EP 6
逆鱗。赤髪の騎士の絶鬼
「タロウさんっ!? 嫌っ、タロウさん、タロウさん!!」
鼓膜を劈くようなサリーの悲痛な絶叫が、冷たい地下空間に反響していた。
黒曜石の壁の根元。おびただしい量の血だまりの中心で、太郎の体は力なく投げ出され、ピクリとも動かない。
少し離れた場所で岩壁に叩きつけられ、意識を混濁させていたライザは、その声でハッと目を開いた。
ズキズキと痛む頭を振り、視線を巡らせる。
そして、彼女の目に飛び込んできたのは――自らの命を挺してサリーを守り、全身を赤く染めて倒れ伏す、主の無惨な姿だった。
「……タロウ……?」
ドクンッ、と。
ライザの心臓が、異常な音を立てて跳ねた。
視界の端が真っ赤に染まり、周囲の音がスーッと遠のいていく。
彼女は帝国の誇り高き騎士だ。
常に冷静沈着であり、状況を客観的に分析し、最善の戦術を選択することを教え込まれてきた。いかなる絶望的な状況でも、決して感情に呑まれてはならないと。
だが。
「あ……ああ……」
血溜まりの中で動かない太郎の姿を見た瞬間。
ライザの中で、騎士としての理性を繋ぎ止めていた太い鎖が、音を立てて『ブチリ』と千切れた。
彼が、死ぬ?
あの、得体の知れない100均の道具を出して得意げに笑う彼が。
不器用で、面倒くさがりで、でも誰よりも優しくて、私に『帰るべき場所(アルクス領)』を与えてくれた、あのタロウが。
「…………許さない」
ゴォォォォォォォォッ!!!
ライザの体から、尋常ではない質量の闘気が爆発的に噴き上がった。
それは普段の洗練された青白い光ではない。彼女の生命力そのものを強制的に燃焼させて放つ、どす黒く濁った真紅のオーラだ。
束ねていた赤髪が解け、猛烈な闘気の奔流によって炎のように逆立つ。
「絶対に、生かしては帰さない……ッ!!」
瞳孔が極限まで開き、獣のような唸り声を上げたライザは、床を蹴り砕いて跳躍した。
もはやそこに、冷静な騎士の面影はない。
あるのは、愛する者を傷つけられた怒り狂う『絶鬼(修羅)』の姿だけだった。
「シャアァァァァァァァッ!!」
音速を超えた踏み込み。
ライザはベヒーモスの巨大な懐に一瞬で潜り込み、真紅のオーラを纏わせたミスリルの長剣を、雨霰のように叩き込んだ。
ガキンッ! ガインッ! ギギギィィンッ!!
火花が散り、剣戟の音がドームに轟く。
だが、神話級の魔獣の装甲はあまりにも分厚く、硬い。ライザの命を削るような猛攻でさえ、漆黒の鱗の表面を僅かに削るのが精一杯だ。
「グルルルゥゥッ!」
足元で暴れ回る羽虫に苛立ったベヒーモスが、巨大な前脚を振り上げ、ライザを叩き潰そうとする。
避ける隙はない。だが、今のライザは回避という選択肢を完全に捨てていた。
「おおおおおおおっ!!」
振り下ろされる巨腕に押し潰されそうになりながらも、彼女は両足を踏ん張り、剣の腹でその圧倒的な質量を正面から受け止めた。
メキメキとライザの腕の骨が悲鳴を上げ、口から鮮血が飛び散る。
「死ね……! 死ね、化け物ォォォッ!!」
ライザは血反吐を吐きながら、残された全生命力と全魔力を、剣の切っ先の一点に圧縮した。
刀身が限界を超えた魔力に耐えきれず、ピキピキと亀裂を走らせる。
「秘剣――『絶華』!!!」
防御を完全に捨てた、文字通りの『捨て身の一撃』。
真紅の閃光と化したライザの剣が、ベヒーモスが振り下ろした『左前脚』の関節部分の装甲の隙間に、ピンポイントで突き刺さった。
ズガァァァァァァンッ!!!
「ギャアアアアアアアッ!?」
鋼鉄の鱗が弾け飛び、神話級魔獣の口から初めて苦痛の叫びが上がった。
ライザの渾身の一撃は、AIが『貫通率0.001%未満』と弾き出した絶対防御を打ち破り、見事にベヒーモスの左前脚に深く、生々しい裂傷を刻み込んだのだ。
だが、代償はあまりにも大きかった。
パキンッ……!
限界を超えたミスリルの長剣が、粉々に砕け散る。
同時に、一撃の反動とベヒーモスの凄まじい怒りの薙ぎ払いをモロに受けたライザの体は、宙を舞い、太郎と同じように冷たい岩壁へと激しく叩きつけられた。
「あ……、タロウ……」
血に染まった視界の先で、遠く倒れる太郎の姿を捉えながら。
力を使い果たした赤髪の騎士は、ふっと糸が切れたように意識を手放し、冷たい床へと崩れ落ちた。
「ライザちゃん!! タロウさん!!」
絶望の底で、ただ一人残されたサリーの悲鳴が、空しく響き渡る。
絶対的な死の気配が、三人だけのパーティーを完全に呑み込もうとしていた。




