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 雪



 朝、風は凍えそうに冷たく、まさに山の上の気候だった。

 この辺りはすでに冬なのだ。

 梢は綿帽子をかぶり、吐く息はどれも白かった。

 もちろん、皇子たちを運んだハーピィ族は除く。高山の環境に順応している・・・息がどうとかいう以前にほぼ裸という姿を考えれば当然か。

 シスネは見送りに来なかった。

 ハーピィ族には旅立ちを送らない習慣がある。

 その代わり、帰還の時には盛大に祝うのだ。

 そう、帰還。

 シスネとの間でライムジーアは帰還の約束をさせられていた。

 いつか、ここを再び尋ねると。


 「さあ出発だ」


 また、肩に乗る荷物が増えたような気持になりながら、ライムジーアは手綱を握ると仲間たちに声をかけて、馬の腹を蹴った。

 雪はやんでいて、日が上るにつれ温かくはなっていく気配がある。

 だが、木々の間の陰になるところには、雪が塊となっていた。

 ドワーフの村へと続くという道は、石材を運ぶためというだけあって広く、またしっかりと踏み固められていて馬も快適に歩を進めてくれている。

 これなら、日の高いうちに村までいけそうだ。

 「皇子様、寒くはありませんか?」

 本日すでに三度目の問いかけが、シアから発せられた。

 出発時、入念に巻き付けたマントが緩んでやしないかと、心配性のメイドはそればかり気にしている。

 「大丈夫だよ、心配いらない」

 いささかうんざりしながら、ライムジーアは答えを返した。

 それでも、昼食には熱いコーヒーを二杯所望するほど体は冷えていた。



 昼下がりの、午後まだ浅いころ、ドワーフの村が見えてきた。

 村、と呼ぶのが甚だ場違いに思えるほど、巨大で荘厳な建物が連なっているようだ。

 シスネに聞いたところでは、上から見るとこの建物は中心に八角形の建物があり、その八つの面から翼棟が伸びているそうだ。

 地上から見るとそのすべてが、しっかりとした石造りで、明らかに計画的な速度と順番で建てられているのが素人の目にすらわかるものだった。

 村というのはこの巨大な建物を表すそうで、この村の建物はこれ一つだけ、この建物で数百人のドワーフが共同生活を営んでいるそうな。

 ハーピィ族の首長が気を利かせて先触れを飛ばしてくれていたと見えて、建物の端に一行が着くころには数人のドワーフが迎えに出てきた。

 どれも背は低く、ライムジーアとあまり変わらないようだった。

 それに顔の半分は髭でおおわれている。


 「馬はここで預かる」


 ドワーフの一人がそう言ってきたので、ライムジーアたちは素直に馬を降りた。

 八面から延びる翼棟の一つが丸ごと畜舎と厩になっているようだ。

 ざっと見たところ翼棟の長さは百メートルを超えているし、畜産をしている様子はあまりない。

 一行の馬が数十頭加わったところで手狭になることもないだろう。

 この時点で五十人いるザフィーリの部下中、二十人は姿を消していた。いつも通りの偵察と警備のために。


 「おまえさん、『盟友の友』かね?」

 「僕のことを知っているのか」


 一部にしか知られていないはずの称号を言われて、ライムジーアは驚きで目を見開いた。

 まじまじとドワーフの顔を見てしまう。

 「驚くほどのことじゃあるめぇ? ハーピィ族のとこから人間が降りてくるんだからな。予想はつく。うちの王様はそういう話が大好きだしな。つい先週のことじゃが野暮用で都にいっとったら、誰かのなにかの祝いで飲んでるときに、べらべらしゃべっとったわい」

 馬を降りたライムジーアたちを案内しながら、ドワーフが不満そうに鼻を鳴らした。

 帝国のどこにでも住めるドワーフ族は帝国内の移動も自由なのだ。

 「あー。そういう噂はよく聞くね」

 噂や逸話、武勇伝。

 彼――ドワーフ族の王ドゥ・ハルト――を語る話は耳に親しい。

 勲章だの名誉だのにとかく惹かれる人物だと。

 で、僕のことも酒の肴にしていたわけだ。

 機密もなにもないな、と思うが考えてみれば『盟友の友』の称号なんて秘密にするようなものでもない。

 というか、称号は人に知らせてなんぼだろう。

 「君たちドワーフには、あまり意味がないことだからね」

 人間と共存が可能な『盟友』に、『盟友の友』の価値が軽いものになるのは仕方がない。

 「『盟友』であることに変わりはないわい」

 ドワーフは再び鼻を鳴らして、前を進んでいく。


 「まずは、我らの飯焚き場を見せてやるぞ」


 口調をがらりと変えてニヤリ、と太い笑みを見せる。

 酒と食い物が大好きな種族らしい表情に、思わず笑みがこぼれる。


 「その次には是非仕事場を見せてもらいたいね。僕をダシにした酒盛りが始まって職人たちがみんな飲んだくれてしまう前に」


 ライムジーアが要望を口にすると、ドワーフは割れ鐘のような声で笑った。

 「そいつぁ急ぐ必要がありそうじゃて」



 ドワーフ族の厨房は巨大だった。

 村の食事を一手に引き受ける厨房もまた、翼棟の一つにあって食糧庫と一体になっているのだが、どこまで続くのかというくらいに獣の肉がぶら下がっている光景には、ただただ圧倒されてしまう。

 その牛らしき獣の肉が丸ごと一頭金串に刺されて炙られていて、アヒルっぽい鳥の群れが肉汁の中でぐつぐつ煮えていた。

 馬車ほどもある大鍋の中でシチューがふつふつ音を立て、パンの行列がオーヴンに入って行っている。このオーヴンはライムジーアが中に入って立ち上がったとしても頭がつかえることはなさそうなほど大きかった。

 いろんなものがあっていろんな料理が作られている。

 ただ、ここに秩序というものは微塵も存在していなかった。

 料理長は顔の半分が髭で隠れていてもそうとわかる赤ら顔で、矢継ぎ早に命令を喚いていたが誰も聞いていなかった。

 怒声と脅迫と、凄まじい混乱が場を支配していた。

 火の中に突っ込まれたままのお玉を不注意な料理人が掴んで金切り声を上げたり、フライパンを振るついでに投げ出された帽子が鍋に落ちたりしていた。


 「ともかく、勢いがあるのはわかった」

 ライムジーアはなんとかそれだけの言葉を絞り出した。

 「面目ない。あれは副料理長だ」

 案内のドワーフが食いしばった歯の間からギリギリと音を立てながら弁明した。

 「料理長は先日すりこ木で殴られたんだ。無事なら、あいつらみんな殴りつけて黙らせているはずなんだがな」

 ドワーフが嘆くと、ずいっと誰かの影が動いた。

 「し、シアさん?! な、なにをするのかな?」

 動いたのはシアだ。

 手品のような早業でエプロンを付けると、腕まくりをして副料理長の下へと歩いていく。

 背中に闘気を背負って。

 「なんだ!? おま―――」

 接近するシアに気が付き、怒鳴ろうとした副料理長とやらは一瞬にして沈黙した。


 「え、えげつな・・・」

 「すごっ・・・」


 フファルとリューリが絶句する。

 華奢なシアの膝が副料理長の股間に埋まっていた。


 ドサッ・・・。


 副料理長の怒声と倒れる音で振り向いた料理人たちが、にっこり微笑むシアの迫力を前にして、彼女の支配下に入るのに時間はいらなかった。

 一瞬にして秩序を回復させた台所が、シアの指示で回る。

 「皇子様のお口に、あんな人たちの作ったものが入るなどということを許しては、わたしは生きていけません」

 毅然と言い放ち、鬼のように厨房内の掃除と料理とを並行させて進め始める。


 「か、彼女のことは放っておいていい。行こう」


 ライムジーアがドワーフの案内人に声をかけて歩き出した。

 案内人が慌てて皇子を追い越して、先を進む。

「放っておきなさい」

 護衛を付けようかとロロホルが部下に振り向くのを、ザフィーリが止めた。


 「ですが・・・」

 「皇子も言っていたでしょう。あの子のことは放っておいていいのです!」


 不審な様子の部下に苛立たしげに言い放ち、ザフィーリも歩き出す。

 ロロホルはシャハラルと顔を見交わしたあと、急いで追いかけた。

 従う義務のないフファルとリューリは、少しのあいだ厨房内の革命を見学していた。そして、なにかを確認し合うように頷きあうのだった。



 厨房をあとにしたライムジーアたち一行は、別の問題に直面していた。

 鍛冶場のある翼棟に向かうため、外に出たところで胸元が大きく開いた薄緑の服を着た赤っぽい金髪の女ドワーフが一人、ぶらぶらしていたのだ。

 それだけなら、どうということもなかっただろうが、一行を目にしたその女が近付いてきて声をかけてきたので脚を止めることになったのだった。


 「あら、お客様がいらしていたとは知らなかったわ」

 女ドワーフは大胆な目つきでロロホルの全身を眺めまわした。

 「どこからきたの?」

 女ドワーフは問いただした。

 「元をたどれば、帝都ということになるでしょうね」

 慎重に答えて、ロロホルは皇子とザフィーリにチラチラと目を向けた。

 この女ドワーフが明らかな勘違いをしていることを、どう説明すべきか、と考えているらしいのだが皇子は知らぬ風を決め込み、ザフィーリはそんな皇子を見て溜息を吐いた。

 女ドワーフが一行の中心人物をロロホルだとみているのは、明らかだった。

 無理もないことではある。

 年端の行かなそうな軟弱な使い走りの少年、禿げた家令、女騎士の護衛二人を従えた偉丈夫。ライムジーアが皇子だと知らなければ、そう見えるのはむしろ当然だ。

 「まあ、興味あるわ。他の人たちには先に行っててもらって、わたしとしばらくお話ししましょうよ」

 彼女の視線はひどくあけすけなものだった。

 ロロホルは咳払いした。

 耳が赤い。


 「そうですな。わしらは先に行っておりますので、ごゆるりとどうぞ」


 自分の役どころを即座に嗅ぎ取ったランドリークが、腰を曲げて頭を下げると、ロロホルに反論する間も与えずに歩み去った。

 頬に手を当てて緩む口元を隠したライムジーアもそそくさとあとに続く。

 当然、ザフィーリたちもそれに従った。

 追いついてきたフファルとリューリも。

 その輪の中に逃げ込もうとしたロロホルの首に、女ドワーフの細い腕が絡まり引き戻された。



 「見事だね」

 物陰に入って、あの女ドワーフとロロホルが見えなくなるとライムジーアが言った。

 笑いを堪えているせいで、その声は震えていた。


 「す、すごっ!」


 耳を火照らせたリューリが、恥ずかしさではなく興奮でひび割れた声を上げた。

 「見習いたいくらいの度胸と自然さだったね」

 フファルも感心しきりでうなずいている。

 「部下で遊ぶのはおやめいただきたいです」

 置き去りにされたロロホルの狼狽ぶりを面白がるライムジーアに、ザフィーリが疲れたように苦言を呈した。

 同じく部下のシャハラルが横で肩を震わせていては、説得力も迫力も乏しいが。



 鍛冶場のある翼棟に入る。

 出迎えてくれたのは、二の腕がリューリの腰ほどもあるような茶色の顎髭をもつれさせた巨漢のドワーフだった。巨漢といっても身長はライムジーアと同じか少し低めで、横と厚みは三倍というものだ。

 髭面の中にいたずらっ子のようなキラキラした瞳を持つ彼は、自分の作りかけの作品にランドリークが目を向けた途端、彼を捕まえて楽しそうに仕事の話を始めた。

 おかげでライムジーアたちは自由に内部を見学できた。

 炉の一つで見習いらしい若者が矢尻をハンマーで叩いていて、別の炉ではやせた――ドワーフにしては――片目の男が装飾もなにもない武骨な短剣を打っていた。

 フファルが自分と同じくらい大きな大剣を振り回してみたり、リューリが繊細なつくりの細剣を持って作業所を駆け回ったりするたびにドワーフの職人たちは手を叩いたり口笛を吹いたりして囃し立てた。


 そんなお祭り騒ぎが最高潮に達したのは、職人の一人がザフィーリの持つ聖槍スキールニルに気が付いたときだった。

 聖槍スキールニルを作り出したのは、生来の職人とまで言われる彼らドワーフ族の中にあっても最高峰と位置付けられる伝説の名匠。羨望の眼差しを向けられ、まごついた一瞬のスキをついて、ザフィーリは槍を奪われてしまっていた。

 もちろん、職人たちは槍を自分たちのものにしたかったわけではなく、伝説の名工の偉業を一目見たい、触れたい、という思いでの行動だ。

 ザフィーリにもそれが判るのだろう。慌てて手を伸ばしはするが、強引に奪い取ることはできずにいる。

 彼女の部下たちも同じく、取り返そうとしつつも力づくというわけにもいかず、まごついているようだ。


 チャンスだった。

 皇子はこっそりと翼棟を抜け出した。

 一応なりとも皇子だ。

 常に誰かから見張られているという人生になら慣れている。

 それでも、ときには一人になりたいと思うことがあった。

 とくに、ここしばらくは旅から旅で、一人になる間がなかったので身軽な時間を狂おしいほど待ち望み始めていたのだ。

 その望みを叶える、これは千載一遇のチャンスだった。

 そろり、そろりと移動して、翼棟を出る。



 思いつくままに歩いてみると、ソリを引いた同世代のドワーフを発見した。

 同世代といっても、この世界での年齢で、だ。

 いまさらそり遊びをしようなんて気にはならない。

 目についた第一村人――子供――が、ドワーフにしてはすらりと伸びた長身で、ウエストの締まった女の子でなければ。

 彼女はそりを引いてライムジーアたちが来たのとは逆の方向へと歩いていく、ライムジーアは急いで後を追いかけた。

 反対側にも、ハーピィ族の巣がある山とは比較にならないほどなだらかではあるが山があり、その斜面には雪が積もっていた。

 風の影響で溜まりやすいのだろう。

 そんな推測をしているうちに、少女の笑い声が陽気に響いた。

 午後の冷たい空気の中で頬をバラ色に上気させ、長いおさげ髪をなびかせて、さっきの女の子が滑り降りてくる。


「おもしろそうだね」


 即席のソリがそばまで来て止まったので、ライムジーアは声をかけた。

 「やってみたい?」

 少女は立ち上がって、毛織の服についた雪をはたきながらたずねた。

 「ソリを持っていないよ」

 「あたしのを使わせてあげてもいいわ」

 少女はいたずらっぽくライムジーアを見つめた。

 「あなたがあたしに何かくれるなら」

 「なにが欲しいの?」

 「そのうち思いつくわ」

 少女は大胆な目で初顔の男を見た。

 「なんて名前なの?」

 「ライムジーア」

 一瞬偽名を言おうかと思ったが、その必要もないだろうと思い直した。

 どうせ明日には真実が耳に入るだろうから偽名を名乗る意味はない。

 そのかわり、肩書は省略した。

 皇子を名乗って、態度が変わるのを見るのも慣れているが、それでは面白くなくなるのを経験から学んでいる。

 「人間が来ているとは知らなかったわ」

 「ついさっきついたばかりさ」

 「そうなの。わたしはエアディエラよ」

 ライムジーアはちょっと気取った仕草で頭を下げた。

 貴族の馬鹿息子たちの見様見真似だ。

 尊大さと、いやらしい笑みは削除して。

 「あたしのそりを使いたい?」

 「もしくは一緒に乗りたいかも」

 答えると楽しそうに笑った。


 「いいわよ、キスしてくれるなら」


 笑いの余韻を響かせながら反撃してくる。

 ライムジーアはあえなく撃沈した。

 真っ赤になってうつむいてしまったのだ。

 つごう三十年近い人生経験はあるが、こっち系の交渉や駆け引きだけは未だに慣れない。

 エアディエラはまたしても笑った。

 さっきよりさらに高く澄んだ笑い声だ。

 そこに長い上着姿の横に大柄な赤毛の少年が近くへ滑ってきて、すごんだ顔をして立ち上がった。


 「エアディエラ、こっちへこいよ」


 少年の口調は控えめに言っても命令的だった。

 「いやだといったら?」

 エアディエラは挑発的だ。

 赤毛の少年は肩をゆすってライムジーアに歩み寄り、問い詰めた。

 「おまえ、ここでなにしてる?」

 「エアディエラと話をしているんだよ」

 ライムジーアは言い返した。

 「誰に許可をもらった?」

 赤毛の少年は怒鳴った。

 少年はライムジーアよりも少しばかり背が低かったが、胴の太さは倍だった。

 「許可なんて必要だとは思わないけどね」

 とあるミカン好きの航海士と梅酒好きでピチピチの女医の会話が思い出される。

 赤毛の少年は威嚇的な顔でライムジーアを睨んだ。

 「その気になりゃ、お前なんか叩きのめせるんだぞ」

 ・・・これは駄目だ。

 僕は早々に諦めた。

 赤毛が好戦的な気分になっていて、喧嘩が始まるのは避けられない、と。

 脅しや侮辱といった前置きはあとなん分か続くかもしれないが、結果は変わらないだろう。

 なので、待つのはやめにした。


 拳を固めると、真っ赤な顔で威嚇してくる少年の鼻を殴りつけた。

 我ながらほれぼれするほど決まった一撃で、少年はよろよろと後退って雪の上に尻餅をついた。

 少年が鼻を抑えた手を離すと、手が真っ赤に染まっていた。


 「血が出てる!」

 彼は非難を込めた泣き声で言った。

 「お前のせいで鼻血が出たじゃないか」

 「すぐに止まるさ」

 「止まらなかったらどうする?!」

 「鼻血は永遠に出やしないよ」

 「なぜ僕を殴ったんだ? 僕は何もしなかったぞ」

 赤毛は泣きべそをかいて鼻血を拭いながら抗議した。

 「しようとはしてただろ。血を止めたいなら、雪を詰めろ。それで止まるから。赤ん坊みたいにめそめそするのはやめろ」

 物を詰めて圧迫、ついでに冷やして血管を収縮させれば血は止まる。

 一度止まれば、凝血作用ですぐにかさぶたができるだろう。

 問題ない。

 「まだ血が出てる」

 「雪を詰めるんだ」

 僕は繰り返した。

 「それでも止まらなかったら?」

 「その時はせいぜい派手に葬式を上げてあげるよ」

 殴られての鼻血が元で死ぬなんてこと、そうあるものじゃない。

 思い切り冷酷な口調で言ってやった。

 ここら辺は年相応のガキをはるかに上回る経験がものをいう。

 赤毛はびっくりして僕を見ると、雪を片手いっぱい掴んで鼻に押し当てた。


 「人間ってみんなそんなに残酷なの?」


 エアディエラが聞いてきた。

 「時には、ね」

 地元の子供たちと遊ぼうとした試みはまずい結果に終わり、ライムジーアは後悔しながら向きを変えて歩き出した。

 「ライムジーア、待って」

 エアディエラの声がした。

 彼女はライムジーアを追いかけて、腕をつかんだ。

 「忘れ物よ、あたしのキス」

 エアディエラはライムジーアの首に両腕を巻き付けると、音高く口にキスをした。

 「ほらね」

 彼女はくるりと背中を向け、金髪のおさげをなびかせて笑いながら丘を駆け上っていった。一瞬、ライムジーアはあとを追いかけそうになったが、不意に立ち止まり来た道を戻り始めた。

 ほんの少し歩いただけで、にやにやと笑っている顔に出くわした。

 「追いかけた方がいいんじゃない?」

 フファルがものすごく粘っこい声を出しながら、下から見上げてきた。

 「初対面でキスを手に入れるなんて・・・すごっ」

 はしゃいだ声はリューリのものだ。

 ザフィーリたちの騒ぎを無視してついてきていたのだろう。

 護衛してくれていたのかもしれないが、なんともばつが悪い。

 アマゾネスにドワーフのような、戦功を歌にして披露するという癖がないことに、感謝しよう。

 彼女たちは戦いの後、名誉や栄光、歴史ではなく子を作るのだ。

 戦いが、子供の喧嘩程度だったことにも感謝しよう。

 雪の上に押し倒されるのは困る。




 その夜。

 結果としていきさつは披露された。

 歓迎して開いてくれた酒席に参加したドワーフの一人が、一部始終を見ていたのだ。

『モンタヘルクの下』というこれ以上なくわかりやい実務的な名前の村、その中央広間でのことだ。

 心づくしの御馳走が並ぶ長テーブルにドワーフ族のお歴々とライムジーア一行の主だったものが着席すると、そのドワーフはライムジーアが丘の斜面で少年少女と出会った話を大幅に誇張して話し、一同を楽しませたものだ。


 「見事な一撃だった」


 ドワーフは大袈裟な身振りも付けて話し始めた。


 「もっとも偉大な勇者にふさわしい一撃だ。それが敵の鼻に命中した。鮮血がほとばしり、敵はひるんで降参した。皇子は英雄らしく、敗北者を見守り、いかにも真の英雄らしく、自慢もしなければ、敵をあざけりもせず、流れ出る真っ赤な血を止める方法を教えてやった。それから実に威厳のある態度でその場をあとにしたんだ。だが明るい目をした娘は、勇気ある英雄をそのまま行かせようとはしなかった。急いで追いすがり、雪のついた腕を優しく彼の首に回した。そして心を込めたキスを一つ彼に与えたもんだ。それこそ真の英雄にふさわしい褒美だった。娘の目は賛美にきらめき、つつましい胸は新たに目覚めた情熱に激しく息づいていた。ところが慎み深い皇子様はそのままあっさりと別れ、娘の愛情のこもったふるまいがはっきり申し出ているもう一つの甘い報酬を求めようともしなかった。こういうわけで、その冒険は、我らが英雄が勝利こそ味わったものの、勝利の報いはそっと退けたという形で終わった」


 とうとうと、流れるように語られた英雄譚に長テーブルについたドワーフたちは大いに盛り上がり、大喜びでテーブルや膝や互いの背中を叩き合った。

 居合わせた数少ない女ドワーフたちもあけっぴろげに笑っている。

 しかし、ザフィーリとシアの視線だけは冷たくライムジーアの顔に突き刺さったまま、微動だにしなかった。



 ・・・明日は夜明けとともに逃げ・・・出発しよう。

 ライムジーアは堅く誓いを立てるのだった。


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