水軍
水軍
会議の後、水軍のための隊形訓練の様子を見つめながら、僕は頭を抱えている。
ザフィーリたちに陣形を教えたとき以上に先が長そうなのだ。
・・・また!
怒鳴りつけたくなる衝動を必死にこらえる。
全船が列を作り、二次元的に正四角形を形作るよう指令を出しているのに、何隻かが指定の位置につかず、他の船がすでにいる場所に寄っていこうとしている。
なにかこだわりがあるらしい。
宗教裁判でもするべきか?
「『関屋』は『若紫』を押し倒したいらしいな。惚れているんだろう」
「でも、『若葉』は『末摘花』の方が好みのようですね」
「三角関係はよくないな。『関屋』にはあとで横恋慕は見苦しいから、やめとけと忠告してやってくれ」
「そうします」
怒鳴りつけるのは簡単だが、あまりいい効果は出ない。
前世で言うところのパワハラになる。
そもそも、部下を大勢の同僚の前で怒鳴るとかなじるとかいう行為が許されるのは、戦中の軍隊までだ。まともな職人なら、個別に呼んで叱りつけるのが本道だろう。
太平洋戦争時の連合艦隊司令長官山本五十六の言葉が思い出される。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ』
『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず』
『やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』
あることで、指導者のやりように憎悪が募っていたとき、これを目にして衝撃を受けた。軍隊と言えば、精神論で強引に押す姿しか浮かばなかったものだが、戦争に突入していこうという時世にありながら、こんな風にちゃんと人を育てることに心を砕いた指導者もいたのか、と。
『関屋』、『若紫』、『末摘花』というのはガレー船に僕が付けた船名だ。
出典は源氏物語。
『なぜか』、完璧に記憶している。
日本海軍の艦名と迷ったのだが、結局こっちにした。
ちなみに全部挙げると、
ガレー船二十二隻、『桐壺』、『葵』、『帚木』、『賢木』、『空蝉』、『花散里』、『夕顔』、『須磨』、『若紫』、『明石』、『末摘花』、『澪標』、『紅葉賀』、『蓬生』、『花宴』、『関屋』、『絵合』、『横笛』、『松風』、『鈴虫』、『薄雲』、『夕霧』。
キャラベル三隻とスループ四隻は旧暦から『睦月』、『如月』、『花朝』、『仲春』、『令月』、『弥生』、『嘉月』。
輸送船十五隻は星の和名から『青星』、『赤星』、『碇星』、『色白』、『運漢』、『開陽』、『河漢』、『玉衝』、『煌星』、『銀河』、『銀漢』、『銀湾』、『九曜』、『螢惑』、『計都』。
曳舟は八十三隻と数が多いので六隻を一つのチームとして、チーム名+番号で表す。
チーム名は風の異称から『青嵐』、『青北』、『朝凪』、『凍風』、『颪』、『貝寄』、『花風』、『雁渡』、『暁風』、『颶風』、『薫風』、『恵風』、『黄砂』、『黄塵』。
各船の名称は「『青嵐』1号」という具合になる。
これらを、そのままの漢字で書いて、こっちの世界の文字で読みを示すフリガナをつけさせた。なかなか奇妙な感じを受けるが、ならどんな名前を付けるかとなるとこれもまた難しい。かといって、無名のままだと、報告をするのも受けるのも困る。
いの18番、とかK-115とかだと言われても咄嗟には思い出せなくなりそう。
となると、こうすることしか思いつかなかった。
僕以外には意味がないような名前だが、最悪記号として認識してもらえればそれでいい。
結局は、個別に区別できれば用は足りるのだ。
いま、木工職人が総出で、各船名を板に彫り込んで各船に取り付ける作業を行っている。
あとは、帆に旗印でも書きたいところだ。
そんな余裕はないが。
それ以前に、この様では船団とか呼べない。
まして、艦隊とか無理。
早いとこもう少しましな動きができるようになってほしいものだ。
・・・なんとかならないものかな?
そう考えて、ふと気が付いた。
水軍、というか水上のことなら専門家が目の前にいるじゃないか、と。
「なぁ、マリーゼ。もし、もしだが、今すぐ一糸乱れぬ動きをあの船団にやらせなければならないとして、何か手はあるか?」
実行可能な答えが返ってくるとは期待していない質問だ。
なにかの参考に、というつもりでした質問だった。
できるのなら、とっくにやっているだろうから。
マリーゼは僕を見つめて、数秒眉を寄せた。
やはり難しいのか?
「そうですね。『船を完璧に動かす』という目標が果たせればそれ以外はどうでもいい、との仰せなら・・・可能です」
・・・・・・え?
「で、できる、と?」
「ですから、目標以外のすべてに目をつむるなら、です」
脇を締めて、両手を前に出し、両の掌を広げる。
よくマンガやアニメの女の子が、なにかを遮るときに使うあのポーズをしたうえでマリーゼは首をすくめた。
よほど無茶な条件をクリアする必要があるようだ。
だが、方法があるのなら聞いておきたい。
聞いておかなくてはならない。
「どんな方法だ?」
「あー・・・・・・」
マリーゼが目を泳がせて、困ったように頬を掻く。
「言え、命令だ」
あまり好きなセリフではないのだが、ここは仕方がない。
少し強引にでも、答えを聞いておきたい。
「わ、わかりました・・・えーと・・・」
わかりましたと言いつつ、まだ躊躇があるようだ。それとも焦らしているのだろうか?
僕はじっと待った。
目を泳がせていたマリーゼの揺れる瞳が僕の目を見つめて止まり、ふぅ、と小さな溜息をもらす。
「・・・ヌットゥリーアを全船の船長にすれば、できます」
「・・・は?」
「うまくいっていない理由は、ただ一つです」
周囲の船すべてを表すつもりなのか両腕を大きく振って、マリーゼは言った。
「動くタイミングと方向は知っていても、その動きをするのに風や波がどれだけ影響を受けるのかを船長たちにわかる人がいないからです。たいていは、助けになるのか邪魔なのかさえ判断できていません! そういう条件が必要だということにすら気が付いているのかどうなのか」
言ってしまったので勢いが付いたのか、堰を切ったように言葉があふれ出す。
思うところがたくさんあるようだ。
だが、納得はいく。
確かにそうだ。
地面の上なら、地表の状態がどうだとしても、それは他の者もたいていは同じ条件だから合わせられる。
でも、水の上はそうではない。
風の動きも強さも、波の向きも、一定ではない。
船の性能もそうだ。
同じ種類の木材を使い、同じ技術で作られてはいても。全部同一の船大工の作であるわけはない。木の一本一本がそれぞれ違う一本であるように。船も一隻一隻別の船なのだ。
漕ぎ手もみんな異なる。
条件を合わせることなど不可能に近い。
この際、不可能と断言してもいい。
だから、うまくいかない。
マリーゼは、そう主張している。
それでも、それを同時にできる方法があるという。
それは、つまり・・・・・・。
「ヌットゥリーアになら、風と波を読んで、そういった差を整合できる。と言いたいわけだな?」
「そうです。ですが、案内人のような立場では微妙なずれができてしまうでしょう」
「完全なものにするのなら、船長にするほかない。そういうことか?」
「そのとおりです」
筋の通った話だ。
ただ、一つ腑に落ちないことがある。
「なんで、そんな大事なことを言わない?」
「無意味ですから」
僕は数秒そのまま待ったが、マリーゼはこれですべての説明を終えたつもりのようだ。
「なぜ、無意味なんだ?」
この質問に、マリーゼは首を傾げながらも答えようとしている。
「ヌットゥリーアを船の責任者にするなんてあるわけがありませんから」
なぜ?
と言いかけて、僕は自分の馬鹿さ加減に気が付いた。
肩の上に乗ったこの丸いものはスイ「船の上で生きて、死ぬことを許してくれるなら。存分に働いて見せる」。そう言ったのではなかったか?
船に乗ることすら禁じられていたのに、船長を任せてもらえるなんて考えられないことなのは当然じゃないか?
「・・・・・・マリーゼ」
「はい?」
「ひとつ言っておくことがある」
「な、なんでしょう?」
目をパチパチさせて、マリーゼ。
戸惑っているらしい。
「僕は皇帝じゃないし、帝国のやり方を模倣する気もない」
「・・・?」
なにを言っているのだろう?
とばかりに首を傾げられた。
よろしい。
ハッキリ言ってやる。
「全船の船長並びに、船の航行に関するすべての役職をヌットゥリーアに任せる。そのための人事権も君に任せるから、直ちに人員の再編成を行え!」
「・・・・・・・・はい?!」
目を真丸くしたマリーゼが口も大きく開けた。
白い小さな、そして綺麗な歯並びと可愛らしい舌が見えた。
「いま、このボサダにいるヌットゥリーアを適した地位につけて、船団がちゃんと船団として動けるようにしろ。明日の訓練では、完璧な動きを見せてくれ」
真顔で、ずいっと顔を寄せる。
彼女の瞳に自分が映っているのが見える距離だ。
・・・近付き過ぎたかもしれない。
マリーゼの息が頬に触れるのを意識して、ちょっとドギマギするが、そのまま見つめ合う。無言の会話が繰り広げられ・・・
・・・って、恋人かよ!
思わず自分にツッコんだ。
でも、本気と真意は伝わってくれると思う。
「・・・ほ、本気・・・なんですね」
伝わったようだ。
恥ずかしげに頬を染めて、瞳を逸らしているが、そんなことは問題じゃない。
「わ、わかりました。やってみます」
ギュッ、と一度目を閉じて、大きく息を吸う。
目を開け、決意のこもった瞳で僕を真正面から見つめ、マリーゼは敬礼をした。なぜか、前世の水兵と同じ、手の甲をこちらに向ける式のものだ。
身体の作りが同じで、職業が同じだと、結局は似た感じに落ち着くのかもしれない。
「よろしく頼む」
心を込めて、僕も答礼した。
寄せ過ぎていた顔を戻して、背筋を伸ばして右手を頭に、踵を合わせる。
結構うまくできたのではないだろうか。
「はいっ!」
そのおかげか、マリーゼは顔を輝かせて、いい笑顔を見せてくれた。
これで、水軍の改革はうまくいく。
そう確信した。
翌日には、確信が現実になったのを目の当たりにした。
目の前で、ガレー船とキャラベル、スループ、曳舟、百隻を超える船が、完璧な集団行動をしてのける。
海で見る小魚の群れを彷彿とさせる流れるような動き。
「素晴らしい!」
思わず拍手した。
期待以上の出来だ。
「全部の船をヌットゥリーアに任せると言っていただきましたが・・・人数的な問題でそうはなりませんでした。主要な船だけです。曳舟はチーム? の1番の船だけがヌットゥリーアです」
すまなそう、残念そう、な顔でマリーゼがちょっぴりうなだれる。
「いや、充分だよ。人手の不足については、今後も戦力の拡充は進めるから、そのときに考えよう。とにかく、これでいつ誰と開戦することになっても動きが取れなくて惨敗、っていう結果だけは見ないで済む」
「もちろんです! そんな無残な姿はヌットゥリーアの誇りにかけて晒しません!!」
気合の入った眼で睨まれて、僕は思わず震えた。
逝ける!
・・・じゃなくて!
行ける!!
どこにでも!
どこまでも!
さぁ! 次の獲物はどこだ?!




