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恩師

 

 恩師


 旅路は西に向かっている。

 ドワーフの村を去って二日。

 ザフィーリの部下たちが集めていた情報をもとに次の目的地を決めて、一行はそこに向かっていた。

 山を下りたことで、季節は再び晩秋に戻っている。

 なので。天気はいい。

 素晴らしくいい。

 ただ・・・。


 ・・・いったいどうやって?


 目の前に謎の生き物がいた。

 いや、生物的には謎でもない。

 エルフの女性であることはわかるから。

 リザードマン、ドリュアド、アマゾネス、ナーガ、ハーピィに続く第六の種族の登場。

 それだけの話だ。

 問題なのは・・・。


 「ようやく追いつきましたわ。まったく、手間をかけさせないでくださいな」


 腰まである銀色の髪を波打たせて、エルフの女性は耳にかかった髪を払った。

 細長く尖った耳、透けるような白い肌。

 美貌と知力の高さで知られた種族。

 一説には寿命が長いとか。

 正しい答えを聞いたという者がいないので、そこは確かに謎だ。

 ・・・年齢はいい。

 これも口にしたら命がなくなる類のものだろうから考えるのはやめる。

 幸い、目の前の女性のおかげでフファルは馬車の外、御者台に座るランドリークの隣に座っているので命の危険はないと思うが。

 問題にすべき謎、それは・・・。


 「サティオ、どうやって追いついたの?」


 そう、これだ。

 『盟友』同士の連絡網は誰にでも使えるものではない。

 少なくとも、サティオ個人に情報が流されるようなものではないのだ。

 それなのに、追いつかれた。

 せっかく皇妃から出されている追っ手を撒くために、細心の注意を払って移動しているというのに、こんな簡単に追いつかれたのでは困る。


 「ふっ・・・」


 こっちはかなり切実に問題視しているというのに、彼女、サティオ・ヴァィゼは前髪を掻き上げて鼻で笑った。


 「教師には、生徒の行方を突き止める能力がデフォルトで備わっているのよ」


 どんなサイボーグだよ!

 とりあえずツッコんでおいて、頭を抱える。

 教師と生徒、彼女と僕の関係は確かにそれだ。




 城を出る前、僕が学んでいたのはエルフ語だった。エルフというのは、この世界でも、気高くて無意味にプライドが高いことで知られる種族。

 人族に言葉はもとよりなに一つ教える気がない。

 実際、僕はエルフという種族が存在することを知った瞬間から、なんとか言葉を教えてもらおうとしたが一切相手にしてもらえなかった。

 そのため、サティオを僕の教師として紹介された時には、皇妃の前だというのに思わず歓声を上げたものだ。

 あとになって、あまりにも明け透けなことをしてしまったと猛省した。

 義母のことだから、僕が喜ぶとなったら何であれ邪魔すると思っていたからだ。

 なのに、このサティオに関しては一切邪魔が入らぬまま、僕の語学教師となった。

 いったいどんな風の吹き回しか、と空恐ろしい気持ちを味わわされた。

 もちろん、そこにはちゃんとした理由・・・オチがあった。

 彼女は父帝へのエルフ族からの贈り物の一つだった。「とても優秀な女性だから、両国の親善に大きく寄与してくれるだろう」。エルフの長老はそう言って、彼女を父帝に差し出したらしい。

 父帝も、気位の高いエルフを臣下にできたと喜んだようなのだが・・・彼女サティオ・ヴァィゼは一筋縄でいくものではなかった。

 何があったのか、それは帝宮内の話なのではっきりしたことはわからなかったが、とにかく、父帝は彼女を側に置いておくことに辟易して押し付ける相手を探していたようなのだ。で、僕がエルフの教師を探していたことを思い出したというわけ。

 彼女とエルフという種族全体の名誉のために言っておくと、サティオ・ヴァィゼは優秀な女性だ。

 間違いなく。

 ただ、かなりクセは強い。

 というか、アクが強い。

 煮ても焼いても食えない、というやつだ。

 まず、男好きだ。

 肉体的に、ではなく精神的にいじくりまわすのが好きなタイプ。

 わざと官能的な姿を見せておいて、思わず見とれるとすかさず「セクハラです」と叫ぶ美人秘書をイメージすると分かりやすすぎるくらいわかると思う。

 いや、白状すると最初の頃、そんな妄想をしていた、主に夜のベッドで。

 ・・・コホン。

 それだけなら、ちょっとエロティックな先生というだけで済むが、それで終わらないのが、この人の凄い・・・怖いところになる。

 スパルタなのだ。

 教え方が。

 褒めてくれる時の微笑は天使だ。

 女神のような美しさの中に可愛らしさがある。

 ただし、間違った答えを言おうものなら、その顔は悪鬼羅刹だ。

 元が美しいだけに、その変わりようは視線だけで人を石にするゴーゴンなみの眼光となり、縮み上がることになる。

 情けないことに、初めて睨まれた時にはマジでちびった。

 誰もが優秀だと認めるが、それだけに誰も扱いきれずに押し付け合った末、僕に押っ付けられたエルフ女性。

 それがオチだ。




 「・・・で、真実は?」


 肩の力を目いっぱい抜いて問い掛ける。

 彼女と会話するときは、柔軟性が必要。

 僕が短い経験で得た、対サティオ・ヴァィゼ用の教訓だ。


 「・・・恋する女は世界の端からでも、愛しい人を見つけるものなの」


 少しうつむき気味にした顔。

 軽く握った右拳の、人差し指第二間接を唇にあてて、上目遣い。

 悔しい、でもドキドキしちゃう。


 「・・・ほんとうは?」


 目に入ってくる毒を避けようと、反射的に目を閉じて、僕は再度説明を求める。


 「・・・ふぅ」


 やるせない吐息が、形も色も芸術的な唇から洩れた。


 「・・・クレオルよ」


 つまらなそうに呟きを落す。


 「あぁ・・・」

 それか。

 クレオル。

 クレオル・レペンティ。

 僕の部下の中でもとびきり毛色の違うやつだ。

 なにより年下だし。

 いまは帝都の下町の宿屋に住み込みで働いている。

 城の外にいて、市民の生の声を集めるアンテナの役目を果たしているのだ。城外にいるザフィーリの部下たちとの間で連絡をつけるのもその役目の一つ。

 彼なら、ザフィーリの部下からの情報を使って、僕の予想進路を割り出すぐらいできてしまうだろう。

 「それはわかった。けど・・・なにしにきたの?」


 「貴方に・・・逢いたくって・・・」


 顔を逸らし、澄み切ったサファイヤのようなアイスブルーの瞳を横目で向けてくる。

 背中がゾクッとした。


 「・・・事実は?」


 ゾワッ! 問いただした途端、背中にドライアイスが張り付いた。

 死神もかくやという眼光。

 氷河のような青白い眼が僕を睨み付けた。

 迸る濃密な殺気。

 リューリが反射的に身構え、窓からはフファルが覗き込んできた。


 「私が作った学習スケジュール踏み倒すなんて、いけない子。・・・墓穴は掘り終わっているのかしらぁ?」


 甘ったるい息が吹きかけられる。

 さっきまで天使に見えていた唇から、蛇の舌が伸びてきそうだ。

 ・・・なんで、頭に角が生えてこないんだろう?

 それくらい、おぞましい。


 「ご、ごめんなさい」


 恐怖に苛まれながら頭を下げた。


 「んー、いいの。いいのよ、かわいい子」


 頭の後ろに手が回されて抱きしめられた。

 花の香りが僕を包み込む。

 間近に迫ったサティオの顔がほころぶ。

 厚い雨雲の隙間から、温かな陽光が差すような微笑。


 「これから頑張って、取り返してくれるわよね?」


 口が逆三角形の形に歪んだ。目も鋭い直角三角形に。

 あ、ダイヤモンドダストが見える・・・。

 綺麗だけど・・・痛みを覚える寒さが全身を捕まえて離そうとしない。

 このままでは死んでしまう。


 「は、はい、先生」

 「素直な子は先生好きよ」


 うふふ、とか笑いながらサティオ・ヴァィゼ語学教諭は、漬物を漬けられそうな重さの紙の束を僕の前に積み上げた。

 鬼か!

 鬼だった。

 鬼婆だ。

 「ん?」

 小首を傾げて「なにか言いたいことでも?」という目をした先生の方から冷気が忍び寄ってくる。

 僕は泣きながら、課題に取り掛かった。




 「それにしましても、厩の掃除ですか・・・」

 顔を斜め右上方に向けて、左手人差し指で顎・・・唇の右横を抑えるサティオ。

 なにやら思案顔だ。


 「英雄じゃないよ」


 課題から目を離すことなく、釘を刺した。

 厩・・・畜舎の掃除といえば、ギリシア神話で英雄ヘラクレスに課せられたいくつかの仕事の一つだ。

 12だったかな?

 ときどき正気を失って恐ろしいことをしでかすので、それをなくさせる方法はないかと神託を受けた結果、どこかの王様から与えられる試練をすべてこなせばいいと言われたんだったと思う。

 で、させられた仕事だったはずだ。

 うろ覚えだが。


 不思議なことに、エルフに伝わる神話の大部分が僕の知っているギリシャ神話とよく似た話になっている。

 エルフの神話ではヘラクレスではなく、ムヘルイホンという名になっていた。

 発見したときにはあまりの相似に興奮したものだ。

 あと、一見怜悧な現実主義者っぽいサティオが意外にも神話好きだったことにも驚いた。


 「そうですか? ムヘルの干渉から逃れるための仕事でしょう?」


 ムヘル、エルフの神話でのヘラのことだ。主神の妻にして神々の母・・・我が親愛なる母と掛けたつもりらしい。

 「変なこじつけはやめてほしいな」

 「こじつけ、でしょうかねぇ?」

 チラリと目を上げると、真顔のサティオと目が合った。

 こういう表情になると女神にしか見えないからずるい。

 「他に何があるの」

 「えい・・・」

 「英雄じゃないって言ってるよね?」

 「ぶー!」

 唇を突き出して、ブーイングしてくる。

 ・・・いや、ほんと。

 その美貌でそういうのやめてほしい。

 すっごく刺激されちゃう。

 ・・・このまま唇を奪ったら、どんな反応が返ってくるだろう?

 平手打ちだろうか?

 足蹴りだろうか?

 氷河期が来そうな冷たい視線で突き刺されるのだろうか?

 意外にも羞恥に顔を染めてちっちゃくなったりするんだろうか?


 「それはいいけど、いいの? 城から出てきちゃって?」


 サティオは僕の教師だけど、所属としては父帝の内務官僚になっているはずだ。自由気ままに動き回っていい立場ではないのではないだろうか。

 「皇帝陛下には皇子様の監視も仰せつかっていますから否やはありませんわ」

 なるほど。監視するにはついてくるしかない、か。

 父帝に与えられた仕事をちゃんとこなしている、わけだ。

 「監視の結果を報告しようにも、私には部下がいないというのが困りものですわね。報告書の送りようがないんですもの」

 当然、父帝の直属の部下という位置づけながら役職は教師、僕に授業を受けさせるのに必要な範囲での指示・命令ができる。

 でも、それは逆に言うと授業以外のことでの指示・命令はできないことを意味する。

 まして、僕の部下に勝手に命令はできない。

 ここから離れたら、離れている間の監視ができないので帝都に戻るわけにもいかない。

 報告書は届けられない。

 「・・・お見事」

 僕は、音を立てずに拍手を贈った。

 積極的消極さで皇帝を欺いてのける豪胆さに対してだ。

 城を出てくる前に皇帝に相談していれば、連絡用に騎士の何人かくらい付けてもらえただろうに、それをしなかった。

 僕の足枷にならないよう配慮したということだろう。

 感謝すべきかもしれない。


 「だいたい。指示を仰いだりしたら、止められちゃうかもしれないでしょう? 城勤めなんてうんざりよ。息が詰まっちゃうわ」


 ボソッと呟きがこぼれた。

 ・・・なんか、本音が聞こえたような気がする。

 


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