第三章 高難易度ダンジョン天魔窟
平和すぎる箱庭と、冒険への渇望
「ふんぬぅぅぅーーっ! 異常なし!!」
「大胸筋が歩いてるぞ! 今日もアルクス領は平和なりぃぃっ!!」
領主の館の窓から外を見下ろすと、テカテカにオイルを塗った筋骨隆々の男たち――『アルクス・ビルダーズ』が、丸太を担ぎながら異常なテンションで巡回警備を行っていた。
もはや野盗も、並の魔獣も、彼らの異常なバルク(筋肉の鎧)と暑苦しいオーラを前にしては、領地の境界線に近づくことすらできない。
一方、執務室では。
「ふはははは! 豚神屋の売上と黒烏龍茶の利益率が凄まじい! 温泉! エルフ! 温泉! エルフ!」
かつて過労で倒れかけていたセバスが、豚神屋のラーメン(ヤサイマシマシアブラカラメ)で完全に超回復を果たし、残像が見えるほどの速度で決裁書類にハンコを押し続けていた。
そして、縁側では。
「すぅぅぅ……はぁぁぁ。太郎、ストゼロのストックあと3ダース追加ね。あと柿ピー」
駄女神ルチアナが、芋ジャージ姿でピアニッシモ・メンソールを吹かしながら、完全にこの世界の風景と同化(ニート化)している。
「…………平和すぎる」
僕は窓枠に肘をつき、深いため息を吐いた。
領地は完璧に回り出し、僕が口出ししなくても経済は勝手に潤っていく。自警団は僕より(物理的に)強そうだ。
異世界に来て、念願の『安全で豊かな箱庭』を手に入れた。それは間違いないのだが。
「なんだか、張り合いがないというか……」
「どうしたの、タロウ。贅沢な悩みね」
背後から声がして振り返ると、愛剣の手入れをしていたライザが、少し退屈そうに肩をすくめていた。
「私だって、あの筋肉ダルマたちにもう剣を教える必要がなくなって、体が鈍り始めているところよ」
「タロウさん、お茶が入りましたよ」
そこへ、サリーが湯気の立つティーカップをお盆に乗せてやってきた。
彼女もまた、領地に怪我人が全く出なくなったため(筋肉の超回復以外)、最近はもっぱら館の家事を楽しんでいる。
僕は二人の顔を交互に見つめ、自分の中に燻っていた感情を素直に口に出した。
「……そろそろ、冒険したいな。サリーとライザ、三人で」
ピタッ、と。
サリーがお盆を置く手が止まった。
「えっ……? ぼ、冒険? あの、タロウさんと、ライザちゃんと、私の……三人だけで、ですか?」
サリーの白い頬が、みるみるうちに林檎のように真っ赤に染まっていく。
「あら、良いですわね」
ライザが愛剣を鞘に納め、ニヤリと好戦的な、しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「筋肉の汗臭さも、ニンニクの匂いもない、三人だけの水入らず。……悪くない提案よ、タロウ」
「だろ? ルチアナやセバスさんたちは留守番でいい。せっかく異世界にいるんだから、たまには誰も知らない未知の場所を探検してみたいんだ」
僕はポケットから、ルチアナの魔力で充電された黒いスマホを取り出し、画面をタップした。
「頼むぞ、賢者君! 僕たち三人の実力で、歯ごたえがあって、なおかつお宝が眠っていそうな『最高の冒険スポット』を検索してくれ!」
『ピピッ。現在地の座標、およびマスター(タロウ)、ライザ、サリーの戦闘力・魔力ポテンシャルを再計算。……完了しました。アルクス領から北西へ馬車で三日。未踏破のS級ダンジョン【天魔窟】の探索を推奨します』
「天魔窟……!?」
ライザの顔色が一瞬で変わった。
「タロウ、そこは生きて帰った者がいないと言われる、帝国でも最悪の禁忌指定領域よ……!」
「ひぃっ、S級ダンジョンですか!? 私たち三人だけで!?」
サリーも涙目になっている。
だが、スマホの画面に映し出された賢者君のAIテキストは、自信に満ち溢れていた。
『警告:通常の冒険者パーティーにおける生還率は0.1%未満です。しかし、マスターの【100均チート(現代物資)】と当AIの【完全マッピング機能】、そして両名の戦闘スキルを掛け合わせた場合、最下層到達および【伝説級のアーティファクト】獲得の成功率は98.5%と算出されました。良い所(お宝)が有ります』
「……聞いたか、二人とも」
僕はニヤリと笑い、スマホをポケットにしまった。
「生存率98.5%の『確勝』の冒険だ。それに、伝説のアーティファクトとやらにも興味がある」
ライザは少し呆れたようにため息をついた後、ふっと表情を和らげた。
「……仕方ないわね。あなたがそう言うなら、私の剣はどこまでもついていくわ」
「わ、私も! タロウさんが怪我をしたら、私が絶対に治しますから!」
こうして。
平和すぎる箱庭生活に一区切りをつけ、僕たち三人は誰にも内緒で(ルチアナにはストゼロを貢いで口止めした)、未踏破のS級ダンジョン『天魔窟』へと向かう馬車に乗り込んだ。
これが、僕の異世界生活で最大の『死闘』の幕開けになるとは、この時の僕はまだ知る由もなかったのだ。




