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宿を出て、俺達はガルスお勧めの店へと歩き出す。奴隷街と町民にまで忌み嫌われているブアレスだが、その評判とは裏腹に、街中は比較的清潔な印象を受ける。
(しかし、これも実際は奴隷を働かせて作り上げられた、虚構の清潔感なのかもしれないな……)
「あそこの料理は本当に美味しいし、何より安い割には量が多いからな。俺達のような流浪の冒険者には大人気だよ」
「そうなのか。席が空いているといいが……ところで、ガルスはどうしてこの街に来たんだ? あまり冒険者が寄りつきそうな場所には思えないが」
「いや、そうでもない。ここの周辺にはそれなりのレベルのダンジョンが生成されるし、街の案内所にも多くの依頼が舞い込んでくるからな。奴隷目的でなくとも、鍛錬や金稼ぎの目的でここを訪れる冒険者は多いんだ」
「へぇ、それは意外だな」
他愛もない話に興じながら通りを歩いていると、
「何をやってるんだ、馬鹿者!」
突然、通りを行き交う人々全員が足を止めてしまうような怒声が響きわたる。
「……なんだ?」
自然と呟きながら、声の方向へ視線を向けると、思わず目を背けたくなるような光景が広がっていた。馬車に乗った裕福そうな男が、膝をついて道に倒れ込んでいる貧しい身なりの少女に罵声を浴びせている。少女は大きな箱を大事そうに抱えていて、どうやらそれが原因のように思えた。
「ありゃ、失態を犯した自分の奴隷を叱りつけてるってところだな」
隣のガルスは頬を掻きながら、
「ああいう場面っていうのは、幾ら俺でも見ていてあまり気持ちよいものじゃないぜ」
「だが……幾らなんでも、酷すぎやしないか」
目の前で繰り広げられる光景に、俺は呆然と呟いた。馬車の上から罵詈雑言を浴びせ続ける金持ちの男と、ただ震えながらペコペコと頭を下げる奴隷の少女。充分に栄養を取っていないのか体つきは華奢で、ガラスのように繊細な印象を受ける。風呂に入っていないのか汚れが目立つものの整った顔立ちをしていて、化粧さえしっかりと施せば、見違えるほど美しくなるだろう少女だった。首に付けられた輪っかは、彼女の頭を下げる動作につられてガチャガチャと揺れている。
(……おや)
ふと、彼女と視線が合った。その怯えた目つきの中に、俺は確かな『助けて』のメッセージを感じ取る。
黙って見過ごすことは、出来なかった。
「お、おい」
ガルスの制止の声を無視し、俺は男の方へと歩き出す。唾を吐き散らしながら無抵抗の少女を怒鳴り続けていた金持ちの男も、俺の存在に気がついた様子で、
「お前はなんだ。ワシに何か用か」
「いえ……ただ、何をそんなに怒ってらっしゃるのかなと」
「私が知人から譲り受けた壷を、コイツが危うく落としかけたのだ!」
「落としかけたという事は、割ってはいないんでしょう。いいじゃないですか、そんなに激しく怒らなくても」
「ワシに指図するな!」
「指図なんてしてませんよ。ただ、耳に聞こえてきた喧噪を見過ごせなかっただけです」
また、少女と目が合う。しかし、今度は彼女の方がすぐに目を伏せた。周りを行き交う人々が、何事かと好奇の視線をこちらに向けてくる。
「お前、ワシを誰だと思って口答えを」
「貴方が誰かなんて関係ありませんよ。俺はこの子が可哀想だと思って口を出したんです」
「可哀想? 奴隷に可哀想などという感情を持つ必要なんてある筈が無かろう」
男は中年太りの目立つ腹を揺すり、せせら笑った。
「大体、コイツはワシの所有物だ。自分の持ち物をどう扱おうと、ワシの勝手だろう。お前に口出しする権利は無い……尤も」
と、彼は俺の爪先から頭の天辺までをジロジロと眺め回しながら、
「ワシの奴隷を買い取るつもりなら、話は別だがな」
暗に、お前には無理だろう、というニュアンスの込められた言葉だった。
(いいだろう……敢えて勝負に乗ってやる)
「幾らですか?」
「何?」
「その奴隷は幾らの値段かと聞いています」
この展開は、どうやら相手の予想外だったらしい。男は動揺したように両目を見開いたが、やがて、
「……そうだな。本来ならお前のような薄汚い旅人が到底手にすることの叶わないような値段だが、今回は大まけにまけて一万ゴールドにしておいてやろう。どうだ、払えるか?」
と、挑発するような口調で問いかけてくる。間違いなく、払えないと知っての言葉だった。
しかし、ここまでコケにされて、黙って引き下がるわけにもいかない。
「一万ゴールドだな。分かった。期限はいつまでだ。アンタはどこにいる?」
「メラン、よせ」
流石に傍観しているわけにもいかなくなったのか、ガルスが肩を掴んで制止の言葉を掛けてきた。だが、その手を俺はやんわりと振り払う。彼は頭に手をつき、溜息を吐いた。
「期限は一週間だ。ワシは街の北東部に宿泊している」
男の告げた宿の名を、俺はしっかりと脳内に記憶した。
「一週間後までに一万ゴールドを持っていけば、その娘は買い取れるんだな」
「そうだ……だが、ワシも暇では無い。一週間この街に滞在する代わり、お前にはこちらの条件を飲んでもらうぞ」
「どんな条件だ」
「期限までに金を用意出来なければ、お前はワシの奴隷になるのだ。当然、期日までにここを離れることも許さん」
にわかに、見物客がざわめき始める。ガルスもまた、ギョッとしたような表情を浮かべた。
「どうする? 今ならまだ、提案を取り消せるぞ?」
「……分かった、条件を飲もう」
「お、おい。メラン……」
ガルスが驚いたような声を上げると同時、
「え……」
奴隷の少女もまた、再び顔を上げて俺の顔をまじまじと見つめてくる。蒼く澄み渡った美しい瞳が、俺の姿を映しだしていた。
「その言葉、確かに聞いた。では、期日を楽しみにしておるぞ。ハハハハハ!」
高笑いを上げて去る男と馬車が見えなくなった後、ガルスが首を振りながら口を開いた。
「お前って、とんでもない奴だぜ。面倒な事は嫌いじゃなかったのか」
「面倒な事は確かに嫌いだ。だが、後悔する事の方が断然嫌いなんだ」
「なるほどな。で、これからどうするんだ。まさか、アテもなく一万ゴールドを用意すると宣言したわけじゃないだろう」
「アテは無い。地道に薬を売って稼ぐ。場合によっては依頼もこなしてな」
「地道にって、マジか」
「ああ」
「……やっぱ、お前ってとんでもない奴だぜ。最初に会った時と、印象が真逆に変わっちまったよ」
そう呟くように言って、ガルスは深い溜息をついた。