第十二章
あれは一体、何年前なのだろうか。
まだ彼女の周囲に笑いと、優しさがあった時だ。
ルナは未だ一〇歳に満たなかったが、勉強出来ることが贅沢だと知っていた。
だから父が彼女の為に家庭教師を雇ったとき、天にも昇る気持ちだった。
始まる語学の勉強。
が、それまで接してこなかった本を何冊も重ねられ、彼女は困惑し、学習の方法も分からず立ち止まった。
彼女に与えられた家庭教師は、平気でむちをしならせる男であり、ルナの腕や臀部、肩にそれは振り下ろされた。
一気に彼女は勉強が嫌いになる。
だが、それが我が儘だと自分を戒めたルナは、むちの痛みに密かに涙を流しながら勉強を続けた。
それは唐突に終わった。
彼女をしごいていた家庭教師が、図に乗ったのか、ある時兄・アレクシスの前でルナをむちで打擲したのだ。
アレクシスは猛烈に怒った。
「それは何のつもりだっ!」
あれ程の怒りを見せたアレクシスの姿を見るのは、初めてだった。
「ですが、これは教育でして」
家庭教師はへらへらと抗弁し、その次の瞬間、彼はアレクシスにより頬を殴られた。
「なにを!」と抗議する家庭教師に、アレクシスは言い放つ。
「何もおかしい事はないではないか。これは教育だ。お前が人をむち打つことが間違っていると、私はお前に教育したのだ。お前の理屈が正しいなら虚心に受けろ」
そして、呆気にとられるルナの肩に手を置く。
「どうして言わなかった? このような輩にうち打たれていると」
「で、でもアレクシス兄様……あれは私が悪いから」
「違う」アレクシスはルナの言葉を一刀に切り捨てる。
「教師の本来の姿は、新たなことを知る楽しさを教えることだ。だがそれに暴力が伴うと、知の喜びは恐怖にしかならない。お前は勉強が楽しいか?」
ルナは少し考え首を振る。
「ならばこれ以上の論議は必要ない」
アレクシスはその場で家庭教師を罷免し、ルナの苦痛は去った。
だが、ルナはその後、父に謝罪し新たな家庭教師を雇ってもらった。
彼女は幼いながら気づいたのだ。
兄に甘えてはならない、と。
兄は彼女を信頼したからこそ、あんなに怒気を発したのだ、と。
ルナの兄アレクシスは、彼女が自身で勉強する、勉強できる、と固く信じていたのだ。
だからルナは必死に学びに向かい合った。
いくつかの語学、音楽、数学。
アレクシスを裏切りたくなかったし、彼に失望されたくなかった。
ただすぐに彼女は、彼の言う『知の喜び』を見出せた。
何かを知ることは、実は楽しいことなのだ。
知ると知らないとでは、世界の見え方が違うし、話す言葉の彩りも変わる。
だからルナはその後も、進んで色んな本を読み、知識を深めていった。
そして、義理の兄であるアレクシスの、やや一方的な信頼に答えることが出来た。
今のルナの素地はあの時、形作られた。




