第1節「ねんがんのアイメットをてにいれたぞ!/その1」
アイメットの発表があったあの日――
友紘は交通事故に巻き込まれた。
浮かれていた……といえば、もっともらしい事故原因になるだろう。
前方不注意のうえ信号無視の状態で横断歩道を渡り、気付いたときには右方向から来た軽自動車とぶつかってしまったのだ。
幸いにも怪我は右手と左足の全治5ヶ月の骨折で済んだ――が、その身は長らく病院のベッドの上に置かれることとなった。
おかげでアイメットを買ってエタファンをプレイすることができなかった。さらに言えば、妹の光紗姫や親友である竹中泰史に先を越されるという悔しい思いもしたのである。
(あぁ~もうっ! 腹が立つったらありゃしない!)
友紘はそう思いながらも5ヶ月間の日々を過ごした。
そして、完全復帰した現在。
悶々とした病院生活とは打って変わり、浮かれ気分で念願のエターナルファンタズムを購入したことを学校で鼻歌まじりに顔をほころばせる――はずだった。
ところが描いていた青写真通りにはいかず、友紘はイスに座って深い溜息をついていた。
その姿はまるでスランプに陥った作家のようである。
しかも、周囲に「何事?」と感じさせるような陰鬱な空気が漂っている。さすがにそうした雰囲気をさしてか、中休みになって泰史が心配そうな表情で近寄ってきた。
「おい、友紘。そんな暗い顔していったいどうしたんだ?」
「やあ竹中君……今日も大雨でイヤな気分になるね」
「外、めっさ晴れてんぞ」
「ああなんだか今日は早退したい気分だ」
「――なあ医者行くか?」
「いや、大丈夫。どこも悪くないから」
「んじゃ、なんだっていうんだよ?」
「実はそれが……」
「なんだよ! もったいぶってねえでさっさ言えよ」
「エタファンを買ってもらえなかったんだ」
と友紘が言った瞬間、泰史が後ろに腰を引いて驚いた。
「オマ……まだ買ってもらってなかったのかよ」
「俺の入院で出費がかさんだんだってさ……さすがに懇願しても『怪我をしたのは誰』の一言であしらわれちまったよ」
「あぁ~あ、なんてザマだよ」
「面目ない」
陰鬱な気分がさらに友紘の心を暗くする。
その間にも先にエターナルファンタズムを始めた実妹である光紗姫と目の前の悪友竹中泰史は発売当日に始めて、もうすでにレベルキャップ30に到達しているという。
それを考えただけで、友紘はもう立ち直れそうになかった。
「なあ金貸してやろうか?」
「いや、いい。オマエに借りると高い利子つくからな」
「しねえよ。つか、友紘が始めてくれねえと色々クエストとかミッションとかやりたいこともできねえんだってば」
「そんなのコミュニティのヤツに頼めよ。光紗姫だっているだろ……ってか、自分の為かよ」
「いいじゃん、別に。それにまあ光紗姫ちゃんはねぇ……」
「あ? どうかしたか?」
「んいや。実は光紗姫ちゃんはなんか時々コミュニティにいないんだわ。で、よくよく話聞いたら別のコミュニティにも入ってるらしくて、頼める雰囲気じゃねえんだよなぁ~」
「はぁっ!? アイツ、別のコミュニティにも入ってんの!」
初耳だった。
友紘は光紗姫からゲーム内の様子をしょっちゅう聞かされているが、どこどこの誰々のコミュニティに入ってるなんて聞いたことがなかった。
むしろ、泰史と同じコミュニティでずっとプレイしているのだと思っていたぐらいだ。
それだけに光紗姫が自発的に知り合いのいないコミュニティに入ったことは驚きだったのである。
感心するように泰史の前でつぶやく
「……光紗姫がねえ……」
「なっ、意外だろ?」
「いや、まあアイツもエタファン1をやってた頃と違って、もう中学生っていう難しい年頃だからさ……わかんなくもねえよ」
「なんだぁ? 急に兄貴面しやがって」
「だから、アイツも俺たちに頼らず仲間作って1人でプレイしたくなったんじゃねえのかってことだよ」
「んまあ、そりゃあり得なくもない話だが……」
「そう考えると光紗姫もガキじゃねえんだなぁ~ってしみじみと思っちまうわけよ」
「――けど、肝心のオマエさんはエタファン始められねえんだろ?」
「……言ってくれるなよ……」
泰史の一言に友紘は悲しくなった。
確かに事故ったのは自分である――
友紘もその認識はあった。しかし、それが元でお金がなくなったからと言って、買ってもらえないのは子供ながらに親は鬼か悪魔かと思ってしまった。
実際、友紘は母親から、
「金もないのにどうするの! 骨折したアンタが悪いんだから、しばらくゲームを買うのなんてやめなさい」
と言われた。
もちろん、それに対して「光紗姫に買ってなんで俺は駄目なんだ」と反論した。ところがどこの母親も言いそうな一言で言いくるめられてしまったのである。
「アンタ、お兄ちゃんでしょ? 少しぐらい我慢しなさいっ!」
当然、友紘の心はやりきれなさで一杯になった。
「なんだよ、お兄ちゃんって! 兄貴が我慢しなきゃいけない法律なんてあんのか、あのクソBBA!」
と暴言を吐き、イライラからおもわず光紗姫に八つ当たりしてしまう。
もちろん、そうした事柄が露見しないはずがない。すぐに光紗姫の告げ口によって、友紘の行いは母親の耳に入ることとなった。
結局、それが元で今の今までエターナルファンタズムⅡをプレイできずにいる。
友紘は自らの行いを後悔しつつも、母親に頭を下げて請うこともできず、ただ怒りが静まるのを待つしかななかったのである。
ふと教室の前扉のあたりが騒がしくなっていることに気付く。
「おはようございます、颯夏様」
「おはよう」
「おはよ~颯夏ちゃん」
「湯木さん、おはようございます。今日もとてもお元気でいらっしゃるのね」
と女子の賑やかな話し声が耳に入ってくる。
友紘にはそれが誰なのかすぐにわかった。
同じクラスの花である山吹颯夏である。
総合電機メーカー山吹ホールディングスの会長令嬢で生粋のお嬢様。
登下校は車で帰るのが当たり前で、聞くところによると私生活ではメイドや執事を従わせるリッチな生活を送っているらしい。さらには男女問わず交友があり、仲良くなった人間は屋敷に招かれて豪華な食事にありつけるというもっぱらの噂だ。
まさに世は格差社会――
あまつさえ友紘にとってはアイメットとエターナルファンタズムⅡを買ってもらえない状況である。いつも思う「うらやましい」という感情を通り越して、妬ましいとすら思えた。
そんなとき、エターナルファンタズムのメインテーマが鳴り響いた。それは友紘のケータイに設定された着信音で電話が鳴っている合図でもあった。
すぐさまポケットからケータイを取り出し、ボタンを押して受話器の部分を耳に押し当てる。
「もしもし……?」
『あ、お兄ちゃん?」
相手は光紗姫だった。
友紘は相手をするのも面倒くさそうに光紗姫に問いかけた。
「なんだ、オマエ。もうすぐ授業始まる時間だぞ?」
『――わかってるよ。それよりも凄いよっ、朗報だよ!』
「どうせエタファン関連の情報だろ。んなの、帰ってからにしろよ」
『違うよぉ~。今朝にぃたのために頑張ってお母さんを拝み倒したら、お兄ちゃんの分のアイメットとエタファン買ってくれることになったってのに……』
「な、なんだってーッ!!」
おもわずその場で飛び上がる――
それぐらい友紘にとってビックリする出来事だった。
(おお、スゲーぞ我が妹よ! なんてできるヤツなんだ。しかも、あの強情で分からず屋のBBAを拝み倒して買ってくれるよう頼み込むなんて、まさに光紗姫様々だぜ)
などと心の中で兄としての体裁を忘れ、光紗姫を拝む友紘。
『お兄ちゃん』という名詞を『にぃた』と呼んで親しむ妹を時折煩わしく思うこともある。しかし、それで嫌いだというワケではなく、むしろシスコンと言われて仕方が無いほど可愛がっていた。
それだけに友紘の感謝の現し方は、兄妹に対する敬愛を越えたなにかと言って差し支えないモノであった。
「うわぁぁぁ~ありがとっ、ありがとぉ~! 光紗姫ぃ~光紗姫ぃ~っ!!」
『ふふんっ、アタシにぃたのためにガンバったんだから感謝してよね』
「いやぁデキのいい妹を持ってお兄ちゃんはホントにうれしいよ」
『じゃあアタシのクエストの手伝いよろしくっ』
「へ?」
『そのためににぃたの分のアイメットをお願いしたんじゃない。にぃたにとっても悪くない話なんだし、アタシに対する報酬ぐらいあってもいいよね!』
「い、いやそれはわかるが……てか、オマエ泰史と別のコミュニティ入ったんだって? そっちの連中に手伝ってもらえよ」
『それはそれ、これはこれ――ねっ!』
「……オマエ、兄ちゃんをなんだと思ってるんだ」
『尊敬するお兄ちゃん?』
「疑問符を付けて言うなよ……」
訂正――
どうやら、友紘の愛は一方通行だったらしい。
それでも買ってもらえるように嘆願してくれたことを感謝し、友紘は改めて光紗姫に礼を言った。
「とにかくあのBBAを説得してくれたことは感謝するよ」
『あ、そんなババアとか言ってるとお母さんに言っちゃうよぉ~?』
「悪かった。お母さんね、お母さん」
『うむ、わかればよろしい――というわけで、アタシのクエストの手伝いよろしくね』
「約束は果たすよ。とりあえず、まずは買ってもらわないとな」
『――帰ってからなにか言われるんじゃない?』
「いまはそれを期待しておくよ」
そう言って、友紘は通話を終えた。
すると、交代するかのごとく泰史が話しかけてくる。
「光紗姫ちゃん、なんだって?」
会話の内容が気になるのだろう。
友紘は光紗姫同様にクエストを手伝って欲しいと懇願する親友にもたらされた朗報を説明して見せた。
「俺のアイメットとエタファン買えることになった」
「おおっ、ソイツは結構なことじゃねえか――で、いつ頃買えそうなんだ?」
「まだわかんねえよ。とりあえず、帰宅してBBAに聞いてみねえと」
「いずれにしてもだ、これでオマエさんもようやくプレイできるんだからよかったじゃねえか」
「そうだな」
とはいえ、まだ決まったわけではない。
友紘は一刻も早く母親と相談して、アイメットとエターナルファンタズムを買ってもらえるようにせねばと考えた。