兵士
兵士
「素晴らしい!」
ライムジーアはほれぼれとその馬車を見た。
これ以上は望めないほどに立派な馬車が数台並んでいる。
おそろしくしっかりした木枠に、どっしりとした木の車輪が付いた荷馬車だ。
荷台を囲む板はひび割れていたり欠けていたり、そもそも長さが足りていなかったりしている。割れ目の向こうにはごつごつとしたカボチャを見ることができた。
「これはなんなのですか?」
おずおずとザフィーリが聞いてくる。
「自分で言うのもなんだけど、ほれぼれする計画なんだ」
ライムジーアは胸を張った。
「知っての通り、夏の終わりかけたこの時期。帝国中を各地で採れた農産物を運ぶために荷馬車が行き来している。あまりにもありふれているから、荷馬車は誰の目にも入らない。僕たちは正直者の行商人として移動するわけだよ」
つい昨日のことだ。
男爵の思いのほか手厚い歓待を受けた二日後。
自由を満喫しながら予定を立てていた僕に報せが入った。
僕が城にいないという事実を父帝が知り、皇妃が部下の不手際を詫びる事態に発展しているというのだ。
そこまでなら、飲んでいたコーヒー(何とかいう木の実の殻を焙煎したものだ。いろいろ試した結果、一番前世で飲んでいたコーヒーに似た味を出してくれる。こちらでは飲む者はいないようなので、ほぼただで手に入る。ただ、砂糖の単価は結構高い)がよりおいしく感じられるニュースでしかなかっただろう。
ニュースには、続きがあった。
僕の監視を担当していた皇妃の部下が処刑台に送られ、首を切られる直前に恩赦が下りたのだそうだ。
その後、僕を捕まえて帝都に連れ戻す役を与えらたそうな。
僕を捕まえるまでは帝都には帰るな。任務の途中で帰ってきたり、職務放棄して逃げたら家族を処刑台に送る。そう脅されてのことだろう。
つまりは、正式に追っ手が出された、ということだ。
僕が帝都から乗ってきた馬車は、ザフィーリの部下たちが警護してすでに立ち去っていた。
今ごろは帝都の東側に進んでいる。
で、ランドリークは街に入り込んで、この支度をしていた。
物理的に物を動かしたのは彼だが、手配は僕がした。
三年間帝都の市場で働いたのは伊達ではない。
「最初の目的地は『帝都の穀物庫』アイデスだ。ダブロタルとは少し離れてしまうけど、手に入った商品がカボチャだったから、他に選択肢はなかった」
「カボチャですか!?」
ザフィーリは露骨に驚いて見せた。
「そのとおり」
僕はしかつめらしく言ってやった。
「さて、じゃ用意はいいかな?」
「いいともさ」
シャルディが陽気に答えた。
ランドリークとシャルディ、ザフィーリにシアまでが御者をする。
知らない人間が見れば、ランドリークはいかにも力仕事の得意な人足に見えるし、シャルディとザフィーリが御者兼護衛。シアは馬の扱いがうまい使用人に見えるだろう。
シアはもともと線の細い体つきで今は男物の服を着ている。髪さえ何とかすればそう見せることができた。
僕自身はと言えば、ザフィーリの隣だ。
役職としては一行の主人代理ということになる。
豪商の下に行儀見習いで預けられた遠縁の親戚が、手代として同行している設定だ。
ザフィーリの部下たちは再び小隊規模で周囲に散っている。
そのうちの一つは、男爵家に駐留だ。
帝国貴族ならではの情報源というものがある。いかにひきこもりの変態野郎でも、貴族には違いなく。一応は組織の一員として扱われているのだ。
何か重要な情報が得られるかもしれない。
メラリオ・ベゾンネ伯爵のところにも置いておくべきだったかとも思うが、あの時は思いつかなかったのだから仕方がない。
「アイデスに行ったあとはどうなさるのですか?」
荷馬車が動き始めると、ザフィーリが聞いてきた。
「カボチャを売って穀物を買う。穀物を運んでさらにタブロタルから離れたシウダットの街へ、そこで荷馬車を処分してタブロタル。すべてうまくいけばね」
アイデスまでは四日かかった。
一日目は風が少し寒かった以外は空気が少し乾燥していたぐらいで道はよく、道の左右に広がる農園の農夫たちに見送られて進んだ。たいていは荷馬車のゴトゴトという音を聞くだけで顔も上げなかった。
二日目には、谷に抱かれるようにしてひっそりと存在する村落だった。
荷馬車の群れが、一時的にでも止まって、食事か何かしていってくれないだろうかと期待のこもった目を向けてきたが、止まらないと知ると背中を向けて自分たちの関心事に注意を戻した。
三日目には雨が降り始め、少し痛くなってきたケツの痛みと相まって、ひどく惨めな思いをさせられた。
グリーン車をなんて贅沢は言わない。
新幹線でなくていい。
各駅停車の鈍行でいい、なんならバスでもいい。
もう少しましな交通手段があればいいのに。
四日目の夕方、一行はアイデスを見下ろす小高い丘のてっぺんに辿り着いた。
僕は心底ほっとした。
帝都とまではいわないが、そこそこ大きな町だったからだ。
大きな町ほど、道いく余所者には関心がなくなる。
荷馬車の主が実は皇子だ、なんて気付く者はいないだろう。
「やっとついた」
ザフィーリが言った。
騎馬で駆けまわることの多い彼女に、荷馬車での移動は退屈だったようだ。
先頭の荷馬車を止めて、ランドリークが歩いて戻ってきた。
頭巾が少し後ろへずらされて、鼻の頭から雨のしずくが滴っている。
「ここで休息するか。それとも町へおりるかい?」
「町へ行こう」
僕は当然そう答えた。
「正直者の商人とその御者なら宿と温かい酒場を求めるに決まっている」
「そう言うだろうと思いましやしたよ」
ランドリークがニヤリとした。
一行は丘をくだりはじめた。
僕はランドリークの隣に座っている。
荷馬車の重みに耐えようと足を踏ん張る馬たちの蹄が滑った。
町の門に着くと、汚れたチュニックに錆びついた兜をかぶった二人の見張りが、門のすぐ内側にある監視小屋から出てきた。
「アイデスにどういう用だ?」
一人が聞いてくる。
「帝都にございます、メティロソ商会手代ライヒトゥーム・レグルゾです」
三年間慣れ親しんでいた偽名を使った。
「この素晴らしい街で商いをしたいと思っております」
「すばらしいだと?」
見張りの一人が鼻を鳴らした。
「荷馬車に何を積んでいる、商人?」
もう一人が尋ねた。
「カボチャでして」
僕は恨めしそうな顔を作った。
「メティロソ商会と言えば、香辛料なのですが、私はまだ扱わせてもらえませんで」
溜息を吐いた。
「世の中めちゃくちゃですよ、そうじゃありませんか、だんな」
軽口を見張りは軽く流した。
「荷馬車を調べねばならんが、少々時間がかかるぞ」
「その間、濡れねばなりませんね」
目をすがめて落ちてくる雨を見上げた。
「どうせならその時間、どこか気持ちのいい居酒屋で口の中を湿らせた方がずっとよろしいんじゃありませんか」
「たっぷり金がないとそいつは難しいな」
見張りは期待を込めて言った。
「酒代のたしに、手前からのささやかな友情の印を受け取ってくださると嬉しいんですけどね」
「そいつはすまんな」
見張りは軽く頭を下げた。
数枚のコインが手から手へ渡され、荷馬車は調べられずに町へ入った。
事実、荷馬車に積んでいるのはカボチャだけなので調べさせてもいいのだが、こういう場合は袖の下を渡して通り抜けるのが帝都から地方に出張る商人のやり方なのだ。
帝都に店を構えているという矜持を見せつけるという、見栄のために。
埃っぽい道を進んで、宿屋の集まっている街区の一角に荷馬車をつけた。
荷馬車用の空き地があるのだ。
そうでなければ、宿場町は成り立たない。
もう少しまともなら荷馬車用の空き地でなく倉庫があるものなのだが、それはケチったらしい。
宿屋を決めて落ち着くと、ゆっくりと休養を取らせてもらった。
たまにはベッドで寝るのもいいものだ。
翌朝、朝食を終えたところでランドリークにカボチャの入った袋を一抱え担がせて、取引所へ出発した。
一袋銅貨十枚で買ったカボチャを銀貨五枚で売りつけに。
そのついでに、金貨二枚で売れることがほぼ確定している小麦を銀貨三枚で買うのだ。
交渉はことのほかうまくいった。
商人は忙しいふりをして僕たちに関心を示さなかったし、カボチャは有り余っていると言い張って値を下げようとした。
僕にお世辞を言いつつ、やんわりと勉強が足りないと思い込ませようとしたし、自分がいかに善意溢れる商人かを語って聞かせても来た。
長ったらしい取引で商人が言ったことを要約すると、こうなる。
「カボチャ? 倉庫に入りきらなくて庭にも転がってるよ。だが、君みたいな将来有望そうな子が持ってきたんだ。将来への投資として、買ってはあげられるかもしれん。他の商人では追い払われても不思議じゃないがね。この時期にここへカボチャを持ってくるなんてちょいと商売の修行が足りないな。一袋銀貨三枚でなら買ってあげよう」
そこで、僕がした反論の要約が、こうだ。
「それはすごい! ここから北の地域では長雨がたたってカボチャやイモなんかが軒並みダメになっているっていうのに、そんなに買い込むなんて。いったいどうやって市場を独占したのかコツを教えてほしいですねぇ。あ、そうそう。帝都では今、カボチャの卸値は銀貨六枚です。手間がかかるんで、ここいらで卸そうかと思いましたが、半値とは。それなら素直に帝都まで運んだほうがよさそうだ。・・・時間を取らせて申し訳ありませんでした」
取引所を出ようとした僕は、商人に必死で止められて取引は成立した。
狙い通りの値段で売り。予想どうりの値で買ったのだ。
商売の理屈はこの世界でも同じ。
ただし、三百年ほど駆け引きのレベルが遅れている。
僕は学生だったから前世での商売経験なんてないけど、消費者として宣伝効果とかの実例をいくつも知っている。
前世では何の役にも立たなかっただろう知識や考え方が、こちらの世界ではプロの商売人の嘘を見破り、相場の最高値で売り、最低値で買う、そんな駆け引きを成功に導いてくれるのだ。
・・・一番大きな役割を果たしてくれたのが、ザフィーリの部下たちが集めて持ってきてくれる情報だというのは企業秘密だ。
「・・・たいしたもんですなぁ。商人でやっていけるんじゃねぇですかい?」
「やっていける自信はある。たぶん儲けを出せるだろう。ただし、父帝が死んだ途端、なにかしら理由をつけて全財産没収と国外追放、国外に出る前に不慮の死・・・っていう結末が待っているだろうけどね」
それを避けるために、こうして秘密裏に行動しているのだ。
僕が生き残る唯一の可能性は、たとえ皇帝が―――そのときに誰がそう名乗っているにしろ―――僕の死を望んでも、正面から拒絶するだけの物理的な力を得ること。
それしかない。
再び荷馬車の御者台の隣に座って五日間を過ごした。
その間、町の人々の噂話に耳を澄ませてみたが、僕の行方不明は伝わっていないようだった。皇帝も皇妃も、あまり大きな騒ぎにはしたくないらしい。
予定通りにシウダットに入って穀物と、ついでに荷馬車も売り払った。
「予定通りにタブロタルを目指しますか?」
荷馬車を見なくてよくなって上機嫌のザフィーリが聞いてくる。
僕は少し考えて首を横に振った。
「思いついたことがある。騎馬用の馬を買って、南を目指そう。サージルへね。シア、僕やみんなの『いつもの』服は用意ができているかい?」
「もちろんです。いつでも、お着替えをしていただけます」
「よろしい。では、サージルの手前まではこのまま進む。サージルの手前で、僕たちは本来の姿に戻ろう。ザフィーリ、部下たちに連絡して何隊か合流させて」
「承知しました」