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革命の基本は5Sから

 薄暗い通路を抜けた先に、小さな扉があった。




「静かに。外だ」


 黒布を巻いた兵士——革命軍だと言う男が、周囲を確認してから扉を開けた。夜気が冷たい。城壁の陰に沿って走り、いくつかの見張りをすり抜け、最後は下水みたいな匂いのする狭い穴をくぐる。




……で、辿り着いた。


古い倉庫。人の動線から外れた場所で、普段なら誰も寄りつかない。看板もない。窓は板で塞がれ、扉の蝶番が軋む。




「ここが我らのアジトだ」


 案内役の男が言った。




 天野優河が「秘密基地だ!」と目を輝かせ、一ノ瀬蒼が「カビ臭い」とだけ言い、如月祈は俺の背中の後ろに隠れた。




 俺は、入った瞬間に理解してしまった。


 このアジト——終わってる。




 床に物が散乱している。武器、箱、布、紙束、何かの部品。通路が通路じゃない。足元が危険。


 壁際に積まれた木箱の中身も混在している。食料と火薬が同じ棚にある。衛生面と危険物管理が同居している。最悪だ。


 しかも湿気。埃。カビ。暗さ。




 異世界要素が、嫌な方向に濃い。


 床の隅に、乾いた根っこみたいなものが転がっている。札に「マンドラゴラ干物」と書いてある。


 踏んだら叫ぶやつだ。叫んだらいずれ周囲にバレる。バレたら終わる。




 足元の別の場所では、謎の割れた瓶の中身が染み出して、床が半分スライム化している。


 滑る。転ぶ。火薬に突っ込む。終わる。




 ……5Sが死んでいる。




 俺の中の「中間管理職」が、勝手に点灯した。


「すみません。ちょっとだけいいですか」




 革命軍の男たちがこちらを見る。目が鋭い。


「まず、ここ。通路が潰れてるの危ないです。暗いし、転んだら——」




「転んだら?」




「火薬があるので、いろいろ終わります」




 革命軍の男が鼻で笑った。


「掃除の話か? 馬鹿にするな。我らは明日をも知れぬ身だ。汚れなど気にしている暇はない」


「部外者の指図を受ける筋合いはない」


 健全な反発だ。だがアジトは不健全だ。




「分かりました」


 俺は頷いた。




「じゃあ明日、死にますね。戦闘じゃなくて事故で」


「なっ——」


 ざわっと空気が動く。反発の熱が、ちょっとだけ下がる。




 俺は足元の黒い粉を指差した。木箱の脇からこぼれている。


「火薬、こぼれてます。あと、ここ」


 壁際の導火線みたいな縄束。湿気を吸って、変に膨らんでいる。


「導火線、湿ってますね。燃え方が読めない。途中で消えるか、逆に暴発します」




「暴発など——」


「します。湿気て固まってる粉の上を、誰かがランタン持って歩いたら終わりです」




 次に、床のスライム化した場所を指差した。


「ここ滑ります。滑って転んだ人が、火薬箱に手をついたら終わります」




 最後に、マンドラゴラ干物。


「それ踏んだら叫ぶやつですよね。叫んだら気づかれて、ここが終わります」




 革命軍の顔色が目に見えて変わった。


 「汚れを気にする暇はない」という顔から、


 「いや、たしかに死ぬ」という顔へ。




 如月が小さく言った。


「……あぶない……」




 その一言で、革命軍の数人がざわついた。


「いまの……聖女様の……?」


「予言か……?」


「我々の死が見えているのか……?」




 いや、足元が危ないだけだ。


 でも、訂正する理由がない。




「……ええ、まあ」


 俺は真面目な顔をした。




「このままだと事故による破滅の未来が確定している。と聖女は言っています」


(ざわっ……)


「だから片付けましょう。今すぐ」




 まとめ役らしい年上の男が一歩前に出た。


「……お前が召喚された者か。田島一平」




「はい。田島です」




「係長、と聞いたが」




「気にしないでください。こっちも気にしてます」




 男は腕を組む。


「ここは我らの拠点。勝手なことは——」




「勝手なことはしません。ただ、整えた方がいいです。死にたくないなら」




「整える?」




「はい。まず5Sから」




「……ごえす?」




「整理・整頓・清掃・清潔・躾です」


 革命軍の面々が、ざわついた。




 天野が小声で言う。


「ごえすってカッコいいな」




「いや、かっこいいやつじゃない。地味なやつ」




「でも技っぽいし!」




「響きはどうでもいい。とにかく手を保護して——軍手とか」


 その瞬間、視界に半透明の文字が出た。




【稟議書を提出してください】




「……稟議?」




俺の脳内に稟議書の枠が出た。




 件名は『保護具(軍手)購入の件』。理由は『素手だと死ぬため』。数量は――




 俺が提出したつもりになった直後、白い軍手が落ちてきた。


 次の瞬間には床にも、束で。さらに束で。




……通った。決裁って絶対3営業日かかると思ってたのに。こっちの部長は仕事が早い。




 一ノ瀬がぼそっと言う。


「……稟議、係長の必殺技?」


「必殺じゃない。殺されるのはサラリーマンの心だけだ」




 まとめ役の男が軍手を拾い上げ、眉を上げた。


「……お前、本当に何者だ?」


「係長です。現場を回すのが仕事です」


「勇者ではないのか」


「違います。勇者は——」


 俺が言いかけたところで、横から元気な声が飛んだ。




「危険物エリアのドクロ! 完璧!」




 まとめ役の男の視線が、そっちへ吸われる。


 俺も同じ方向を顎で示した。


「……今の、あれです。うちの勇者」




 俺は軍手の束を指差した。


「とにかく、全員つけてください。火薬と刃物と割れ瓶がある場所で素手はダメです」




「軍用の手袋か?」


「たぶん、会社用です」




 革命軍が半信半疑で軍手をはめ始める。


 軍手をはめる革命軍という絵面に、少しだけ平和が混ざった。今だけだと思うけど。




「じゃあ、今日のゴールを決めます」


 俺は倉庫の中を見回した。




「今日全部は無理です。無理なものは無理です。まず三つだけ」


「三つ?」


「危険物隔離、通路確保、滑る床の応急処置。今日はここまで」




 革命軍が「現実的だ……」みたいな顔をする。


 革命家が現実に弱いのは、たぶん世界共通だ。




「まず整理。必要なものと不要なものを分けます」


「不要なものなどない! 全ては戦いの糧だ!」


 さっそく来た。予想通り。




 俺は床の隅を指差した。錆びた刃物、割れた瓶、折れた椅子脚、魔獣の骨釘みたいなもの、よく分からない紐、そしてマンドラゴラ干物。




「じゃあ聞きます。折れた椅子の脚と、魔獣の骨釘と、マンドラゴラ干物、全部同じ床に置く理由はなんですか」


「全部使う!」


「使うのはいいです。置く場所を分けてください。使うのと散らかすのは別です」




 まとめ役が言い返す。


「場所を決めると、敵に踏み込まれたとき不利になる」


「踏み込まれたら片付ける暇ないです。だから普段から決めるんです」


「……ぐぬ」




「あと、敵が来る前に自分たちが転んで死にます。そっちの方が不利です」


 まとめ役が悔しそうに口を閉じた。




 俺は続けた。


「捨てる捨てないは今日決めません。今日は全部、仮置き場に集めるだけです。タグ付けします。赤い札とか」


「タグ?」


「目印です。後で揉めるから、最初に可視化します」




 その瞬間、視界にまた出た。




【稟議書を提出してください】




「また?」




 ぱさ、と赤い札が落ちてきた。ぱさ、ぱさ、と追加で落ちてくる。




 一ノ瀬が眠そうに言う。


「……係長、やっぱそのスキル強い」


「いや、たまたま通ってるだけだ。……たぶん」




 天野が赤い札を手に取って喜ぶ。


「赤い札! 革命っぽい!」


「革命じゃなくて整理です」




 如月が小さく、でもはっきり言った。


「……危険の色……」




(ざわっ)


「二回目だ……」


「確定演出じゃないか……?」


「聖女様が二度も言うなら、もう終わりじゃないのか……!」




 俺は真顔で頷いた。


「……ええ。リーチ中に金系入って、激熱セリフ二回目です。外れたら苦情が来ます」




革命軍が困惑している。たぶん「リーチ」が分からない。


だが「外れたら苦情」は分かるらしい。何故だ。




「つまり」




 俺は言い直した。


「従ってくださいと言うことです。」




 革命軍が、渋々じゃなく自発的に動き始めた。


 勝手に怖がって勝手に動いている。助かる。




 危険物——火薬箱、湿った導火線、割れた瓶の残骸、呪いの紙束を一箇所に集める。




 食料は別へ。資料も別へ。武器も別へ。




 問題はスライム床だ。




「これ、どうする?」


 革命軍の一人が言う。




 俺は少し考えた。


「吸わせますか。なんかいらない布、あります?」


「ある。……雑巾みたいなのが」


「じゃあそれで。あと、乾いた砂か灰。滑り止めに撒けますか」


「灰ならある!」


「素晴らしい。今日のMVPは灰に決定しました」




 天野が前のめりになる。


「俺も撒く! 革命の灰!」


「残念ながら、仕事の灰です」




 一ノ瀬が箱の蓋に刻まれた文字列を眺めた。


「……『火気厳禁』ね。これだけだと分かりにくい」


「さすが。誰でも分かるように工夫出来るか?」


「文字と、魔法で爆発のエフェクトつける」


「完璧。頼む」




 如月には小さな仕事を渡す。


「無理しなくていいから、埃を拭ける範囲だけでも」


「……ふ、ふく……」




 如月が布を握って動いたのを見て、革命軍の隊員が何人か連鎖的に動き出した。


 人は、やる人が一人いると動ける。どこの職場も同じだ。




 通路が一本できた。


 火薬が食料から離れた。


 スライム床が応急処置された。


 マンドラゴラ干物は、踏まない場所に隔離された。




 たったそれだけで、空気が変わった。




「……転ばない」


「武器が探しやすい」


「パンが火薬臭くない……」




 革命軍の感想が全部、生存に寄っている。悪くない。まず生きろ。




 天野が札を貼りながら言った。


「これさ、地味じゃない?」


「地味だよ。仕事の九割は地味」


「え、仕事ってこんな感じなの?」


「そう。で、一割が燃える。だから燃えないようにする」


「なるほど……大人って大変」




 一ノ瀬が眠そうに言う。


「……めんどい」


「うん。でも、めんどいのが一番効く」




 まとめ役の男が、少しだけ表情を和らげた。


「……お前、敵ではないと思って良いのか」


「その前に安全管理の敵です。ここにいる全員」


「言い方がひどいな」


「事実なんで」




 俺は最後に釘を刺した。


「今日は動線と危険物だけです。明日から捨てるが入りますよ」




 革命軍の空気が、ピキッと固まった。


「捨てる……?」


「捨てます」


「捨てるものなど——」


「あります。いっぱいあります。まず折れた椅子の脚」


「……それは象徴だ」


「象徴は壁に飾ってください。床に置かない」




 まとめ役が悔しそうに笑った。


 アジトは、まだ汚い。


 まだ臭い。


 まだ散らかってる。




 でも、通路が一本できて、火薬が隔離されて、転んで死ぬ確率が下がった。


 革命軍は、ほんの少しだけ組織になった。


 現場を整えたら、次は仕組みを整えたくなる。点検表とか、担当表とか、教育とか。




 中間管理職の病気だ。


 ……明日も、現場が呼んでいる。




 その頃、城下では騎士団が血眼になって勇者一行を探していた。


 俺たちが危険物エリアの区画と、マンドラゴラ干物の置き場で揉めている間に。

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