EP 14
中央ギルド本部と、豪快なるヴォルフ
分厚いオーク材の扉を押し開けた瞬間、むせ返るような熱気と、血と酒の混じった強烈な匂いが鼻を突いた。
「ぎゃははは! だからあのワイバーンは俺が仕留めたって言ってんだろ!」
「うるせぇ! お前は後ろで震えてただけじゃねぇか!」
広大なギルドのロビーには、毛皮や金属鎧に身を包んだ屈強な冒険者たちがひしめき合っている。掲示板には無数の依頼書が貼られ、受付カウンターでは職員たちが慌ただしく魔獣の素材の査定や報酬(日本円)の支払いを行っていた。
ポポロ村ののどかな空気とは次元が違う、暴力と欲望が剥き出しになった空間。平和ボケした日本の大学生なら、数秒で泣いて逃げ出すような雰囲気だ。
「……タロウさん、こっちです」
怯みそうになる僕の手を、サリーがグイッと引いて受付へと向かった。
「すみません。ギルドマスターのヴォルフさんにお会いしたいのですが」
「は? ギルドマスターに?」
受付の女性エルフが、忙しそうに書類から顔を上げ、訝しげに僕たちを見た。
「マスターは今、月に一度の決算書類の処理で非常に機嫌が悪……いえ、お忙しいのです。個人的な面会なら――」
「ポポロ村のサンガからの紹介状を持っています」
サリーがカウンターに、しわくちゃの封筒をコトンと置いた。
「サンガ……? もしかして、かつて『土竜』と呼ばれたあのCランクの……? 少々お待ちください!」
エルフの女性は顔色を変え、紹介状をひったくるようにして奥の部屋へと消えていった。
数分後。
僕たちはギルドの最奥にある、ひときわ頑丈そうな鉄扉の前に案内された。
「入れ!」
中から響いたのは、部屋全体がビリビリと震えるような、腹の底から響く野太い声だった。
ギィィ……と重い扉を開けると、そこは書類の山で埋め尽くされた執務室。
そして、部屋の中央にある巨大なマホガニーのデスクの後ろに、『熊』が座っていた。
「……ひっ」
僕は思わず息を呑んだ。
立ち上がったその男は、身長2メートル近い巨漢だった。丸太のような腕、顔の左半分に刻まれた三本の巨大な爪痕。歴戦のオーラが、息をするだけで周囲の空気を圧迫してくる。
「サンガからの手紙だと? あの親バカ野郎、辺境に引っ込んでから何年音沙汰ねぇと思って……ん?」
男の鋭い隻眼が、僕の後ろに隠れるように立っていたサリーを捉えた。
次の瞬間、恐ろしげな巨漢の顔が、くしゃくしゃの笑顔に変わった。
「おぉぉっ! お前、サリーか!? いやぁ、大きくなったなぁ!! 最後に会った時はまだ俺の膝くらいの高さだったってのによ!」
男――ギルドマスターのヴォルフは、ドスドスと足音を立てて歩み寄り、サリーの頭を大きな手でガシガシと撫で回した。
「ヴ、ヴォルフおじさん、苦しいです……! 髪がボサボサになっちゃう!」
「ガッハッハ! 悪ぃ悪ぃ! いやぁ、あのむさ苦しいサンガからこんなべっぴんさんが育つとは、女神ルチアナの奇跡だな! で、今日はわざわざ帝都までおじさんの顔を見に……」
そこで、ヴォルフの視線がピタリと僕で止まった。
彼の目が、再び『歴戦の冒険者』のそれに切り替わる。全身を値踏みされているのが、皮膚の粟立ちで分かった。
「……で? そっちのヒョロい兄ちゃんは誰だ? 魔力もなけりゃ闘気も練れてねぇ。その辺のゴブリンより弱そうだが」
直球すぎる評価に苦笑しながら、僕は一歩前に出た。
「初めまして、ヴォルフさん。僕は佐藤太郎と言います。サリーと一緒に、ポポロ村から来ました」
「タロウ? 妙な名前だな。見たことのない服だが、帝都の貴族のお坊ちゃんってわけでもなさそうだ。……で、サンガの手紙にはなんて書いてあるんだ?」
ヴォルフが紹介状の封を切り、乱暴に中身を読み上げる。
『ヴォルフへ。俺の可愛いサリーが帝都に行くことになった。もし娘に虫が寄り付いたら、ギルドの総力を挙げてぶっ殺してくれ。追伸:一緒にいるタロウとかいう小僧は、腕っぷしは最弱だが、頭のネジと持ってる道具が異常だ。こいつのことは、お前が直接見て判断してやってくれ』
「……なんだこの身勝手な手紙は」
呆れたようにため息をつくヴォルフ。だが、彼の隻眼は「持ってる道具が異常」という一文に強い興味を示していた。
「おい、タロウとやら。お前さん、サンガに『異常』と言わせるほどの何を持ってるんだ? ここは帝都の中心だぜ。中途半端な魔導具や珍しい素材くらいじゃ、俺の眉毛はピクリとも動かねぇぞ」
試されている。
僕はゴクリと唾を飲み込み、意を決した。
僕の『自動販売機化』を防ぐための、絶対にして最強のプレゼンテーションだ。
「ヴォルフさん。……これを、見てください」
僕はスキルウィンドウを密かに操作し、ポケットから一つのアイテムを取り出した。
100均の、『チャッカマン』(100円)だ。
「なんだそりゃ。ただのプラスチック……いや、見たことのない手触りの棒切れじゃねぇか」
「こうやって使います」
カチッ。
僕が引き金を引いた瞬間、棒の先端から青と赤の美しい炎がシュボッと吹き出した。
ヴォルフの顔から、スッと表情が消えた。
「……おい。お前、今、詠唱も闘気も練らなかったな? しかも魔力消費の気配すらねぇ」
「はい。誰が使っても、100%確実に火が出ます。水に濡れない限り、何度でも」
さらに僕は、追い打ちをかけるように別のアイテムを取り出し、デスクの上に置いた。
100均の、『タッパー(プラスチック密閉容器)』(100円)だ。
「これは『プラスチック』という素材でできた容器です。落としても割れない。木のように腐らない。そして、蓋を閉めれば水一滴、匂い一つ外に漏らしません。冒険者の携行食料の保存や、ポーションの持ち運びにおいて、これ以上の容器はこの世界に存在しないはずです」
静寂。
執務室の空気が、ピンと張り詰めた。
巨大な熊のようなギルドマスターは、デスクの上のタッパーを手に取り、無言でコンコンと叩き、蓋を開け閉めし、そしてチャッカマンの炎をじっと見つめた。
「タロウ。……お前、これがどういう代物か、分かってて俺に見せてるのか?」
ヴォルフの声が、地を這うように低くなった。
「はい。だからこそ、ゴルド商会や貴族ではなく、あなたを頼りました」
僕は真っ直ぐにヴォルフの隻眼を見返した。
「僕には、これを守る力がありません。もし帝都でこれがバレれば、僕は一生搾取されるだけの奴隷(自動販売機)になります。だから……冒険者ギルドと『取引』がしたいんです」
圧倒的な弱者の分際で、大陸の軍事バランスすら覆しかねないオーパーツを突きつける。
数秒の沈黙の後――。
「…………ガッハッハッハッハ!!」
ヴォルフは突然、腹を抱えて大爆笑し始めた。
「傑作だ! サンガの野郎、とんでもねぇバケモノを帝都に送り込んできやがった!!」
豪快に笑うギルドマスターの顔を見て、僕は少しだけ肩の力を抜いた。
どうやら、最悪のバッドエンド(即監禁)だけは回避できたようだ。




