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第八話

村は日に日に活気を失くしていく。どんよりと重たい靄のようなものが村全体を覆っているかのような息苦しさを感じてしまう。

 そんな中で晴吉はお使いを頼まれ、奔走する日々。ある家に何か届けるとその家でまた別の頼まれごとをされ、さらにそのいった先でも。そんなふうにして日が暮れていくのが最近の晴吉の生活だ。それだけ、病に侵されている人がいるという事だ。

 村を歩いても病が治ったという話は聞こえず、今度はどこそこの誰が罹ったという話ばかりである。そして、皆がある言葉を口にするようになっていた。

――お流行り様の祟り

体調のせいか、恐怖のせいか。それともその両方か。青い顔をした村人たちはしきりに身を震わせるのだった。

晴吉はセンセイが祟りを引き起こしているとはにわかに信じられずにいた。あのどこまでも優しいセンセイに限ってそんなはずは――。

今すぐにでもお山に行ってセンセイに会いたい。

 晴吉はそう思った時、はっとしたように足が止まった。

 なら、なぜ自分はいまこうしているのだろうか。合いたいなら山に入ればいい。今の村の現状で山に入っても大人たちに見つかり咎めを受けることなどないだろう。

 どうして、会いにいかないの。あって確認すればそれで済むじゃないか。それだけのことが出来ない。

「だってそうじゃないか。誰だって怒るに決まってる。勝手に崇めて、お山に縛り付けたあとは知らんぷり。勝手すぎる」

晴吉は呻くように呟く。

センセイの時折のぞかせた胸をかきむしるような表情を覚えている。

 一人お山の中で遠き夜空を見上げ何を思ったのだろうか。遠き日の遠い土地での記憶ではないのか。村の中で親しみ奉られてきた日々のことではないのか。

「おい、デクノボー」

 呼びかけられ、顔を上げた。

「なに呆けてんだ?」

 珍しく一人の赤い顔をした平六。今日もズズッと鼻を啜って、声はガラガラだ。おとなしく寝ていた方がよさそうだが、それを口に出すのはやめた。

「デクノボー、知ってるか?いや、知らないだろうなぁ」

 どうせお流行り様のことだろう。

「お流行り様のことさ」

やはりだった。辟易して聞く気も起きない。無視してしまおう、今日は子分たちもいないし。

「おい、どこ行こうってんだよ。話の途中だっ」

 平六をよけていこうとしたら、肩を掴まれた。見える袖口は鼻水を拭った後でてかてかしている。

「ついにやっつけるんだとよ」

聞き間違いかと思い一度自分でその言葉をなぞる。

「やっつける…?」

 聞き間違いではなかった。

「いまさっき、村長が呼んだ修験者と大人た―うぐっ」

 晴吉は平六の襟首を掴みあげていた。

「はなっ!くっ…」

 平六は振りほどこうともがくが晴吉はびくともしない。

「どこ?」

「へっ」

「大人たちはどこにいる」

 平六は晴吉の勢いに気圧されたのか小さく悲鳴をもらし、逃げ出そうと身じろぎするが晴吉が離すことはなく、

「さささっき、山の中入ってたから」

 言い終わると、晴吉は手を離した。解放された平六は力なくその場にぺたりと尻もちをつき、呆然とは晴吉を見上げている。

「これ」

 晴吉は地面に落してしまった風呂敷包みを拾い上げて、平六の腹の上に置いた。

「茂おじさんのところに持ってって」

 そういって、晴吉はその場を駆けだした。


慣れた山でも走りながら登れば早々に汗が吹き出し、息も切れてくる。黄昏時で足元が見にくくなってきているが構わず登っていく。

 闇と草木をかき分けて山の社にたどり着く。変わらぬ荒れ果てた神社がそこにあったが、センセイの姿はそこにはなかった。かわりに修験者とその後ろに控えるように並ぶ村の大人たち。突然やってきた晴吉に一様の驚きの表情をしている。

修験者はくたびれた本殿の前でござを引いて坐しており、その両脇には煌々と燃える篝火。

 どうやら、まだ始まっていないようだ。

 晴吉は大人たちに駆け寄る。

「子供が何しに来た」

 道を塞ぐように進み出でてきたのは弥助であった。

「いまから、この村に巣食う悪鬼を払う。邪魔だ、帰れ!」

 怒声に身を固くするが、晴吉は歯を食いしばり、きっと睨む。

「なんだその眼は」

「…悪鬼なんかじゃない」

「あぁん?」

 弥助の顔は歪み、額に青筋が浮かぶ。

「もう一度言ってみろ」

 大きく息を吸い込む。そして一文字づつはっきりと吐き出していく。

「悪鬼なんかじゃないっていったんだ!」

 直後、視界が暗転し稲妻が走った。尻に冷たく固いものを感じ、頬が焼けるように痛い。どうやら、張り手をもらったようだ。

「なんだ、その眼は」

 弥助を見上げる目つきは険しく、苛立たしげに叫ぶ弥助。

 そしてもう一発晴吉に食らわせた。

 冷たい地面が妙に心地いい。

「村全体が病に侵されてる。デク、お前の家族もそうだろうが。病人しかいないと言っていいほどの村の状況を作り出した元凶が悪鬼でなくてなんなんだ」

「センセイと決まったわけじゃない」

 晴吉は身を起こしながら叫ぶ。

 しかし、首根っこを掴まれて地面に引き倒される。

「何も知らないガキが。近隣の村は病なんか流行っちゃいねぇ。そして今はやっている病はな、遠い過去に、この悪鬼が村に来たときと流行った同じ病なんだよ」

晴吉は両腕で痛みを噛み殺しながら支え上半身を起て、弥助を睨むのを止めない。

「まだわからんかっ!」

 蹴りが飛んで来た。

 一回転、二回転と地面を転がる。

 泥だらけの顔をあげ、口を開こうとすると泥と鉄の味がした。だけど、そんなこと構わない。

「かっ…勝手に」

 一呼吸、一言ごとに鋭い痛みが走る。

「人の都合で…神様に…祀り上げて、山の中に置き去り。最後はこうやってお払い箱にして終ろうなんて…。この村の人間の方が自分勝手で人の痛みを感じない鬼じゃないか!」

 弥助は晴吉を無言で踏みつける。何度も何度も何度も。

「どうやら、悪鬼に憑りつかれてる見てえだな」

 底冷えするような声。そして、弥助は懐から匕首を取り出す。火の明かりを反射する刃が鈍い光を発する。

「センセイに教えてもらったんだ……。お前みたいなのを…馬の骨っていうんだろ…。似非侍…」

 弥助は匕首を逆手に持ち替えて振り上げる。

「やめなさい」

 肩を掴まれた弥助の挙動が止まる。修験者が弥助の後ろにいつの間にか立っていた。

「離せ、俺は悪鬼をっ」

「死ぬぞ」

 匕首を晴吉につきたてようとする弥助を必死に抑えようとする修験者。

「かまわねぇ。どうせ役にもたたねぇデク…」

 弥助は急に匕首をポロリと地面に落した。そしてガタガタと震え始めた。

「さっ寒い…」

 両腕で体を抱き力なく膝をつき、

「ひっいいや。なななんだお前は。くっく来るな」

 錯乱し何かに怯え、修験者に縋るうように手を伸ばす。

「たたたっ、助け」

 そして、意識を失った。

「ふむ」と顎を指で擦りながら、鼻を鳴らした。

 様子を傍観していた大人たちは口々に

――祟りだ

――呪いだ

――鬼の子だ

 恐怖し戸惑っていた。

修験者はボロボロの晴吉を抱き起した。

間近でみる修験者の顔は彫が深く、黒く太い眉毛が印象的で、益荒男と呼ぶような精悍さがにじみ出ていた。混濁する意識の中、なぜかおよう婆と重なって見えた気がした。

「この子とこの男の介抱を」

 しかし大人たちは

「弥助さんはいいが、その子は鬼の子じゃ。助けんほうが」

 修験者に抱えられている晴吉を指す指が震えている。

「神が穢れの無い童子に降り、口を借りるのはよくあること。神に少々魅入られてしまっただけじゃ」

魅入られてなんかない。

 撤回しようとするが、口から出る音は言葉にならなず、腕も満足にあげることが出来ずに歯がゆくて

「しかし―」

 なおもしり込みする大人たちを制すように手を前に突き出し、

「この子はお流行り様のお気に入りじゃ。ぞんざいに扱えば酷いことになるぞ」

 そういって、晴吉に視線を落とした修験者は微かに笑い、「安心せよ」と囁いた。

 晴吉の意識はそこで途切れてしまった。


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