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男の出した条件を呑んだ、翌日の早朝。俺は奴隷街ブアレスの外に出て、薬の材料調達に勤しんでいた。
(確かに一万ゴールドをすぐに用意するアテは無いが……しかし、手段はある)
草の根をかき分けながら、心中で呟く。手段とは勿論、薬の販売の事だ。街道を歩いて旅している間、俺は暇な時間を使ってマリフで入手したレシピ本を読み進めていた。その中には、何処にでも生えているような薬草を用いた、効果の高い特効薬の調合方法も載っていたのだ。ページの情報通りなら、本の著者が独自に編み出した薬らしい。これを調合し、口コミで噂さえ広がれば、町民に高く売れるかもしれない。
(可能性の域を出ないのが辛いところだが……)
どう転んでも、自分の性分ではあのまま黙って見ていられなかった筈だ。奴隷少女の虐げられる場面を目の当たりにしてしまった以上、結局は同じような状況に陥っていたに違いない。ならば、やれる事をとにかくやり続けるしかないのだ。そう考えを纏めていると、
「ここにいたのか、探したぜ」
「……ガルスか」
いつの間にか、冒険者の戦士が後ろに立っていた。
「どうしたんだ、こんな所にまで来て」
「お前の手伝いをしてやろうと思ってよ。あの金持ちジジイは、別に一万ゴールドを稼ぐ人数は制限してなかっただろ?」
「それはそうだが……しかし、あんたにまで迷惑を掛けるわけには」
「ハハハ、そう気にするな。昨日のお前の演説、俺の心にも結構響いたのさ。だから協力しようと思っただけさ」
「……済まない」
よくよく考えると、一万ゴールドを用意するのに、一人では少々心許ない。彼が手伝ってくれるというのなら、有り難い助力となるだろう。断るだけの余裕は無かった。
「しかし、あんたは薬の調合に関して知識が無い筈だが」
「知識が無くても、材料の調達くらいは出来るさ。お前なんか目じゃないほど、俺は調達依頼をこなしてるんだからな」
なるほど、と思わず心の中で頷いていた。
「それに昨日、場合によっては依頼もこなすと言ってただろ? 討伐依頼なら、普通の調達依頼より高額の報酬が得られる」
俺も多少は戦闘の心得があるが、流石に討伐依頼をソロじゃ厳しいものがある。だが、お前が囮になって敵の注意を逸らしてくれれば、より高額の依頼を受けられる。金を稼ぐバリエーションが広がるってわけだ。彼はそのように説明した。
ガルスが協力を申し出てきたことで、俺は計画を変更することになった。早朝は彼と共に薬の材料を調達し、昼間は冒険者案内所で依頼をこなし、夕方は薬を調合し、夜に街角で販売する。初日は殆ど薬が売れなかったのだが、二日目は口コミで噂が広まったのか、前日よりは多くの人が店にやってきた。
依頼の方はというと、ガルスが協力してくれることもあり、調達依頼だけでなく討伐依頼もこなすことになった。戦闘系の依頼という事で、初めて引き受ける際はかなりの緊張を覚えたものだったが、不安は杞憂に終わった。ガルスの冒険者としての腕前は確かであり、俺は敵の攻撃を引きつける役割に徹するだけで良かった。討伐依頼を引き受けるようになると、その合間に調達依頼をこなす事も出来るようになり、一時間辺りの収入は増加した。
しかし、これだけの策を講じても、目標金額である一万ゴールドを目指すには程遠い。
「なぁ、メラン。どうするんだ」
四日目の深夜。薬を売り終わって宿に戻ると、ガルスが問いかけてきた。心なしか、焦っているように見える。
「このままだと、とてもじゃないが期限までに一万ゴールドかき集められないぜ」
「……まだ希望はある。薬の購入者は日に日に増えているからな。この調子で増加すれば、一万ゴールドにはギリギリ届くかもしれない」
「自分の身が掛かっているのに、よくそんなに落ち着いていられるな」
責めるというよりかは、むしろ感嘆しているような語調だった。
「元々、自分で決めたことだからな。駄目だったときは駄目だったときと割り切るしかないさ」
「それこそ、トンズラするという考えはないのか。別に、街から離れるのを禁止されているわけじゃないんだろう?」
「そんな事をしたら暗に負けを認めることになる。条件を呑んだ以上、あちらのルールには従うさ」
「……妙なところで強情というか、男らしいんだな」
ま、そういうのも嫌いじゃない。そう言って、ガルスは笑った。
実際、予想していた通り、俺の薬を求めてやってくる人の数は徐々に増加していった。この街に冒険者が多く滞在していることもあって、治療薬だけでなく回復薬の売れ行きも順調に伸びた。
しかし、期限が明日に迫っても、俺の稼いだ金額は一万ゴールドに届いていなかった。
「まだ、だいぶ稼がなきゃならないぞ。どうするんだ、もう時間は殆ど無いが」
「大丈夫だ、最後の手段が残っている」
「最後の手段?」
「ああ……ガルス、この街で一番武器の買い取り価格の高い場所を教えてくれないか」
念の為にと装備していたレアアイテムをじっと見つめながら、俺は彼に訊ねた。
期限当日。宿に赴いて一万ゴールドを突きつけると、男は驚愕の面持ちを浮かべた。奴隷の少女もまた、信じられないといった面持ちで目の前の大金を凝視している。
「バカな……お前のような身なりの者が、まさかこんな短期間で一万ゴールドを稼ぐとは……」
「だが、事実だ。そして、約束は約束だ」
俺は淡々と要求の述べた。
「俺はちゃんと条件を守った。さて、その子を渡してもらおうか」
「ぐぬぬ……所詮は口約束だ! あんなのは無効だ!」
「往生際が悪いぜ、旦那様よ」
贅肉を揺らしてわめき散らす男に対し、横のガルスが、あからさまに威圧を込めた口調で言う。
「メランは約束を果たした。アンタも筋を通す必要がある筈だでないと、ここでちょっくら暴れてやってもいいんだぜ? あれだけの証人がいれば、街の奴らも王国も俺達の肩を持つに決まってるからな。少し騒げばこっちのもんさ」
「ぐ……」
彼の脅しは、かなりの効果を男に与えたらしい。男は配下の者に命じて奴隷の少女の首輪を外させると、ぶっきらぼうな調子で奴隷を俺達に渡すよう命じた。
「もう用は済んだだろう。帰れ、二度とその姿を見せるな!」
高級宿を出ると、ガルスは参ったとでもうように両の掌を空に向けて、
「やれやれ、叶わないね。ああいう貴族気取りの金持ちっていうのは」
「貴族じゃないとどうして分かるんだ」
「物腰や雰囲気や……ま、言ってしまえばタダの勘だな。長く旅を続けてると、そういう眼力は嫌でも身につくんだよ」
「そういうものか」
「そういうものさ」
「あ、あの……」
俺達と共に宿を出た奴隷の少女が、おずおずと口を開いた。
「お二人が、私の新しい御主人様なんですよね」
「御主人様?」
予想外の発言に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ああ、確かにそういう事になるな……ただ」
と、ガルスは右手で俺の方を示しながら、
「お嬢ちゃんの御主人様は俺じゃない、彼だ」
「そうなんですか?」
「いや、違う」
可愛らしく首を傾げた少女に対し、俺は首を振った。
「俺達はただ、君をあの男から解放しただけだ。別に君を従えるつもりで大金を払ったわけじゃない」
「解放……」
「ああ、だから君はもう自由なんだ。君は自分の行きたい所に行けばいい。誰かに縛られることも無いんだ」
「私……」
暫く悩む素振りを見せた後、少女は躊躇いがちに言った。
「行きたい所、ありません……」
「何処でもいいんだ。自分の故郷でも、住んでみたいと思っていた場所でも」
「メラン、そういう言い方は酷ってもんだ」
見かねたように、ガルスが口を挟んできた。
「どんな経緯があったかは知らないが……この嬢ちゃんは奴隷だったんだ。故郷があったかどうかも分からない。生まれた時から奴隷商人の檻の中で過ごしていたのかもしれない。そうでなくとも、金欲しさで親に売られたのかもしれない。奴隷にとって、住んでいて居心地の良い場所なんて無かっただろうさ。それに、あの貴族気取りのボンボンの下でずっと働かされてきたんだ。家事などはこなせても、自力で生活する術は身につけてないだろう」
要するに、この嬢ちゃんは自由に生き抜くことは出来ないんだよ。そう言って、ガルスは自身の髪を掻き上げた。
「少なくとも、一人で生き抜けるようになるまでは、誰かが面倒見てやらなきゃならない。そして、その権利と義務を負っているのは、嬢ちゃんを買ったお前なんだよ」
「だが、俺はこの子の主人になるつもりはないんだ。それにガルス、お前の方が」
「おいおい、冗談はよしてくれ。前にも言ったろ? 俺はソロの方が性に合ってるんだよ。それに今回の件はお前を手伝っただけだから、俺の方に責任は無いぜ?」
「それはそうだが……」
良い考えが浮かばず、俺はほとほと困り果てた。少女はというと、不安げに俺とガルスを交互に見やっている。
(……覚悟を決めるしかない、か)
「……分かった。君を一緒に連れていく。だが、俺は君の主人になるつもりはない」
「え?」
驚いたように両目を丸くする少女に対し、彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめながら、
「あくまで、君は俺の仲間になるんだ。勿論、一緒に旅をする以上、最低限のルールは守ってもらうが、君に無理な労働をさせたり、酷な命令をしたりはしない。君はいつでも、俺と別れる選択が出来る。これでいいか?」
「……はい、分かりました」
彼女が肯定の頷きを返してきたところで、
「じゃ、俺はそろそろお暇するぜ」
ガルスが口を開いた。
「ここにも、随分と長居し過ぎた」
「街を出るのか」
そういえば、今のガルスは出立の準備を済ませている状態だった。
「ああ。そろそろ、草原の空気が恋しくなったんでな。冒険の旅に戻るとするよ」
「今回はあんたに助けられた。この借りはいつか、必ず返す」
「借りを作ったつもりはないが……そうだな。今度困ったことがあれば、お前に力を貸してもらう事にするよ。それじゃ、また縁があれば会おう」
彼が去った後、俺は少女を引き連れて宿に戻った。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。何て名前なんだ?」
「……エイリです」
「エイリ、か。良い名前だな。俺はメランだ、よろしく」
「は、はい。よろしくお願いします」
(さて、これからどうするか……)
このまま街に留まるのはエイリと名乗った少女にとってあまり良くないような気がした。何しろ、ブアレスは奴隷街という不名誉な異名が付けられている地なのである。ともすると、エイリもまた、この街で奴隷として買われたのかもしれない。
とにかく、早く街を出た方が彼女の為にも賢明だろう。
「そういえば、荷物とかは忘れてないのか?」
ふと、気になって訊ねてみる。少女は小さく首を振って、
「何も、荷物になるような物は頂きませんでしたから……」
と、か細い口調で言った。となると、与えられたのは着ているものくらいらしい。その服ですら、ボロボロの布切れのような外観だ。
(そういえば、『凍てつきの短剣』を売って得た金はまだ少し残っているな……)
脳裏に、一つの名案が思い浮かんだ。
「今日中に街を出ようと思うんだが、その前に寄っておきたい場所があるんだ。付いてきてくれないか?」
「はい、分かりました。御主人様」
「俺は御主人様じゃないよ」
御辞儀を伴う畏まった返事に対し、俺は苦笑しながら、
「メランと、もっと気楽に呼んでくれていい。俺達は仲間なんだから」
「でも……その」
「どうしたんだ?」
言葉に詰まっている少女に言葉の先を促すと、彼女はおずおずとした調子で、
「あまり、そういった言葉遣いに慣れていないので」
と、消え入りそうな声で言う。
(なるほど……そういう事か)
確かに、今までずっと隷従を強いられていた人間が、そう簡単に軽い口調で話せるようになるものではないだろう。
「やっぱり、『御主人様』の方が言いやすいか?」
「はい……」
「分かった、じゃあ暫くはその呼び方でいいよ。いつか、名前で呼んでくれたらいい」
「……ありがとうございます、御主人様」
なおも恭しい御辞儀をエイリは向けてきたが、また不必要だと告げるのも意味のない事だと思い、俺は敢えて指摘しなかった。
(ま……時間をかけて慣れてくれればいいさ)
エイリを連れて、俺は宿を出る。一週間を過ごしたせいもあって、だいぶ土地勘も培われていた。幾つもの通りを抜け、角を曲がり、一件の店の前に立つ。
「ここは……服屋ですか?」
「ああ、君の着る物を調達しようと思ってね」
「え……」
エイリにとっては予想外の事だったらしく、彼女は両目を驚きに見開いて俺の顔を見つめてきた。
「そんな……悪いです」
「遠慮しないでくれ。これから一緒に旅をするんだ」
店内に入り、店員を呼び止めて予算を話し、服を適当に見繕って貰う。やがて、前のそれと比べて見違えるような服を着たエイリが、試着室から出てきた。
「あの、本当によろしいんでしょうか」
「気に入らないか?」
「いえ……でも、御主人様の服より上等なように思えるので」
「なんだ、そんな事か。気にしなくていい。これは俺からのプレゼントなんだから」
金を払って店を出るまでの間、エイリは何度も深く頭を下げて俺に礼を言った。
「さて、じゃあ街を発とうか」
部屋の荷物を整理し、宿を引き払い、俺はエイリを連れてブアレスを出発したのだった。