11、兄
『妹』と言われて、嬉しかった。ずっと家族だと思っていた両親からも妹からも、こんなに愛おしそうに見つめられたことなんてなかった。初めての感情が、何だかくすぐったい。
「約束ですよ? 裏切ったら、その綺麗なお顔が真っ赤に染まることになりますからね」
口から出たのは、可愛げのない言葉。しかも、デイジーのセリフを真似してしまった。
「我が妹は、ずいぶん怖いことを言うのだな。もっと早くに、気付いてやれなくてすまない……」
すごく悲しげな表情……
私が産まれた時、殿下は二歳だった。ほとんど邸から出たこともなく、私が学園に入学した時に殿下は他国に行っていて、初めてお会いしたのはつい最近なのだから、気付けるはずがない。というより、誰が入れ替わりになんて気付けるだろうか。
ケリーから聞いた全てを、殿下に話した。どうしても、ケリーだけは守りたいことも伝えた。殿下は私の目を見つめながら、真剣に聞いてくれた。
「私は、そんなに王妃様に似ているのですか?」
「容姿も似ているが、雰囲気がそっくりだ。母上も、とても驚いていた。レイチェル、母上を恨まないで欲しい。お前を見た時、確かに母上は何かを感じたが、自ら動こうとはせずに私に調べて欲しいと頼んだ。わがままでどうしようもない娘だったとしても、十六年もの間愛し育てて来た娘が、本当の娘ではないと認めることが怖かったのだ。それと同時に、これまで気付かなかった自分を許せないようだ」
恨むなんて、ありえない。ケリーの話から、私が産まれた時に王妃様は気を失っていた。その状態で、私達が入れ替わっているなんて分かるはずがない。母は王妃様が意識を取り戻す前に、私を連れて王宮を去った。つまり、王妃様の瞳に私が映ったのは学園へ謝罪に訪れたあの日が初めてだったということだ。そのたった一回で、王妃様は私に何かを感じてくれた。それだけで、十分だ。
「王妃様も、ご存知なのですね」
「確証はなかったから、推測を話しただけだがな。母上は、お前の為なら何でもするだろう。だから、お前が守りたい者も守ってくれる。問題は、父上だ」
「厳しい方なのですか?」
私にとっての父親という存在は、クライド伯爵しか知らない。愛情を感じたことはないし、私を見る目はいつだって冷たかった。
「厳しい方ではあるが、優しい方でもある。侍女が入れ替えたと知れば、お怒りになるだろう」
急に不安になる。
「そんな顔をするな。安心しなさい。お前の大切な人は、私が必ず守ってみせる」
優しく頭を撫でられ、不思議と不安な気持ちが薄れていく。
「はい……」
「もう少し調べてみるから、少し時間をくれ。今すぐにでも、レイチェルは私の妹だと叫びたいところだが我慢する」
そう言いながら、寂しげに微笑む。ダニエル殿下が、兄で心底良かったと思える。
「ありがとうございます」
「それで? そろそろ、姿を見せたらどうだ?」
誰かに話しかける殿下……まさか……
「気付いていたのか……」
ベンチから起き上がったのは、ディアム様だった。前にも同じことがあったのに、気付かなかった自分に呆れる。
「当たり前だ。それで、隠れているつもりだったのか?」
殿下……それ以上は、気付かなかった私がバカに思えて来る。
「ディアム様、今の話を聞いていたのですか?」
ずっとベンチに横になっていたのだから、全て聞かれてしまったのだろう。
「あぁ……殿下が、俺のレイチェルにちょっかいを出したら、颯爽と現れて邪魔するつもりだったんだけどなあ……妹だなんて言われたら、出るに出られなかった」
颯爽と現れて邪魔するって、全然カッコよくないような……
殿下は、最初からディアム様がいることに気付いていた。気付いていて話をしていたのだから、それ程ディアム様を信用しているということだろう。
「私はもう行くから、後は二人で話しなさい」
殿下は私の頭を、二度優しくぽんぽんとした後、教室に戻って行った。二人きりにされると、何だか気まずい。
「少し悔しいな」
ディアム様はベンチから立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。
「悔しい……ですか?」
「悔しいというのは、少し違うか。兄とはいえ、君にそんな顔をさせる殿下が羨ましい」
ディアム様は、どうして私にかまうのだろう。
「ディアム様のことが、よく分かりません。私に同情してくださっているのですか?」
「同情……か。最初は、君を見ているとイライラしていた。婚約者が他の女とベタベタしているのを、何も言わずに見ているなんてバカじゃないかと。ちなみに、君のひとりごとを聞いたのは一度だけじゃない」
一度だけじゃないと言われ、頭の中がパニックになった。今までここで言ったであろうひとりごとを、フル回転で思い出す……
なんてこと! 恥ずかし過ぎて、逃げ出したい!
「ぷぷっ! あはははっ! 真っ赤なりんごみたいになってるぞ!」
「もう! 恥ずかしいのは、当然ではないですか!」
「悪い、あまりに可愛くて」
そんなのズルい! 文句が言えなくなる。
ムッとした顔でディアム様を睨み付け、ささやかな反撃をした。
「いつからだろうな、こんなにも愛しい存在になったのは……」
急に真面目な顔でそう言われて、心臓が一気に跳ね上がる。冗談なのかと思ったら、急に真剣になるディアム様。本当に、ズルいと思う。
「私はまだ……」
「分かっている。それに、今はそれどころじゃないしな。俺も協力するから、何でも言ってくれ」
一瞬、寂しげな表情に見えたけれど、次の瞬間には笑顔になっていた。