EP 17
100均トラベルセットの革命と、秒の強奪
帝都ルナミスの第3階層にある公衆浴場。
入浴料300円を支払い、石造りの広々とした湯船に浸かりながら、僕は大きく息を吐き出した。
「はぁ〜……極楽、極楽」
異世界にも「風呂」の文化があって本当に良かった。
だが、体を洗う段になって、この世界の文明レベルの現実を突きつけられることになる。
洗い場に置かれていたのは、動物の脂と灰を固めたような、ゴツゴツとした茶色い『石鹸』だけだった。
試しに少し泡立ててみるが、洗浄力が強すぎるのか、肌がピリピリと突っ張る。これで頭なんて洗ったら、一発で髪がギシギシのホウキになってしまうだろう。
「……まぁ、文明レベルが中世〜近世なら、石鹸があるだけでもマシか。でも」
僕は周囲に人がいないことを確認し、脱衣所に置いたズボンのポケット――つまり財布の残高とリンクした『100円ショップ』のスキルを密かに起動した。
【残高:11,800円】
検索カテゴリは『バス・トイレ用品』。
ポンッ、と僕の手のひらに現れたのは、透明なビニールポーチに入った『トラベルセット(シャンプー・コンディショナー・ボディソープのミニボトル3点セット)』(100円)と、吸水性抜群の『マイクロファイバータオル』(100円)だ。
「よし。現代化学の叡智、見せてもらおうか」
ボトルのキャップを開けた瞬間、浴場特有のくもった空気を切り裂いて、爽やかな『フローラルブーケの香り』が広がった。
泡立ちは言うまでもなく最高。きめ細やかな泡が全身を包み込み、軋んでいた髪をコンディショナーがシルクのように滑らかにコーティングしていく。
洗い上がりは完璧だった。
マイクロファイバータオルでサッと水分を拭き取ると、肌はしっとり、髪はサラサラだ。
(やっぱり、日本の日用品メーカーの企業努力は異世界でも最強だな……)
すっかりリフレッシュした僕は、自分の体から漂う現代の清潔な香りに満足しながら、安宿への帰路についた。
* * *
「ただいまー。いやぁ、帝都のお風呂も結構広くて……」
ガチャリ、と相部屋の扉を開けた瞬間。
部屋の空気が、ピタッと止まった。
そこには、寝る準備を整え、ゆったりとした薄手のネグリジェ姿に着替えたサリーと、動きやすいキャミソールと短パン姿(しかし剣だけは手元に置いている)のライザがいた。
二人とも、僕が入ってきた瞬間に顔を上げ、野生の獣のように鼻をヒクつかせたのだ。
「……タロウさん?」
サリーが、トコトコと小走りで僕に近づいてくる。そして、僕の首元あたりに顔を近づけ、すぅっと深く息を吸い込んだ。
「タロウさん、すごく……良い匂いがします。お花畑みたいな、でももっと甘くて、すごく清潔な……」
サリーの顔がポッと赤くなる。
「ちょっと、タロウ」
続いて、ベッドの上でくつろいでいたライザが、音もなく立ち上がって僕の目の前に迫った。
彼女の真面目な瞳が、僕の頭頂部に釘付けになっている。
「あなた、髪が……ツヤツヤじゃない。変よ。公衆浴場のあの粗悪な石鹸で、どうしてそんな天使の輪ができるの? まさか、エルフの王族しか使えない『世界樹の朝露』でも被ってきたの!?」
ライザが僕の髪にそっと触れる。
指通りが良すぎるせいで、彼女の手がスルリと滑り落ちた。
「なっ……! 抵抗ゼロ!? 闘気を纏っていないのに、どうしてこんなにサラサラなの!?」
ライザが驚愕に目を見開く。剣士として髪の軋みや痛みに悩まされていたのか、その食いつき方は尋常ではない。
「えっと、世界樹とかそんな大げさなものじゃなくて……」
僕は苦笑いしながら、手に持っていたビニールポーチを掲げた。
「僕のスキルで出した、身体と頭を洗うための特別な薬だよ。匂いも良くなるし、髪も傷まないんだ」
その瞬間、二人の少女の目の色が「女」に変わった。
アナステシア世界において、美容技術は魔法頼みの一部特権階級にしか許されていない。過酷な環境で戦う彼女たちにとって、「良い香りがして、肌と髪が綺麗になる」という現代の化粧品は、どんな伝説の武器よりも魅惑的な魔導具だった。
「よかったら、二人も使ってみる?」
僕がそう言い終わるか終わらないかのうちに。
「「借ります!!」」
シュバッ!!!
神速の抜刀術『閃光』を彷彿とさせるライザの恐るべき踏み込みと、サリーの風魔法を応用した移動術。
二人の姿がブレたかと思うと、僕の手からビニールポーチとタオルが秒で強奪されていた。
「ちょっ、二人とも速っ!?」
「サリー! 着替えと宿のタオルを持ちなさい! 私がお父様から借りた(スッた)財布で入浴料を出すわ!」
「はい、ライザちゃん! タロウさん、ちょっと行ってきますね!!」
バタンッ!!!
嵐のように部屋を飛び出していく二人。
廊下からは「早く!」「走らないでライザちゃん!」という、まるでバーゲンセールに向かう女子高生のようなキャッキャとした足音が遠ざかっていった。
「…………」
取り残された部屋の中。
美少女二人のネグリジェとキャミソール姿の残像が目に焼き付いて、僕はようやく顔から火が出るほど赤面した。
「……ヤバい。僕のスキル、下手な兵器より『美容品』を出した方が、この世界を支配できるんじゃないか……?」
一人きりのベッドで、僕は現代資本主義の真の恐ろしさ(女子の美容への執念)を、異世界で深く刻み込むことになったのだった。




