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難民

 

 難民


 「みんな死んじまったよ、トゥリス」

 森の中に無理矢理作ったらしい小屋から、声が聞こえてきた。

 森の生きた木を柱に、切り倒した細い木を積み上げて壁に、枝の上に大きな葉っぱをかぶせて屋根にした小屋だ。

 昨夜の野盗をシャルディが尾行してきて発見したものだ。

 僕はもちろん、仲間たちもそのすぐそばにうずくまったまま聞き耳を立てた。

 「口減らしができたって言えばいいのか? 野盗を続けるための頭数が減ったと言えばいいのか?」

 別のうつろな声が言い返した。

 「どっちでもいいさ。とにかく、他の連中は死んだってことだろ? ダーソル」

 「女たちが腹を空かせているのになぁ」

 ダーソルがボソリと言う。

 なにかをかき混ぜているような音がした。

 「それ、何の根だ?」

 「根っこさ。それ以外に何かあるってのか?」

 トゥリスが苛立ったような声を出した。

 「樺か? まさか檜じゃないよな?」

 祈るような口調でダーソル。

 「バカか。檜なんてヤニが多すぎて食えるか、樫は堅すぎるしな。・・・ちゃんと樺だよ。そこいらの草も入れた、少しは味がするはずだ」

 「そいつぁ楽しみだ」

 ホッとしたようにダーソルが息をついた。

 「だが、女たちにはもうちっといいものを食わしてやんなきゃなんねぇ」

 「問題はそれだな。いつでもそうだが」

 溜息混じりにダーソルが言う。

 「違いねぇ。木の根ばかり齧らせてたんじゃ女の顎はもたねぇ。うちの女房は歯ががたがただぜ。口でしてもらうときに噛まれなくていいが」

 ほんの少しだけ、口調を明るくしてトゥリス。

 「それはうらやましいこって。うちのは死んじまったからな」

 「食わせなかったのか?」

 驚いたようにトゥリスが聞く。

 「食うのをやめたのさ。去年の夏、息子を兵隊にとられて殺されてからな。あとを追うのにそんなに時間はかからなかったよ」

 ダーソルが平坦な感情のない声で応えた。

 「残ったのは娘だけだ。こいつだけは生かしてやりてぇ」

 「ああ。みんな、そう思っていたさ」

 声が沈んだ。

 どうやら、野盗の仲間は彼等だけのようだ。

 出し惜しみするだけの余力も、戦利品を平等に分け与えるような信用もない。

 全員で襲い掛かってきて、この二人以外は死んだのだ。

 あとには女房と娘たちが残されている。

 よろしい。

 僕は立ち上がると馬車まで走り戻って、干したマスを二本抱えた。

 そして粗末な小屋に取って返すと、扉にしているらしい腐りかけた木の板を蹴倒した。


 「こいつをくれてやる!」


 小屋の中で錆びついた鉄なべを囲んでいた二人の野盗に、マスを投げつけながら怒鳴った。二人は鍋を囲んで座ったまま、マスを掴んで茫然としている。

 「僕に付いてくるなら、日に三度の飯も食わせてやろう」

 二人を睨み付け、挑むように言った。

 「おまえたちに仲間がいるというなら、そいつらも全員にだ」

 どうだ?!

 もはや掴みかかって首を締め上げるかのような勢いで言い放つ。

 二人はのろのろと立ち上がった。

 マスは決して離すまいという意思を感じる手に、指が食い込みそうなほどしっかりと握られている。

 「これ、くれるのか?」

 茫然と聞いてきたのはトゥリスのほうだ。

 わけが分からない、と言いたげだ。

 僕が誰か? とか付いてくるならってどこへだ? とかいう疑問はとりあえずわかなかったようだ。

 「そうだ。くれてやる」

 大きくうなずいた。

「仲間たちにも?」

 のろのろと聞いてくる。

 「マスになるかはわからんが、木の根よりはましなものを食わせてやる!」

 ダーソルにも強く請け合った。

 「どこへ付いて行けばいいんで?」

 ようやく、思考力を取り戻したらしくまともな質問が出てきた。


 「まだ決まってはいない。だが、ここより悪いところが世の中にどれだけある?」


 逆に聞いてやった。

 例を上げられるものなら上げてみろ。

 「この世にはねぇんじゃねぇかと思いやす」

 二人して顔を見合わせて、ダーソルが言った。

 そうだろうとも!

 「なら問題はないな?」

 腰に手を当てて、睨めつける。

 「そう、思います」

 二人が揃ってうなずいた。

 「ありがとうございます。お偉い方」

 深々と頭を下げる。

 下げるのに慣れ切っている下げ方だ。

 「仲間たちは、どれくらい集まる?」

 次に重要なのはここだ。

 何人になるかで、これからの行動のしかたに影響が出る。

 二人して、途方に暮れたような顔で首を振った。

 数も数えられないらしい。

 「わかった。この辺りに泊まれるような場所はあるか?」

 「この先に村がある。そこにならあった気がする」

 トゥリスがもそもそと口を動かした。

 彼等が宿屋なんてものを使ったことがないのは明らかかなので、無理もない。

 もともと宿屋自体にはまったく期待していないからどうでもいいが。

 指差したのは街道の先だ。

 「ランドリーク!」

 大声で守役を呼んだ。

 「なんですかい?」

 のそっと出てきたハゲに、二人は少し怯えたようだ。

 「こいつらと一緒に行け。んで、集められる限り集めろ。集め終えたら、この先の宿に報せを寄越せ」

 「本気なんですかい?」

 「野盗としてはど素人でも、畑は耕せる!」

 つべこべ言うな!

 との思いを込めて言ってやる。

 ランドリークは反論をしなかった。

 「行け!」

 「承知しやしたよ」

 二人に合図を送り、ランドリークは小屋を出て行った。

 他の仲間たちが、小屋の外から覗き込んでくる。

 「ザフィーリ、部下と連絡を取れ。小隊の二つか三つを集めたやつらの監視につけることになるだろうからな」

 「わ、わかりました」

 ザフィーリも去った。


 「シャルディ、シア、先に進もう」

 馬に乗ったリザードマンと、小柄な御者の操る馬車、馬車に乗る少年。

 三人だけになった一行は、次の村へと移動した。

 さいわいにも、重苦しく立ち込めていた雲は次第に晴れ上がり、弱々しくも太陽が顔をのぞかせ始めた。

 だが、見えてきた村の状態は想像していたよりも、さらにひどかった。

 村のはずれのぬかるみには、ぼろをまとった六人の乞食が立っていて、懇願するように両手を伸ばし、感情をむき出しにして金切り声を上げていた。

 家々と言っても、それらは中で炊いているわずかな炎の煙が外ににじみ出てくるような粗末なあばら家でしかない。

 泥だらけの道では痩せこけた豚が鼻の先で地面を掘って食べ物を探しているのだが、そのあたりの悪臭はすさまじいものだった。

 それらのかたわらを、葬儀の列が通りかかった。

 ぬかるみの中を村の向こうはしにある墓地に向かって、重い足取りで進んでいた。

 板の上に乗せられて運ばれていく遺体はみすぼらしい茶色の毛布にくるまれているというのに、帝国が保護している国教の神父たちは裕福そうな法衣と頭巾を着け、貧乏人にはなんの慰めにもならない讃美歌を口ずさんでいる。

 未亡人はむずかる幼児を胸に抱いて、亡骸の後についていく。

 その顔はうつろで、目は死んでいるようだった。

 そんななか、驚いたことに宿屋は実在した。

 ビールのムッとするような臭いと食べ物が半分腐ったような臭いがした。

 食堂も兼ねているらしい社交室の一方の壁は火事でもあったのか焦げていて、梁の低い天井も黒く焦げている。

 焼けた壁にぽっかり空いた穴には、ボロボロの帆布がカーテン代わりに掛けてある。

 部屋の中央にある暖炉からは湿った煙が立ち上り、いかめしい顔をした宿の主人はまったく愛想がない。

 夕食に彼が用意したのは、ボウルに入った水っぽいオートミール粥だけだった。

「見事なもんだ」

 シャルディは皮肉交じりにそう言いながら、口を付けていないボウルを押しやった。

 僕は胸のムカつきに堪えかねて立ち上がると表に出た。


 外の空気は少なくとも中よりは綺麗だった。

 ぬかるみの一番ひどいところを避けながら、村のはずれに向かって注意深く足を進めた。


 「お願いです、だんなさま」


 大きな目をした幼い少女が物乞いをしてきた。

 ほとんど下着だけの服装、顔は垢で真っ黒で指先は泥がこびりついていた。


 「パンを一切れくれませんか?」


 僕はなす術もなく少女を見た。

 前世では何度となく夢想した光景だ。

 ご飯と引き換えに身体を要求する。

 テレビのニュースで見たのだ。

 幼い少女が卵ひとパックと引き換えに身体を売っている難民キャンプの情景を。

 あのときは、ごく気軽に少女をベッドに連れ込むまでを妄想していただけだったが、現実に目の前にすると・・・性的な高まりなんて消え失せた。

 「ご家族はいるのかい?」

 問いに少女は頭を振った。

 「名前は?」

 またしても首が振られる。

 まともに名前をすら、付けてもらえていないらしい。

 「家は?」

 今度は村のはずれを指差す。

 崩れかけた納屋があった。

 隣に建つ家はすでに崩れている。

 「おいで」

 手を引いて宿に戻る。

 シャルディが押しのけたオートミールがまだテーブルの上に残っていた。

 「食べていいよ」

 椅子に座らせて、言ってやると皿に齧りつくようにして粥を喉に流し込んだ。

 「偽善は誰のためにもならないと思いますがね」

 少しばかりトゲのある言葉をシャルディが吐き出した。

 「僕のためにはなるさ。少なくとも粥一杯分くらいにはね」

 自分でも信じていない反論。

 溜息をついて、女の子をシアに押し付けた。

 もう少しましな姿にしてくれるだろう。

 宿には三日泊まった。

 まともな食事を出してもらうのをあきらめた僕らは、厨房を一時間銀貨二枚で借り受けると自炊した。

 拾った名もない女の子は、栄養不足で陰気な女の子にクラスチェンジを果たしている。

 とりあえず名前も付けた。

『リオン』と。

 そのうち、容姿は普通で頭は空っぽの女の子にくらいはなれるかもしれない。

 シアが磨き上げてくれたおかげで、多少は垢抜けた。

 服もまともになったし・・・かわいく見えるようにはなった。

 栄養不足が祟ったのか、スタイルは悪いし肌も浅黒く、手は荒れているが・・・女の子にはなった。

 ついこの間まで野良犬よりひどかったことを思えば、隔世の進化だ。

 宿にいる間、暇なのでリオンにいろんなことを教えて過ごした。

 メインは読み書きだ。

 料理や掃除、剣の使い方ならここでなくても学べる。

 もちろん、こんな短期間では大したことは教えられないだろうが、0と1は違う。

 なにかの役には立ってくれるだろう。

 そんなこんなで日を過ごし、四日目の朝になってザフィーリが来た。

 ランドリークと部下たちを合流させてすぐに駆けつけてきたらしい。

 宿の部屋に通す。

 「結局、人数は何人になったの?」

 「三百人です。うち大人の男は三十、女が七十。残りは子供で六割が女の子です」

 正確には数えていないらしい数字だ。

 まぁ、正確な情報などに意味はないが。

 「思ったより少ないな」

 何千人とかいう数になったらどうしようかと思っていたので、少なからずホッとした。

 そのぐらいならどうとでもなる。

 特にこの季節なら。

 「シア、手紙を」

 そう声をかけるだけで、メイドがインク壺とペン、それに便箋と封筒を用意して持ってきた。封蝋用の蝋と、数種類の印璽もだ。

 さらさらと手紙を書き終え、封筒に入れる。

 一番使い古されている印璽を押して封をした。

 その封筒を別の封筒に入れてさらに手紙を添えた。

 「君の部下にこの手紙を渡してくれ。紹介状が入っている。その三百人を少なくとも冬までは食べさせてくれる所へのね。どこへ連れて行くかの指示も入れてある」

 夏の終わりから冬の始まりまで、ある種の農作物を加工するために人手を必要とする産業というものがある。

 そういったところでは朝早くから夜遅くまで、しだいに冷たくなる水の中での作業のため給金はよくても作業者の確保に苦労しているのだ。

 昔見かねたのと給金の高さにつられて、ザフィーリの部下たちまで巻き込んで参加してみたのだが半月で音を上げた。

 契約が三か月だったので泣きながら続けたのは・・・今でも笑い話にできない。

 野盗に身をやつしたくなるほどの辛い困窮を耐えていた人たちなら、食べ物さえあれば働けるだろう。

 「わかりました」

 「僕たちは先に街道を西に進むから、それが済んだらランドリークともども合流してくれ・・・と、そうそう、この子もその三百人の中に入れてくれ」

 多少身ぎれいになった女の子を指差すと、ザフィーリの眉が一瞬跳ねた。

 なにか疑わしい視線がベッドに向いた気がする。

 「ついていらっしゃい!」

 それでも何か言うことはなく、ザフィーリは指示に従った。

 女の子を手招くと、部屋を出て行く。

 この二日間の間に、一緒に旅はしないことを言い含めておいたからか、リオンは振り返りもせずザフィーリについていった。

 「さぁ、こんなところはさっさとおさらばしよう!」

 ザフィーリを見送ると同時に、僕は席を立った。

 荷物は初日に宿に来たときから開けていない。

 いま着ている服は下着も含めて村を出たら即刻焼却処分する決意だ。

 「がってんでさぁ!」

 シャルディも賛成らしい。

 シアが筆記具をしまう間に二人して馬と馬車の用意をした。

 三年間の市場暮らしはだてではない。

 馬車の用意はすぐに済んだ。

 シアが荷物を抱えてやって来て、すぐに御者台に飛び乗った。

 僕たちは粗末な村を逃げるようにして後にした。

 村だけではない。

 この『何とかいう子爵』の領地から一刻も早く抜け出したくて、僕はシアを少しあからさまに急かしてしまった。

 そのおかげか、その日の夕方、ザフィーリとランドリークが合流してきたときには別の貴族の領地との境界辺りにまで進むことができた。

 またしても森の中での野営となったが、明日からはまともな旅ができるだろうと期待した。

 ここよりも下というのは考えられないから、大丈夫だと思いたい。


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