになった。村の者達から渡された弁当を広げる。中身は細切れの肉に野菜の切れ端を炒めたものと麦飯。現代の感覚でいえば質素といえるかもしれないが、腹を空かせた俺にとってはこれ以上ない御馳走だった。実際、誰も文句を言うことなく昼食を取っている。
「そういえば、メランさん。一つ、聞いてもいいですか?」
箸を動かす手を止めて、エシーがおもむろに口を開いた。
「ん、なんだ?」
「あたしが冒険者を目指している理由は前にも話したと思いますけど、メランさんはどうして薬売りになったんですか?」
「俺か? 俺は……そうだな」
俺は暫く考え込んだ後、
「何となく、かな」
と、微妙に答えになっていないような答えを返す。
「何となく、ですか」
「ああ」
「へぇ~」
「……何故に感心したような声を洩らす?」
「いえ、何となくで職業を決めるなんて、凄いなぁって思っちゃいまして」
「……それ、褒めてんのか?」
「はいっ!」
彼女は元気一杯に肯定する。その口調に邪気の響きは感じられなかった。
「そうか……」
食事を終え、俺達は再び森の奥を目指して歩き始める。多数の魔物と戦闘を繰り広げた後、ようやく目的地に辿りついた。そこは暗く湿った林の中にポツリと存在する小さな花畑で、様々な種類の薬草が原生していた。
暫く、俺は周辺の警護を他の三人に任せ、調合材料の調達に没頭した。
「どうだ、兄ちゃん。お目当ての物は見つかったか?」
「ああ、だいぶ集まった」
バルトの問いかけを受け、俺は首を縦に振った。
「これだけあれば十分だろう」
「うむ、それじゃ引き返すとするか」
「行きはよいよい、帰りはこわい、にならないといいですね……」
恐々といった口調で、エシーが呟く。
「縁起でも無いこと言うなよな」
ていうか、どうしてその言葉を知ってるんだ。心の中で、俺は自分しか分からないだろうツッコミを彼女に向けた。
結局、強力な魔物に遭遇するような緊急事態も起きず、俺達は無事にハスメルへ帰還することが出来た。
小屋に戻り、心配で堪らなかっただろうエイリを優しく宥めた後、俺はレシピ本を片手に薬の調合を始める。今までに調合したことのない、レベルの高い治療薬だったので、一日分を調合するのにも優に三時間は掛かった。
完成した治療薬を持って、俺は村長を伴いルミリアの家へと向かった。
「どうぞ、苦いので水は大量に飲んで下さい」
「はい……」
手渡された小瓶の中に注がれている褐色の液体を、ルミリアは静かに飲み干す。彼女は顔色一つ変えぬまま、水を飲んで咥内を潤した。
「これで、ルミリアは治るんですかな?」
「いえ、この一回で終わりではありません」
村長の言葉に小さく首を振り、俺は説明する。
「この薬は病気が収まるまで、一日に二回飲み続けなければなりません。朝と夜、食事を取っていない時間にですね」
「具体的には何日でしょうか」
「それは……ルミリアさんの病状にもよりますから。ただ、きっと数日は掛かると思いますよ」
「じゃあ、メランさんは」
「ええ、彼女の容態が良くなるまでは、この村に留まろうと考えています」
不安そうに問いかけてくる村長に返事をすると、
「本当にどうも……ありがとうございます」
か細い声でそう言って、彼は丁寧に頭を下げてきたのだった。