第8節「悪劣なオーナーと招かざる客/その2」(11/09一部修正)
「にぃーた、はやくはやく!」
と、一足先に改札を出た童顔の中学生とおぼしき少女が兄をせかす。
なにかを急いでいるのか、耳の裏側あたりから肩口に向かって流れる栗色のツインテールが激しく揺らして呼び掛けている。
「んなに慌てなくても、大丈夫だってーの」
そんな呼びかけに応じた兄と呼ばれた少年、槻谷友紘はゆっくりとした足取りで、電子マネーをかざして自動改札機を抜けた。
先導する光紗姫が急いでいるのは、これから行われる初体験の出来事を楽しみにしていると言うことだろう。集合時間10分前にもかかわらず、友紘の手を引っ張って「先へ、先へ」と行こうとしている。
友紘がやってきたのは、学校からも、自宅からも、都内のとある駅だった。なぜそんなところへやってきたのかと言えば、告知されていたオフ会が開催されるからである。
開催場所は、この近隣にあるファミレスだ。
そんな理由があり、事前に聞かされていた「東口集合」の告知に応じてやってきた。にもかかわらず、東口の出口付近にはそれらしき人物が見当たらない。
混雑しているからという理由もある。
流れゆく人の波は、とめどなく友紘の周囲を行き交っていく。そんな中での人探しは、わずかばかり方向感覚を狂わされ、探すことを困難にさせられた。
それでも友紘は目をよく凝らして、見知った顔がいないかを確かめた。
数秒後。
なんとか10メートル前方の柱の陰でたたずむ泰史の姿を見つける。スマホをいじっているのか、こちらの存在にはまったく気付いていなかった。
ゆっくりと近づきながら、声を張り上げる。
「おーい、泰史」
すると、その声に気付いた泰史が顔を上げる。
いじっていたスマホをズボンのポケットにしまい、こちらに向かって手を振り始めた。友紘は光紗姫と一緒に泰史の目の前まで行くと「お疲れ」と一言声を掛けた。
とっさに泰史から返事をかえされる。
「遅かったじゃねえか」
「オマエが早すぎるんだよ」
「いやぁ~昨日ロブガニ狩りがはかどっちまってな。それでその流れてきたら、なんか早く来過ぎちまったんだよ」
「そのままって……。もしかして、オマエ徹夜か?」
「ご名答!」
「……はぁ~まったくなにやってんだよ。途中で寝落ちなんて勘弁してくれ」
「大丈夫、大丈夫。明日も休みだしな、連休様々だぜ」
「不安以外の何者もないんだが……」
「ところで山吹さんは一緒じゃないのか?」
「山吹さん? なんか支度に時間かかるから、先に行っててくれって電話あった」
「さすがお嬢様。きっと品も風格も、俺らとは違う格好で来るんだろうねぇ~」
「あのな、オマエがそれを言うか」
「えっ、なんでさ?」
「自分の格好をよく見てみろ」
友紘はそう言うと、泰史の衣服を下から上へと昇るように一瞥した。
紺色のジーンズにデニムジャケット、ジャケットの中のシャツも青色のデニム地で、おまけに被っている帽子までデニム生地でできている。
「なにもそこまで揃えなくてもいいのに」という装いは、友紘にある一言を口にさせた。
「オマエの格、さながらデニムマンじゃん」
「デニムマンってなんだよ……。そういう友紘だって、人のこと言えないだろ?」
「は? どこが……?」
その指摘にすかさず自分の服装を確かめる。
黒い革ズボン、黒いジャケット、中のワイシャツも真っ黒でまるで「黒の申し子」と言わんばかりぐらいに全身黒一色に染まりきっている。
(この格好のどこにスキがあるんだよ。むしろ、自分で「カッコいい」と見惚れちまうぐらいじゃん)
友紘はそう思って、自分のファッションセンスのよさを確信しきっていた。しかし、その自信を裏返すかのように泰史からは溜息が漏れている。
友紘はそのことにムッとして、泰史に不満をぶちまけた。
「な、なんだよっ!? その溜息は……?」
「……あのなぁ~。どこぞのラノベの主人公じゃねえんだから、黒一色っつーのはねえだろ」
「泰史だって、青一色だろ?」
「違いますぅ~俺は通気性や機能性も考えてデニムなんですぅ~!」
「はあぁ~っ!? なにが通気性やら機能性だよ。俺なんかな、目立つためだけにこだわって黒にしてんだぜ」
「それのどこがいいって言うんだよ?」
「決まってんだろ? もしかしたら、通りすがりのカワイイ女の子に『きゃっ、あの子超カッコよくない?』とか言われちゃったりしたときの為だよ!」
「ありねぇー。オマエさ、ホントに自分のセンスいいと思ってるわけ?」
「オマエこそ、自分の方がセンス上だとか思ってんだろ?」
「おおうっ、そこまで言うなら光紗姫ちゃんに俺たちのどっちがセンスが上か聞いてみようじゃないか」
「望むところだ!」
唐突にけしかけられた服装対決に名乗りを上げる友紘。
とっさに光紗姫の方を振り返り、
「というだけで、光紗姫。俺と泰史、どっちがカッコイイと思う?」
と問いかける。
それに対して、光紗姫は悩むそぶりを見せていた。
「そう言われてもなぁ~。個人的には、にぃーたを応援したいけど……」
と唸り声を上げて、2人の間で視線を往き来させている。
友紘は曖昧な表情を見せる妹を勘繰り、「なあ、どうなんだ?」と訊ねた。
しばらくして、人差し指を下唇に当てた光紗姫が口を開いた。
「う~ん、どっちもどっちだなぁ~」
「……どっちもどっちって、どういう意味なんだよ?」
「つまり、どっちもダサいってこと」
「えっ!? そ、それって、兄ちゃんも泰史もダサいって意味なのか?」
「うん、ハッキリ言ってダサい! 前から思ってたけど、にぃーたも、泰ちゃんも、まったくファッションセンスないよね」
「……なん……だと……?」
思わぬ返答に絶句し、友紘はその場に崩れた。
だが、そんな気持ちは1人だけじゃなかったらしい。次の瞬間、相対していた泰史までもが両手を突いてその場にうなだれた。
「ようやくわかったぜ、相棒」
「……泰史……」
「俺たち、ダサいんだな」
「せめて世の中が悪しき巨人族たちと戦う世界ならば……」
「言い訳はよせ! 俺のセンスはこの世ではなんの役にも立ちゃあしねえんだ」
「くそぉーっ!!」
衆人環視の中、友紘は両方の握り拳をコンクリートの地面に叩き付ける。
「ちょっと! にぃーたってば、こんなところで恥ずかしい真似はやめて!」
その様相があまりにも恥ずかしいモノだったのだろう――突然、光紗姫が慌てた様子で駆け寄ってきて、右腕を引っ張っていた。
しかし、そんなことなどお構いなし。
友紘は光紗姫の顔を見ながら、こうなったことを諦めるように促した。
「光紗姫、俺たちはどうやらリアルに生きちゃいけない人種らしい」
「だ・か・らっ!! 私までヘンな目で見られちゃうじゃない、もうっ!」
「いいじゃないか。兄妹水入らず、このまま注目の的になろうぜ?」
「やめてぇーっ!!」
途端に悲痛な叫びが上がる。
自暴自棄の友紘に対して、光紗姫は目を閉じてとてもイヤそうな顔つきで頭を抑えていた。さすがにこうなっては、誰もが「なにかの演劇か?」と思って足を止めないワケがない。
友紘は周囲を見回して、
「……ああ、なんかこんな事。前にもあった気がする」
とボソリとつぶやいた。
混沌とした人の中、突然こちらを呼び掛ける声が聞こえてくる。
友紘が顔を起こしてロータリーの方を見てみると、1台のセダン型のベンツから颯夏が手を振りながら降車してくるのが見えた。
その側には、執事とおぼしき白髪の男性が後部座席の扉を押さえている。
今日はいつもの制服姿ではないせいか、友紘の目には一段とお嬢様らしく映って見えた。
王族のドレスのような白いワンピースにピンクのカーディガンが清楚さを現し、左の肩口から大河のように流れる三つ編みの髪も相まって、その美しさを高めている。
また首に掛かるティファニーのネックレス、コーチのショルダーバッグ、ニナリッチの腕時計といった小物が周囲の人間とは別格であることを現していた。
気付けば、いつのまにか人々の視線も颯夏の方へと移っている。
友紘も1人だけまったく違うオーラを放つ颯夏にあんぐりと口を開けて驚かされていた。
なにせ颯夏がお嬢様だと知り得るのは、学校でも登下校は車で送迎というぐらいだからである。先日、エターナルファンタズムⅡの開発・運営会社を買収したことがあったが、それにしたって眉唾物だ。
その意味で、颯夏の格好は改めてお嬢様であることを知らしめていた。
「うわぁ~! もしかして、オリエさんですかっ!?」
そう声を上げたのは、友紘の腕を押さえていた光紗姫だった。
目で追うと颯夏の元に駆け寄って、「キャッキャ」と騒ぎ始めている。しかも、まだ出会ったばかりだというのに仲睦まじく両手を折り重ねていた。
友紘は2人の姿を観察しながらも、ようやく自分たちが衆目の的になっている事に気付かされた。
慌てて泰史に向かって話しかける。
「な、なあ……。そろそろ移動しようぜ」
「それがいいかもな」
「んじゃ、光紗姫と山吹さんを連れて移動だね」
友紘はそう言って、楽しげに話す2人の元へ近づいていった。
それから、2人の手を無理矢理引っ張ってロータリーの外へと連れ出した。
「ど、どうしましたの……?」
その半途、颯夏に真意を問われる。
友紘は手短に説明を済ませると、改めて隣接する道路の側にメンバーを集めた。
「……はぁ~ここまで来れば大丈夫かな?」
チラリと対面の駅の中を覗き見る。
多少の人々が未だにこちらを眺めているらしかったが、それほど気になるモノではなかった。
友紘は一呼吸すると、改めて颯夏を出迎える言葉を述べた。
「……えっと。山吹さん、いらっしゃい」
「ごきげんよう、槻谷君」
「来て早々、なんか色々グダグダでゴメンね」
「いえ、お気になさらず。わたくしも来たばかりだったので、なにがなんだかわかりませんでしたもの」
「……うん、まあそれならいいんだけどさ」
(……ホントは山吹さんが一番目立ってたんだけどね)
おもわず友紘はそんなことを漏らしそうになった。
「なあ、モカカちゃんと夕凪さんにはどうやって連絡するんだ?」
不意に泰史がそう問いかけてくる。
友紘は、その質問にハッとなっておもわず叫んだ。
「ああ、しまったぁ~!」
今更ながら、移動してしまったことを後悔したのだろう。
顔も、本名もわからない以上、連絡のしようが無い。友紘はどうすべきかわからず、その場に立ち竦んで頭を抱え込んだ。
「なんだよ。まさか、連絡先を聞いてないんじゃねえだろうな?」
「スマン、その通りだ」
「マジかよ。どーすんだよ?」
「……どうするって……そりゃあ……どうしよう……?」
と半ば諦めた顔つきで言う。
すると、途端に泰史が溜息を付ながらうなだれた。
もうどうにもならないと思ったのだろう。さすがの友紘もそんな顔をされたら、なにか打開策を講じなくてはならない。
その覚悟から、ある提案を持って解決することにする。
「わかったよ。俺が駅で2人らしき人を連れてくるから、みんなはファ――」
と言いかけた直後、背中越しに話しかけられる。
「……おい、槻谷。こんなところで、なにをしている?」
その声は、どこかで聞いたことのある声だった。
しかも、友紘のことを呼び捨てにするあたり割と身近にいる存在のように思える。そうした考えから、友紘は振り返って声の主の顔を確かめた。
すると、そこには同じクラスの廿里祐鶴が立っていた。
「あれ? 委員長、どうしてここに……?」
友紘は思わぬ人物の登場に驚きを隠せず、ついつい聞き返してしまう。
「それを知りたいのは、私の方だ――というか、山吹に竹中までいるではないか。いったいなんの集まりなんだ……?」
「なんの集まりって、俺らはオフ会だよ」
「オ、オフ会だと……?」
「それがどうかした?」
「い、い、いやなんでもない」
と祐鶴が妙な焦りをみせる。
それがあまりにも不自然だったため、友紘はジッと目を細めて見つめ続けた。
途端に祐鶴が目線をそらす。
なにか気まずいことでもあるだろうか……?
時折、友紘の方を見ていたが、すぐに視線を戻してしまっている。
友紘は、様子のおかしい祐鶴を少しからかってみることにした。
「あれぇ~? おかしいぞぉ~?」
「な、なにがだっ!」
「委員長はゲームをやらないって言ってたなのになぁ~」
「そうだ! 私はゲームなどやらんっ」
「でも、ゲームのオフ会って言った瞬間、かなり驚いてたよねぇ~?」
「…………」
「しかもさ、学校じゃ泰史に『ゲーム』雑誌のことをとやかく言ってたし」
ねちねちと纏わり付くように顔を覗き込む。
すでに祐鶴の顔は燃え盛る火のように紅潮していて、かなりの動揺を来している。友紘はその様子から、祐鶴がどうして動揺しているのかを確信した。
不意にニヤニヤとした笑みがこぼれる。
「なあ、友紘さんよ。なにか面白いことでもあったのかい?」
ふと泰史に話しかけられる。
友紘は「これは自分だけの秘密にすまい」と、すぐさま手招きをして呼び立てた。そして、目の前までやってきた泰史の耳に向かい、小さな声で確信した事実について打ち明けた。
次の瞬間、向かい合った泰史の顔が不気味な笑みにゆがむ。友紘同様、事情を知らなければ、敬遠されてしまうような笑い方である。
友紘は事情を知った泰史に同意を求めるように尋ねた。
「――なあ、泰史よ。こりゃあ、明らかに『NDK』だよな?」
「ああ、間違いなく『NDK』だ」
「……そうか。やはり、こういう場合は『NDK』的状況だよな」
と、2人にしかわからない共通の言語を並び立てる。
当然、周囲が理解できるはずがなく、謎の言葉『NDK』は不明瞭なままである。
「あの、『NDK』ってなんですの?」
故に颯夏がそう説明を請うてくるのは必然だった。
友紘は眉間に人差し指を当て、まるで眼鏡を押し上げるようにその意味を明かしてみせた。
「NDK……。つまり、『ねえ、いまどんな気持ち?』の略ッ!!」
すかさず祐鶴の左側面に立つ。
反対側にはいつのまにか泰史が立っており、友紘の動きに合わせてピョンピョンと奇妙な踊りを始めた。さらに声を合わせて、祐鶴の周りを1周する。
「「NDK! NDK!」」
友紘は面白くてしょうがなくなり、さらに追い打ちを掛けようとある一言を言い放った。
「ププププッ、祐鶴ンゴ」
「うは、ナイスネーミング!」
「さあもう一度! えぬでぃ……ふごっ!!」
――が、そんな楽しい時間は長くは続かなかった。
はやし立て、もう一度嘲笑しようとした瞬間。
祐鶴の右拳が友紘の頬にめり込んだ。まるで肉をえぐり取るかのような強烈な一撃は、友紘を後方にあったフェンスネットに倒れ込ませる。
気が付けば、友紘の胸ぐらを掴んで笑う祐鶴の顔があった。
「……そうだ。私が夕凪だ」
その声には、殺しを楽しむ殺人鬼の喜ぶ声よりも恐ろしい「なにか」があった。友紘は、祐鶴の恐ろしいまでの威圧に身体を硬直せざるえなかった。