第1節「忘れていた過去の片鱗/その1」
オープンしたてのショッピングモールの店内で、11才ぐらいの男の子が高らかに笑い声を上げる。
「フワァーハッハッハーッ! フワァーハッハッハーッ!」
その奇妙な笑い方は、心の底から笑っているのではない。
ごっこ遊び的な意味での笑い方である。
それを証明するように身体には、オモチャの銃と交通整理に使われる赤色LEDライトの誘導棒。全身黒一色の衣服に金メッキのバッジがあちこちに貼り付けられている。また彩りと付けるためか、首元で縛り付けられた深緑色の風呂敷と顔を隠すために作られた輪ゴム製の耳止めがついた赤い手作りマスクを身につけていた。
少年はそうした服装をカッコいいと思っている。
だからこそ、沸き上がる高揚感に気分を良くして、自らをヒーローと語ることができた。
「俺はこの世界で唯一世界を救えるヒーローッ――その名も『バッドアイズ』様だ!」
直訳すれば、「悪い目」――少年はそのことを理解していない。
正義のヒーローなのに「悪い目」とは、いったいいかなるモノなのか? そのことを議論してもなんら意味もなく、ただ語呂の良さで決められた名なのだということはすぐに理解できる。
しかし、少年はその名を「自分という正義のヒーローにふさわしい名前だ」と思い込んでいた。
「みんな騙されるな。このショッピングモールは悪の秘密結社『みっどないと』の秘密基地だ――俺がいまからやっつけるっ!」
と大声で宣言して、ショッピングモールの中を走って行く。
もちろん、そうした行動が周囲の人々の好奇に満ちた視線を集めないわけがない。しかし、少年は知ってか知らずか、その視線を「自分に対する関心」と受け取って見ていた。
さらに格好良く見せようと両腕を翼のように広げて店内を駆け抜ける。
吹き抜けになった店内は、身体の小さな少年が両端を往復するのに10分はかかる巨大だった。その中には様々な店舗があり、靴、衣服、スポーツ用品、最上階に上がると映画館が備えられていた。
どうやら、少年の目的はその映画館にあったらしい。
息を上げながらも、嬉々とした様子でエスカレーターを駆け上がっていく――が、あまりにも急ぎすぎたために3回のエントランスのところでこけてしまった。
「大丈夫?」
とっさに清掃員らしいおばさんに声を掛けられる。
少年は両手と両膝の痛みに堪えながらも、「大丈夫」と短い言葉で返答して見せた。それから、歯を食いしばって起き上がり、再び4階にある映画館を目指す。
そうしてたどり着いた4階――すぐさま少年は映画館に向かって走り出した。
ところがその道すがら、向かい側から背の低い女の子が泣きながら歩いてくるのを目にする。
一度は映画見たさに無視を決め込もうと思ったものの、通りすがりざまに見た女の子の泣き顔がどうにも我慢できなかったらしい。
50メートルほど歩いたところで立ち止まり、クルリと反転して女の子の方へと向かう。
そして、近くまで寄っていくと優しく声を掛けた。
「なあ、どうしたんだよ?」
少年の声に泣いていた女の子もさすがに気付いたらしい。
とぼとぼと歩く足を止め、うつむけていた顔を少年の方へと差し向ける。すぐさま愛らしい顔が露わになり、うっすらと流れる涙も相まって少年の心を鷲掴みにした。
息もつかせぬ容姿は、まさしく天使という言葉がピッタリな美少女である。
少年はそのサンディブロンドの髪の女の子に見て顔を真っ赤にした。しかし、すぐにハッとなって泣いている理由を再び問い質した。
「な、な、なんで泣いてんだよ!」
「……ひっく……ひっく……どなたですの……?」
「どなた? 決まってんだろ、俺様は見ての通りの正義のヒーローだ」
「……ヒーロー……?」
「ああ、絶対ヒーロー『バッドアイズ』だ。だから、困ってるヤツのことなんか放っておけない――たとえ見たい映画があってもだ」
「映画が見たかったんですの?」
「そ、そりゃあ見たかったけどさ……」
女の子の虚を突くような質問にたじろぐ友紘。
もちろん、本音は映画が見たくて見たくてしょうがなかった。しかし、ヒーローを称する以上、泣いていた女の子を放っておくワケにもいかず、正義感から助けることにしたのである。
「……ひっく、ひっく……わたくしは平気ですわ。どうぞアナタの見たい映画を見てきてくださいませ」
「んなワケにはいかねえよ。泣いている女の子を放っておくなんて、正義のヒーローがすることじゃねえもん!」
「大丈夫ですわ。わたくしもお屋敷に電話して、ちゃんと帰りますから」
「そんなこと言ったってよぉ……」
困惑の表情を浮かべる少年。
未だに泣き止もうとしない姿を見せられて、黙って立ち去るという選択肢はありえなかった。それどころか、後ろ髪に引かれる思いがして、映画を見たいという気持ちを完全に抑え込んでいた。
「お嬢様!」
そんなとき、どこからともなく若い男の声が聞こえてくる。
少年が声の聞こえてきた方角を見ると、黒ずくめにサングラスをした如何にも怪しい2人組の男がこちらに向かってやってきていた。
それを見るなり、少年は女の子の方を振り返る。
すると、女の子は強張った表情を見せていた。
明らかに男たちを見て、恐怖を感じている様子がうかがえた。少年はその様子から女の子が何らかの事情で男たちに追われているのだと言うことを悟った。少なくとも、「わたくし」という口調や来ている服から相当なお金持ちなのだということを察することができた。
つまり、女の子はどこかのお金持ちの子で誘拐されそうになっている。少年はそう判断して、「逃げろ」という叫び声と共に女の子の手を引っ張った。
「あっ、コラ待て!」
男の追いすがる声が聞こえてくる。
しかし、それでも少年は止まるわけにはいかなかった。止まってしまえば、女の子があの2人組に捕まってしまうだろう。
(きっとテロリスト集団のヤツらに違いない!)
少年はその結論にいたり、だだっ広いショッピングモールの中をひたすら走った。4階から3階へ、3階から2階へ、別のエスカレーターを使って2階から3階へと上がるという行為を繰り返す。
そうして、男たちを攪乱する動きを続け、少年は当初目的の映画館の前にたどり着いた。しかし、その頃にはかなり息が上がっており、これ以上走り続けるのは無理なように思えた。
「どうしよう……。どこかに隠れないと」
女の子のみを案じ、周囲に隠れる場所はないかと探す。
すると、映画館の出入口左側に大きなモヤイ像のモニュメントが置かれていることに気付く。しかも、土台の裏側は子供が入れる隙間があり、男たちが左右どちらの通路から来ても見ない位置にあった。
「あれだ!」
少年はとっさに叫び声を上げ、女の子を連れてモヤイ像の後ろ側へと移動した。
そして、通路側から完全に死角になったことを確認するなり、
「……いいか? 俺様が大丈夫っていうまで絶対に動くなよ?」
と言って、女の子をモヤイ像の裏側に隠した。
同時に自分が男たちをやっつけようと腰に帯びた誘導棒に手を掛ける。ところがモヤイ像の裏側から出ようとした途端、女の子にズボンの後ろポケットのあたりを引っ張られた。
少年は振り返り、心配そうに見つめる女の子に語りかけた。
「心配すんな。アイツらは、俺が懲らしめてやる!」
「あ、あ、あの……」
「なんだよ、まだなにかあんのか? つーかさ、オマエってアイツらに追われてるんだろ?」
「そうではなくて」
「はぁ~もうっ……いいから、黙って俺様の言うとおりにしろ」
そう言った直後、男たちの話し声が聞こえてくる。
どうやら、モヤイ像の前にいるらしい。「見つかったか?」とか「いったいどこに……」という探し回っている風の言葉が聴いて取れる。
少年はその話し声に「いまなら倒すチャンスかもしれない」と思った。
すぐさま台座の上に飛び乗り、モヤイ像の前に出て男たちに向かって語りかける。
「よく聞けっ、この悪党ども」
「あっ、オマエはさっきのガキ!」
「ガキじゃない――俺様の名前は正義のヒーロー『バッドアイズ』様だ!」
と言って、お得意の決めポーズをしてみせる。
(これこそが正義のヒーロー!)
少年はそう思い、心の中で決めポーズが決まったことを自画自賛した。
さらに男たちに向かって、その卑劣さを説教してみせる。
「か弱い女の子を誘拐して、お金をだまし取ろうなんて言語道断!」
「な、なに言ってんだ? このガキは……?」
「いいから、とっととお嬢様を探そうぜ」
「ええいっ、オマエらこそなに言ってんのか、よくわかんねえけど……。とにかく女の子を誘拐しようだなんて、このバッドアイズ様の目が黒いうちは許しちゃおかねえぜ!」
刹那、少年が腰に帯びた誘導棒を手に取った。
そして、銅像から飛び降りて男たちに立ち向かっていこうとする――が、なぜかそこで周囲がボヤけて、徐々に暗転し始めた。
少年は驚きおののき、
「おいっ、悪党どもどこだ!」
と叫んだ。
しかし、悪党たちの姿はどこにもない。それどころか、モヤイ像もモヤイ像の後ろに隠した女の子の姿もなくなっている。
少年は周囲のおかしな様子にようやくこれが『夢』であることに気付かされた。
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「おはよう、槻谷」
ボンヤリとする頭でそんな声を耳にする。
友紘が右に目をやると、数学教師がニッコリとした笑顔を差し向けていた。
「――いま、なんの時間だ?」
「えっと、たぶん数学の時間です」
「よぉ~し、じゃあ早速黒板の問題を解いてみよう!」
「ふぁ~い…………えっ!?」
そこで友紘は自分が寝ていたことに気付かされた。
あたりに目を配ると、いつのまにかクラスメイトの視線がこちらに向けられている。友紘は自分が置かれている現状を知り、気恥ずかしさを誤魔化すように数学教師に向かって笑ってみせた。
途端に授業終了のチャイムが鳴る。
数学教師はチャイムを聞くなり、友紘の元を離れていった。そして、ずっと立っていたであろう教壇へと戻り、締めの挨拶を言い始める。
「では、今日はここまで。来週は小テストをやるから、今日やった部分を予習しておくこと」
数学教師の挨拶に続き、日直が号令を掛ける。
ようやく数学の時間が終わった。しかし、友紘にはその記憶はいっさいなく、ただ自分は夢の中で見ていたモノをどうにか思い出そうとしていた。
(あれって、山吹さんだよね……?)
よく聞き慣れた口調――同時に昔聞いたことのある話し方。
夢の中の女の子は、間違いなく颯夏だった。そのことを思い出し、友紘は「なぜいままで思い出せなかったのか」ということを悔いた。
なにせ、絶賛喧嘩中である。
もっと早く思い出していていれば、颯夏がなにを言いたかったのかがわかったかもしれない。友紘はその念に駆られ、どうにかして颯夏との関係を元に戻さなければと思った。
「――槻谷、ちょっといいか?」
不意に誰かが話しかけてくる。
顔を上げる見てみると、祐鶴が残念そうな目で見ていた。どうもさきほどの数学教師とのやりとりを見ていたのか、情けなさそうに左手を額に当て溜息をついている。
しかし、友紘にはその意味がわからなかったらしい。
祐鶴の仕草を無視して用事を聞こうとしていた。
「なあに委員長」
「『と・ど・り』だ――頼むから、いい加減覚えてくれ」
「あ~もうわかったから、早く用事を教えてよ」
「実はオマエにちょっと話しておきたいことがあるんだ」
「……話しておきたいこと?」
「ここでは少し話しづらい。済まないんだが、場所を移してもらっても構わないだろうか?」
「いいよ、別に」
いったいなんの話だろう?
友紘は首を傾げつつも、祐鶴の後について教室を出て行った。




