第三章
「朝早いのは辛いよね」
マリアの言葉に「そうね」と答えつつ、ルナは正面を向いて歩を進める。
エンディミオン宮殿の廊下に、朝日が入ってきていた。
赤いカーペットの一部に日が当たり、豪華な黄金の彫刻、一面の鏡、ガラスのシャンデリアが煌めいている。
だがまだ朝は早い。
アイリス姫を含め、ほとんどの貴族は夢の中にいるだろう。
だから珍しく、エンディミオン宮殿の廊下にはあまり人がいなかった。
最も、王族の寝室がある場所だから、厳重な警備が施されているだけかもしれない。
ルナとマリアは月ごとに代わる当番で、今月はアイリス姫の朝のお勤めの補佐役だった。
「さて」
マリアの顔に緊張が浮かぶ。
アイリス姫の寝室の、両開きの扉を前にしたのだ。
扉は白色で、黄金の蔦が絡まっているような飾りがしてある。
マリアは本人を目にしているわけでもないのに、恐る恐るノックした。
返事はない。
「まだ眠っていらっしゃるわ」
ルナはマリアに頷き、音を立てないように扉を開いた。
アイリス姫の寝室は、その用途故にか華美ではない。
大きな天蓋つきのベッドが中心にあり、周囲に小さな丸テーブルと二脚の布張りの椅子、その他は暖炉くらいしか目につかない。
壁には当然のように誰か高名な画家が描いたのだろう絵画、部屋の角には磨かれた木の台座に、どこか外国からの物だろう壺があるが、ルナには価値が分からないのでどうでも良い。
「さ、やりましょ」
マリアが囁き、ルナは小さく頷いた。
マリアは、ベッドサイドテーブルに置いてある水差しを、待って来ていたトレイに乗せ、ルナが窓のカーテンを開けていく。
「うう……ん」
日差しにアイリスが反応したから、ルナはベッドの天蓋の中を覗いてしまった。
アイリス姫が無邪気な寝顔でベッドにいた。
彼女はルナと同年だと言うのに、大きめのウサギらしき縫いぐるみを、しっかりと抱いている。
それを目にし、ルナは一瞬本当に唇を綻ばせてしまった。
ウサギの縫いぐるみが妙だった。
座っているような格好の太った体の茶色い毛並みのウサギで、口からはべろんと舌が垂れ、目は眠たげな半目、頭の上の耳は長く、へろへろだ。
それを抱きしめて目をつぶる可愛らしいアイリス姫を見ていると、なんだかほっこりしてしまう。
はっとすぐに心の態勢を整える。
アイリスは敵だ。
エリディス王家は全て、抹殺しなければならない。
ぐっと彼女は拳を握る。
目にちらつくのは、処刑人により首を落とされた、彼女の最愛の兄の最後だ。
──もし、ここで彼女を殺すとしたら……。
ルナは敢えて思考をそこに集中させた。
まだ季節的に暖炉は使われていないが、もし火がある時ならば、アイリス姫の毛布とカーペットに密かに油を撒けばいい。
目を上げると、マリアが銀のトレイの上のガラスの水差しを移動している。
水差しの水は半分になっている……アイリスが夜に飲んだのだ。
──あれに毒を入れるのも手だ。
ルナは挙動に出さず、腰に隠している短針と、髪の簪として誤魔化している針を思った。
──私の本来の武器は針、やはり彼女もそれで始末すべきか。
「う、ううん」
アイリス姫がその時寝返りを打ち、眉間に皺を寄せると、そっと瞼を開いた。
「おはようございます、アイリス様」
ルナは常の笑顔の仮面を被り直し、恭しく一礼する。
「お目覚めの時間です」
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