そうですよね。稟議ですもんね。
「改めて、あなた方に礼を」
アジトの入口で、隊長が深く頭を下げた。
こっちが頭を下げたい。普通、革命軍のトップがこんな丁寧じゃない。
「あなた方は、我らにとって本物の英雄です。だからこそ……今、状況をお伝えしたい」
隊長の言葉は真剣だった。革命軍の連中も、俺たちを見る目に迷いがない。
整理整頓とホウレンソウで、なぜか「信頼」だけが先に整ってしまった。
「……分かりました。説明は助かります。そもそも、皆さん何人で、何を目指してるのか、まだ把握してないんで」
俺が言うと、隊長は頷き、倉庫の外へ案内を始めた。
夜が明けたばかりの森は湿っていて、葉の匂いが強い。アジトの周辺は、廃道と低い丘が続く。見張りの配置も、以前よりそれっぽくなっていた。
……嫌な予感がする。現場が回り始めると、次は成果を求められる。成果を求められると、次は責任が発生する。
「我ら革命軍は、王国の圧政に抵抗する者たちです」
隊長は淡々と続けた。
「王都は豊かだ。しかし地方は搾り取られる。税は上がり、徴発は増え、兵は足りず……村は魔獣に荒らされても守りが来ない」
「守りが来ない?」
「来ない。来るのは徴税官だけだ」
革命軍の隊員が、苦い顔で頷く。
話は分かる。会社でも似た話を聞いたことがある。現場が悲鳴を上げるのに、上は数字しか見ない。
「だから我らは……王都の仕組みを変える。最低でも、地方に兵と物資が回るようにする」
隊長はそこで一息ついた。
「そして、あなた方が召喚された。王国は魔王討伐を掲げた。だが……あなた方が帰る術を用意していない可能性がある」
言い切った声に、怒りよりも疲れが混じっていた。
俺は頷くしかなかった。帰り方の話を濁された時点で、だいたい察しはついている。
天野が腕を組んで言う。
「つまり、革命は正義ってことだな」
「そこ結論にするの早いな」
俺が言うと、天野は真顔で頷いた。
「スピードは、正義」
話が早すぎて怖い。
一ノ瀬は歩きながら、隊長が持ってきた地図をちらっと見ただけで、目を細めた。
「……街道、検問増えてる。王国、焦ってる」
「そうだ。勇者一行が逃げたからな」
如月は言葉こそ少ないが、革命軍の負傷者の包帯を見つけては、そっと視線を落とす。
彼女は戦う前から、治す準備をしている顔だった。
「この先が、城下へ通じる裏道です」
隊長が指を差した先は、森が途切れる小さな谷だった。草の向こうに、崩れた石畳が覗いている。
「ここを通れば、王国の巡回を避けられる。だが……最近、この辺りに想定外が出る」
「想定外?」
俺が聞き返すと、隊長は口を結んだ。
「……本来、ここは低級の魔獣しか出ない。だが、たまに格が違うのが混じる」
その瞬間だった。
森の音が、すっと消えた。
鳥の声も、葉擦れも、風の匂いすら薄くなる。
代わりに聞こえたのは、爪が石を削る音、乾いた、嫌な音だ。
隊員の一人が息を飲んだ。
「来るぞ……!」
草むらが割れた。
灰色の魔狼が三体。続いて、甲殻のような前脚を持つ魔獣が二体。目が赤い。動きが速い。低級の数じゃない。統率がある。
「陣形! 守れ!」
隊長の叫びと同時に、革命軍が前へ出た。
強い。
彼らは訓練されていた。刃の角度、足の運び、連携。数日で整った現場が、そのまま戦いにも出ている。
だが、相手が悪い。
魔狼が一匹、異様な跳躍で隊員の肩へ噛みついた。血が散る。
別の隊員が押し倒され、甲殻脚が振り下ろされる。鈍い音。
「——っ!」
俺の足が勝手に前へ出かけた。
「だめだ、近づくな!」
隊長が叫ぶ。
「こいつら、いつもと違う!」
違う。分かる。
違いすぎる。こっちは備品しかない。
俺は反射で、武器を探した。手に馴染む剣が欲しい。せめて刃物。せめて——。
「剣……剣、剣が——」
視界に、半透明の文字。
【稟議書を提出してください】
「来た!」
俺は希望を見た。
この世界の稟議、なぜか決裁が早い。軍手も赤布も通った。なら剣も——
【却下:違法】
「……え?」
【却下:違法】
念押しみたいに、同じ文字が出た。
「却下とかあんの!? 法は日本準拠!? てか誰が決裁してんだよ!!」
答えは出ない。出るのは却下だけ。
中間管理職の心が、戦闘開始前に削れた。
その時——
「下がって」
一ノ瀬が、前に出た。
手には、アジトで見かけた古い魔法書。
ページをめくる動作は怠そうなのに、視線だけが鋭い。文字列を読むというより、ほどくみたいな目だった。
「……これ、いける」
彼は息を吸い、短く詠唱した。
言葉は簡潔なのに、空気が変わる。足元の湿り気が、一瞬で冷えに変わった。
「——氷嵐」
爆発的に、冷気が噴き上がった。
白い渦が地を這い、木々を舐め、魔狼の足を絡め取る。
次の瞬間、凍結音が森に鳴り響いた。霜が骨の中にまで入り込むような、鋭い音。
魔狼の群れが、動きを止めた。
甲殻脚の魔獣も、関節が凍って折れ、膝から崩れる。
氷が砕ける音は、戦いの終わりの音みたいだった。
「……一ノ瀬くん、強」
俺が呟くと、本人は淡々とページを閉じた。
「読めたから」
読めたから。
その一言が、逆に怖い。
だが、終わっていなかった。
森の奥から、低く、腹に響く咆哮。
空気を押し潰すような圧が来る。革命軍の隊員が、反射で後ずさる。
草むらを割って現れたのは、黒い魔獣だった。
獅子の胴、蝙蝠の翼、そして両前脚——いや、両前脚が爪でできている。
刃物の束みたいな爪が、光を嫌に反射していた。
「……あれは」
隊長の声が掠れる。
「この辺りに出るはずがない……上位種だ……!」
魔獣の目が、俺を捉えた。
いや、正確には「一番弱そうなやつ」を捉えた。
論理が正しいのが腹立つ。
翼が唸った。風圧。
魔獣は地面を蹴り、俺の方へ一直線に突っ込んでくる。
来る。
避けられない、と思った瞬間。
天野が、前に出た。
足が止まる。
呼吸が変わる。背筋が伸びる。
普段、革命とか言ってる少年が、戦う者の体になった。
「……大丈夫だ」
低い声だった。無駄がない。
スイッチが入ったってやつだ。
天野は武器を探さなかった。
ただ、地面に落ちていた革命軍の長槍を拾い上げた。握り直す。構える。
魔獣の爪が、俺の喉元に届く、その刹那。
天野が踏み込んだ。
一歩。
空気が裂ける。
槍の穂先が、一直線に突き出される。
迷いがない。計算ではなく本能の直線。
「——うおおおおおっ!!」
叫びは短く、鋭かった。
槍が光った。いや、光ったように見えた。力が、視覚になるレベルの圧。
穂先が魔獣の胸を貫いた。
そこで終わらない。
天野は槍を引かず、さらに押し込んだ。地面がえぐれる。魔獣の巨体が押し戻される。
最後に、天野は全身をひねり、叩き込むように槍を振り抜いた。
衝撃が、森を揺らした。
魔獣の身体が宙に浮き、黒い翼が崩れ落ちる。
地面に叩きつけられた瞬間、土煙の中で何かが折れる音がした。
そして、静寂。
魔獣は動かなくなった。
革命軍が息を飲む。
隊長が、呆然と天野を見る。
天野は肩で息をしながら、俺を振り返って言った。
「……ほら。スピードは、正義」
「その正義、会社に持ち込まないでね」
その時、倒れていた隊員の呻き声が聞こえた。
血が止まっていない。肩を噛まれた男も、顔が青い。
如月が、すっと前へ出た。
彼女は震えていた。怖いのは分かる。
でも逃げない。目を逸らさない。
「……だいじょうぶ」
声は小さい。けれど、揺れなかった。
如月が手をかざす。
「奇跡だ」
淡い光が、負傷者を包んだ。
血が引くように止まり、裂けた肉が縫われるように塞がる。骨の歪みが、見えない手で正されていく。
痛みの呻きが、安堵の息に変わった。
革命軍の隊員が、泣きそうな顔で呟く。
「……聖女様……」
「生きてる……俺、生きてる……」
如月は顔を赤くして、少しだけ視線を落とした。
それでも、最後まで手を下ろさなかった。
すべてが終わった後。
隊長が、膝をつきかけた。
他の隊員も続く。英雄に向ける礼だ。真剣すぎる。
「やめてください。地面湿ってます」
俺が言うと、隊長はハッとして立ち直り、今度は背筋を伸ばして頭を下げた。
「……あなた方は、本物だ。勇者様、賢者様、聖女様……そして係長」
「係長の浮き方えぐいな」
隊長は真面目に頷いた。
「いえ。係長の指示がなければ、我らは今日、ここで死んでいた」
「今日は俺、剣の稟議が却下されただけなんですけど」
天野が槍を地面に突き立てて笑った。
「な? 田島さん。俺たち、いいチームじゃん」
「俺の稟議が通ってから言って」
一ノ瀬は魔法書を閉じ、淡々と言った。
「……次、もっと強いの来る可能性ある」
「やめろ。さらっと言うな」
如月は負傷者の様子を確認してから、俺の背中の半歩後ろに戻った。
彼女の手は、まだ少し震えている。でも、目は強いままだった。
そして俺の視界の端に、また半透明の文字が出た。
【戦闘報告の提出期限:本日中】
「……マジか」
俺は森の空を見上げた。
「残業の概念ないタイプの会社だ」
革命軍が「報告……!」とざわつき、天野が胸を張る。
「俺、報告します! 魔獣倒しました!」
「それはいい。今回は順番守れてる。革命しなければ」
天野は一瞬迷って、やめた。
偉い。
素晴らしい成長だ。




