海の民
海の民
「航行可能になったそうだにゃん。指示をどうぞにゃん」
伝言係を引き受けてくれたリンセルが報告してきた。足元がどんなに散らかっていても揺れていても、へっちゃらで歩けるらしい。
「後続の輸送船団への警告のため、一隻はここに残す。もう一隻と本艦は、ガレー船団を追う。ザフィーリにそう伝えてくれ」
「わかったにゃん」
尻尾をクルンッと回して、リンセルが走っていった。
さて、本拠地制圧はうまくいっただろうか?
うまくいっていた。
本拠地に残っていたのは、エスクラーヴェの他は雑用として使われていた別の人族と、貧乏くじを引かされて留守番していた海賊だったようだ。
攻撃的で、バカな海賊が数名抵抗した以外は、ほとんど無抵抗で降伏要求を受け入れたらしい。
船着き場に降り立つと、すぐにシャハラルが報告してくれた。
本拠地のほうはロロホルが潜んでいる敵がいないか慎重に確認をしている最中で、ヴェルトとガゼットは施設警備と、捕らえたエスクラーヴェ、海賊、その他の監視に当たっている。
「彼女が、上陸に際して協力してくれました。海賊に捕らえられ、働かされていたそうです」
シャハラルが紹介してくれたのは綺麗な赤毛を肩口で切りそろえた女性だった。肌は赤銅色で、目は琥珀色だ。
くっきりとした目鼻立ちで、情熱的でエキゾチック。
見た目が特徴的なので、彼女の正体は一目でわかった。
「ヌットゥリーアか」
ヌットゥリーア。水辺を生活の場とする民族だ。エスクラーヴェのように特定の国や領土を持たず、ほとんどが船や筏状の住居に住む水上生活者だ。船乗りが大半だが、灯台守や、海上の監視員もこの世界ではヌットゥリーアの役目になる。
「ええ。ヌットゥリーアのマリーゼ・ネロマンです。きっと皇子様の役に立てると思います」
もうこちらのことも聞いたらしい。
「僕の味方になっていいのかな? 絶対に苦労すると思うけど?」
問い掛けながら、思わず胸に目が行ったのは本能だ。
仕方がない。
気が付いたらしく、わざと胸を突き出してきたので「セクハラですっ」と叫ぶような女ではなさそうだ。
まぁ、セクハラの概念自体ないだろうけど。
「ヌットゥリーアは自由の民よ。風と波に揺られてどこにでも行く。こんなところに閉じ込められるのも、永遠に足を地につけて生きるのもごめんだわ。皇子様が、あたしに船の上で生きて、死ぬことを許してくれるなら。存分に働いてみせるけど?」
キッチリ条件を突き付けてきた。
こんなところに閉じ込めたのは海賊。永遠に足を地につけて生きることを強要したのは皇帝だろう。
どちらにももう従いたくない。だから僕に付く、と。
そういうことなら話は早い。
「君は今から旗艦の艦長だ。水軍全体についても責任を負うものとする」
「アイ・アイ・サー!」
にやり、と笑ってマリーゼは拳を突き上げた。
僕も気が付くと笑みを浮かべていた。
安堵感のためだ。
これで、ようやく陸水両方の軍の統括者を揃えられた。
おそろしく脆弱だが、陸戦の専門家に船の運航を託すよりははるかにましな状態になったと思いたい。
「じゃ、初仕事。あの小船団を撃破するよ。できれば、味方に引き入れるか、最悪でも船は手に入れたい」
到着してすぐに見かけたキャラベル三隻に、スループ四隻が加わった小船団を指差す。
「よろこんで」
マリーゼは三日ぶりにガゼルを見つけたヒョウのような顔で笑った。
三十分後。
再び戦闘員を載せた二十一隻のガレー船が動き始めた。
旗艦『桐壺』の船底亀裂も応急修理が済んでいる。
「我々は、この水域内の支配権を掌握しました。我々の支配を受け入れ、服従を誓いなさい。役に立つ者の参加は歓迎します」
女の細い咽喉から出たとは思えない声量で、降伏勧告がなされた。
これなら、向こうの船団にも届いただろう。
届かなかったとしても、マリーゼの言葉は鐘の音と旗の合図でも送っている。
これも大きな進展だ。つい一時間前までは鐘の音しかなかったし、鳴らす方も聞く方も音の意味を理解しているかと言えば、あやふやな記憶が頼りだった。
それが、ちゃんとした手旗信号でより正確に多くの情報を知らせ合えるようになった。
これならば、向こうに話を聞く意思がありさえすれば、こちらの言いたいことを容易に知ることができるはずだ。
「演説が感動的すぎたんじゃないかしら? 降伏のしるしを上げ忘れたまま抱きしめに来ているわよ」
サティオが間延びした口調で指摘してきた。
小船団が、こちらに向かって移動し始めたのだ。
「感涙にむせぶ乙女の抱擁は受け止めるのが礼儀だけど・・・」
ライムジーアは頭を横に数回振った。
「残念ながら、あれは乙女ではないし、感激したわけでもなさそうです」
マリーゼが平坦な声で言って、肩を上げ下げした。
僕も不本意ながらうなずいた。
「彼らの狙いは、この旗艦を破壊して君を殺すか捕らえることで起死回生を図ろうということのようだ」
降伏勧告をしたのはマリーゼだから、司令官もマリーゼだと思っているらしい。
「追いかけなくていいのは楽ですね。子供のころから鬼ごっこは嫌いでした」
「疲れるから?」
「足を使って走らないといけないからです」
なるほど。
「・・・水の中なら?」
「嫌いではありませんが、退屈なのでやりたくないですね。あたしに追いつける鬼はいませんし、あたしから逃げられる者もいませんから」
なるほど。
度胸があるし、ユーモアもある。
なにより美人だ。
これはいい人材が手に入ったと喜んでよさそうだ。
敵の小船団がさらに接近してくる。
甲板に立つ戦闘員の顔まで見える距離だ。
「右側は前進、左側は後退」
指示が飛んだ。
旗艦の漕ぎ手に対して、右側は普通に漕げ、左側は逆方向に漕げ。
そういう指示だ。
結果、船は小さな円を描いて反時計回りに回った。
前方、舳先すれすれを敵船、キャラベルの一隻が通過した。
と、同時に回転に巻き込まれたスループの二隻が、無理な回頭をしようとして大きく傾いだ。戦闘準備をしていた戦闘員が水面に投げ出されている。
『桐壺』が反時計回りに反回転して、向きを真逆に変えた。
直後、キャラベルの一隻が左舷を衝突スレスレで通り過ぎていこうとする。
「フファル、リンセル、行け!」
「待ってました!」
「任せるにゃん!」
二人が嬉々として跳んでいく。
もちろん、二人だけで行かせたりはしない。
後ろに十五人の獣人が付いて行った。身体能力の高さから不安定な船の上でも、獣人は陸の上と変わらずに戦える。
「全速前進!」
マリーゼの命令、漕ぎ手たちが一斉に漕ぎ始める。
さっきすれ違ったキャラベルが速度を落としていた。
このまま突き進んで逃げようか、反転して再び攻撃するか、で迷ったようだ。
そのせいだろう。
追いつかれたというのに、やってて当然の防戦準備ができていない。
『桐壺』の右舷が、敵船の左舷に急速に接近した。
「ザフィーリ、頼む」
「はいっ!」
今度もまた、ザフィーリと十五人の獣人が敵船に飛び乗った。
「面舵いっぱい」
全速で前進しながら『桐壺』は右に大きな弧を描いて曲がり始めた。
そこに、スループの一隻がいた。
全力で逃げようとしていたらしい。
針路を突然塞がれ、慌てて方向転換しようとして、これまた乗せている戦闘員をロデオの馬のように放り出した。
弧を描いて回った『桐壺』の真正面に、キャラベルの最後の一隻がいた。スループの生き残り一隻と、停戦したままだ。
「降伏を申し入れてきています」
船上で振られる旗を見て、マリーゼが大きく息を吐いた。
「武装解除して、船着き場に移動するように伝えて」
通信係に一言言って、マリーゼは全体に目を向けた。
キャラベルの二隻は抵抗者を一掃され、すでに船着き場に向かっている。スループ三隻は、戦闘員の大半を船から投げ出してしまっていて周囲をガレー船に囲まれている。
脅威となりそうな要素は見当たらない。
「終わったようです」
僕に顔を向けて、肩をすくめた。
軽く運動をした、そんな顔だ。
頼もしい。




