『冷蔵庫から先に帰った彼女』 ―2度目の葬式
深夜3時
冷蔵庫の中にスマホを入れたことなんて、もちろん覚えていない。
コンビニでビールとプリンを買って、ふらつきながらアパートに戻ったのは覚えている。
そこから先の記憶は、毛布の中で消えていった。
目覚めたときには昼過ぎで、頭はズキズキと二日酔いを主張していた。
テーブルの上には空のプリン容器。ラベルは『濃厚カスタードプリン』コンビニでいつも彼女が選んでいたやつだった。
「俺、またコレ食ったのか」
別れた彼女の事を思い出す。
あれは彼女の分だった。
あの夜、怒って出て行ってそれっきりだった。メッセージは既読にならず電話も繋がらない。喧嘩の理由はくだらない、プリンを俺が勝手に食べたからだ。
本当に最後の言葉が「私のプリン、返して」だったのは、笑えない。
――
スマホを探して部屋中を漁ったが、どこにも見当たらない。ベッドの下も、ゴミ箱も、コートのポケットも。
「落としたか……?これだから、彼女と別れてから飲み過ぎだと周りに言われるんだよ」
昨日の自分に反省しながら、頭痛に効くスポーツドリンクを取りに冷蔵庫を開ける。
そこで俺は固まった。
中にスマホがあった。冷やされて画面に少し水滴がある。ロック画面の日付はなぜか──
『2026年』
「はぁ……?」
冷蔵庫も口も開いたままになった。
今はまだ2025年だ。バレンタイン前に彼女と喧嘩して……
冷蔵庫に入れて壊れたかとスマホを取り上げ、スワイプする。
勝手に写真フォルダが開いた。直近の1枚に写っていたのは──泣き笑いの彼女だった。
俺の部屋のキッチン前。少し伸びた髪。プリンを片手に持っていた。
写真のタイムスタンプは、「2026年」
「……なんで、こんな写真が……?」
彼女がイタズラに来たのか?
合鍵はケンカの時に返して貰ってるぞ?
そもそも日付がおかしい。アップルパイのスマホは、FBIでもセキュリティ突破出来ないとかテレビで言っていたはずだ。
冷蔵庫の中を、もう一度覗く。
奥にもうひとつのプリンが置いてあった。あの日と同じ濃厚カスタードプリン。
蓋の上に付箋が貼られている。
「勝手に食べたら、また怒るからね。……でも、ちょっとだけ期待してる」
この字は、まちがいなく彼女のものだった。
――
元彼氏とケンカしてから、この街には来ないようにしていた。
嫌いになったわけじゃない。むしろ何度か来たいと思った事もあった。
でも、何となく意地で来られなかった。
「何も変わってないね」
玄関の鍵を開けた瞬間、懐かしい匂いがした。柔軟剤の甘さと、少しだけホコリっぽい匂い。
管理人さんから貰った鍵をカバンにしまう。
プリンのことを後悔しても遅い。
最後の最後まで、謝ることもできなかった。私が出て行って、そのまま……。「卒業したら結婚しようね」なんて言っていたのが信じられない。
「はあ……バカだなあ、ほんとに……」
キッチンの前に立って、そう呟いた。
ブッブッ
スマホの振動が聞こえた気がする。
カバンを触るが私のじゃない、横の冷蔵庫に目をやる。冷蔵庫は動いている、まだ電気は止まってない。
冷蔵庫を開けると
そこで、私は固まった。
彼のスマホが入っていた。
彼は物の位置にうるさかった。スマホを冷蔵庫に入れるなんて、ありえない。でも……
スマホは、うっすらと曇っていたけれどしっかりと映っていた。
ロック画面が見える
『2025年』
「……え?」
おかしい。今は2026年のはずだ。
意味がわからない。怖い。
冷蔵庫の中を、もう一度見る。あの時と同じプリンがあった。彼は別れた後も買っていたのだろうか。
自然と涙がこぼれた。
私はカバンから付箋を取り出しペンを走らせた。
付箋に泣きながら書く。
「勝手に食べたら、また怒るからね。……でも、ちょっとだけ、期待してる」
それが、冷蔵庫越しの文通の始まりだった。
――
あれは夢だったんじゃないか、と思うことにした。
冷蔵庫の中のメモ書きも、彼女の写真も。
全部、酔っぱらった俺の記憶が見せた幻覚だったんだ。都合よくそう思って、1日を過ごした。
でも。
次の夜、俺はまた冷蔵庫を開けた。
プリンがあった。
付箋が1枚。
「……私のプリン、返してよ」
一気に血の気が引いた。
この字は、まちがいなく彼女のものだった。
怒ってるときの強めの筆圧。見慣れた形。
「なんで……なんでだよ」
意味がわからない。理解が追いつかない。仕方ない、そういうものだと納得するしかない。
なら、今度は──「俺の番か」
ノートを探してシャーペンを取り出し、なるべくキレイな字でゆっくりと書く。
「ごめん。あのとき本当にごめん。
プリン今度は君の分も買ったから。
よかったら、また来てくれませんか」
そのメモと一緒に、コンビニで買ってきたプリンを冷蔵庫に入れる。
そっと扉を閉じる。
返事なんて来ないかもしれない。
これはただの幻覚かもしれない。
でも、もう一度話せるなら。
もう一度会えるなら。
俺はこの冷蔵庫に未来を賭ける。
――
私は冷蔵庫を開けた。
──あった。
ノートとプリン2つ。
見覚えのある汚い字。
去年と同じ日付、同じ場所、同じ空気。
年だけが進んで気持ちが置いてきぼりだった。
でも今、この冷蔵庫だけが彼と時間を共有している。
信じたくなかった。
時間なんて越えられるわけがない。そう思ってた。そう思わなきゃ、でも。
手紙はあった。
プリンは2つ。
「……バカ」
声が震えた。でも自然とちょっと微笑んだ。
私はノートを取り出す。
「プリン、ちゃんと冷やしててえらい。
でも本当は、あなたの『ごめん』が嬉しかったです。
……今さらだけど、私も言いたかった。
ごめん、って。
あと、ありがとう、って」
冷蔵庫に手紙を戻し、プリンのひとつをそっと入れる。
扉を閉じると終わってしまいそうで怖かった。
──でも、次に開ければまた会える気がした。
夜が来るのが、待ち遠しいと思ったのは、いつぶりだろう。
――
もうすぐ冷蔵庫の不思議な文通が始まって1年経つ
俺は冷蔵庫を開けるのが怖くなくなった。
いや──むしろ楽しみになっていた。
俺は、彼女と手紙を交換し続けている。
1年後の彼女と。
今夜もプリンがひとつ減っていて、ノートが1枚入っていた。
「今日、ゼミの卒論発表が終わりました。
うまく話せなかったけど、あなたのことを思い出したら落ち着いたよ。
【プレゼン中は全員ブタだと思え】って、昔言ったでしょ。あれ、ちゃんと役に立ちました」
思わず笑った。
そんなこと言ったっけ?
でも彼女が覚えていてくれた、彼女の役に立ったことが何より嬉しかった。
──俺は、今、生きている。
彼女にとっての「過去」かもしれないけど、彼女の声を読んで返事を書く。
この時間の中でだけ、俺たちは確かにつながってる。
俺は返信を書く。
「本番に強いところ昔から変わってないな。卒業ちゃんとできそう?
飲み会では飲み過ぎに注意な
……それと、プリン【とろける】やつ買ってみた。気分転換にどう?」
書き終えて、そっと冷蔵庫にしまう。
時間は、止まってくれない。
この奇跡のようなやりとりも、いつか終わってしまうんだろう。
──でも、それまでの間だけでも。
この扉の先に君がいるなら。
俺は、もう一度、君に会える気がしている。
――
私はスーツで冷蔵庫の前に立っていた。
スマホで自撮りを撮り、それを冷蔵庫にそっと入れる。
彼は私のイベントがあると、スマホをわざと冷蔵庫に忘れるようになった。
就職の内定貰って喜んでいる事を伝えたからだ。
プリンの横にスマホを置いて返す。
そして隣に手紙も添える
――
俺はワクワクで冷蔵庫を開けた。
彼女のスーツ姿が見れるはずだ。スマホの画面を見ると、まだまだ大学生という感じの就活用スーツを着た彼女がいた。
そして隣にある手紙には
「……ごめん。もう返信できない。」
その一文だけが紙に書かれていた。
心が凍りついた。
「どうして……?」
冷蔵庫の扉を何度も開け閉めした。
もう返事は来なかった。
未来の彼女は、俺ともう会話したくないのだ。
また俺が何かしたか?
答えの無い思考に沈んでいった
――
冷蔵庫の前で俺はひとり考えた。
彼女の言葉は冷たくて、でも優しかった。
スーツの写真も撮ってくれた。
「もう返信できない」
それは終わりの合図だ。
俺はスマホの画面を見つめる。
写真の彼女は笑っているのに……
「わかってる。いつか終わりが来るんだ、俺達はもうとっくに終わってたはずだ」
だけど、どうしても伝えたくて、最後の手紙を書いた。
「今まで、ありがとう。
君が幸せでありますように。
もし願いが届くなら、またどこかで会おう」
その手紙をそっと冷蔵庫に入れた。
扉を閉めると、時間が止まったような気がした。
――
私は自分から文通を止めたのに、また冷蔵庫をチェックしていた。
自然と涙が出てくる。もう確実に終わりが来てしまう。悲しむのは2度目だ。
ある日
冷蔵庫を開けると手紙が入っていた。
「今まで、ありがとう。
君が幸せでありますように。
もし願いが届くなら、またどこかで会おう」
もう目の前がグシャグシャで文字が読めない。
ダメだ。私から終わらそうとしたのに、最後まで書こう。彼に伝えよう。
『冷蔵庫の中に最後の手紙を入れます。
きっと、もうすぐ——あなたは死にます。
この未来では、あなたは急死してこの冬を越えられない。
共同名義にしたままだった部屋を掃除しに来ただけなのに……
結局1年も住んでしまいました。
そこに、別れて死んだはずのあなたが居たから。
愛してた
だから、これで最後。もう、過去には送らない。
——ばいばい』
未来の私より
――
彼がこの世から2回目のいなくなる日。
私は荷物をまとめながら、部屋の隅に置かれた冷蔵庫の扉をそっと開けた。
あの日から続いていた小さな奇跡は、静かに終わろうとしていた。
涙がこぼれそうになったけれど、ぐっとこらえた。もう泣きつかれた。
「ありがとう、そしてさようなら」
私は最後のプリンを取り出して口に運んだ。
甘さがじんわりと心に染みる。
エピローグ
彼女からの最後の手紙を受け取った。
少し自覚はあった。最近疲れやすかったり、胸が急に痛くなったりしていた。
「そうか、もう間に合わないのか」
真実を知って慌てもしたが、当日になると不思議と心は穏やかだ。
未来の彼女と文通が出来るなんて、心残りが無いようにきっと神様がくれたプレゼントだったのだろう。それとも寿命が近い俺の妄想だったのか?今ではそんな気もする。
「きたっ!」
胸が締め付けられるように痛い。息が出来ない。
冷蔵庫を開ける。
せめて最後は彼女と繋がっていたこの空間で……
冷蔵庫の庫内灯の光が強くなり、目の焦点が合わなくなっていく
そこには、涙を浮かべながらも優しく笑う彼女の姿があった。
懐かしい声が聞こえた。
「……まさか、本当に入ってくるなんてね」
——手を伸ばす
届かなくてもいい、幻でもいい
ただ、その笑顔があたたかかった
シネコンでやる実写映画みたいな感じをイメージしたため、少し状況描写などが読みにくい所があります。