2、友達
「エリック様……? 私を、お疑いになっているのですか?」
半年間、エリック様がオリビア様とばかり一緒にいることを責めたことはない。一緒に過ごせる時間がなくても、身体が弱いオリビア様のことを考えたら仕方がないと思って来た。それなのに、この仕打ちは酷過ぎる。
「……オリビアが、嘘をつくとは思えない」
その瞬間、私の中で何かが壊れたような気がした。
「私が、嘘をついていると仰るのですか? 出会った日から今まで、エリック様をずっと信じて来ました。エリック様は、そうではなかったのですね……」
信じて欲しいただ一人の人が、私を信じてくれなかった。どこで間違えたのだろうか。病弱だからとか関係なしに、オリビア様と一緒にいないで欲しいと伝えていたら、こうはならなかったのだろうか。今更考えても、もう遅い。
「レイチェル……僕は……」
「エリック、騙されてはダメよ! レイチェル様は、私からエリックを奪いたいの!」
騙す? 奪いたい?
エリック様が自分のものだと、言いたいのだろうか。
「奪おうとしているのは、オリビア様の方ではありませんか……」
オリビア様に視線を向けると、
「レイチェル、やめろ! これ以上は、見苦しい!」
エリック様が庇うように、彼女の前に立った。
彼女に危害を加えるとでも言いたげな彼の表情に、私の心は深く抉られる。
彼はもう、私の知ってるエリック様ではない。
「そうですか……分かりました。信頼していただけないのですから、私は婚約者として失格ですね。ですから、私達の婚約は解消いたしましょう」
これ以上、エリック様に信じてもらえないのは辛すぎる。そんなにオリビア様が大切なら、自由にしてあげようと思う。
エリック様の顔を見ることなく、そのまま寮の中へと入る。彼が私の名を呼ぶ声が聞こえたけれど、振り返ることはしなかった。
部屋に入ってドアを閉めると、一気に涙が溢れ出した。
「……っ……ぅ……っ」
口元を両手で押さえながら、その場に崩れ落ちる。私には、もう何もない……
「レイチェル様!? どうされたのですか!?」
侍女のケリーが、私の様子を見て驚きながら駆け寄る。
「ケリー……私……っ……どうすれば良かったの……?」
ケリーに抱きつき、子供のように泣いた。こんなに泣いたのは、いつぶりだろう。昔は家族に虐げられるたびに、エリック様の前で泣いていた。そんな時決まってエリック様は、「僕が側にいるよ。ずっと君を守るから」と言ってくれた。そのエリック様を失い、これからどうすればいいのか分からなくなっていた。
ようやく落ち着いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「お茶を淹れますね」
ケリーは温かいお茶を淹れてくれて、甘いお菓子を用意してくれた。
ソファーに座り、お茶を一口飲む。
「美味しい……」
「落ち着きましたか?」
「ええ……」
私には何もないのだと思ったけれど、ケリーがいてくれる。それに、こんな終わり方になってしまったけれど、エリック様がいてくれたから私は強くなれた。今は、昔の弱い私じゃない。
本当に本当にエリック様が大好きだったから、しばらくは彼の顔を見るのは辛いかもしれない。けれど、いつかこの傷も癒えるはず。
翌朝部屋を出ると、ドアに悪口が書かれていた。『醜い豚』『泥棒猫』『愛される価値なし』……オリビア様が言っていた、彼女の部屋のドアに書かれていた言葉よりも酷い内容。悪口の内容からして、これはオリビア様の仕業か、彼女の友人達の仕業なのだろう。けれど、私の心はほとんどダメージを受けてはいない。悪口なんて、実家にいる時に散々言われて来た。両親やキャロルだけでなく、ケリー以外の使用人達からも言われていたから、悲しいなんて気持ちはすでにない。両親に嫌われて来たから辛くないなんて、なんだか変な気分だ。
学園に登校すると、私がオリビア様をいじめていたという噂が広まっていた。さらに、学園にいづらくなってしまった。けれど、入学してからずっと避けられて来たのだからそれほど変わりはない。
「おはようございます、レイチェル様」
席に着いてすぐに挨拶され、思わず目を見開く。まさか、今の私に話しかける人がいるとは思わなかった。
「お……はようございます」
挨拶してくれたのは、昨日話しかけてくれたデイジー様だった。
「あの方は、変わらないですね。欲しいものは、必ず手に入れる。レイチェル様が、何もしていないことは分かっています。そう警戒しないでください」
デイジー様は、そう言って笑いかけてくれた。
「警戒はしていません。少し、驚いてしまいました。そのように仰っていただけて、気持ちが楽になりました。ありがとうございます、デイジー様」
「デイジーでいい。私も、レイチェルと呼ばせてもらうわ。私達、友達になりましょう?」
嫌いだった学園生活が、少しだけ好きになれそうな気がした。
デイジーは昔、私と同じような目にあったそうだ。オリビア様とは幼馴染みで、もう一人仲の良い男の子の幼馴染みがいた。オリビア様はその子をひとりじめしたくて、病弱を理由に二人で過ごすことが多くなっていった。そのままデイジーは二人と疎遠になり、その男の子は他国に留学して会うこともなくなった。
「幼い頃のことだし、少しは変わったと思っていたけどここまでするなんて思わなかった。ごめんねレイチェル、私がもっと早く忠告していれば……」
「忠告してくれても、こうなっていたと思う。エリック様が私ではなくオリビア様を信じたのだから、結末は変わらなかったわ」
オリビア様が、何をしたかは関係ない。エリック様が私を信じなかったことが、私にとっては全てだ。
エリック様とオリビア様は、何もなかったように教室に入ってくる。そしていつものように、恋人同士のように振る舞う。
婚約を解消する前と、ほとんど変わらないこの状況。変わったのは、私の気持ちだけだ……そう思っていたのに、なぜかエリック様がこちらに近付いてきて、私の席の前で止まった。
「レイチェル、昨日のことを話そう」
何を話すと言うのだろうか。私には、話すことはない。
「すでに終わったことです。エリック様が私を信じなかったように、今はもう私もエリック様を信じられません」
そう告げると、酷く傷ついたような顔をした。
「何あれ……酷い……」
「エリック様、お可哀想」
傷付けられたのは、私の方だ。今更、私に何を望むの?
「エリック、もうやめて。私は大丈夫だから……」
「いや、僕は婚約の話を……」
「え……私とのことをレイチェル様に話すのは、良くないわ!」
「そうじゃなくて、僕とレイチェルの……」
「少し疲れてしまったわ。席に戻りましょう」
二人の会話が、噛み合っていないように思うのは私だけだろうか。オリビア様はエリック様に寄り添い、彼を強引に連れて行った。
「なんだ、とうとう別れたのか」
私達の様子を見て、登校して来たばかりのディアム様が呆れたようにそう言った。
「ディアム様、そんな言い方失礼ですよ」
デイジーが目を吊り上げて、ディアム様に抗議する。
「デイジー、いいの。この状況で普通に話しかけてくれたのはデイジーとディアム様だけ。何もなくなったと思っていたけれど、二人がいてくれて良かった」
心から、そう思えた。
誰もがオリビア様の味方をしているのに、話しかけて来てくれたデイジー。からかい口調だけれど、いつも通りのディアム様。邸にいるよりも、幸せな環境だ。
「別れたなら、俺と婚約する?」
「……前言撤回。ディアム様は、少し自重してください」
「冷たいな。そんなところも、嫌いじゃないけどね」
「ディアム様は、軽すぎです! レイチェルに近付かないで!」
久しぶりに、楽しいと思えた。友達が出来たのは初めてで、あんなことがあったのに自然に笑えている自分に驚いた。
数日後、学園から寮の部屋に戻ると、ケリーが困った顔をしながら待っていた。
「レイチェル様、旦那様からお手紙が届いております」
父からの手紙……読まなくても、内容は分かる。エリック様との、婚約解消のことだろう。