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街の施設で準備を整えた後、俺はエシーと共にラベリア北東へと向かう。幸い、目的地に着くまでに魔物と遭遇することは無かった。ちなみに、エイリは宿で留守番をしてもらう事になった。
ダンジョンは洞窟の形状をしていた。恐る恐る、俺達は内部へと足を踏み入れる。洞窟の中は入り組んだ構造をしていて、岩壁に設置された数多くの松明が暗がりを仄かに照らしていた。
(人工物が存在するのは妙な気もするが……あまり、気にしてもしょうがないか)
大体、建造物やら洞窟が一人でに出現しては消失を繰り返す事自体、現代の視点から考えると異質だ。恐らく、前の世界とこの世界では、いわゆる『常識』に差異があるのだろう。
探索を始めて程なく、俺達は魔物に遭遇した、
「これは……なんでしょう?」
「スライムじゃないか?」
俺達の眼前には、青いゲル状の生き物がいた。小さな水たまりのように地面にへばりついて、時々もそもそと動いている。
まさに、RPGでよく見かけるようなスライムの姿そのものだった。
「どうやって倒せばいいんでしょうか」
「さあ……踏みつぶせば倒せるんじゃないか? 手頃な大きさだし」
「でも、あたしちょっと怖いです。メランさん、やってみてもらえませんか?」
「……分かった」
意を決して、俺はスライムと思しき敵を踏みつける。
破裂するような音を立てて、スライムは体液を四方八方にまき散らせて息絶えた。
「倒せたな……」
「倒せちゃいましたね……」
何とも、呆気ない勝利。こんなに弱い魔物がこの世に存在するのかというくらい、スライムは弱かった。
しかし、その認識は、すぐに改められることになる。
「あ、メランさんっ!」
エシーが甲高い叫び声を上げた。
「いつの間にか、スライムがわらわら集まってきてます」
「何だと!?」
慌てて周りを見渡す。彼女の言う通り、膨大な数のスライムが自分達に近づいてきていた。大きさは様々。水滴かと見間違うくらいのものから、あまりに巨大で下手すれば飲み込まれてしまいそうなほどの個体までいる。
「ど、どうしましょう!」
「どうするったって、このまま逃げるわけにもいかないだろ。全部倒しにかかるぞ」
「は、はいっ!」
激闘が始まった。エシーは構えた短剣を力任せに振り下ろして敵を潰していく。俺はというと、護身用のナイフを巧みに扱い、一匹一匹、地道に倒していった。
(それにしても、まさかこんなに早く俺が戦力になる日が来るなんてな……)
幾らステータスが低くても、流石にレベル七ともくれば、レベル一のダンジョンでも戦えるものらしい。そういえば、以前にレベルは全ての能力値にボーナスを与えるといったような事を聞いたことがあった。
(つまり、攻撃や防御が低くても、レベルさえ高ければある程度は戦えるようになるって事か……)
数十分も経つと、俺達を取り囲んでいるスライムの数もだいぶ少なくなった。俺は魔物との戦いに慣れていない様子のエシーをフォローしつつ――俺の方も戦い慣れているというわけではないのだがーー戦闘を継続していった。
「ひあっ!?」
「危ない!」
後ろからエシーに奇襲を仕掛けた巨大スライムを、俺はナイフで斬りつける。ゲル状の魔物は突き立てられた刃物に暫く抵抗したものの、やがて耐えきれずに破裂した。
「す、すみませんっ。また、助けてもらって……」
「構わないさ」
頭をペコペコとさせて謝ってくる彼女を、俺は手で制した。
「それにしても、ここはスライムばかりだな」
「やっぱり、低レベルのダンジョンだからでしょうか」
(俺としちゃ、何とか倒せる相手で楽といえば楽なんだがな)
ナイフで斬り裂けば容易に倒せる。ゴブリンと違って、棍棒による打撃を試みられることも無い。流石に巨大な個体ともなると危険度は増すが、それも注意して距離を保っていれば脅威たる存在とならなかった。
全てのスライムを駆除し、少し歩いた所に、腰掛けるにはちょうどよい盛り上がった地面を発見する。
「ここらで少し、休憩でも入れるか」
「ですね……もうクタクタです」
俺の提案に、エシーは掠れ声で応答する。どうやら、彼女の方もかなり疲労が溜まっていたらしい。
「ダンジョン探索って、思ったよりもハードなんですね……足が悲鳴上げちゃってます」
「そうだな。俺も以前、とあるパーティに同行した事があるんだが、ソイツらは何十階もある塔を一日で上っていたぞ」
「一日で何十階ですかっ!?」
俺の言葉を聞いた彼女は、悲鳴にも似た驚きの声を上げて、
「うう……考えただけで足がガクガクしそうです」
「なぁ。一つ、聞いていいか」
ふと頭に浮かんだ疑問を、俺はそのまま口にした。
「どうして、冒険者になろうと思ったんだ?」
「え?」
「君はどちらかというと、あまり戦いを好まない性分に見える。実際、さっき戦っている最中も気分は高揚していなかったみたいだしな。だから、ちょっと気になったんだ」
「……それは」
「ああ、当然だが、君の方に答える義務は無い。これは単純な好奇心からの質問だからな。もし、君がどうしても答えたくないなら、それはそれで構わないよ」
暫く、エシーは返答に迷っている様子だったが、やがて、
「友達を……探しに行きたいんです」
と、膝に乗せた両手をギュッと握りしめながら言う。
「友達?」
「はい」
自分にはかつて、仲の良い友人がいた。その友人は幼い頃から冒険者を志していて、数年ほど前に街を旅立っていった。暫くは街に無事を知らせる便りが届いていたものの、突然に手紙は途絶え、友人は行方知れずとなった。そのように彼女は語った。
「なるほど、それで自分も冒険者になって、その友達を探しに行こうと思ったわけか」
「はい……でも、冒険者の知り合いなんて全然いないし、冒険者になりたいって子も村にはゼロで」
「それで苦労してたんだな」
「……あたしにはやっぱり、無理かもしれません」
顔を俯かせて、エシーはポツリと声を洩らす。
「そう弱気になるもんじゃない。現に、今はこうしてしっかりダンジョン探索出来ているじゃないか」
「けど、このダンジョンを探索している間もずっと、メランさんに迷惑かけてばっかりですし。やっぱり、鈍くさいあたしじゃ冒険者なんて無理なのかなって」
(うーん、どうにかして励ましてやりたいな……)
消息不明の友人を助けたい一心で、この少女は慣れない戦いに身を投じている。その志は立派という他が無いだろう。年上としては彼女の無謀な志望を諫めるべきなのかもしれないが、個人的にはその純粋な想いを応援してやりたかった。
「初めは誰だって悪戦苦闘してしまうものさ。それに、君は初のダンジョン探索でモンスターを倒しているだろう。それだけで立派なもんだと俺は思う」
言葉を慎重に選びながら、俺は彼女に言い聞かせるように言った。
「実際、俺は魔物と遭遇すると逃げの一手ばかり打っていたからな。君みたいに正面きって戦おうとする選択肢を取ってこなかった」
「メランさん……」
顔を上げ、エシーは俺の顔を見つめる。くりくりとした瞳は仄かに充血し、潤んでいた。どうやら、少し泣いていたらしい。
「だから、そんなに落ち込むな」
彼女の栗色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、俺は努めて優しく言葉を紡いでいく。
「前を向いて少しずつ進んでいけば、いつかきっと君の友達の手掛かりも見つかる筈さ。肝心なのは一つ、決して諦めない事だ」
「……そうですよね。諦めちゃいけないですよねっ」
エシーの声に、再び明るさが戻った。
「ありがとうございます、メランさん」
「別に礼を言われるようなことはしていないさ」
ペコリと頭を下げる彼女に対し、俺は微笑みながら言った。
「さて、そろそろ行こうか」
「はいっ」