さんまんえん
それは、日曜日のある日のこと。
「お兄ちゃん」
「ん?なに」
勉強中の俺の自室を訪ねてきた妹が、なんだか楽しそうに入ってくる。大抵笑顔で俺を訪ねて来る時は、勉強を教えてほしいと頼んでくる時くらいだ。
高校生の妹は、どうやら成績はあまり好ましくないらしい。自身は勉強をする姿勢はあるようだが、どうもそれが結果に現れないというなかなか報われていないよう。こうやってマンツーマンで教えた方がきちんと頭にも入るし、俺にとっても復習になる。
「三万円ちょうだい」
「藪からフルスイングかよ」
予想の斜め上を行き過ぎた妹の発言に、俺は思わず突っ込んでいた。そうだった、確かに妹は勉強を教えてくれと頼んではくるが、まともに人の教えを聞いたことなんて無かったんだ。せっかく人が親身に教えている最中に「胸が大きくなった」だの「お兄ちゃんのエロ本の隠し場所は捻りがない」など口から出てくるのは予想だにしないようなことばかり。お前は一体誰の子だだと何度突っ込んだか覚えていないようなこの破天荒娘は、今日も今日とて俺の期待を見事に裏切ってくれた。
「ねー、いーでしょ?」
「いーわけないでしょ。そんな大金、俺が欲しいくらいだよ」
三千円ならまだしも、三万円というのはお小遣いにしても高額だ。それをこの娘は猫撫で声で頼むとは、やっぱり読めない。
「じゃあ、三万円でいいよ」
「いや、言い方変えただけだから」
「違う違う」
「?」
「私、三万円でいいよ。ほれっ」
すると、妹は俺に向かって大きく両手を広げてみせた。
「え、なに?手広げて、ハグ?」
「違う違う、私、イコール、三万円。おーけー?」
なにそれ、売春婦ですかお前は。
「たっか。Dもないくせに、調子乗るなって」
「え、あるよ?D」
「え?マジ?」
「マジ。触ってみる?」
胸を張ってみせる妹。
「いやまあ、だからなんだっつ話なんですけど」
本当にその通りだ。乗るだけ乗ってはみたが、相変わらず言うことがぶっ飛んでいる。軽々とふしだらな事を言ってくれるが、本当に外でそういうことしてないよな、なんて不安になるだろ。
「私知ってるんだよ。お兄ちゃんのそのブタちゃん貯金箱に三万円が入ってること」
「え、なんで知ってんの」
俺が愛用している貯金箱は確かに陶器製のブタちゃんだ。しかし、それは中身が見えるわけでもなく、ましてや中身だって僕自身も正確な金額を知っているわけではない。なのになぜ妹が
「割ったから」
「おィィィィィ!!!!行動がアグレッシブ過ぎるわッ!何しれっと告白してんのっ!?」
そりゃ中身だって分かるよね!澄まし顔で割ったから、なんて言える人初めて見たよ!罪悪感皆無?気になったから割ってみたって小学生でもやんネェよ!!ねぇお前はその好奇心に操られてるのか?
……ん?あれ。
「でもこれ、壊れてないぞ?」
俺の勉強机にぼてっと居座るブタちゃんは、今まで通り無傷でそこにいた。どこかヒビが入った形跡もないし、ましてや腹の底に開け口があるわけではないので、中身だって確認出来るはずがない。
「うん。壊したけど、新しく買って、入れ直しといた」
「お前って変なところで律儀だよな」
言わなきゃ完全犯罪だったのに、妹はそーゆーところが抜けているというか…。
「褒めなくていーから、三万円」
と、またもや懲りずに三万円を求めて手を差し出す妹。しかしこれは話を逸らすチャンスでは…?
「いやぁ、褒めたくなるなぁ。お兄ちゃんそーゆうお前のちゃんとしたとこ、好きだなぁ」
「げろげろ」
「おい」
「早く」
「大体、なんで欲しいんだよ。何か買うもんでもあるのか」
「いや、特にはないけど」
無いんかい。なんなの?なら壊そうとした魔とその後の罪悪感はどこへ行ったの。
「なんだよそれ、てか、壊したならその隙にパクれば良かったと思うんだけど」
まあ三万円なんて大金、一度に取られたらさすがに気付くけどさ。
「初めはそのつもりで壊したんだけど、なんていうのかな、やっぱり欲しいものは正面から挑んで取りたいじゃん?だから」
「なにその無駄に前向きなチャレンジ精神」
ーーーーーーーーーーーーーー◆
「え、なに、なんでついてくんの」
俺は気分転換に外を歩いていた。家から五分ほど歩くと近くの商店街が見えてくる。さっきのよく分からん会話を忘れるべく、何かしら物色しに来たわけだ。
しかし、何故か妹が同伴。
「お兄ちゃんが三万円くれるまで」
妹はさも当たり前の答える。家でもやらんとあれほど言ったのに、何がお前をそうさせるんだ。昨夜三人の諭吉さんに俺から助けてって予知夢でも受けたの?
「いや、だったらさ。俺がこうやって出掛けた隙を狙えば良かったのに」
まあさすがにそんなことされたら分かるけど。ノコノコと交渉をしに俺についてくるのも考えものだ。
「そんなズルして手に入れた三万円、何の価値もないよ」
「お前もうアスリートにでもなれよ」
何故交渉で貰うことにこだわるのかなぁ。
「ねーぇいいでしょおー?三万円~さーんまーんえぇえぇえぇえぇぇぇんんんん」
「道端でこぶし利かせないで」
やばい、破天荒が復活してしまった。埒が明かなくなる前に帰らないと。いやでも、帰ったところでまた交渉が再開されるだけだ。何をやり出すか分からない分、俺はへたに動けない。
「三万円くれなかったらどうすると思う?」
「どうすんの?」
「ここで野球拳を始めます」
「脅し方が斬新過ぎる」
いきなり服脱ぎますとかどういう神経してんのお前は。高校生だよね?花も恥じらう女子高生だろうが。
「私今さ、すごい三万円の気分なんだよ」
「初めて聞いたよそんな気分」
いかん、おかしな単語を発し始めている。
「今日何の日だと思う?」
「何の日だっけ」
僕は立ち止まって考えてみる。何の日だっけ、父の日にはまだ少しあるし、誰かの誕生日ってわけでも
「三万円の日」
「ノイローゼになりそう」
お前のその発想力が羨ましいよ。
「なんで、こんなにお願いしてるのに、聞いてくれないの」
頬を膨らませて尋ねる妹。さっきまでの俺の話を聞いていたのかこいつは。
「いや、だからね?三万円て大金なの。俺がやっとの思いで毎日コツコツと貯めたお金をさ、そんな簡単に渡せるわけないじゃん?」
「だから言ったじゃん、【私!!三万円で!!いいですよォォォ!!!】って」
「なんで誤解される部分だけ声張り上げるかな」
しっかり周りに聞こえるように区切って大声を上げるとか怖すぎる。お前は俺をどうしたい、たかだか三万円のために俺を破滅させるつもりか。
「お兄ちゃんこそ、何か買うの?そんなに貯めてさ」
「お、お前には関係ないだろっ」
なんだか状況的にも嫌な感じがしてきたので、俺は駆け足で妹から距離を取ることにした。
「あ、ちょっと、待ってよ」
ーーーーーーーーーーーーーー◆
その夜、妹が風呂に入っている間俺はリビングでテレビを見ながら考えていた。
なんだって俺の三万円を付け狙う?妹はバイトはしていないが、母さんから小遣いを少なからず貰っているはずだ。散財するようなやつには見えないし、いくらかは残っているはずだ。何かを買うにしたって、三万円とは高額過ぎる。
気になる……が、あの様子では教えてはくれないだろう。
「お兄ちゃん」
と、風呂から出た妹がバスタオル一枚の姿でリビングに現れた。何度も言うがこいつはもう高校生だ。いくら家族と言えど、もう少し恥じらいを持って欲しいものだ。
「用は後で聞くから、服着ろ。タオル一枚じゃ、湯冷めすんぞ」
「この場に万札三枚あったらさ、何ができると思う?」
またその話か、と俺は内心で大きくため息をついた。しかしこいつは一度噛み付いた獲物はなかなか離さない、厄介な妹を持ったものだ。
「またかよ。三枚かー……、何が出来るの」
ひとまず適当に相槌を打ってみると、妹はいきなりもぞもぞとしだした。なんだなんだ、なにやら自分の胸をいじりだしたぞ?
「この谷間に、んっ、よいっ、しょっ、んっ、こう、お、おお」
なんだかよく分からないが、必死に自分の胸を寄せ始めた。 自身が言ってたように確かにDぐらいはありそう……っていやいや、そんなことはどうでもいいんだ。
「……何がしたいの?」
「なんかテレビで見たことない?女の人がお金を胸に挟んでるの。こう、うんしょ……っと、お?おおお」
「寄せすぎ寄せすぎ。タオル取れるから」
万札を自身の胸で挟みたいだけなのか?でもそれだったら貸してくれ、で済むはずだ。ていうかタオル一枚で動くのは止してほしい。
「そうなったらまずいよね、とりあえず大事なとこ隠さないと。あ、そんな時三万円あれば」
「ネタに使いたいだけだろ」
「……」
ほんとに、考えることが幼稚だ。まさかそんなしょうもないことに万札を使おうと思ったのだろうか。だとしたら俺は今日一日振り回されたのはなんだったんだ。
「ほら、分かったなら着替えてこい、風邪ひくから」
「ちぇー。」
ようやく懲りたのか、妹は渋々と自室へと戻って行った。
ふう……なんだか今日はやけに疲れた。勉強だって集中して出来なかったし、息抜きの散歩だって結局邪魔をされてしまった。せっかくの日曜日だってのに、ロクに休めやしない。
「……寝よ」
大きく伸びをしたあとテレビを消して、俺も自室に戻ることにした。
自室に戻り、どっとため息をつく。気付けばもう夜だなんて、なんて虚しい休日なんだ。
「はぁー、やっと寝たか。もうほんと、しつこかったなぁ。なんだったんだろ、一体。しかし、そんなことはどうでもいいんだ。以前から欲しかったハードが、数量限定で売ってるんだ。この日のために、どれだけコツコツと貯めたことか。さあ、早速注文しよう。ってあれ、マウスが動かないぞ?なんでだ?あ、電池がないっ。これはまずいでしょ、今から買いに行ってたら、絶対逃す。ああ、そんなことしているうちに、三つ、二つ、ああ……最後の一つが、マジか。もう二度と手に入らないってのに、なんてこった」
妹の要求を呑まなかった天罰だろうか。いやしかし、どう考えたって俺は悪くない。訳も話さず大金を要求してくる方がどうかしているし、断れば脱ぐなんてヤクザ紛いの脅しをしてくるし、どうしたら正解なのかこちらが聞きたい。
しかし今となっては、この三万円は使い道は今のところ予定なし。欲しかったハードはもう手に入らない。これのためにコツコツと貯めてきたのに、一瞬で無駄になってしまった。
「おい、起きてるか」
「……ん。え、お兄ちゃん?」
皆が寝静まった中、俺は妹の部屋を尋ねていた。寝かけていたのか妹は重そうな瞼をこすりながら俺を見て目を丸くしていた。
「ほら、これ、やるよ」
「え、何これ。って、ブタちゃんじゃん、どうしたの?」
差し出したのは、今回の元となったブタちゃん貯金箱。それを妹にヒョイ、と投げ渡すと、また目を丸くして貯金箱と俺を交互に見た。
「いや、その、なんていうか、きっとあれだよな、買いたいものはあるけど言えないんだよな。悪かったよう、察せなくて。それ、好きに使えよ。じゃあ、おやすみ」
ひとまず使い道が無くなった以上、意地を張ってブタちゃんを守る理由は無くなった。確かに大金ではあるが、それほどまでに求めてくるのは何か理由があってのことだろう。
妹には妹の事情がある。それをズカズカと聞き掘るのもよく考えれば関心しない。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「……なんだよ」
「私も、悪かった、ごめんね。しつこく言ってたから、気を悪くさせたよね」
「お前……」
さっきまでのグイグイきた姿勢が嘘のように、妹は笑顔で頭を下げていた。ほら、俺の妹はこんなに可愛いじゃないか、妹に頼られて気分を悪くするなんてよくよく考えてみればおかしな話なんだ。痛い出費ではあるが、妹の笑顔を見れたならそれで
「でもね、お兄ちゃん」
「ん?」
「こんなことなら、まどろっこしいことさせんなよって言ってもいいかな?」
「俺の善意返せ」
やはり妹は可愛くなかった。
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その翌日の朝、リビングではいつものように家族が朝食を摂っていた。いち早く朝食を済ませた親父が「行ってくる」と席を立つと、それに気づいた妹が待って、と親父に何かを渡したようだ。
「お父さん、はいこれっ!プレゼント」
「おっ?おお!?なんだこれは!立派な腕時計じゃないか」
「えへへ。今日さ、父の日でしょ?お父さん、時計壊れちゃって困ってたじゃない、だから、それにしたの。どう?」
「どうってお前、そりゃ嬉しいさ。でもどうしたんだこれ、安いもんじゃないだろ」
「あー、それ実はね」
思わせぶりに、妹は口を濁らせ俺の方を見た。
「(お?俺のこと言うのかな)」
しかし。
「お小遣いをコツコツ貯めてたんだー」
「(……なにィィィィィィ!!!??)」
そんな大ウソを、彼女は一片の迷いもなく言い放ったのだ。
「おお、そうかそうか。お前は本当に良い子だな。父さん嬉しいよ」
「お兄ちゃんは、今年もお父さんに何もあげないの?」
「え?」
目の前の事態に呆気にとられて、妹に声を掛けられ俺は思わずきょどってしまう。言葉を探していると先に言葉を発したのはなんと親父だった。
「まったくお前も、何かくれとは言わんが、もう少し見習ったらどうだ」
「え、え、え」
まさかの奇襲。これには言葉を失ってしまう。
しかし、悪夢はそれだけではない。
「ゲームばっかやってて、受験は大丈夫なの?あんた」
「え、え、え、え」
キッチンで後片付けをしていたお袋からも、痛い攻撃。
なんだ、一体何がどうなっている?
そんな中、妹は変わらず笑顔で。
「お兄ちゃん、ほんとダメだよね」
「ちょっと表出ろ」
終わり。
ひとまず書き終えました。
まあもともと台詞だけで完成させていたものだったので、ラノベ形式として投稿には時間は掛かりませんでした。
自分は作品を書き出すとなかなか思うように事が進まず、グダグダと長くなるので今回のは珍しく短編として出すことが出来ました。
今回の話は、実の妹をモデルにしたところがあります。
まあ実際はあんなアクティブではありませんが、家族の男性陣を上手く使うことには長けてらっしゃいます。
それを大袈裟に書いたのが今回の妹となっております。
改めてみると女の方って強いですね、特に妹。怖いわほんま。
まあうん、この辺で。
ネギ田でした。