旗揚げ2
旗揚げ2
ラッシュ時の満員電車状態の輸送船での生活は非常に不快で、ただ座っているだけで頭が痛くなった。息をするたびに様々なにおいが鼻をつく。
ありがたいことに、終わりの時期はわかっている。その時まで待てばいい。唯一の慰めにしがみついて耐える。
・・・訂正、いくつかある慰めの一つ、というべきだった。
背中に柔らかくて弾力のある感触がある。エレヴァのものだ。
右腕が深い谷に挟まっている。ザフィーリの。
左腕も同様だ。これはサティオ。
腹と胸には、熱いくらいの体温を感じる。リンセルだ。
僕は周囲を見事に女性に取り囲まれていた。
小さく間仕切りされた個室の一つ、という名の懲罰房の中で。
天国という人もいるかもしれないが、これは拷問といってもあながち間違いじゃないと思う。
ただ、今現在、輸送船の船倉はだいたい全部こんな感じだ。
99パーセントは同性同士でくっつき合っている。
肉体派の陸上軍兵士同士が肉団子状態でいるのを思えば、異性にくっつかれているというのは慰めと取るべきだ。
・・・とでも思わなきゃとてもやっていられない。
「うまくいくかしら?」
こんな状態なのに、ソファにでも優雅に寝そべっているような口調で、サティオが聞いてくる。
耳に直接、息を、言葉を、吹きかけているような感じだ。
「シアならうまくやるよ」
「どこにゴミが落ちているかがわからなくて、メイドは務まりません」
僕の答えに、エレヴァが補足を入れた。
補足になっていないと思う者もいようが、少なくとも僕にはそれで理解できる。
僕さえ理解していれば、エレヴァもシアも文句はない。
他の者がどんなに懸念していようと関係ない。
作戦の流れ自体は、そんなに複雑なものではない。
造船所を現有戦力で攻略する。ただし、無傷で。
この必要を担保するため、地上から攻撃しようというだけのことだ。
造船所は大河に流れ込む支流の河岸に広がっている。後背と上流側には山々がそびえ、その豊富な森林資源が往年の造船産業を支えたのだった。下流側には、巨石がごろごろと転がる荒れ野が広がっている。
農地には向かない環境。人は住んでいない。
この荒れ野に、輸送船十五隻に詰め込まれた陸上戦闘員ザフィーリ隊80とヴェルトとガゼット1300、市民兵2000を運び、そこから造船所を襲撃する。
作戦の成否は、ギリギリまで陸上戦闘員の接近に気付かせないことにかかってくる。
今回、シアに任せた任務は、荒れ野を見張る見張りの無力化と陸上戦闘員の攻撃に呼応して街中で破壊工作を行うことの二点だ。
「それを一人でやるというのは・・・・・・」
地上戦の専門家であるザフィーリが頭を振った。
言いたいことはわかる。
特殊な訓練を積んだ工作兵の、一個中隊でも差し向けなければ成功は望めない任務だ。
それをメイド一人に任せようとは。
シアが、どうやってこの任務を成功に導くのか僕は知らない、尋ねもしなかった。「できるか?」、と聞き「できる」との答えを返された。
それで充分。
「揚陸地点を視認。上陸用の渡り板を準備中」
伝声管からの報告がくぐもりながらも届いた。
安堵のため息がそこかしこで出たことだろう。外に出れば、そこは戦場だ。だが、少なくともこの棺桶か らは出られる。心なしか船が余計に揺れた気がした。
全ての曳舟と、輸送船が板と縄梯子でつながり、曳舟と河岸にも板が渡された。
事前に定められていた順番で、陸上戦闘員が輸送船を降りていく。
すぐに身を隠せる岩陰を見つけては移動している。
近代戦闘なら、この時点で拠点防衛用の速射砲か何かが雨あられと銃弾をばらまくのだろうが、この世界にはまだセンサーもなければ銃器もない。
静かなものだ。
「地上に出たら存分に手足を動かせ、ここではできないことだが、あそこではできる。ただし、股間はしまっておけよ。うちのレディに食われたくなかったらな」
輸送船の甲板に出て軽口を言うと、いくつか笑いが起こった。
ここにいるのはザフィーリの部下たちと収容所から解放した市民ばかりだが、市民兵からも笑いが漏れている。
彼等は、自分たちを指揮する者が自分たちと同じ戦場に立つことなどあり得ないと考えているはずだった。
でも僕はここにいる。
特別な船や部屋は作らなかった。
彼等と同じ条件の下、ここまで来た。
彼等は僕の軍隊だ。だけど、僕のために死すべき義務を負っているわけではない。
そんな彼らに、僕への忠誠心を持ってもらうには、こういう地道な積み重ねが必要だ。
遠目に、町の外壁が見えている。
造船の町を囲む板壁はそれなりに頑丈なつくりをしていた。
戦時中に作られたものだろう。
だが、放置され続けた時間と街を受け継いだ勢力の怠慢のおかげで、はっきりとした穴が見て取れた。
最後の戦闘時に破壊された穴を、誰も修復していないようだ。
それでも、それらの穴は多少の衝撃で崩れるような代物ではない。
ヴェルトとガゼットの部隊が、やすやすと登っていく。
「では、わたしたちも」
ザフィーリが負けてられない、と言いたげに急かしてくる。
僕は苦笑を押し殺して、うなずいた。
「行こう!」
板壁を越えて、壁近くの建物に飛び込んだ。窓やドアを破って中に突入、床に横転すると、起き上がって武器を構え、敵を探した。
兵たちが安全を確認していく。
通常なら、ここは守備側の防衛拠点となるはずだったのだろうが、攻撃の橋頭保にさせてもらおう。
「向うの建物で、眠りこけたまま縛られた海賊の一団が見つかったそうです。シアの仕業でしょう」
他の部隊との情報共有もうまくやれているようだ。ザフィーリが報告を上げてくる。
「ああ。シアはキッチリ任務をこなしているようだ」
不安だったわけではないが、声に「よかった」の響きがのってしまうのを止めることはできなかった。
輸送船から地上に吐き出された兵士たちは散開して身を隠すために建物内に走り込み、輸送船は静かに川を上っていった。安全な位置で待機することになっている。
陸上戦闘員の第一陣が占拠した場の防備を固めると、陸上戦闘員部隊の大部分が内側を向いて町攻略の準備をした。
防備を固めておけば、突然の襲撃で恐慌に陥った敵の暴走で、被害を拡大させられるような愚は犯さないで済む。
「相手は海賊だし、陸からの襲撃は予想していなかったはずだ。まともな反撃はないように思うが、一応慎重にな」
「もちろんです」
実戦経験のある人間に頭だけの僕が言うようなことではないのだが、ザフィーリは素直にうなずいて部隊を動かしに戻っていった。
「おかしいにゃん」
ザフィーリの後姿を見送る僕の背中を、リンセルがつついた。
「どうした?」
「敵の動きが変なのにゃん。誰も斬りかかってこないにゃん。にゃーたちを見ると避けるように下がって・・・でも、逃げないのにゃん」
わけがわからない、とリンセルが眉を下げて困惑顔だ。
『誰も』。個人プレーが多い海賊が誰一人無謀な戦いに挑戦しようとしない。
かといって逃げもしない。
まるで、統制がしっかり利いていて、反撃の準備をしているかのような。
海賊が?
「・・・ねぇ?」
考えていると、サティオが声をかけてきた。
眉を寄せて、思案顔だ。
「私たち、すっごい間抜けな勘違いをしていないかしら?」
嫌な予感が背中を走る。
サティオは確かに、色ボケの困ったちゃんだが優秀な人間だ。論理的なエルフでもある。その彼女が、こんな言い方をするというのは・・・。
「と、いうと?」
答えを聞くのが怖いが、聞かずに済ませられることでもない。
聞いてみた。
「私たちの敵って、海賊なのよね?」
何をいまさら、と思いつつ頷く。
「あ、ああ、そうだ。マリーゼが言うにはブエルハーフェン水軍の残党だっては・・・話だ・・・が!? しまった!」
サティオが言わんとしていることも、この状況も、突然理解した。
「仮にも軍なら、配下の兵を統制していて当然だ。戦力は必要なとき戦力として使えなきゃ意味がない。海賊だからって侮ってはいけなかった!」
僕は異世界に転生したとはいえ、チートな能力なんて持っていない。前世から引き継いだ知識と、つごう四十年分の人生経験だけが武器なのに、頭をまったく働かせていなかったことに気が付いた。
本当に間抜けだ。
「ザフィーリにヴェルトとガゼット、三人に伝えてくれ。われわれは、予想よりずっと重大な脅威と向かい合うことになりそうだ。どの程度の攻撃を受けるか判断するために、町の防衛の実態を調べるように、と」
「いってくるにゃん!」
それは自分の仕事、とばかりにリンセルがすっ飛んでいく。
「・・・失態です」
「ん? ああ、すまない。僕がいい気になりすぎたせいだ」
エレヴァの言葉に、鈍器で殴られたような衝撃を受けながらも、僕は頭を下げた。事実、これは僕の浅墓さが招いた失態だ。
「いえ、ライムジーア様のではなく、シアのです。こういったことを先に確認して警告してこその潜入ですのに、何の警告も寄越してきていません」
「それは・・・」
警告しようにもできない状態だからだろう、そう言いかけて口を閉じた。
その状態、の中には発見されて殺された、も入る。
なん分か、沈黙が続いた。
「ライムジーア様、獣人族の斥候が街に威力偵察に行きました。町は完全に要塞化されていて、頑強な防御陣を布いて待ち構えているそうです」
ザフィーリが駆け戻ってきて報告した。
リンセルもいる。
ザフィーリが戻ってこれるということは、どうやら最前線にはヴェルトとガゼットの獣人軍がいて、ザフィーリと部下たちが率いる市民兵は中衛から後ろにいるようだ。
「くっ、やっぱりか」
引き上げるか?
撤退、の言葉が脳裏にちらついた。
「ここは―――」
「にゃあ!? 後ろにも敵にゃあ!」
一度撤退しよう、そう言いかけた言葉が掻き消された。
リンセルが、板壁の向こうを指差して叫んだからだ。
後ろを振り返る。
松明の明かりが見えた。こちらと同数か多いくらいだ。
してやられた。
完全に罠にはめられた。
こちらの作戦が何らかの形で敵に筒抜けだったようだ。そうでなければこんな動きができるわけない。
・・・いったいどうして?
原因を究明したくなるが、頭を振って切り替えた。
起きてしまったことを考えるのはあとだ、これから起きることに集中しよう。
「・・・どうやら、敵に首を切られるか、自分で墓穴掘って潜り込むか、だな」
「どっちにしても死ぬってこと?」
「神にも悪魔にも見放されたのなら、自力で何とかするしかないって話さ」
そう、撤退も不可能となったのなら愚痴っても仕方がない。
自分で道を切り開くまで。
つまり・・・。
「総攻撃をかけるぞ。一点集中攻撃だ」
「はっ! 包囲を強行突破して―――」
「違う」
気合を入れようとしたザフィーリに向かって手をひらひらさせて止める。
「攻撃するのは向うだ」
町の中心を、僕は指差した。
ザフィーリが息を呑んだ、
「正気?」
サティオが聞いてくる。この期に及んで、まだ甘ったるい口調を改めていない。
「いたって論理的な選択ですよ。後ろの敵を破ったところで逃げる先は巨岩地帯、次々に追いつかれて終わりです。前に進んで、防御陣を突破できれば、敵の陣地を占拠して何とか戦える可能性を手に入れられる」
生き延びたいなら、選択肢は一つだ。
「ザフィーリ、明かりだ。敵の正面に薪を積み上げて明るくしろ。そして、市民兵を率いて攻勢にかかれ、狭い範囲に的を絞って波状攻撃するんだ」
「承知!」
短く答えて、ザフィーリが走っていく。
「リンセル、ヴェルトとガゼットに伝令だ。いいか―――」
リンセルを手招いて僕は、ちょっとした作戦を授けた。
「―――わかったか?」
作戦を伝え終えて、確認を取る。
リンセルが顔を輝かせてうなずいた。
「任せるにゃん。一族の誇りになる働きをしてみせるにゃん!」
目がキランッと光った。
リンセルも走り去っていった。
「エレヴァ、君にも前戦に出てもらうよ」
「そうだろうと思いました。失地挽回させていただきますわね」
ふわり、と微笑んで、エレヴァも消えた。
残ったのは僕とサティオだけだ。
「こういうとき。文官ってつまらないわね」
「サティオまでいなくなると、僕がさみしいからいいんじゃないかな?」
「あら・・・退屈しのぎに『なに』をしたいのかなぁ?」
クスクス笑って、サティオは僕にのしかかってきた。




