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初陣2

 

 初陣2


 戦闘はほぼ終わった。

 敵艦の残りは戦闘艦が二隻と曳舟二十隻、輸送船が三隻。

 戦闘艦が逃げるためには、こちらの艦隊の間をすり抜けながら大きく弧を描いて回頭しなくてはならないが、こちらは前進しつつ敵の退路を妨害する進路を取るだけでいい。敵は、陸地を突っ切って逃げることなどできはしないのだから。

 輸送艦はそもそも推進力がないに等しいから追いつくのは簡単だ。

 あとは、曳舟が輸送船を見捨てて逃げ出すか否かだが、逃げられたとしても曳舟だけではどうにもならないだろう。

 無視していい。

 チャンスがあれば全部捕まえたいところではあるが。

 戦闘艦の漕ぎ手が奴隷なら、多分曳舟も奴隷だろうし逃げないで留まってくれるのではないだろうか。


 「曳舟と輸送船が動きを止めました!」

 シアが報告してくる。

 「どうやら降伏してくれるようですな」

 「そうらしい」

 アストトの呟きに答える声が震えた。

 笑いだしそうになるのをこらえるのに一苦労だ。

 視線の先ではガレー船が二隻、戦闘艦の追跡をやめて引き返してきていた。降伏してきたらしい曳舟と輸送艦に近づいていく。

 武装解除の確認と、なにかしら意図があってのものでないかを調べるためだ。

 先頭に立って、曳舟に飛び乗ったのはロロホルだ。

 曳舟を自分と部下とでまわっている。

 もう一隻のガレー船は輸送船に近づいていた。こちらはシャハラルが担当らしい。

 しばらくすると、二人ともこちらに向けて両手を振った。ハンドサインだ。『問題なし』『安全』という意味の後に『帰投する』『戻る』。船と人員の安全が確認されたから、こちらに移動させてきて停泊させる。と言いたいのだろう。

 「オッケーだ。直ちに実行させろ」

 ランドリークに指示した。

 禿げ頭がまじめな顔で手信号している姿は滑稽な光景だが、重要なことだ。

 二隻の戦闘艦は最後まで抵抗した。

 といっても、全滅するのにさして時間はかからなかった。

 数が違う。

 「けが人が42名出ましたが、どれも軽症で回復可能です。船も機能を落すような損傷はありません」

 戦闘が終わり、すべての船に帰投命令を出したザフィーリがやってて報告した。

 「完全勝利と言っていい結果だ、ということだな」

 念を押す。

 「もちろんです!」

 誇らしげに胸を張る。

 誇らしかろう、あの大きさなら。

 「投降してきた者たちの様子はどうだ?」

 「典型的な奴隷です。疲れ切っていて汚れています。リーダーと呼べるものもいないようです。・・・全員エスクラーヴェです」

 一瞬、意味が分からなかった。

 エスクラーヴェとは何だっただろうか、と。

 たっぷり五秒考えて思い出すと、なぜか胸に鈍痛を感じた。


「たしか、自ら望んで奴隷となって生きる流浪の民、だったな」

 宗教的な理由から、国土を持たず、世界中に散らばり奴隷として生きている民族だ。

 どんな戒律がそれを命じているのかは知らないが、自由に生きる能力も力もあるのに、それを全て投げうって奴隷でい続けている。

 『貧しい者は幸いです』。前世世界にそう言う言葉を伝える聖典があったが、それを最大限に突き詰めてでもいるのだろうか。

 自ら奴隷となれば、『傲慢』にはならない。

 自分に対するあらゆることを受け入れる覚悟を持てば『憤怒』などない。

 働かされ続ける人生に『怠惰』が入り込む余地はない。

 自分の財産なんて持っていないし持つ必要もないのだから『強欲』とは無縁だ。

 持たないことが当然なのだから、持っている者に『嫉妬』するはずもない。

 与えられたものを食べるだけの生活で『暴食』のやりようはない。

 奴隷であるからには私生活もない、『好色』にもなりようがない。

 前世世界では有数の宗教で教えられる『七つの大罪』に関していえば、完全に否定できる。そう考えれば、宗教学的には正しい論理で導き出された結論なのかもしれない。

 僕には理解できないし、絶対まねはしないが。


 「そういうことでしたら、反逆の可能性はゼロですわね。安心して使えますわ。よい拾いものと言えるかもしれませんね。彼らは働き者ですもの」

 何か胸の中がもやもやするが、サティオの言うとおりだ。この者たちならば安心して使っていられる。

 「・・・そういうことだな。ていうか、だったらなんで鎖で繋いでなんていたんだろう?」

 「自分が見たものしか信じない。信じたいものしか信じない。そんな人間もいるということよ。つまりは、臆病者ね。あとは・・・エスクラーヴェ以外の奴隷がいたこともあるのでしょう」

 なるほど。

 殴られるかもしれないと怯えるあまり、無害なものにも攻撃的になる。そんなバカはどこにでも、どんな世界にもいるらしい。

 あと、自分の優位を暴力でしか確認できない輩も。

 僕はそんな人間にはなりたくない。

 速攻で鎖から解放するよう命じた。

 エスクラーヴェのことは信用する。

 大前提だ。

 彼等は、労働力としては頼りにできる。

 兵士としては使えないはずだが。


 「兵士としては使えないがな」

 おっと。

 ヴィルトたちも戻ったようだ。

 そう、ヴィルトの言うように、宗教がすべてのエスクラーヴェは争いには一切関与しない。だからこそ、安心でもあるわけだ。

 「なんか、一気に戦力が拡大していくね」

 思わず浮かれてしまいそうになるほどの勢力拡大が続いている。

 雪だるま式、とはこういうことか。


 「そうですね。戦闘艦・・・いや、ガレー船と呼ぶんでしたか・・・が二十二隻、輸送船十五隻、曳舟八十三隻。市民兵二千三百。エスクラーヴェが八百。ヴェルト・ガゼット千三百。ザフィーリ隊八十がここにいて。ザフィーリ隊の残り二百二十とサンブルート旅団二百とはいずれ合流する手はず。他にフエルォルトに向かっている八百人もいるってんですから。かなりのもんでしょう」

 現有戦力をアストトが読み上げてくれると、またしても舞い上がりそうになった。

 ザフィーリ隊三百を全財産と言っていたのが、数カ月前のことだというのが信じられない。


 「次はどうしますんで?」

 ランドリークが聞いてくる。

 その答えを僕はさっきから考えていた。


 「さっきの戦闘で叩き潰した敵の、本拠地を攻め落とすってのはどうかな?」

 提案と確認を込めて口にしてみる。ザフィーリに顔を向けた。

 エスクラーヴェから情報を聞き出す役目は彼女の担当だ。その情報には当然、どこから来たのか。そこがどこなのか。他にも敵がいるのか。も含まれる。

 「いいかもしれません。聞いたところ、先ほどの船団が主力なのは間違いないそうです。残っている人間はそのほとんどがエスクラーヴェ。本拠地は戦闘艦で半日、輸送船を連れてだとまる一日半の距離にあるようですし、案内できると言っています」

 獲物を見つけた猫の顔で、ザフィーリが笑みを浮かべる。

 ヴェルトとガゼット、リンセルが全く同じ顔で笑い、アストトが胃の痛そうな顔で髪を掻きまわした。

 すぐに移動ということになると、物資や人材の編成は彼一人でやらなくてはならない。

 今現在、ライムジーアの陣営にいる文官はアストトの他にはサティオがいるだけで、しかも彼女はその手の仕事をしようという様子がないのだ。


 「よし。それなら、本拠地襲撃はガレー船のみで行う。輸送船と曳舟はあとから追いかけさせよう。案内ができる者を何人か残すようにしてくれ」

 「そうですね。攻撃は迅速なのがいいです。輸送船を連れていては動きが制約されてしまいます。案内役を用意します」

 すかさず賛成してくれたのはザフィーリだ。

 「ではザフィーリ、ヴェルト、ガゼット、出撃用意だ!」

 「はっ!」

 「おおっ・・・ニィ!」

 「にゃるにゃあ!!」

 やる気満々、準備のためにすっ飛んでいく三人を見送り、僕はランドリークとアストトに視線を向けた。

 「僕たちはすぐに出撃する。輸送船団の指揮はランドリークとアストトに任せよう。物資の積み込みが終了次第、ここを離れてくれ。まだ大丈夫とは思うが、大公に見つかりたくはない」

 「承知ですじゃよ、坊ちゃん」

 「坊ちゃん?! あ、いえ・・・わかりました」


 ガレー船二十二隻が、差渡し600メートルもある大河に流れ込む、細い・・・といっても200はある・・・支流を進んだ先に大きな湖に出た。

 水に流されやすい地層でもあったのか、年月の経過で陸が削られ、そのぶん水がたまる形状になったもののようだ。

 全船が隊形を保つことのできる最大船速で進んでいる。


 「敵船が数隻見えます。商船を改造した船ですね。戦闘員も略奪品も運べる中型船です」

 旗艦にしたガレー船『桐壺』・・・ここまでくる間に名前を考えていた。・・・の艦長を兼任するザフィーリが報告してくる。隣に薄汚れたおっさんが立っているのは、彼女に敵の情報を教えている案内人だからだ。

 案内人でもいなければ、陸戦が専門の彼女にいきなり船長なんてできるわけがない。

 いずれ、時間と人的資源に余裕ができたら、正式に水軍を設立して船長はすべて若い女性にするつもりだ。


 『桐壺』という名は、気まぐれでつけたわけではない。

 ・・・ザフィーリとサティオの視線に耐えられるだけの度胸が付いたら、ね。

 一生そんな日は来ないかもしれないが。


 報告を受けて、目を向ける。

 気持ちを切り替えた。

 白昼夢に浸っている場合ではない。

 大航海時代ならキャラベルというところだろう、そんな交易船が三隻見えた。

 戦闘のための船ではない。

 ライムジーアの緊張していた顔が緩んだ。

 もしかしたら、敵の主力は別にいて、狼の口の中に頭を突っ込むような愚を犯しているのではないかと疑っていたのだ。

 だが、そうではないらしい。

 目に見える範囲では、大した脅威はない。


 「逃げ始めたようです」

 ザフィーリが残念そうな口調で報告した。

 ライムジーアにも見えている。

 三隻のキャラベルはこちらの船団が向かおうとしている一点を目指すような角度で、奥へ向かい始めていた。

 ライムジーアはうなずき、怪訝そうな顔になった。

 なにかがおかしい、そんな顔だ。

 違和感があるのに、その理由がわからない。

 そんな顔。

 目の前には障害物ひとつない滑らかな水面が広がっていて、味方の船団は敵に向かって進んでいる。

 まだはっきりしないが、このまま進めばじきに敵の本拠地が見えてくるだろう。

 なにも問題はないはず。


 ・・・なんだろう?


 水面を見続けること数秒、湖を囲む陸地にも目を向ける。


 ・・・・・・。


 僕は頭を振って不意に浮かんだ可能性を否定した。


 そんなばかな。


 ありえない。


 でも・・・もしそうだったら?


 「全船、ただちに針路を左右に広がるように変更しろ! まっすぐ進んではならない!」

 前世と現世を足しても、出したことがないほどの大声で叫んだ。


 その声は、すぐに鐘の音という形で伝わっていく。

 通信装置などないこの世界では、こうやって命令を伝えるのだそうだ。叩き方を微妙に変えるらしいが、それぞれの音が何を現すのか、僕には覚え切れそうにない。

 わかるのは、この方法だとこちらが何をしようとしているかが敵にもまるわかりということだ。

 いや、そんなこと今はいい。


 「ライムジーア様?」

 ザフィーリが不思議そうな顔で小首を傾げた。

 いつもは凛々しい女騎士なのに、こんな仕草をすると抱きしめたくなるくらいかわいいから困る。

 いや、それも今はいい。

 船団は、この『桐壺』を中心において艦隊を組む。

 つまり、僕たちが真ん中、それも先頭だ。


 ということは・・・。

 「全員、耐衝撃姿勢だ!」


 ザフィーリの顔に向かって怒鳴る。

 唾が飛んだかもしれない。

 もちろん、唾が顔にかかったとしても彼女はそんな素振りを見せず、ともかく命令に従おうと動いた。

 説明している暇は多分ない。


 「後続の船にも伝えろ!」

 僕は再び大声を出した。


 「耐衝撃姿勢?」

 今度はすぐ横から不思議そうな声が上がる。

 長い銀髪を掻き上げて、サティオが僕を見つめていた。

 吸い込まれそうな瞳、思わず顔を寄せたくなるが堪える。


 「とにかく、何でもいいから船に固定されてる頑丈なものにしがみつけ!」

 後ろを振り返り、美人の親子と猫にも怒鳴った。


 「急げ!」

 命令は前世でも見たことがある伝声管で船内各所に伝えられる。

 といっても、単純なつくりのガレー船だから何層にも分かれた船室とかは存在しないが。


 間に合うか?


 自分自身、船体の柱に飛びつきながら祈るような思いだ。

 直後。

 予想は最悪なことに的中した。


 船がバウンドしている。

 船底に何かがぶつかった・・・いや、なにかに船が乗り上げた。

 前世での旅行を思い出す。


 とある湖のことだ。

 火山湖のその湖は深い水深と、水面下ギリギリに存在する山という浅瀬が特徴だった。


 ここもきっと、そういう場所なのだ。

 砂が流されてできたのではなく、火山の噴火で吹き飛ばされたか沈み込んだかしたところに、水が溜まってできた湖。

 しかもその下ではいまだ火山が活動中というわけだ。

 知らずに突っ込んできた船は、軒並み座礁する。


 天然の罠だ。


 ここを本拠地にしているという海賊には最大の防壁だろう。

 船体が大きく跳ね上がった。

 舌を噛みそうになって慌てて歯を食いしばる。

 衝撃はその後も数回続いた。

 そのたびに、船の速度は落ち、衝撃も和らいでいく。


 「状況報告!」

 怒鳴っても舌を噛まずにすむくらいまで衝撃と揺れが弱くなったところで報告を求めた。


 「本船は座礁しました! 船底に亀裂! 後方の二隻も座礁しましたが、かろうじて船体は無事なようです。他は無傷で再度集結しようというところです」

 僕がしがみつくのに必死なあいだも、ザフィーリは周囲の状況に目を向けていたようだ。

 即座に報告が来た。

 他の船は避けることができたらしい。


 ならば!


 「作戦を続行! 船団の指揮はロロホルに任せる。敵に防御の時間を与えてはならない」

 作戦の概要は各幹部に伝えてある。

 必要とは思わなかったが、万一にも旗艦が指揮をとれなくなったときに誰が指揮を引き継ぐかの指示もしてあった。

 指示が鐘の音で伝えられ、船団が隊形を取り直しつつ移動していく。


 旗艦『桐壺』と後続二隻が残された。

 エスクラーヴェの漕ぎ手たちが、外に出て船を座礁から救おうとしている声が聞こえている。船底の亀裂を補強する音も。

 それらの作業が終わるのを、今は待つしかない。


 「『万全な時こそ穴がある』か。そのとおりだな」

 前世の友人の口癖が、口に出た。

 くどいとも思ったし、うざいとも思っていたが、世界を股にかけてすら通用する真理だったようだ。


 「あのまま前進し続けていたら、全滅していたかもしれないわね?」

 いつのまにかサティオが僕の隣にいた。

 この人はいつもそうだが、距離感がおかしい。

 腕が完全に触れ合っている。


 「なぜ気付いたの? 岩礁があるなんて」

 岩礁か、そうともいえるな。


 「神からの啓示ではありませんよ」

 この人が何を期待しているかが分かった。

 釘を刺しておこう。

 だけど、この人にはスカイツリー並みに太くてでかい針を刺しても無駄な気がする。


 「では、英雄の勘、ね」

 「英雄ではないと何度も言ったはずですけど」

 神話好きなのはいいが、人のことを勝手にその登場人物にしないでほしい。


 「ライムジーア様。お茶を淹れてきました」

 まだ何か言いたそうにしたサティオと僕の間を割るようにして、エレヴァがお盆に載せた茶碗を差し出してきた。

 茶碗からは湯気が立っている。

 「ありがとう。でも・・・船の上にお湯を沸かせる場所なんてあったのか?」

 茶碗を取って一口飲みながら聞いてみる。

 「主が求めるなら、水の中でだって湯を沸かすのがメイドというものですわ」

 んな無茶な。

 と思うが、言ったからにはやりそうだ。

 僕なんかより、この人の方がよっぽど謎だと思う。


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