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やるべきこと

 

 やるべきこと


 『先の』宰相閣下のお住まいは、採掘場が見下ろせる高台にあった。

 周囲の風景との調和を見事に裏切るデザインの豪奢な屋敷だ。帝都に建てるなら相応と言えるが、こんな僻地に建てるようなものではない。


 とはいえ、ある日突然金持ちになった成金のような邸宅とも違っていた。

 全体はもちろん細かなところにまで、設計者と職人が持てる技術の粋を駆使して作り上げた重厚な気品がある。

 単なる浪費家ではない、ということだ。

 いくつかあるうちの一つ、と考えれば金をかけすぎているのは確実ではあるが。

 金のかけ方は理解していると思っていい。

 ただ破滅的なほどに、周囲との協調性は皆無だ。


 その邸宅の中で首輪をされ、邸宅の壁に沿って取り付けられた鉄棒と鎖で繋がれたメイドたちが歩いている。

 まるで、飼われている家畜が敷地内から出ないようにしつつも、敷地内では自由に動けるように。と作られた畜舎だ。

 宝石や高価な絵で煌びやかに飾られた畜舎、そんなものがあるとすれば、これがまさにそうだろう。

 もちろん、ただ歩いているわけではない。

 掃除をしている。


 これだけ飾り付けられた邸宅だ、常に綺麗にしておこうと思ったら四六時中掃除していなくてはならない。

 彼女たちはそのための『自動掃除機だ』。

 くるくる邸宅内を磨き上げる以外の価値を認められていない道具。

 さいわいなのは、道具としか見られていないということで肉体的、精神的な虐待とは全く無縁だった。

 服を脱がされて裸でいるわけでもない。

 ちゃんと糊のきいたメイド服を与えられている。

 ベッドに引きづり込まれることもあり得ない。

 徹頭徹尾。

 彼女たちは自動で動く、便利な掃除機だ。

 たまに、エネルギーとして穀物を煮たものを摂取して、摂取しきれなかったものを邸宅の外に掘った穴に排出するところが、使用上不便ではあったが。

『先の』宰相アンセフォーア・ストロスターにとって、自分以外の人間は使用人か道具でしかない。

 例外は皇帝と息子だけだ。

 妻ですらも、後継者を作らせる機械でしかなかった。




 「・・・ふぅ・・・・」

 そんな彼の邸宅に、シアはいた。

 周囲のメイドに完全に紛れ込んでいる。

 城勤めのメイドとして城内運営システムの一部になる。完璧に個を排除して全体の中に埋没する技能が、彼女にはあった。

 生まれた時からメイドとして教育された生粋のメイドならではだ。


 「典型的な、貴族様ですね」


 高価な絹服に身を包んだまま、ベッドの上でぐっすりと眠りこけている老人を軽蔑の眼で射る。

 手早く、用のなくなった眠り薬入りのワインとグラスをかたずけた。

 そのついでに、机の上に無造作に置かれていた無駄に大きなカギをメイド服のポケットに滑り込ませる。


 「それでは、旦那様。下がらせていただきます。今後は自分の屋敷のメイドの顔ぐらい、覚えておくことをお勧めしますわ」


 それ以前に、獣人と人族ぐらい見分けてほしいものだ。

 言葉を投げかけながら、ドアを開ける。

 ジャラジャラと鎖を鳴らして、ついさっき知り合ったばかりのメイドが入ってきた。すかさずメイド服から先ほどのカギを取り出して、首輪を外してやる。

 外した首輪を、眠りこけている老人の首にはめた。


 「今後があれば、ですけど・・・」


 ドアの前で一礼したシアは、メイド服を破り捨てるようにして脱いだ獣人の少女とともに真っ暗な廊下に出た。

 そのまま、ごくふつうの足取りで邸宅を回り始める。

 『やるべきこと』とは単純な話だった。

 邸宅に捕らえられている人質兼メイドを解放し、同時に採掘場も解放する。

 そうして抵抗できる力を回復したうえで、『先の』宰相閣下との間で話をつけるのだ。

 シアはそのうちの邸宅内担当というわけ。


 「貴族様はいつでも、邸宅内に兵士を入れるのを嫌がりますものね」


 邸宅を回りながら、シアはそう呟いた。

 メイド以外の使用人も何人かはいるが、『先の』宰相閣下側の人間はみんな熟睡中である。

 「楽なお仕事ですこと」

 綺麗に撫でつけてあった銀髪を元通り跳ねさせて、シアは薄く笑った。

 ライムジーアにしか見せたことのない顔で。





 キーン!

 刀身のぶつかり合う音が反響し、何倍にもなって耳に突き刺さる。

 ただでさえ暗い坑道内で視界が悪いというのに、音も当てにならないというのは騎士としては不安を煽られる状況だった。

 採掘場で打ち倒すべき敵が不利を悟って坑道内に逃げ込むのを、阻止できなかったことがいまさらながら悔やまれる。

 絶対の確信をもって決めた奇襲のタイミングが、わずかに早かったのだ。

 見張り場であり、掘り出した鉄鉱石を運び出すめの出入り口でもある建物。そこを急襲して、一気に叩く。そのために、坑道の見回りが戻ってきて、なおかつ次の見回りが坑道に入る前、が奇襲の最適なタイミングだったわけだが、しくじった。

 見回りが戻る直前、次の見回りが準備しているところに奇襲をかけてしまった。


 「ごめんにゃん」


 先走ってしまったリンセルが謝った。

 襲撃のタイミングを聞かされていた彼女は、最高のタイミングで飛び出すべく用意していた。

 なのだが、一つ問題を抱えていたことに誰も気が付けなかったのだ。

 「仕方ないでしょう。これほど微妙な間合いを要求される奇襲というのも珍しい」

 「そうそう、こういうのは場数踏まないと難しいって」

 逃げていく敵を追いかけて走りながら、ザフィーリとフファルが声をかける。

 「むしろ、坑道内の音まで聞き分けるなんて。すごっ、です」

 そう、リンセルが抱えていた問題というのは敏感すぎる耳だった。

 戻ってくる見回りの足音を正確にとらえていた彼女は、見回りが戻ってきていると分かってから充分すぎるほど時間を置いて飛び出したつもりだったのだが、ザフィーリたちはまだ見回りが戻ってきていることに気が付かずにいた。

 それで、襲撃するタイミングがずれてしまったのだ。


 「終点のようですね」


 走る速度を抑えて、ザフィーリが注意を促した。

 視線の先に、追いかけていた者たちが集まっていた。

 建物内への突入時に、10数人は斬り捨てたし大半の者が詰めている兵舎ともいえる建物にはロロホルとシャハラル、それにヴィルトたちが襲撃をかけている。

 今追いかけているのは20人くらいのはずだった。

 走り込んだ先は、大きなドーム状の空間だった。

 岩を掘りぬいた人工の洞窟、前面に黒々とした鉄格子が見える。

 その巨大な鉄格子の手前で20人ほどが待ち構えていた。

 鉄格子の向こうには裸同然の男たちが飢えと疲労を全身にまとわらせて立ち並んでいる。


 「しつこいやつらだ」


 全身に鎖を巻きつけた小男が唾と一緒に言葉を吐いた。

 往生際の悪いこいつらには言われたくないな、そう思ったがフファルは口を利かなかった。

 対等に口を利いてやるだけの価値はない。

 「まあ待ちなさい。・・・私はアストト・リスティン。ここの責任者だ。君たち、給料はいくらかね? どうせはした金だろう? 逃がしてくれたら10倍払おうじゃないか。なんなら後ろにいる奴隷たちを好きにしていいぞ、少し薄汚れてはいるが磨けば好みの男もいるだろう」

 真ん中でふんぞり返った中年男が、聞いてると背筋が凍りつきそうな猫なで声で吐き気のするようなことを口にした。

 さっきの小男がこれ見よがしにせせら笑っている。

 瞬時に斬りかかるか、吐くか、二つの衝動に駆られながらフファルは耐えた。自分でも驚くほどの忍耐力を発揮して。

 沸騰寸前の感情に理性が水をさしている。

 『罠だ』と。

 わざと神経を逆撫でる様なことを言ってこちらを激発させ、突っ込んだところで伏兵が現れる。

 単純で効果絶大の罠が張られている。

 そうと知ってノルわけにはいかない。


 「・・・・・たわごとは墓の下で言うことです」


 なんとか踏みとどまるフファルの横で、ザフィーリの氷塊のごとく冷たい声が飛び、しなやかな体がはじかれたように跳んだ。まっすぐにアストトとか言う男の元へと駆けていく。

 なにを・・・驚くフファルの目前でザフィーリはすでに全力を超えたスピードで遠ざかっていく。もはや、とめるすべはない。

 ニヤリ・・・アストトの唇が半月状に歪むのを、フファルは妙に冷静に観察した。

 同時に、ザフィーリの頭上から数人の男が降ってきた。

 鍾乳石の陰にへばりついていたらしい。

 ご苦労なことだ。


 「やっちまえっ」


 小男が歓声を上げて拳を振り上げた。

 降って来た男の中では一番の美形が、その声にかすかに反応したのを見届けたのと、その男が声もなく吹っ飛んだのとが同時だった。

 他の男たちはすでに足元で息絶えている。

 隙だらけだったので一気に切り捨てたのだが、調子に乗りすぎたらしい。

 最後の一人を斬ったところで、剣の刃が血油と革の防具での刃こぼれで役立たずの鉄の棒と化してしまったのだ。

 おかげで動きから一番の使い手と思えて、効率上最後に倒すつもりでいた美形は斬るのではなく、殴り飛ばすことになってしまった。


 「わたしの足の速さを見くびってたね」


 にっこり微笑んで血に濡れた剣を正眼に構えて見せるフファル。

 血が鍔元から滴った。

 不意打ちに来ることはわかっていた。

 前から来るはずはない、左右にも身を隠すような空間がない。下から襲い掛かるなんてことは不可能。とすれば、伏兵がどこから来るかは予想が付く。

 他の者たちがザフィーリへと注目した間隙を縫い、フファルとリューリ音を立てずに走り出していたのだ。伏兵の男たちが降りてきたとき、彼らはフファルに背を向けていて、しかも彼女の剣の間合いの中にいた。剣の切れ味が落ちさえしなければ、美形も含めて全員切り捨てるのに十分すぎる態勢だった。


 「な・・・・」


 絶句する小男の目が、フファルを睨みつける。

 悔しげに結ばれた口からは歯軋りの音が聞こえそうだった。が、歯軋りする余裕などなかった。

 まるで月明かりに瞬間照らされたコウモリのごとく翻ったザフィーリの身体と、そこから繰り出された剣とがアストトの周囲にいた邪魔な男たち四人の首をかききり、アストト当人をも間合いに入れようとしていたのだ。


 ガキンッ

 「くっ・・・・」


 金属同士のぶつかる音、それと同時にザフィーリの前進も止まった。

 それどころか膝を着いてしまっていた。

 前に出されたままの両腕が小刻みに震えている。

 アストトを今一歩でしとめられる。というところで、小男の鎖が剣に絡み。

 唐突にかけられた制動に耐え切れず刀身が折れたのだ。

 その衝撃でザフィーリの両腕はしびれてしまったようだ。

 

 「このアマッ、調子に乗りやがって」

 

 下品に叫んだ小男だが、その声に余裕はなくなっていた。

 フファルがまたしても足の速さを見せ付けてくれている。鎖を引き戻している時間はない。小男は鎖を投げ捨てると懐から小剣を二本抜き出して両手に持ち、構えた。

 その脚に、掬い上げるようなザフィーリの脚払いが決まる。

 耐え切れず、倒れこむ小男の頭上をザフィーリは飛び越えた。もはや、アストトとの間を隔てる障害はなにもない。

 『王手詰み』だ。

 

 「チッ・・・・」

 

 アストトの口からかすかに舌打ちの音が聞こえる。

 すぐに断末魔の悲鳴を上げさせてやる。そんな気迫を噴き上げ、突くつもりで構えた刀身が半分になった剣の柄をしっかりと握りなおし、ザフィーリはさらに駆けた。

 生かしておいても面倒だ。

 ライムジーアの判断は、斬り捨て推奨。

 迷うまでもない。


 「・・・・・・」


 だが、ザフィーリは途中で剣を止めた。


 「・・・なにをしているのです?」


 静かに問いただす。


 「は?」


 殺される。そう覚悟を決めていたアストトが間の抜けた声を上げた。

 そして訝し気にザフィーリを見つめ・・・。


 「ぅあっ!?」


 悲鳴を上げて尻餅をつく。

 アワアワと震えはじめた。


 「ざ、ザフィーリ王女様?!」

 「どうやら、まだ耄碌はしていないようです。目も見えるようですし。で? なにをしているのですか?」


 アストトをギロリと睨んで、ザフィーリが迫る。

 「すごっ・・・ていうか・・・」

 「知り合い?」

 リューリとフファルが小首を傾げた。

 「わたくしどもの属していた国がまだあったとき、あの男は財務官僚を務めていました。わたしの財務処理担当官でもあります」

 ザフィーリが、律義にも答えを返す。

 

 「姫様だったんだ、ザフィーリさん。すごっ」

 「ザクロのくせに」

 

 どうしても、フファルは人を果物にしないではいられないらしい。

 アマゾネスの二人が驚いたりしている間に、アストトの必死の弁明が行われた。

 アバハビレネ公国が滅んだ後、彼は財務官僚として親交のあったラインベリオ帝国の商人のもとに身を寄せ。その伝手で『先の』宰相に使われる身となったらしい。

 「そんなことですか、馬鹿なことを」

 もっと波乱万丈な話があるのかと思っていたザフィーリは、拍子抜けしたように言って首を振った。


 「事情は分かりました。そこに直りなさい、私が引導を渡してあげます」


 スチャッと、長剣を構え直したザフィーリが冷たく見下ろす。

 折れた刀身が、不気味な雰囲気を醸した。


 「・・・・・・」


 何が起こるか、わからないわけでもないだろうにアストトは言われた通りに居住まいを正して、その場に跪いた。

 顔面は蒼白。

 それでも覚悟を決めた目が、静かにザフィーリに向けられる。

 ふっ、とザフィーリの頬が緩んだ。


 「貴方でも、そんな目をするのですね」


 構えていた剣を下ろしながら、ザフィーリが小さく微笑む。

 「命乞いをするようなら、容赦なく斬るつもりでしたが・・・」

 言いかけた言葉を、ザフィーリは呑み込んだ。

 小男がとびかかってきたからだ。


 「くだらねぇお仲間同士のじゃれ合いは、あの世ででもしてやがれ!」


 ザフィーリが驚愕に目を見開いた。

 すっかり忘れていたのだ。

 思いもかけず昔の知り合いと出遭い、気を散らせてしまっていた。

 「・・・・・・」

 ザフィーリが一人だったなら、あるいはここで死んでいたかもしれない。だが、小男がそうであったように、その場の状況とは無縁だったものがこちら側にもいた。


 「おバカさんだにゃん」


 短剣を振って、血を飛ばすかたわらリンセルが呟く。

 足元には首筋を綺麗に裂かれた小男が、血だまりの中で沈んでいた。

 10歳のはずのリンセルは人を殺したというのに、平然としている。

 さすがは、リザードマンに次ぐ戦闘種族の獣人というところか。

 年齢は幼くても、身体同様に戦闘に関しては人族の大人以上であるようだ。

 「ありがとうございます。助かりました」

 「助けてもらってるのはニャーたちの方にゃ。・・・こっちもサクッといっとくかにゃん?」

 頭を下げたザフィーリにひらひらと手を振って、リンセルは倒れている美形を指差した。

 「あー、待ってくれ。そいつには借りがある。あと大公との繋がりは薄い奴だ。命だけは助けてやってくれ」

 慌てた様子で、アストトが前に出る。

 大公というのは『先の』宰相のことだろう。

 どうやら、ここでの戦闘は終了したらしい。


 「リンセルかニャー?!」

 「ガゼット兄さんにゃん!」


 鉄格子の向こうから声がかかる。

 リンセルの兄がいるらしい。

 「なんで、お前がこんなところにいるニャー?」

 「助けに来たのにゃん。ヴィルト兄さんはもうここから離れる気でいるにゃん」

 「! そうか。まあ俺ももうこの土地に未練はニャーな。・・・他の奴らもそうにゃろ」

 美しく楽しかったかつての町の面影を求めて、未練たらたら来てみた結果がこの有様だ。変わり果てた故郷の姿を憎み始める前に、美しい思い出だけを胸にしまってよそに移る方がいい。

 ヴィルトはそう決断を下したのだ。

 街に残っていた者の全員がこれに賛同している。

 その決断が追い風になってこその、この解放作戦だった。

 この土地にこれからも住み続ける意思があったなら、こんな大胆な行動に出れはしない。

 「とにかく、こんなところに長居は無用。フファル、鉄格子を開けてください。リンセルはお兄さんたちを外へ、リューリはそこで倒れている男を頼みます。・・・アストト、立ちなさい。貴方の裁きは、ライムジーア様に委ねます」

 「らいむ・・・って、姫様は今あの『産まれてきちゃった皇子』のところにいるんですか!?」

 うっわ、という顔で絶句したアストトの首根っこをひっつかんで、ザフィーリが出口に向かう。

 リンセルとその兄の誘導で、働かせられていた者たちが順次、外に出て行っていた。


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