EP 7
裸の王様と、玉座の絶望
ルナミス帝国本国、帝都の中枢にそびえ立つ白亜の宮殿。
かつては大陸の富と権力を一身に集め、数千の近衛騎士と煌びやかな貴族たちでごった返していたはずのその場所は、今や気味が悪いほどの静寂に包まれていた。
「……誰もいないわね」
警戒しながら大扉を蹴り開けたライザが、拍子抜けしたように呟く。
宮殿の内部はもぬけの殻だった。
廊下には、慌てて逃げ出した貴族たちが落としていった宝石箱や、脱ぎ捨てられた豪奢なマントが散乱している。
「みんな、私たちの炊き出し(豚汁)の匂いに誘われて、城壁の外へ行っちゃいましたからね……」
サリーが、床に落ちていた金貨を拾い上げながら苦笑した。
数万の筋肉自警団には城の周囲を包囲(という名の炊き出しパーティー)させ、僕とライザ、サリー、そしてセバスの四人だけが、深紅の絨毯が敷かれた大回廊を悠然と進んでいく。
そして、宮殿の最奥。
重厚な黄金の扉を押し開けると、そこは広大な『玉座の間』だった。
「……誰かと思えば、辺境の泥棒猫ではないか」
薄暗い玉座の間。
その一段高い場所に設えられた、宝石をちりばめた絢爛豪華な玉座。
そこに、ただ一人。
ルナミス帝国皇帝が、震える手で王笏を握りしめながら、血走った目で僕たちを睨み下ろしていた。
「よくぞここまで来たな、反逆者ども。……だが、無駄だ! 我が周囲には、姿を消した最強の暗殺部隊と、無敵の宮廷魔術師団が潜んでおる! 貴様らなど、私が指を鳴らせば一瞬で――」
「いや、いないよ」
僕は、スキル『100円ショップ』で出した【缶コーヒー(微糖)】のプルタブをプシュッと開け、一口飲みながら言った。
「な、なに……?」
「だから、誰もいないって。賢者君の生体スキャンでも、このだだっ広い部屋には、あんたの生体反応(赤いドット)しか表示されてない。暗殺部隊も魔術師団も、昨日『太郎軍の美味しいご飯と暖かいマンション』のチラシ(※100均のコピー機で大量印刷)を撒いたら、全員そっちに寝返ったよ」
「なっ……馬鹿なッ!!」
皇帝が玉座から立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「嘘だ! 帝国の誇り高き騎士たちが、そんな……たかが飯や家ごときで、この私を裏切るはずがない!! おい、誰かおらぬか! 宰相! 近衛兵! 誰か、この小童の首を刎ねよ!!」
しん、と。
皇帝のヒステリックな絶叫が、無人の玉座の間に空しく反響するだけだった。
「ふははははっ! 無様! 実に無様ですぞ、ルナミス皇帝!」
これまで僕の後ろで控えていたセバスが、片眼鏡をギラリと光らせて前に出た。
「民の血税を搾り取り、己の虚栄心を満たすためだけに生きてきた貴様の末路がこれだ! タロウ様がもたらした『真の豊かさ』の前に、貴様の恐怖支配など砂上の楼閣に過ぎなかったのだ!」
「き、貴様は……ゴルド商会の……ッ!」
「あんたはもう、国を治める資格はない」
僕は缶コーヒーを飲み干し、静かに皇帝を見据えた。
「兵士も、民も、誰もあんたを支持していない。王冠を被っているだけの、ただの『裸の王様』だ。……大人しく降伏しろ。命まで取るつもりはないし、アルクス領の団地でなら、一部屋くらい貸してやってもいいぞ」
「ふざけるなぁぁぁッ!!」
皇帝が、王笏を床に叩きつけて絶叫した。
その顔は、プライドを完全に粉砕された絶望と、僕たちへの底知れぬ憎悪で、醜く歪んでいた。
「この私が! 大陸の覇者たる私が! 貴様のような身の程知らずの小童に屈するなど、絶対にあり得ぬ! 帝国は私のものだ! 世界は私のものだぁぁっ!!」
ギリィッ……。
皇帝の足元、玉座の台座に刻まれていた『古代の紋章』が、不気味な黒い光を放ち始めた。
「……タロウ、何かおかしいわ。空気が、急に……!」
ライザが愛剣の柄に手をかけ、一歩下がる。サリーも怯えたように杖を構えた。
「皇帝……あんた、まさか」
「フフ……フハハハハハッ! そうだ、貴様らが私をここまで追い詰めたのだ!」
皇帝の目が、もはや人間のそれではなくなっていた。狂気に完全に呑み込まれた漆黒の瞳。
「代々、ルナミス皇室の地下深くに封印されてきた『禁忌』……。自らの魂と肉体を贄とし、世界を滅ぼすほどの力を呼び覚ます、古代の契約! 貴様らを……いや、私を裏切ったこの愚かな世界そのものを、地獄の業火で焼き尽くしてくれるわぁぁぁッ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
宮殿全体が、巨大な地震のように激しく揺れ始めた。
玉座の裏側から、これまで感じたこともないような、圧倒的で禍々しい『漆黒の瘴気』が、間欠泉のように噴き上がり、皇帝の体を包み込んでいく。
「……厄介なことになったな」
僕は背中の神殺しの弓『雷霆』を手に取り、大きく息を吐いた。
どうやら、無血開城の平和なお散歩はここまでらしい。
裸の王様の最期の足掻き。
世界を滅ぼす『魔神王』降臨のカウントダウンが、今、絶望の産声と共に始まろうとしていた。




