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幕間――潜入――

 

 幕間 ――潜入――


 かつては大いに賑わったのだろう造船所も、今や裏錆びれ、木材の腐臭が色濃く漂っていた。それでも、完全に死んだわけでもなかった。ところどころで未だ消えず、職人の創作活動は続いている。


 そんな中を一人の『女』が歩いていた。

 武器らしきものも持たず、荷物はほつれの目立つ背嚢だけ、服はこの辺りのものなら職人から農民まで幅広い職業と年代層で着られている地味な色のゆったりとした作業着だ。

 長く着込んだらしく、ところどころ色落ちしている。

 ゆったりめの服は、着込んだ者の性別や体形を見事に隠していた。

 埃をうっすらと乗せた髪は、元の色を知ることを阻むかのようだ。

 背中を丸めて、やや前かがみの姿勢。

 周囲の状況に完璧に溶け込んでいる平凡な人間。

 誰の関心も引かず、当然警戒もされない。

 目的地は街の中心だ。

 造船のために作られた造船の町でも、町である限り、ある種の決まり事には逆らえない。

 中心街。つまりは歓楽街と呼ばれるものは必ず存在する。

 まして、ここは今や海賊の巣窟だ。

 酒を提供する店がないはずはない。目的に合致するバーはすぐに見つかった。


 店内に足を踏み入れ、周囲を見回す。ついでに髪の上の埃を払い、作業服の前を開く。飾り気のないシャツが覗くようになるが、もっと覗くものがあった。

 豊かな隆起。

 見事なバストが、薄暗い光の中で存在感をアピールしている。

 銀色の髪の女。かなり目立つ。

 辺りから、ヒュー、と口笛があぶくのように連鎖して上がった。

 気付かないふりをして、カウンターに座る。注文もしないうちに、目の前にグラスが置かれた。


 「俺からのおごりだ、飲んでくれや」

 酒と垢の臭いのするだらしのない男が、後ろに立っていた。

 「ありがとう」

 感情の抜け落ちた声がカウンターの上を滑った。



 一時間と経たないうちに、二人は『ソレ』目的の宿屋に入ろうとしていた。

 ドアが閉まると、女は不安げな表情で辺りにちらちらと目を向けた。

 「あの・・・こんなことをして、あなたの上の方たちに睨まれたりしないのですか?」

 「ん? 心配してくれんのかい? 大丈夫、上の奴らは街の真ん中になんかこねーよ。普段から住み着いてる河とは反対の住宅地で、女侍らせてんだからな」

 「あ、そうなんだ。・・・えと、あなたのお家はどこにあるの?」

 「なんだ? 一緒に住もうとか言う気じゃねぇだろうな!」

 いやそうな口ぶりだが、その顔はにやけまくりだ。

 「ただで泊めてくれるなら、ね。あとは・・・場所によるかな」

 照れたような顔で上目遣い。鼻にかかった声で、まるで甘えているようだ。

 「もちろんタダさ。場所はな、東街区の家具屋だ。名前は確か・・・ああ、『アルトヴェルカーの店』だ」

 女はするりと体を動かし、男の頭を抱え込んだ。

 ゴキリと鈍い音がして男がくず折れるのをそっと受け止めて床に寝かす。


 「鈍っている。皇子様のところに落ち着くまではもっと簡単に殺せたのに」

 床にひざまずき、死体相手にぼやいた。

 眉一つ動かさずに男を剥いていき、汚れた下着以外の全てを奪った。

 わずかな金と、何か――たぶん自宅――のカギ、あとは切れ味の悪そうなナイフだ。

 たいした価値のある物ではないが、なにかの役には立つだろう。

 金はすぐにでも取り出せるよう作業着のポケットに、ナイフは大きなパットと入れ替えて胸元に滑り込ませた。外した胸パットはごみ箱に放り込む。他は背負っていた背嚢にきちんと畳んで入れておく。

 男の死体をクローゼットに押し込んで部屋を出た。

 宿泊費は前払いだ。明日の朝までは誰にも気づかれはすまい。

 誰もが自分のことに多忙で、他人の動きに興味などもたない。

 男と部屋に入ったばかりの女が一人で出てきても、気に掛ける様子はない。



 女が向かったのは男の自宅だった。

 家はすぐに見つかり、手に入れた鍵でドアを開けると中に入った。意外に片付いている家の中を、物色しながら歩く。

 役に立ちそうなものは見当たらないが、元より期待などしていない。

 比較的安全な隠れ家ができた、それで充分。

 皇子と別行動をするのなんて、本当に久しぶりのことだ。

 すぐにでも会いに行きたい思いを抱きしめて、シアは準備を始めた。

 この家の主の服に着替え、ここに来るまでに見かけた海賊の姿をまねて自分の姿形を変えていく。目立たないように。突発的な事態にも対応できるように。

 必要な準備を整えると、その『男』はそっと家を出た。キッチリと扉も締めて。

 二十分後。

 『男』の姿は、造船の町の下流側にあった。

 くたびれた、海賊が好んで着るような服を着て、身なりに気を使わない不精な男がそうであるように、乱れた髪をターバンで無理矢理押さえつけた頭をしている。

 頭の上で、ただ面倒だから、と長く伸びるままにされた髪が、あちこちに跳ねていた。

 左手で頬杖をつきながら、乾いて硬くなったパンを、塩気の強い水で飲みこんでいる。

 辺りでは似たような風情の男たちが、同じように、面白くもうまくもなさそうに食べ物を咀嚼し、水で胃に流し込んでいた。

 夜勤の者たちだ。

 これから夜中、歩哨をするような連中が、彼等にとっての朝食を食べている。

 『男』は耳と目を最大限に酷使して、誰がどんな地位にいて、どこの担当なのかなどの情報を集めて、脳に叩き込んだ。

 そうして必要な情報が集まる中、並行して細工を施していく。

 彼等は知らなかった。自分たちの食べ物が、『男』が食べているものと全く同じというわけではないことを。

 遅効性の睡眠薬が混入されているということを。


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