第十四章
厨房はもう火を落としていたが、コックたちはルナの申し出に優しかった。
彼らもアイリス姫についての噂を、耳にしていたのだろう。
ルナはそれなりに重くなったプレートを、銀のトレイに乗せ、アイリス姫が引きこもっている彼女の寝室へと向かった。
だが近くまで来て足を止める。
誰かの諍いが聞こえた。
そっと伺うと、アイリス姫の寝室の前で、彼女とブッフバルト夫人が口論してる。
「何でよ! 何であなたはそんなに私に嫌がらせをするのよ!」
アイリス姫の声は引き裂かれ、もはや悲鳴に近かった。
「全てはアイリス様のためです」
対するブッフバルト夫人の言葉には感情が無く、機械的ですらある。
「姫様がお勉強なされるのには、環境も変えねばなりません」
「でもそれは大切なものなのよっ!」
「大丈夫、すぐに必要ないものだと理解なさるでしょう」
「煩い! とっとと消えなさい」
「では失礼します」
アイリス姫は寝室の扉を音を立てて閉め、ブッフバルト夫人は侍女のオドレイに何かを持たせて廊下を歩き出す。
こちらに向かってくる様子なので、ルナは素早く柱の陰に隠れた。
「それはすぐに捨てなさい。アイリス様には最早不要です」
ブッフバルト夫人が、オドレイに何かを命じている。
彼女の手には、アイリス姫の縫いぐるみ、ウサギのそれがあった。
二人は潜むルナに気づくことなく、廊下の奥へと消えていった。
ルナはもはや誰の気配がないことを確認すると、アイリス姫の寝室へと向かい、扉をノックする。
返事はない。アイリス姫が無視しているのだ。
「アイリス様」とルナは今一度扉を叩いた。
「どうか私のお願いを聞いて下さい。とても重要なことなのです」
そう訴えると、しばしの時間を置いて、扉が少しだけ開く。
「なによ……っ!」
アイリス姫の涙に濡れた目が開かれ、青ざめた顔に朱が刺す。
ルナが食事を持って来ているのだ。きっと同情された、と思っただろう。
「おまじないをしたいのです。これを使って」
だからルナは機先を封じるために言いつのった。
「……おまじない?」
アイリス姫が怪訝な顔になる。
涙がうっすら浮いている悲嘆にくれていた様子の彼女だが、そう首を傾げる姿は可愛らしかった。
ルナの眼差しが優しくなる。
「はい、私の故郷に伝わるものです。この誰も食べない料理を、尊き方の部屋の窓際に置きます。それは妖精に捧げているもので、もし願いを叶えて下さるのなら、その料理が無くなります……そんなおまじないです」
「妖精」噛みしめるようにアイリス姫が呟いた。
「はい、私は実は今、捜しものをしています。だから失せ物を見つける願をかけたいのです」
アイリス姫はじっとルナが手に持つ、トレイの料理を見つめている。
ぐう、とお腹が鳴った音がしたが、聞こえない、聞こえない。
「あなたが探しているものが見つからないの?」
「はい、必死になって探しているのですが……」
「分かったわ」
やや考えた後、アイリス姫が扉をぐっと開いた。
「あなたのおまじないに付き合ってあげる」
「ありがとうございます」
ルナはアイリス姫のへと入室し、トレイからプレートを窓辺の小さなテーブルに移した。
「では、これは明日朝早く、私が取りに参ります。他の侍女たちには内緒の行為なので、多用無言にしていただきますようお願いします」
アイリス姫の視線を感じながら、ルナは冷静にそれだけをやると、「失礼致しました」と部屋から出て行った。
アイリス姫が何か言ったが、聞こえなかった。




