切り札
切り札
「どうやら、万事うまくいったようだね」
各戦場から離れたところで、作戦全体の進行状態を眺めていたライムジーアがほっと息をついた。邸宅からは人質となっていた娘たちが逃げてきているし、採掘場からも働かされていた者たちが出てきている。
もちろん、ヴィルトたちも敵側の兵舎を急襲。
抵抗を試みた大公側の者たちをほぼ鎮圧していた。
終わりが見え始めたところだ。
だが、こんな時にこそ、問題は起きるもの。
ライムジーアは気を抜いてはいなかった。
『終わりの余韻は驚くほど長い』。
過去からの声が、そう呟いている。
だから、一早く気が付いた。
「それでも、問題は起こっちゃうんだよね」
小さく溜息をつく。
邸宅の方、10数人の兵士が、シアを引きずってくるのが見えている。
「あらら。邸宅の方にも結構な数の兵が行っていたようねぇ。兵舎の戦いが思いのほか簡単に終わったのは、このせいだったのかしら」
ライムジーアが見ている方向に目を向け、現状を把握できたサティオが唇を尖らせて不満げな様子を見せた。
結構な数の兵がいると思っていた兵舎の制圧が、予想以上に早かったので気にはなっていたのだ。
獣人だからこその身体能力の高さが、ごく一般的な市民であっても戦い慣れした者たちをも凌駕できる戦闘力をもたらしたのだろうか、などと適当な理由をつけていた。
そうではなかったということか。
単に、詰めていると思った兵数に少しばかり齟齬があったわけだ。
「あと50人はいるかも、ヴィルトたちが予想通りの戦闘力だと仮定すると、だいたいそのぐらいの差なんじゃないかな」
ライムジーアがサティオにというより自分に言っていると、その言葉を待っていたように残りが姿を現した。
なにやら大荷物だ。
大公に見切りをつけて、持てるだけ持ってどこかに逃げようとでもいうのかもしれない。
「ああ、それでシアを人質にしてこっちに向かっているのか」
手に入れられるものがあれば、ライムジーアたちからも頂いて行きがけの駄賃にしようとでも言うのだろう。
シアより前に邸宅を出た娘たちはヴィルトたちのいる方に逃げていく。
正しい判断だ。
「のんきなこと言ってるけど、大丈夫なの?」
いま、ライムジーアの周りにいるのはサティオだけだ。
ザフィーリ、フファル、リューリ、リンセルは採掘場。
ヴィルトとその仲間たち、それにランドリークとザフィーリの部下たちは兵舎を囲んでいる。
戦力はすべて戦場に出してしまっていて、ここには一人も残っていないのだ。
だからサティオが心配そうな顔をしているのは当然だった。だが、ライムジーアは笑みを浮かべてすらいた。
娘たちがヴィルトたち屈強な男の壁の中にまで逃げ延びたとき、シアを引きずってきた一団がライムジーアたちの目の前にまで迫った。
シアを引っ立てて進むことで、娘たちを追いかけられなかったのだ。
足枷になったともいえる。
あとから来た一団も合流して、数は50人くらい。
これで最後のようだ。
そんな風に思っていると、シアを前面に立てて小狡そうな男が前に出てくる。
こいつが向うの連中のリーダー格と言ったとこだろう。
シアの白い喉に切っ先を突き付けた。
ゴクリ、とシアの喉が動く。
「さぁて、どこの御大臣の子息だか知らねぇが、あんたが頭とお見受けする。こいつの首が赤く染まるのを見たくないんなら、金目のもんをかき集めて持ってこさせろ。変なまねはしない方がいいぞ。不意を突かれたせいでずいぶんと不覚を取っちまったが、こっちは場数が違う。お前らを皆殺しにするぐれぇ。この人数でも軽いんだからな」
定番の脅し文句。
テンプレートでもあるんじゃないかと思ってしまう。
もちろん、そんなものはないだろうが、ライムジーアに感銘を与えられるようなものでなかったことは間違いない。
ライムジーアは再び、小さく溜息をついた。
それでも、なにも反応しないというわけにもいかないだろう。
秋の小道を散策するような足取りで、ライムジーアはスタスタと歩み寄っていく。
「なんだ、ガキ。とち狂ってんのかぁ?」
奇妙なものを見る目で、リーダー格がライムジーアを見る。
完全にバカにしているようだ。
その腕が、大きく後ろに引かれた。
とりあえず思い切りぶんなぐってやろうとでもいうように。
いや、間違いなくそのつもりだろう。
だが・・・。
「ゴフッ!?」
小狡そうな男の口から鮮血がほとばしった。
「な、に?」
見開かれた目が、自分の腹に向けられる。
刃物が刺さっていた。
刀身に丸い穴がいくつも開けられた・・・刃物。
軽量化と、斬った肉や野菜がくっつかないようにとの工夫がされた刃物。
包丁が。
それを握る、白くて華奢な腕。
腕を辿っていけば、清潔なメイド服。
フリルのついた可愛らしさとは相容れない冷たい目をしたシアがいる。
「くすっ・・・」
小さく笑った。
「ごばぁっ!?」
包丁が内臓を引きずるようにして横薙ぎに振られて、引き抜かれる。
血煙がぱっと上がったが、そのときにはもうシアの姿はそこにない。
「ぐっ?!」
「かは!?」
両手に包丁を持ったシアが、舞うかのように華麗に動いた。
腕の一振りごとに、近くにいた者たちから血煙と悲鳴が上がる。
「うちのメイドを人質に取ろうとする。あまつさえ、主の僕を脅迫しようだなんて」
ふるふるとライムジーアは頭を振った。
ふっ、とずらされたライムジーアの視線の先に、もう一つ、白い影が飛び出した。
シアと同じ、メイド服を着こんだ何者かが、50人からの集団に突っ込んでいく。
同時に起こる怒号と悲鳴。
「ものを知らないってのは、怖いねぇ」
「な、なんなの? あれ」
サティオが魂の抜けたような声を絞り出す。
「うちの有能なメイド長と、その・・・子供。メイド長の方は、めったに人前に出ないからランドリークとシャルディしか存在を知らないっていうちょっとした事情があるけど」
「それ、ちょっとしたって言う?」
「これに関しては言う」
「あー、そう」
サティオが頭を抱えた。
そんなことをやっている間に、50人からの輩は捌かれるのを待つだけの肉塊となっていた。
戦場には白い影が2つ立つだけだ。
「って、これ。まさか?」
慄くように、家庭教師は呟き、気を呑んだ。
既視感がある。
この光景には誰もが見たことのある一場面に似た雰囲気があった。
ラインペリオ帝国に住む者なら、どんな小さな子供でも知る伝説である。
それほど昔のことではない。
荒唐無稽の作り話でもない。
れっきとした史実である。
ラインベリオ帝国には、最強と言われる戦闘集団がいくつか存在する。
皇帝付きの近衛師団、宰相が抱えている新鋭騎士団などがそのもっとも有名な者たちだ。
それとは別に、帝国の者なら誰でも知るものが存在する。
個々の戦闘力ではそれら精鋭と肩を並べると言われる者たちが。
バタリャムカマ・・・戦闘女中の名で知られるメイドの一団。
シアとその母親は、その一団の流れを汲む者だ。
ある事情から、シアたち親子はその一団を束ねている一族から逃げ出していた。
こけを帝都に潜んでいたところをライムジーアが見つけ、自分のお付きとしていたのだ。
シアの普段のドジっぷりは、平和ボケのせいだ。
死と直面するのが日常だったところから、嫌味や嫌がらせを受ける程度にまでリスクレベルが下がったもので、気を抜いてしまっている。
それでも、剣の腕は錆びつかせてはいない。
ライムジーアの懐刀。
いわば、切り札の一つである。
「おつかれ」
ほどなくして、『掃除』を終えたシアがやってきた。
あれだけ暴れまわったくせに、白いメイド服には返り血の一滴もない。
白い手に握られていた血染めの包丁はいつのまにか姿を消している。
「ライムジーア様、お茶を淹れて参りますね」
小さく会釈をして、シアは湯を沸かしに行った。
サティオが、唖然呆然の体で立ち尽くして見送っている。
「・・・化け物の・・・?」
そんなバカな。
信じられない。信じたくなどないと言いたげな顔で、サティオは呟いた。
視線の先には『メイド長』と呼ばれた女性がいる。
「こらこらこら! うちのメイドに失礼だよ。口を慎むように!」
まったくもってそのとおり、と言いかけたことはおくびにも出さずにツッコミを入れた。
「隠し武器のつもりだったけど、表に出しちゃったから今後は一緒に行動することにするけど、紹介はあとでいいよね? みんな一緒の方がいい。2度手間になるから」
メイド長とサティオに断わりを入れる。
二人とも、否やはなかった。
「それにしても、あいつらが向うの分の荷造りを済ませてくれたのなら、手間が省けたというものだ。ここを放棄する準備を始めよう」
ライムジーアはヴィルトに要請を出すことを決め、戦闘を終えた者たちが合流してくるのとシアがお茶を持ってくるのとを待った。
やがて三々五々、仲間たちが集まってくる。
幹部が全員集まったときには、ライムジーアの手には二杯目のコーヒーがあった。
集まったところで、この地を放棄する準備に入る話をした。
「わかっているのニィ。一度は運び出した荷物ばかりだニィ。もう一度荷車に積むのなんかすぐできるから心配いらにゃいニィ」
ヴィルトはこともなげに請け合った。
「そっか、なら頼む。あと・・・仲間を一人紹介させてくれ。僕付のメイド長、シアの母親のエレヴァ。ずっと隠してたけど、これからは一緒に旅するからよろしくな」
自分の背後、左右の斜め後方に立つ二人をライムジーアは両手で指し示した。
シアと同じ銀色の髪に映えまくる金色の瞳を輝かせて、エレヴァが自分を見つめる者たちの視線を受け止める。
とくに、女性幹部たちの目に疑問の色が濃く浮かんでいるのを。
質問は受け付けない。
強力なオーラを放ちつつ、優雅に微笑んだ。
そして、シアとエレヴァが同時に頭を下げる。
頭の位置と曲げた腰の角度がきれいに揃っていた。
一瞬、元から知っていたランドリーク以外が微妙な顔つきになったが、「ずっと隠していた」理由とかを説明する気がライムジーアにないとわかると、なにも言わず何も聞かずに受け入れた。
長い付き合いの者はライムジーアの不可解な行動には慣れっこになっていたし、つきあいの短いものはどうツッコんだものか戸惑った挙句、流れに従うことにしたのだ。
ともかく、旅の仲間がまた増えたということだ。
それはいい。
ただ・・・。
「・・・年齢が・・・」
ザフィーリが首を傾げる。
女性たちの疑問。
それは、年齢だった。
ただ一人、なにかに気付いているらしいサティオを除いてすべての女性が、違和感を覚えた。
ちらり、とライムジーアに目を向ける。
子供のくせに周囲の雰囲気を敏感に察するライムジーアが今回だけは妙なほど鈍感になって、疑問符を投げつけ続ける幹部たちの目を無視しようとしていた。
なにかあるらしいとは思うが。それが何かはわからない。
わかったのは、今は聞くべきではないらしい、ということだけだ。
納得はできない。しかし、理解することはできる。
疑問を飲み込み、全員が旅の支度にとりかかった。
四年前、帝都。
母と子が、ボロ布にくるまって路地裏の裏、生ゴミの臭いのする一角で眠っていた。
疲れ果てた肌に張りはなく、灰色の髪にも艶がない。
眠りこけるその姿には、欠片の生命力も感じられず。
何もかも諦め、ただともに死のうとする親子の姿がある。
そこに、一人の少年が通りかかった。
偶然、ではない。
少年は、そういう人たちに出会うために、こんな偶然を手に入れるために、もうずっと一日中街の中を走り回る日々を送っていたのだから。
必然性の高い偶然が、少年と親子とを結びつけた。
親子は自分たちの献身と命と、それ以外のすべてを少年に捧げることを誓った。
母親の名は、エレヴァといった。
年齢は26歳。
12歳の子供がいる、若い、若すぎる母親だった。
少年は二人を宿へ連れて行き、何も聞かず何も言わせず、ただ面倒を見続けた。
母親から事情を聞いたのは一年後。
城に連れ戻されるときのことだった。
母親は城には入れない、と。
理由を知った少年は驚愕し、運命の女神のいたずら好きに思い切り感謝した。
僕に力をくれてありがとう、と。
以来、エレヴァとシアはライムジーアの懐刀として活動を続けている。




