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釣人

 

 

 「出発!」


 あとは見咎められないうちに、と。

 夜も明けぬうちに、僕たちは出発した。

 いつもなら止めに来る門番も、今日に限っては知らぬ顔で通してくれた。

 ランドリークの言によれば「面白いからほっとけ」と、とある皇族が口を利いてくれたらしい。

 嫌われているという事実も、使いようによっては役に立つ。


 夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ暑い。

 微かな風が心地いい旅立ちだった。

 僕は二人乗りの小さな馬車にシアと二人で乗り込み、御者はランドリークが務める。シャルディとザフィーリは騎馬だ。

 シャルディは背中に特大の投げ槍を二本交差させて背負い、中型の片手剣を腰の左右に佩いているし、ザフィーリは兜こそつけていないが鉄の手甲に鉄の胴鎧、そして鉄の具足で身を固めている。腰には細めの長剣。

 二人ともいつでも戦える装備だ。

 御者台に座るランドリークが普段着のままなのと比べると物々しくさえある。

 何気なく周囲に向ける目も、真剣だ。

 「そんなに力まなくていいよ。僕を嫌ってる人は多いけど、殺したいとまでは思われていないはずだから」

 いまのところは。

 正妃以外には。

 一応という感じに声はかけるが、二人とも聞く気はなさそうだ。

 城を出て、帝都からも出て、しばらく進んだところで周囲から五騎、六騎と騎馬が合流してくる。

 年齢も性別も、装備もまちまち。

 ザフィーリの部下たちだ。

 アバハビレネ公国軍に所属していた各軍団から集まっているため、兵科がバラバラなのだった。

 今は全員騎兵の姿ではあるが。

 彼等は普段、五騎ぐらいの小隊で帝都周辺の警備をしている。

 もちろん、帝国の仕事ではない。

 僕の私兵なのだから。

 いつもはただひたすら訓練を積むかたわら周辺情勢の調査をしている。

 僕の役に立つ、力とすることができるものや人を探すのが主な仕事だ。もちろん、周囲の他勢力には悟らせずに。

 なので、今回は僕の進む先の安全確認、情報収集をしつつ、合流してくることになる。

 最終的には三百ほどになるはずだ。

 今回、目的地をタブロタルとしたのは、この情報収集の結果を踏まえてのことだ。

 善良な領主に治められている、有能な指揮官がキッチリと目を光らせている、そんな領地や軍の施設には行く意味がない。

 本当に『掃除』しに行くつもりなんかないからだ。

 僕が本当にやりたいのは、能力は低くていいから僕のために、そう皇帝と僕が争うような時が来たとしても僕のそばにいてくれる、そんな人間を探し出すためだ。

 まともなところにいるはずはない。

 これは、まともではないところを巡る旅になる。

 混乱に巻き込まれて泥の中に沈むか、翼を得て飛翔するかの賭けだ。

 賭けるのは僕の命。

 そして、僕に命を預けてくれた者たちの命である。


 一言でいえば、『僕の全財産』が街道を進む。

 のるかそるかの大博打に、僕は全財産を投じている。

 途中で朝食もとりつつ、移動を続けた。

 三百ともなると軍隊というには小規模だが、それなりの集団になる。

 ちょっと誇らしい。

 もっとも、他の皇族や貴族には『猿山の大将』と鼻にもかけられない数で、こうして連れて動いても問題にならない。

 なにしろ、彼らなら街に買い物に出るのにも百から二百、街の外に行くとなれば最低でも一千は連れ歩く。

 それに、僕は子供だから、だ。

 いまのところは。

 この世界に『蛇は卵のうちに殺せ』という警句がないのがありがたい。


 「日暮れまでに辿り着ける軍の施設ってあったかな?」


 シアに聞いてみる。

 普通のメイドであれば、困ったように首を傾げるだろうが相手はシア。

 僕付のメイドだ。

 普通とは違う。

 「ありません。帝都の近くには軍の施設は置かれていませんから。少なくとも騎馬で二日は走らないと」

 おわかりでしょう?

 シアが小さく笑う。

 もちろん、わかっていて聞いた。

 ただ、せっかく城から出たのだから、陽が沈む前に何かしら事件が起きてはくれないものかと思ったのだ。

 「泊りの宿をお探しなら、そう遠くないところに伯爵家の荘園がありますよ。領地からは離れていますが、この時期ならたぶん、伯爵様がいらっしゃるはずです。近くの湖でマス釣りを楽しむために」

 「どの伯爵?」

 帝国には伯爵家が三百くらいある。

 名前ばかりの農民から経済力だけならば公爵、元が軍の将軍からかつての小国の王、などなどピンからキリだ。

 伯爵様、と言われても判断のしようがない。


 「メラリオ・ベゾンネ伯爵様です」


 「ああ、彼か」

 知っている名前を聞いて、僕はうなずいた。

 面識がある。

 宮廷で何度か話したこともあった。

 元軍人で、政治にも金儲けにも関心がない。

 ましてや宮廷の権力闘争とは無縁な人だ。

 最近の趣味は釣りだと言っていたのを思い出す。

 マス釣りを趣味としている好人物だ。

 一晩の宿を頼むのに適した人物というのがあるとしたら、彼はまさにそうだろう。

 「よし、今夜は彼の釣ったマスをいただくとしよう。釣り上げるまでの死闘を長々と語って聞かされるかもしれないが、それはそれで楽しめるはずだ」

 僕は腹を決めた。


 「メラリオ・ベゾンネ伯のところに泊めてもらおうと思う。そのように図らってくれ」


 馬車の窓から手を出してザフィーリを手招いて、指示を出す。

 「わかりました」

 ザフィーリは道を尋ねるためだろう、手綱を振って先行した。

「あ、あの・・・」

 親衛隊長が見えなくなると、シアが言いにくそうに言葉を絞り出した。

 「ん? なに?」

 「わ、私がここにいるのは・・・その・・・どうなのでしょうか? 他のメイドと変えた方が、よくはないですか?」

 視線をあちこちに泳がせながら、そんなことを言ってくる。

 知らない人には意味不明だろうが、僕にはなにを言いたいかが分かっていた。

 「あー・・・いや、そんなとはないよ。僕が寝顔を見せることのできるメイドはシアしかいない。他のメイドと変えることなんて考えもつかないことだ」

 そう言って、少しだけ体をシアに寄せた。

 体温が伝わってくる。シアにも僕の体温が伝わっているはずだ。

 シアの肩に頭を乗せ、僕は少しだけ眠った。

 目覚めたときには、フィーリアの部下たちの姿がなくなっていた。

 貴族のお宅に兵を率いて乗り込むわけにはいかない、と周囲に散らせたらしい。

 目的地が近いのだ。


 ベゾンネ伯爵の灰色がかった石造りの家は、街道から逸れた森の中にあった。

 サッカー場を二面繋げたくらいの開拓地の真ん中に、それは建っていた。

 塀こそないが、どこか砦を思わせるようなたたずまいはさすがに元軍人だ。

 一行は玉石を敷き詰めた中庭に入って馬と馬車をおりた。

 天然木から削り出した杖の助けを借りながら姿を現したベゾンネ伯爵は、鉄灰色の髪と髭を持つ小柄で痩せた男だった。

 百姓が着ていそうな元の色を推測しなくてはならないような胴着とズボンに身を包み、大儀そうに片足を引きずりながら一行を迎えに出てきてくれた。

 ザフィーリ急いで駆け付け、建物から続く幅の広い階段を下りてくるのに手を貸した。

 「やぁ、伯爵。釣果はどうかな?」

 「皇子様」

 気楽な感じに声をかけたのに、ベゾンネ伯はうやうやしくお辞儀をした。

 「ちょうど、先ほど戻ったところです。なかなかに大漁でございました」

 伯爵は相好を崩して、胸を張った。

 「それはよかった。ちょうど通りかかったのでな。もしや、いい型のマスにありつけはせぬかと一晩の宿を取りにまいったのだ。伯爵の武勇伝を肴に、うまいマスを食わせてくれると嬉しい」

 「いつでも歓迎いたしますぞ」

 ベゾンネは笑い声をあげると、皇子の腕を嬉しそうにつかんだ。

 「では、こちらへ。うまいマスを食わせて進ぜよう」

 彼は踵を返すと、片足を引きずりながら屋敷に続く階段を上っていった。

 「足はまだついているようだ」

 僕は確かめるように言った。

 「ああ、このガラクタもこれはこれで役には立っておるよ。剣を振るには使えんが、竿ぐらいは振れるのでな」

 伯爵はそう言って戦場で敵の剣をまともに受けたという膝をさすっている。

 振り抜かれた剣は、彼の膝、その皿にヒビを入れはしても切ることも割ることもできずに止まり、彼の右足は繋がったままとなったのだ。

 「それで幸運を使い果たしたのだったか?」

 マントを脱ぎ、すみやかに現れた使用人に手渡しながら、僕は追撃した。

 伯爵は笑顔でこれに応じてくれる。

 「いやいや、確かに使い果たしたつもりでしたがね。まだ、大物を釣り上げるぐらいの幸運は残っていますよ」

 「なるほど、それだけ残っていれば十分だろうね」

 伯爵は皇子の答えにくっくっと笑った。

 「ええ。充分ですとも」

 伯爵はもう一度朗らかに笑った。

 「さあ、食卓に席を移そうではないか。マスはすでに火にかけておったからな。すぐに出せよう。皇子様もうまい飯は好きでございましょう。残念ながら、妙齢の女の用意はありませんがね」

 「食欲が満たせれば十分だ。他のに目を移すと・・・怖いから」

 あえて親衛隊とメイドが視界に入らないようにしながら答えた。

 額に汗がにじむ。

 「・・・あいかわらず、ですな」

 呆れたような声に、ささやかな羨望をのせて、伯爵は微笑んだ。


 それからしばらくしてシア以外の全員がマス料理を平らげると、ベゾンネ伯が身振り手振りを交えて酒宴に供されたマス一匹一匹との激闘を語る声に耳を傾けた。

 「・・・ふう。とまぁ、なかなかの強敵だったわけです」

 ようやく最大の大物を仕留めたくだりを語り終え、伯爵は息を整える合間に白ワインを喉に流し込んだ。

 「いや、まさに死闘だったな。吟遊詩人を呼んで歌にするべきだ。世の者たちが、戦いとはかくあるべき、そう感じ入る見本となるだろう」

 まさに、いま語られた強敵を口に運びながら、僕はまじめ腐った顔で感想を述べた。

 聞く者によってはとんでもない皮肉と取るかもしれないが、仲間たちはもちろん、伯爵も真顔でいた。

 「魚が相手でさえこれほどの戦いを語れるというのに、このごろは簡単に人間を殺し過ぎますからな」

 嘆かわしい、そう言いたげに銀灰色の頭が振られた。

 「すぐそこの子爵家の領地など、ひどい有様でしたよ。私の領地からここへ来るには、どうしてもその領内を通らねばならないのですがね・・・」

 言葉にもならない、と言いたいのだろう。

 伯爵はそこで言葉を濁した。

 

 「覚悟して進まねばなるまいな」

 

 重い呟きが漏れた。


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